アルトゥールス・シルガイリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルトゥールス・ミハイルス・シルガイリスラトビア語: Artūrs Mihails Silgailis 1895年11月13日 - 1997年8月15日)は、ラトビアの軍人。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ武装親衛隊(武装SS)に参加してラトビア人義勇兵部隊を指揮した。最終階級は大佐(ラトビア軍)、親衛隊上級大佐(武装SS)。

経歴[編集]

メドミュイザ出身。1914年、義勇兵としてロシア帝国軍に入隊。ヴィレンスク軍事学校促成課程を修了し、1915年9月、将校に任官。第426歩兵ポネヴェジュ連隊で勤務。1916年夏、スヴェアボグのバルト艦隊本部に異動。

ラトビア独立後、1919年12月、ラトビア軍に採用され、第12バウス歩兵連隊の上級中尉となった。1928年から第2ヴィゼム師団本部で勤務。1931年から1934年にかけて師団参謀次長。1934年から大隊長、後に第6リガ歩兵連隊長。1935年から軍事アカデミーの講師、大佐。1939年10月から1940年9月まで第4ゼムガル師団参謀長。

第二次世界大戦時、武装SSにおけるラトビア人義勇兵部隊の創設に積極的に参加し、ルードルフス・バンゲルスキスの盟友でもあった。1942年3月から宣伝中隊で勤務。1943年3月、SS大佐となり、第15SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第1)参謀長に任命。1943年12月から1944年1月まで第34SS武装擲弾兵連隊長。1944年1月から第15SS武装擲弾兵師団の歩兵部長(第一副師団長)、同年4月から第19SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第2)長。1944年7月、SSラトビア人義勇軍団総監バンゲルスキスの参謀長。1945年5月、ベルギーで捕虜となる。

終戦後、ソ連への引渡しを逃れ、1946年3月に釈放された。

1953年にカナダへ移民し、1997年8月15日にトロントで死去した。