アンディ・フィリップス

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アンディ・フィリップス
Andy Phillips
2009年9月19日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州タスカルーサ
生年月日 (1977-04-06) 1977年4月6日(47歳)
身長
体重
183 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手左翼手
プロ入り 1999年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 2004年9月14日
NPB / 2009年6月30日
最終出場 MLB / 2008年9月22日
NPB / 2010年5月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • アラバマ大学 (2011 - )

ジョージ・アンドリュー・フィリップスGeorge Andrew "Andy" Phillips , 1977年4月6日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

ニューヨーク・ヤンキース時代
(2007年6月28日)

高校卒業時の1995年ミルウォーキー・ブルワーズからMLBドラフト41巡目で指名されるが契約せずアラバマ大学に進学。1999年ニューヨーク・ヤンキースからMLBドラフト7巡目で指名され契約。

2004年9月14日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦の9回表に代走メジャーデビュー。9月26日、フェンウェイ・パークで行われた対ボストン・レッドソックス戦の8回表に代打で出場し、メジャー初打席でグリーンモンスターを越える2ラン本塁打を打った。メジャー史上21人目の初球初打席初本塁打だった。2006年ジェイソン・ジアンビら主力選手の故障で出場機会が大幅に増え、主に一塁手で110試合に出場。6月にはチーム最高の月間打率.333を記録。二塁や三塁も守り、ユーティリティープレイヤーとして活躍した。

2007年は6月にメジャー昇格。ダグ・ミントケイビッチらと一塁のポジションを争い、打率3割前後をキープしていたが、9月2日の対タンパベイ・デビルレイズ戦でジェイソン・ハメルから死球を受け右手首を負傷。全治4~6週間と診断されそのままシーズンを終えた。シーズン後の2007年12月3日に戦力外となり、FAとなった。

2008年1月4日にシンシナティ・レッズとマイナー契約。5月28日にメジャー昇格を果たし主に代打で出場していたが、故障者リスト入りしていたジェフ・ケッピンジャーが復帰したため6月22日に戦力外となり、3日後にニューヨーク・メッツと契約。メッツで4試合に出場後、再び戦力外となり、7月3日にレッズと再契約した。

2009年ピッツバーグ・パイレーツ傘下の3Aインディアナポリスシカゴ・ホワイトソックス傘下の3Aシャーロットでプレーしたが、6月15日にFAとなった。6月26日広島東洋カープが獲得を発表。6月30日、対読売ジャイアンツ戦にて3番・左翼手で来日初出場、同日に来日初本塁打を記録した。9月30日の対横浜ベイスターズ戦でコルビー・ルイスがバントを失敗し、ベンチでヘルメットを地面に叩きつけたとき顔面を負傷した。15本塁打を放ったものの、オフに自由契約となる。

2010年1月13日、東北楽天ゴールデンイーグルスが1年契約、総額5000万円で契約したと発表した。交流戦での古巣・広島戦において、5月14日の試合では2本の2点適時打で4打点、翌15日には先制ソロに加え延長戦で決勝適時打を放ち、この2試合で9打数5安打の打率.556、1本塁打6打点と大活躍し、古巣を見返す働きを示した。しかし、開幕から打撃不振に陥ったため、5月25日に1軍登録抹消された。10月27日に藪恵壹トッド・リンデン宮出隆自らと共に来季の契約を結ばないことが発表された。

2011年1月4日、母校であるアラバマ大学のアシスタントコーチに就任した[1]

人物[編集]

広島入団時、球団公式サイトでは「男前新外国人選手」と紹介された[2]。フィリップスが出場していた試合の解説を務めた達川光男も「ヘルメットでよく見えませんけど取ったら男前なんですよ」と語っていた。

広島では左翼手での出場が多かった[3]が、本来の守備位置は内野で、外野守備にはMLBでも3回(すべて左翼)しか就いておらず、お世辞にも上手いとは言えない。広島時代にはフライやライナーを捕球しただけでファンから大きな拍手が起きるほどだった[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 NYY 5 8 8 1 2 0 0 1 5 2 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .250 .250 .625 .875
2005 27 41 40 7 6 4 0 1 13 4 0 0 0 0 1 0 0 13 1 .150 .171 .325 .496
2006 110 263 246 30 59 11 3 7 97 29 3 2 0 2 15 0 0 56 9 .240 .281 .394 .676
2007 61 207 185 27 54 7 1 2 69 25 0 3 6 2 12 0 2 26 5 .292 .338 .373 .711
2008 NYM 4 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .200 .200 .200 .400
CIN 52 80 73 11 17 3 0 3 29 10 0 0 0 0 6 0 1 14 3 .233 .300 .397 .697
'08計 56 85 78 12 18 3 0 3 30 10 0 0 0 0 6 0 1 14 4 .231 .294 .385 .679
2009 広島 74 301 264 35 70 15 1 15 132 50 0 0 0 5 27 0 5 48 7 .265 .339 .500 .839
2010 楽天 26 92 81 11 16 2 0 2 24 12 0 0 0 1 9 0 1 21 2 .198 .283 .296 .579
MLB:5年 259 604 557 77 139 25 4 14 214 70 3 5 6 4 34 0 3 110 20 .250 .294 .384 .678
NPB:2年 100 393 345 46 86 17 1 17 156 62 0 0 0 6 36 0 6 69 9 .249 .326 .452 .778

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 39 (2004年)
  • 18 (2005年 - 同年途中、2008年 - 同年途中)
  • 14 (2005年途中 - 同年終了)
  • 12 (2006年 - 2007年)
  • 29 (2008年途中 - 同年途中)
  • 46 (2008年途中 - 同年終了)
  • 22 (2009年)
  • 5 (2010年)

登場曲[編集]

  • 『City On Our Knees』 TOBY MAC(2010年)

脚注[編集]

  1. ^ Andy Phillips Named Assistant Baseball Coach at Alabama ALABAMA CRIMSON TIDE
  2. ^ http://www.carp.co.jp/news09/s-024.html
  3. ^ 三塁にスコット・シーボルスコット・マクレーン、一塁に栗原健太がいたため。シーボルの不調と打撃強化のためにマクレーンとフィリップスを途中獲得したが、本職が三塁手の外国人が3人重複する事態となった。なお、マクレーンもシーボルと同時出場する試合で左翼手でのスタメンがあった。
  4. ^ 木村雅俊 (2009年7月5日). “【球炎】石井の守り チーム救う”. 中国新聞. http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/2009/Cs200907050364.html 2010年4月11日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]