アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ

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アレッシャンドレ・ガーロ
名前
本名 アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ
Alexandre Tadeu Gallo
愛称 ガーロ
カタカナ アレッシャンドレ・ガーロ
ラテン文字 Alexandre Gallo
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1967-05-29) 1967年5月29日(56歳)
出身地 サンパウロ州
身長 180cm[1]
体重 80kg[1]
選手情報
ポジション MF (DH)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1991 ブラジルの旗 ボタフォゴ-SP
1991 ブラジルの旗 ヴィトーリア 3 (0)
1992-1996 ブラジルの旗 サントス
1996 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ 25 (2)
1997 ブラジルの旗 グアラニ
1997-1998 ブラジルの旗 サンパウロ
1999 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
1999-2000 ブラジルの旗 アトレチコ-MG
2001 ブラジルの旗 コリンチャンス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ(Alexandre Tadeu Gallo、1967年5月29日 - )は、ブラジルサンパウロ州リベイラン・プレト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

選手時代[編集]

厳しいマークを得意とする潰し屋タイプのボランチで[2]、19歳の時にボタフォゴ-SPでプロ入りして以来ブラジル国内のクラブでキャリアを重ね、所属した全てのチームでキャプテンを務めた[1]

1992年からサントスFCに在籍。同クラブにおける1995年の全国選手権・準決勝フルミネンセ戦は現役時代で最も思い入れのある試合であり[2]、また同選手権のパルメイラス戦は、カフーアントニオ・カルロス・ザーゴリバウドエジウソンミューレルを擁する相手に1-0で勝利した最もハードな試合だったと述べている[3]

1999年にヴァウディールとのトレードで移籍したアトレチコ・ミネイロでは、特にギリェルメと親しかった[3]

指導者時代[編集]

2002年から指導者としての活動を始め、カルロス・アルベルト・パレイラの下でアシスタントコーチを務めた。その後もヴァンデルレイ・ルシェンブルゴに師事するなど国内でキャリアを重ね、2005年にはポルトゥゲーザにおいて監督に就任[1]。同年、ルシェンブルゴから自身が監督を務めるレアル・マドリードのコーチ就任を打診されたが固辞している[4]

2006年JリーグFC東京の監督に就任[1]。自身初の海外指導経験であり、FC東京にとってもクラブ初の外国籍監督(日本人コーチ登用の容認、クラブの歴史と方針への理解、予算の3条件を満たす指導者から選出[5])だった。ガーロはボール保持率を高めて[6][4]短いパスで相手を崩すサッカーを志向し、選手やクラブ首脳から好意的に受け止められていたが[5]、Jリーグ参入以前よりカウンター速攻で結果を残してきたチームには、ガーロの戦術を熟成させるための土台が乏しく[5]結果が思うように出ない中でチームに迷いが生じた。さらに負傷離脱選手の続出や3バックへのシステム変更なども伴ってチームは混迷。ある程度の勝ち点は積み重ねたものの、試合内容についてサポーターからも批判の声が挙がるようになり、同年8月には監督を解任された[6]。ガーロの前任監督であった原博実は、チームのマジメさが裏目に出た。ガーロは慎重に指揮していたが、思い切り良く開き直らせた方が良かったと評している[7]

ブラジルへ帰国後、2007年4月にブラジルのSCインテルナシオナルの監督に就任。同年のレコパ・スダメリカーナを制した。その後、フィゲイレンセFCアトレチコ・ミネイロでそれぞれ監督として指揮を取った。2009年にはECバイーアで監督を務めている。

2013年ブラジルサッカー連盟(CBF)の育成部コーディネーターとしてU-20及びU-17のブラジル代表監督に就いた[8]。同年のトゥーロン国際大会ではU-20代表を優勝に導いた。2014年には同大会を連覇。2016年開催のリオデジャネイロオリンピックに臨むU-23代表監督として予定されていたが、ワールドカップ以降にCBF入りしたドゥンガジルマールと意見を違えたことや[9]2015年南米ユース選手権を4位に終わったことによって批判が強まり[10]、同年5月に退任[11]

2016年秋以降のアメリカ滞在及び[12]イングランドやスペイン等での視察を経て[13]、2017年6月にデヤン・ペトコヴィッチ(ペトコヴィッチは2008年のアトレチコ・ミネイロにおいて選手としてガーロの指揮下にあった)から指名され[14]ECヴィトーリア監督に就任[15]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯 期間通算
出場得点 出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 期間通算
1986 (pt ボタフォゴ-SP SP1部
1987 (pt
1987 (pt セリエB
1988 (pt SP1部
1988 (pt セリエB
1989 (pt SP1部
1989 (pt セリエB
1990 (pt SP1部
1990 (pt セリエB
1991 (pt
1991 (pt ヴィトーリア BA1部 3 0 2 0 5 0
1992 サントス セリエA
1992 (pt SP1部
1993 (pt
1993 セリエA
1994 (pt SP1部
1994 セリエA
1995 (pt SP1部
1995 セリエA
1996 (pt SP1部
1996 ポルトゥゲーザ セリエA 25 2
1997 (pt グアラニ SP1部
1997 サンパウロ セリエA
1998 (pt 8 SP1部
1998 セリエA
1999 (pt ボタフォゴFR RJ1部
1999 アトレチコ-MG セリエA
2000 (pt MG1部
2000 アズール
(セリエA)
2001 (pt コリンチャンス 5 SP1部 2 0
2001 セリエA
通算 ブラジル セリエA
ブラジル セリエB
ブラジル 州選手権
総通算 17 2
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
南米サッカー連盟 メルコスール杯 リベルタドーレス杯
1998 (en サンパウロ -
2000 (en| 2000 アトレチコ-MG
2001 (en コリンチャンス -
通算 CONMEBOL
  • その他の国際公式戦
    • スーペルコパ・リベルタドーレス1992 (en
    • スーペルコパ・リベルタドーレス1993 (en
    • スーペルコパ・リベルタドーレス1994 (en
    • スーペルコパ・リベルタドーレス1995 (en
    • スーペルコパ・リベルタドーレス1997 (en

指導歴[編集]

2011年、アル・アインFC 監督時。

アシスタントコーチ[編集]

監督[編集]

監督成績[編集]

クラブ リーグ 記録 備考
試合
2003 ヴィラ・ノヴァ MG州 20 9 6 5[19]
2004 MG州 準優勝
2005 ポルトゥゲーザ SP州 7 3 2 2[19]
サントス 42 20 11 11[19] SP州 3位
セリエA リベルタドーレス杯 ベスト8
スダメリカーナ杯 1回戦
2006 FC東京 J1 17 6 3 8 ナビスコ杯 GL敗退
2007 レシフェ PE州 28 22 5 1[19] PE州 優勝
ブラジル杯 3回戦
インテルナシオナル セリエA 21 9 3 9[19] レコパ・スダメリカーナ 優勝
フィゲイレンセ 40 23 9 8[19]
2008 SC州 SC州 優勝
セリエA
アトレチコ-MG 14 4 4 6[19]
2009 バイーア BA州 39 21 10 8[19] BA州 準優勝
セリエB ブラジル杯 2回戦
サント・アンドレ セリエA 7 2 0 5[19]
2010 ナウチコ PE州 44 21 8 15[19] PE州 準優勝
セリエB ブラジル杯 2回戦
バルエリ -
2010-11 アル・アイン UAE 38 19 9 10[19] プレジデント杯 2回戦
エティサラット杯 準優勝
ACL GL敗退
2011 アヴァイ セリエA 13 3 3 7[19]
2012 ナウチコ PE州 43 16 9 18[19] PE州 ベスト4
セリエA
2015-16 アル・カーディシーヤ プロリーグ 9 1 3 5

クラウンプリンス杯 ベスト8
キングスカップ 1回戦

2016 ポンチ・プレッタ SP州 10 6 1 3
ナウチコ PE州 2 2 0 0
セリエB 23 9 4 10
2017 ヴィトーリア セリエA

タイトル[編集]

クラブ[編集]

サンパウロFC
アトレチコ・ミネイロ
SCコリンチャンス・パウリスタ
  • カンピオナート・パウリスタ:1回 (2001)

監督[編集]

スポルチ・レシフェ
SCインテルナシオナル
フィゲイレンセFC
U-20ブラジル代表

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e ガーロ氏 来季監督就任のお知らせ - ウェイバックマシン(2006年5月5日アーカイブ分) FC東京 2005.12.20
  2. ^ a b 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社、2006年、62-68頁。 
  3. ^ a b Gallo lembra quando doença contagiosa parou Vasco de Juninho Pernambucano: 'Ficaram morrendo de medo' ESPN (2017年2月17日)(ポルトガル語)
  4. ^ a b 霜田参謀帖 レアルのコーチ要請断り、日本で挑戦 - ウェイバックマシン(2006年10月29日アーカイブ分)東京中日スポーツ (2006年3月5日)
  5. ^ a b c 『Jリーグサッカーキング 2013年6月号』朝日新聞出版、2013年、55-56頁。 
  6. ^ a b アレッシャンドレ ガーロ監督解任のお知らせ - ウェイバックマシン(2006年8月22日アーカイブ分) FC東京 (2006年8月15日)
  7. ^ 西部謙司『最も愛される監督 原博実』出版芸術社、2007年、36-37頁。 
  8. ^ Gallo é o técnico da Seleção Brasileira Sub-20 ブラジルサッカー連盟 (2013年1月29日)(ポルトガル語)
  9. ^ サッカー批評 86双葉社、2017年、78-81頁https://www.futabasha.co.jp/book/97845754569050000000?type=1 
  10. ^ ブラジル、サッカー五輪代表再編成のピンチ フランス通信社 (2015年2月13日)
  11. ^ Técnico Alexandre Gallo deixa a CBF ブラジルサッカー連盟 (2015年5月8日)(ポルトガル語)
  12. ^ Gallo admite mágoa, e elege culpado por demissão da seleção olímpica TORCEDORES (2017年1月8日)(ポルトガル語)
  13. ^ 'Tenho que ser o melhor Alexandre Gallo de todos os tempos', diz novo técnico do Leão CORREIRO (2017年6月5日)(ポルトガル語)
  14. ^ Gallo é apresentado no Vitória: “Vontade gigantesca de trabalhar” Globo esporte(ポルトガル語)
  15. ^ GALLO É O NOVO TÉCNICO DO VITÓRIA ECヴィトーリア (2017年6月4日)(ポルトガル語)
  16. ^ Alexandre Gallo – que já conquistou títulos no comando de Sport, Internacional, Figueirense, Al-Ain e nos SUB20 e 21 da Seleção – é o novo técnico da Ponte Preta AAポンチ・プレッタ (2016年2月22日)(ポルトガル語)
  17. ^ Gallo é desligado do comando da Ponte; chefe de preparação física da Macaca também deixa o departamento de futebol AAポンチ・プレッタ (2016年4月15日)(ポルトガル語)
  18. ^ Alexandre Gallo não segue no Náutico クルーベ・ナウチコ・カピバリベ (2016年9月4日)(ポルトガル語)
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m Estatísticas (archive) 公式ウェブサイト
  20. ^ Wuhan International Youth Soccer Tournament (U-22) 2014 RSSSF

関連項目[編集]

外部リンク[編集]