電鉄魚津駅

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電鉄魚津駅
現駅舎(2013年6月4日から供用を開始)
でんてつうおづ
Dentetsu-Uozu
T22 西魚津 (1.3 km)
(1.3 km) 新魚津 T24
地図
所在地 富山県魚津市文化町10番3号
北緯36度48分54.37秒 東経137度24分1.1秒 / 北緯36.8151028度 東経137.400306度 / 36.8151028; 137.400306座標: 北緯36度48分54.37秒 東経137度24分1.1秒 / 北緯36.8151028度 東経137.400306度 / 36.8151028; 137.400306
駅番号 T23
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 本線
キロ程 28.9 km(電鉄富山起点)
駅構造 高架駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
609人/日
-2019年-
開業年月日 1936年昭和11年)6月5日
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電鉄魚津駅(でんてつうおづえき)は、富山県魚津市文化町にある富山地方鉄道本線の駅である。駅番号T23

歴史[edit]

1967年昭和42年)9月1日に供用を開始した旧駅舎「電鉄魚津ステーションビル」[1][2]は、富山地鉄本線と北陸本線の連続立体交差化事業に伴って整備されたもので富山県内をはじめ日本海側では初の高架駅として竣工し、4階建ての「電鉄魚津駅ビル」の3階部分に改札口・ホームなどの駅機能が設けられた。竣工当時は高さ22.44 mを有し、魚津市内で最も高い建物であった。ただしバリアフリーが叫ばれる以前の建築であったことや貸し賃料を安くするため、エレベーターやエスカレータは設置されなかった[3]。延面積は2,341 m2[4]、うち店舗面積は1,103 m2[5]。総工費は約8,200万円であった[4]。店舗は当初76店舗が入店希望していたが、26店舗に減少した[3]

電鉄魚津駅ビルは下から順に、1・2階と3階の一部には電鉄魚津ステーションデパート「たびじ」[2]、3階にはホームをはじめ駅事務所および待合室、改札口、売店があり[2]、4階にはバス乗務員の仮泊所が設けられていた[6]。最盛期はテナントが24店舗入居するなど繁栄していたが、後年は中心市街地の衰退などでテナントも10店舗にまで減少した上駅舎自体の老朽化が著しかった[5]ため、ステーションデパートは1999年(平成11年)3月までに閉店[7]、その後のメンテナンスも行き届いておらず廃墟のような様相を呈していた。最後は富山地方鉄道関連会社の事務所が1階に入居するのみであったが、移転直前はタクシーの待合所しかなかった。

老朽化が進んでいた旧駅舎において特に問題視されていたのがバリアフリーへの未対応で[8]、地平部から改札口・ホームがある3階へは階段を上り下りするしかなかったため、特に日中利用者の多数を占める高齢者にとっては負担が大きく、地鉄と魚津市には市民などから駅施設や駅周辺の環境改善を求める意見が寄せられていた。

これらを受けて地鉄と魚津市では、2009年(平成21年)度から電鉄魚津駅の全面改築と駅前広場の整備に着手し[9]、現駅舎は旧駅舎北側にて2013年(平成25年)1月28日に着工、同年6月3日に竣工し、翌6月4日の始発列車から供用を開始した[2][8][10]

そして旧駅舎を解体撤去した後、跡地を含む駅舎周辺は魚津市によって駅前広場として整備が進められ[8]、同年12月20日に竣工[11]。バス停留場とタクシー乗り場、8台分の短時間駐車場、3台分の送迎車乗降場のスペースが新設され、バス停には市民バス5路線、地鉄バス2路線の乗り入れが開始された。同時にプラットホーム前に図書コーナーが開設された。図書コーナーには大町、村木、本江の3地区振興会が本棚を贈り、魚津市立図書館との連携でリサイクル本(漫画、文庫本など約250冊)が用意された[11]

魚津市では2015年(平成27年)3月14日北陸新幹線開通に伴い、そのアクセス路線となる地鉄本線と、新幹線開通後に西日本旅客鉄道(JR西日本)から移管された第三セクター「あいの風とやま鉄道」の利便性向上を図るため施策を進めているが、一部市民の間では、現在地鉄本線東側に並行しつつも駅が設けられていない当駅付近の、あいの風とやま鉄道側への新駅設置を求める動きがある[12]が、2013年(平成25年)2月28日の並行在来線に関する意見交換会で会社側が技術的課題が多く費用も多額になる事から相互乗り入れは困難との認識を示している[13]

年表[edit]

  • 1936年昭和11年)
  • 1943年(昭和18年)1月1日 - 会社統合により、富山地方鉄道の駅となる[16]
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月:駅改築協議会を設立[17]
    • 7月:駅舎の改築に着手[18]。同年中に旧ホーム反対側の高架橋下に仮駅舎が建設され、供用を開始した[19]
  • 1967年(昭和42年)
    • 4月1日:電鉄魚津ステーションビル着工[4]
    • 9月1日:地鉄高架化工事完了[20]
    • 9月15日:電鉄魚津ステーションビル竣工・電鉄魚津ステーションデパート開店[4]
  • 1969年(昭和44年)12月:高架下に建物を増築し、ステーションデパートの売り場面積を257㎡分拡大させる(中部高架株式会社からの借受け)[21][22]
  • 1979年(昭和54年)12月:電鉄魚津ステーションデパートが『協同組合電鉄魚津ステーションデパート』との一括契約による経営に移行[21]
  • 1985年(昭和60年)11月25日:連絡運輸廃止[23]
  • 1998年平成10年)12月17日:電鉄魚津ステーションデパートの閉店が決まったことが北日本新聞により報道される[5]
  • 1999年(平成11年)3月:電鉄魚津ステーションデパート閉店。これ以降3階の駅舎部分などを除き閉鎖され、約14年間放置される[2]
  • 2013年(平成25年)
    • 6月4日:新駅舎の供用を開始[8][10]。後に旧駅舎を解体。
    • 12月20日:旧駅舎跡地に駅前広場が完成。同時にプラットホーム前に図書コーナーが開設される[11]

駅構造[edit]

高架線西側に単式ホーム1面1線を有する高架駅である。平日の7時から20時まで駅員が配置されているが、それ以外は無人となる。ICカードecomyca)専用改札機が設置されている。

駅舎1階には駅事務所と改札口、待合室などが設けられている[10]。2階に設置されているホームへは階段とエレベーター[8][10]で連絡している[2]

高架駅としては新幹線開通時に黒部宇奈月温泉駅新高岡駅の2駅が高架ホームを有する駅として開業し、富山駅に新設される新幹線ホームが高架ホームとして供用を開始するまでは富山県内唯一となっていた。新幹線開業後も富山駅があいの風とやま鉄道上り線およびJR高山本線ホームを高架化するまで、JR・第三セクター・私鉄を含む在来線で唯一の高架駅であった。

のりば[edit]

方向 路線 行先
上り 本線 上市寺田稲荷町電鉄富山方面
下り 電鉄黒部新黒部宇奈月温泉方面

電鉄魚津ステーションデパート[edit]

1967年9月15日から1999年3月まで現駅舎建て替え前の駅舎に入居していた商業施設。

1階 (うるおいの街)

食料品や雑貨の小売店やタクシー会社の事務所、富山地方鉄道の関連会社が入居していた。この階では、1988年時点で存在していたテナント[24]が、1994年時点で一部撤退、入れ替えが行われていた[25]

2階 (やすらぎのひろば)

遊戯施設や喫茶・軽食の店舗が入居していた[24]

3階

電鉄魚津駅電車のりば[2]および、売店で構成されていた[24]

利用状況[edit]

「魚津市統計書」によると、2017年度の一日平均乗車人員は381人であった。隣の新魚津駅の約半数である。なお、2010~2017年度の乗車人員は以下の通りである。

1日の平均乗降人員は以下の通りである。[26][27]

年度 一日平均
乗車人員
一日平均
乗降人員
2010年 364
2011年 369 810
2012年 370 815
2013年 342 751
2014年 356 787
2015年 363 824
2016年 367 819
2017年 381 867
2018年 885
2019年 609

駅周辺[edit]

当駅は魚津市の旧市街地に所在する。周辺には新宿商店街など古くからの商店街があり、多数の商店が軒先を連ね映画館『魚津劇場』なども所在した。その一方で、昭和40年代には電鉄魚津駅前地区再開発事業が計画されたが、実現には至らなかった[28]

近年は閉店する店舗が相次ぎ(魚津劇場は1989年1月21日閉館[29])「シャッター通り」の様相を呈している。市街地東側では近年、国道8号魚津バイパスや旧8号の富山県道135号富山滑川魚津線沿線を中心に郊外型大型店舗の進出が相次ぎ、これら沿線にはアップルヒルMEGAドン・キホーテUNY魚津店などが出店している一方で、中心市街地の空洞化が著しくなりつつある。

その一方で、2000年8月4日には、魚津劇場および商業施設の跡地に『電鉄魚津駅前公園』(愛称・DENでんパーク)が完成した。同地では4 - 11月の毎月第3日曜日に『蜃気楼バザール』が行われている[28]

隣の駅[edit]

富山地方鉄道
本線
急行(上りのみ運転)・普通
西魚津駅 (T22) - 電鉄魚津駅 (T23) - 新魚津駅 (T24)

脚注[edit]

注釈[edit]

出典[edit]

  1. ^ 富山地方鉄道(編)『写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み』富山地方鉄道、1979年、177頁。 
  2. ^ a b c d e f g 西崎さいき『新駅舎・旧駅舎』イカロス出版、2019年6月30日、86頁。ISBN 978-4-8022-0725-6 
  3. ^ a b 『北日本新聞』1966年9月14日付朝刊富山新川版10面『入居振わず規模縮小へ 電鉄魚津駅 民衆駅への改築工事』より。
  4. ^ a b c d 『富山地方鉄道50年史』(昭和58年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)536ページ
  5. ^ a b c 北日本新聞 1998年12月17日付朝刊20面『電鉄魚津ステーションデパート 集客弱く3月で閉店』より。
  6. ^ 北日本新聞 2013年6月3日 12面
  7. ^ 北日本新聞 1999年9月30日付1面
  8. ^ a b c d e f 富山地鉄、電鉄魚津駅の新駅舎が完成…6月4日から使用開始”. Response. (2013年6月22日). 2021年7月27日閲覧。
  9. ^ 電鉄魚津駅及び駅前広場整備事業 - 魚津市(平成25年度事務事業評価表)2014年4月16日閲覧
  10. ^ a b c d 富山県魚津市の電鉄魚津駅が新駅舎に! 現在の駅ビルは閉鎖、7月中に取壊し”. マイナビニュース (2013年5月30日). 2021年7月27日閲覧。
  11. ^ a b c 『北日本新聞』2013年12月21日付朝刊18面『地域住民の足 便利に 電鉄魚津駅前広場が完成 案内看板など設置 図書コーナーも開設』より。
  12. ^ 並行在来線新駅協議会が署名提出”. チューリップテレビ (2012年5月30日). 2014年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。
  13. ^ 『北日本新聞』2013年3月1日付朝刊2面『電鉄魚津駅での相互乗り入れ困難 並行在来線で意見交換会』より。
  14. ^ a b 富山地方鉄道五十年史(昭和58年3月28日発行)876ページ
  15. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞社発行)224頁。
  16. ^ 富山地方鉄道五十年史(昭和58年3月28日発行)880ページ
  17. ^ 『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(1972年3月25日、魚津市役所発行)384ページ
  18. ^ 『写真アルバム 新川の昭和』(2012年9月9日、いき出版発行)174ページ
  19. ^ 『魚津市広報』昭和41年8月号(第240号)、2頁『電鉄魚津駅の仮駅舎 高架橋下に』より。
  20. ^ 『富山地方鉄道50年史』(昭和58年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)902ページ
  21. ^ a b 『富山地方鉄道50年史』(昭和58年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)537ページ
  22. ^ 『富山地方鉄道50年史』(昭和58年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)586ページ
  23. ^ 『富山地方鉄道70年史 -この20年のあゆみ-』(2000年9月、富山地方鉄道株式会社発行)98頁。
  24. ^ a b c 『魚津市・黒部市・下新川郡 住宅明細図』(昭和六十三年版、刊広社発行)312ページ
  25. ^ 『メーサイズ 魚津市・黒部市・下新川郡 住宅明細図』(平成6年版年版、刊広社発行)『ビル・アパート案内』附6より。
  26. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2021年6月17日閲覧
  27. ^ 富山県統計年鑑
  28. ^ a b 『魚津市史 続巻現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)281 - 282頁。
  29. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)287 - 288ページ『大衆娯楽施設の消長・映画館』より。

関連項目[edit]

外部リンク[edit]