霞城セントラル

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霞城セントラル
Kajō Central Central
霞城セントラルの位置(山形市街内)
霞城セントラル
霞城セントラル
霞城セントラルの位置(山形県内)
霞城セントラル
霞城セントラル
施設情報
所在地 山形県山形市城南町一丁目1番1号
座標 北緯38度14分59.7秒 東経140度19分36.2秒 / 北緯38.249917度 東経140.326722度 / 38.249917; 140.326722座標: 北緯38度14分59.7秒 東経140度19分36.2秒 / 北緯38.249917度 東経140.326722度 / 38.249917; 140.326722
状態 完成
建設期間 1998年7月23日 - 2000年12月2日
開業 2001年1月1日
用途 事務所、学校、駐車場、ホテル、映画館、店舗
建設費 210億円[1]
地上高
最頂部 114.65 m
各種諸元
階数 地上24階、地下2階、塔屋1階
高層部SRC造+S造、低層部RS造+S造[2]
敷地面積 10,823.03 [2]
延床面積 69,460.74 [2]
エレベーター数 14基(乗用)[2]
関連企業
設計 日建設計大成建設設計共同企業体[2]
施工 大成建設・日商岩井共同企業体[2]
所有者 山形県、山形市、エンドウ
管理運営 山形新都心開発
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霞城セントラル(かじょうセントラル)は、山形県山形市にある官民複合型高層ビルJR山形駅西口に2001年平成13年)1月1日にオープンした。県、市、エンドウが各3分の1を区分所有し、山形新都心開発が運営・管理を行っている。

現在、山形市内の建築物では最高の高さを誇り、ランドマークとなっている。

概要[編集]

山形駅西地区(双葉町、城南町)では、1928年(昭和3年)に市の誘致企業である鉄興社(現:東ソー)が操業を始め、主に二酸化マンガンなどを製造していた。増産を重ねることによって設備の増強のほか用地も拡張し、駅に隣接する利点を活かし引き込み線も設け、最盛期の1960年(昭和35年)前後には、1000人超の従業員を抱え県内で最大規模の雇用を創出していた[3][注釈 1]。一帯は、工場のほか国鉄官舎(JR社宅)や機関区に加えて桑畑も広がるような駅裏の表現がピッタリとした場所だった[4]

しかし、山形新幹線の開業や山形自動車道の延伸工事の進捗から広域交通条件が飛躍的に向上すると同時に、山形駅周辺を利用する人も激増し、”山形の顔”としての機能拡大が求められていた[1]。こうした状況を踏まえ、山形市が策定した山形市中心市街地の整備改善及び商業等の活性化基本計画「街・賑わい・元気プラン」に則り、山形駅周辺整備事業が計画され、その一環として山形駅西土地区画整理事業が施行され、公共が地区のモデルとして先導的に整備を行い、大規模で調和のとれた民間開発を誘引することを目的に西口新都心ビル「霞城セントラル」は建設された[1]。当初、行政サイドには「民間と行政が「5対5」に床面積を折半して入居する」との期待があり、民間診療所の入居話も出た。しかし実際には「3対7」の割合となり、県や山形市が運営するセンターや単位制高校などが入居する公共施設的色合いが強く出た形でのオープンとなった[5]

2019年(平成31年)4月、山形市が中核市に移行することに伴い、県が担っていた同市の保健所業務が移譲され、3・4階に山形市保健所が入った[6]

建物は、県、市、ビルの建設に当初から関わった総合商社双日完全子会社である山形新都心開発が各3分の1を区分所有していたが、2020年(令和2年)12月21日付けで山形新都心開発は、すべての区分所有権を遠藤商事グループの不動産会社エンドウに譲渡した。オーナーは代わったが、譲渡後も山形新新都心開発がテナントやビルを管理する仕組みの変更はない[7]

事業コンペ[編集]

整備手法には県内初となる事業コンペティション方式が採用され[注釈 2]、日建・大成グループの提案が採択された。その後、事業主体となる山形新都心開発が設立され、1998年(平成10年)7月に着工、2000年12月に竣工し、21世紀初日の2001年1月1日にオープンした。

特徴[編集]

ファン等使用することなく、ビル全体で自然換気を行うボイドコアシステムが採用された。これによって、省エネルギーによる環境配慮やビル内の快適性向上ばかりでなく、ボイドコア内のスペースを配管空間としても利用することが可能となり、効率的な空調システムが構築されている。

低層部屋上に屋上庭園を設け、ビル利用者に潤いと安らぎを与えると同時に、夏季は蒸散作用、冬季は断熱作用を利用できる構造とした。ほかに、県内初となる山形熱供給による地域冷暖房施設(コジェネレーション)を備え、霞城セントラルのみならず山形テルサにも熱供給を行っている[8]

5層吹き抜けで約1,000平方メートルの広さを持つ「アトリウム」(1F。高さは5F分ある。)では、天候に左右されずに多目的に利用することができる。最上階24階にある展望ロビーは無料で開放され、市街地の一望も可能である。また屋上には地元テレビ局が定点カメラを設置している。

名称[編集]

名称は、1999年(平成11年)6月1日から7月27日まで一般募集され、海外、全国から4716通の応募があった。8月31日に高橋和雄知事、佐藤幸次郎市長などが審査した結果、山形の歴史・風格を感じさせる「霞城」を付けた作品15点が最優秀作品候補に選ばれ、それに県都の中心になるという願いを込め「セントラル」を付けた「霞城セントラル」が名称と決定した[9]

沿革[編集]

1996年 5月14日 事業コンペ募集開始
11月22日 入選案決定(日建・大成グループ)
1997年 7月末 基本設計策定
8月7日 山形新都心開発(株)設立
1998年 3月末 実施設計策定
7月23日 起工式
8月28日 山形西口ホテル開発(株)設立
1999年 2月10日 山形熱供給(株)設立
6月 - 7月 愛称募集(4,716件)
8月31日 愛称を「霞城セントラル」に決定
10月 - 12月 アートチェアーデザイン募集(803作品)
2000年 2月24日 アートチェアーデザイン選定(5作品)
4月19日 上棟式
6月 - 7月 次世代タイムカプセル募集(160個)
10月24日 管理組合設立
12月2日 竣工式
2001年 1月1日 グランドオープン

ビル階層表・入居団体一覧[編集]

入居団体・フロア
R 防災ヘリポート、空中回廊
24 山形駅西口ワシントンホテルフロント、旬菜四季ひろぜん、DINING BARグルーム、中華料理紅花楼、展望ロビー
23 山形市市民活動支援センター、学習空間mana-vi
22 山形市市民活動支援センター、山形県すまい情報センター
21 山形駅西口ワシントンホテル客室
20
19
18 スタッフサービス武田薬品工業
17 DNP情報システム、DNPデジタルソリューションズ
16 EY新日本有限責任監査法人、メフォス山形支店、日本ライフライン山形出張所、キャノンマーケティングジャパン山形営業所
15 オリックスグループ
14 山形県中小企業団体中央会、山形県商工会連合会
13 山形県火災共済グループ、山形県企業振興公社
12 山形県信用保証協会
11
10 山形県立霞城学園高等学校放送大学山形学習センター
9 山形県立霞城学園高等学校
8
7
6 山形県立霞城学園高等学校アリーナ
5 山形県立霞城学園高等学校、庭園広場
4 山形市保健所、山形県産業科学館、庭園広場
3 山形市保健所、山形市生活情報センター、山形県産業科学館アフラック山形支社、中外製薬宮城・山形支店 山形オフィス、太平ビルサービス山形支店
2 山形県産業科学館パスポートセンター、山形県国際交流センター、山形市国際交流センター、山形市市民課証明コーナー、荘内銀行キャッシュコーナー、スタートアップステーション・ジョージ山形、NOVA山形駅前校、スタジオプリモ山形店、girls mignon、大成建設東北支店山形営業所、大成有楽不動産東北支店山形営業所、アダストリア・ゼネラルサポート山形事務センター
1 アトリウム(イベント会場)、やまがた観光情報センター、山形市観光案内センター、霞城セントラル郵便局、ファミリーマート山形霞城セントラル店、いのこ家山形田、茶蔵茶房霞城セントラル店、ミラクル ワールドレストラン&バー、キャッシュサービスプラザ、ツクイスタッフ山形支店、山形新都心開発、東芝エレベータ山形営業所、山形熱供給
B1 駐車場
B2 マルチプレックスシアター 山形ソラリスシネマコンプレックス

放送送信設備[編集]

屋上には、2002年(平成14年)6月28日に予備免許が交付され[10]、10月18日に本免許(無線局免許状)が交付されたコミュニティ放送やまがたシティエフエム」の送信所が設置されていた[11]。しかし、同局は2016年(平成28年)7月21日で放送を終了し、22日に廃局となった[12]

放送局名 識別信号 周波数 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 開局日 閉局日
やまがたシティエフエム
愛称「Vigo FM」
JOZZ2AT-FM(コールサイン)
やまがたしてぃえふえむ(呼出名称)
78.8MHz 20W 9.7W 山形市の一部地域 7万9565世帯
カバー率82.4%
2002年10月21日 2016年7月21日

アクセス[編集]

周辺[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 西口再開発構想を受け、東ソーは1995年から段階的に操業を停止。1997年に山形市蔵王松ヶ丘の蔵王産業団地に新工場を建設し移転。現在は東ソー・スペシャリティマテリアルとして操業する[3]
  2. ^ 事業コンペティション(事業コンペ)とは公共の提案するコンセプトを基本に、民間から企画・設計・建設・管理運営までの開発計画を募集し、入選した民間事業者が建物を建設。公共側は完成した建物の公共施設部分を買い取り、民間事業者は民間施設部門を所有し、それぞれに管理運営を行っていく建物の整備手法[8]

出典[編集]

  1. ^ a b c 「特集 中心市街地活性化 いきいき都心21 山形駅周辺事業「歴史と文化と緑の環」を目指して」『区画整理』2006年6月号
  2. ^ a b c d e f 「霞城セントラル」『新建築』 2001年2月号
  3. ^ a b 「霞の町は 山形駅西口の誤算 5 裾野 好機逃した再開発?」『毎日新聞』山形版 23頁 2001年11月10日
  4. ^ 「霞の町は 山形駅西口の誤算 1 旧住民 道が象徴 再開発の遅れ」『毎日新聞』山形版 23頁 2001年11月6日
  5. ^ 「霞の町は 山形駅西口の誤算 3 新住民 増えた公共床面積」『毎日新聞』山形版 21頁 2001年11月8日
  6. ^ “中核市移行の山形市、保健所新設し落成 霞城セントラル”. 山形新聞. (2018年12月26日). http://yamagata-np.jp/news/201812/26/kj_2018122600507.php 2019年1月16日閲覧。 
  7. ^ “霞城セントラル 遠藤商事が区分所有権/新都心開発が譲渡、混乱収束へ”. 山形コミュニティ新聞. (2020年12月11日). https://www.yamacomi.com/9059.html 2022年11月3日閲覧。 
  8. ^ a b 「再開発の事例2 山形駅周辺地区 先導的施設 西口新都心ビルを建設中」『住まいとまち』1999年3月号
  9. ^ 「愛称は霞城セントラル 山形市・西口新都心ビル」『毎日新聞』山形版 1999年10月1日
  10. ^ 山形市2局目のコミュニティ放送局に予備免許を付与 - 総務省平成14年度報道資料(2002年6月28日プレスリリース)
  11. ^ 山形市で2局目のコミュニティ放送局に免許を付与-地域情報化に大きな期待- - 総務省平成14年度報道資料(2002年10月18日プレスリリース)
  12. ^ 超短波放送局(コミュニティ放送局)の廃止 - 総務省東北総合通信局2016年7月22日プレスリリース

外部リンク[編集]