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ZZトップ

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ZZトップ

US・ニューブローンフェルズ公演(2023年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン
ジャンル
活動期間 1969年 -
レーベル
公式サイト www.zztop.com(英語)
メンバー
  • エルウッド・フランシス
旧メンバー
  • ラニア・グレイグ
  • ダン・ミッチェル
  • ビリー・エスリッジ

ZZトップ(ジージー・トップ[9]ZZ Top)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のスリーピースロックバンド2004年ロックの殿堂』入り。2011年、ビリー・ギボンズが『ローリング・ストーン』誌選出「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」第32位[10]

バンド史

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1969年、ギターのビリー・ギボンズを中心に結成。それまで各々はサイケデリック・ロック・バンドをやっており、ビリーのバンド「ムーヴィング・サイドウォークス」は、ジミ・ヘンドリックスの前座を担当したこともあった。その際、ジミに「アメリカで最高の若手ギタリスト」と称され[11]、ピンクのストラトキャスターを贈られたこともあった[10]。しかし、ベーシストのドン・サマーズとキーボーディストのトム・ムーアが徴兵され、バンドは解散。その後、ギタリストのビリー・ギボンズとドラマーのダン・ミッチェルがベーシストのラニアー・グレイグを加え、オリジナルのZZトップを結成した[12]。その後ベースがスティーヴィー・レイ・ヴォーンのバンドでプレイしていた、ビリー・エスリッジに交代。

また、ダスティ・ヒルとフランク・ベアードは、同じバンド「アメリカン・ブルース」に在籍して、こちらも2枚のアルバムを出し、順調に活動していたが、1968年頃、バンド(ロッキーとダスティ、2人のヒル兄弟とベアード)はダラス・フォートワース地域を離れ、ヒューストンに移転することを決めた。しかしこの時、ギタリストでダスティの兄であるロッキー・ヒルは本格的なブルースに専念することを望み、弟のダスティはロックを指向した。ロッキーはバンドを去り、残りのダスティとフランクは、まずフランクが1969年にダン・ミッチェルと入れ替わりでバンドに加入、1970年2月の公演からダスティがビリー・エスリッジと入れ替わる形でZZトップに加入した[13]

バンド結成当初はブルースに根ざしたサウンドで、黒人のブルースマン達と一緒にツアーで周ることもあった。その頃、マディ・ウォーターズらと楽屋裏でポーカーをした逸話が残っているが、必ずマディの傍らにはピストルが置いてあり、それが怖かった、と回想している[要出典]

活動初期の頃 (1976年)

1973年、サード・アルバム『トレス・オンブレス』が発表され、1974年には同アルバムがゴールドディスクに輝き、シングルカットされた「ラ・グランジェ」がヒット。それまでの精力的なライブ活動と、数々の大物バンド(ローリング・ストーンズディープ・パープルジャニス・ジョプリン等)の前座経験がセールスに繋がったとされている。また、この頃から全米に名の知られるところとなり、コンサートの規模や観客動員数で記録を樹立して行く。トラック数台分に及ぶ膨大なステージセットを携え全米を回り、ステージに本物の蛇を持ち込むなど、ライブ・パフォーマンスも大きな話題を呼んだ。このアルバムに収録された「Beer Drinkers & Hell Raisers」におけるギター・ソロで用いられたライトハンド奏法は、商業用としては極めて初期の段階に録音されたものと見られている[誰によって?]

このように、活動は上り調子となったものの、絶え間ないツアーとレコーディングの連続にバンドは疲弊。1977年をもって2年間の活動停止に入る。この間、ビリーとダスティの髭が伸び、その後よく知られるルックスになるが、特に示し合わせて髭を伸ばしたわけではなく、再会するまで2人はお互いにそのことを知らなかったという[14]

1980年代初頭、当時の先端技術であるシンセサイザーを導入した頃から、バンドに転機が訪れる。それまでのブギー・ロックにプログラミングされたシーケンサー・サウンドを導入、大胆な変化を見せる。そのサウンドが、アメリカの長距離トラック運転手達に特に好まれたこともあり、アルバム『イリミネイター』『アフターバーナー』などは、レコードよりもテープの方が売れることとなった[要出典]

それと同時に、この頃始まった人気番組MTVにて「Legs」や「Sleeping Bag」など、コミカルなプロモーション・ビデオが毎日のようにオンエアされ、世界の幅広い世代から受け入れられるようになる。初来日したのも、ちょうどこの頃だった。サングラスとビリー、ダスティの凄まじく長い顎髭がインパクトを呼び、日本でも有名になる。バンド名にちなんで、1998年にはホンダ・ZのCMに起用された。

1990年には、マイケル・J・フォックス主演の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』のエンディング・テーマに「Doubleback」を提供した。これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのファンである彼らの意向によるもの。湾岸戦争の際には、戦勝祈願コンサートを実施したことがある。

1990年以降、バンドのサウンドはブルースに回帰する姿勢を見せている。ただし、新しいもの好きのビリーの趣味もあり、現代的なエフェクトやダウン・チューニングによる重厚なサウンドも多用され、新しい方向性を見出している。

2004年にはロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターはキース・リチャーズが務めた。

WWEのファンであり、2009年7月20日WWE・ロウのホストを務めた。

2012年、9年振りのアルバム『La Futura』を発表[15]。全米6位を記録し、ベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』以来20年振りの全米トップ10入りを果たした[16]

2019年、結成50周年を迎えた記念のボックスセット『GOIN’50』をリリース[17]

2021年には新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止を余儀なくされていたツアーを7月中旬に再開するものの、ヒルは臀部を負傷し、ツアーからの離脱を余儀なくされた。イリノイ州ニューレノックスのヴィレッジ・コモンズで、ヒルのギター・テクニシャンであるエルウッド・フランシスがベースを担当し、ZZトップは彼抜きでパフォーマンスを行った[18]。5日後の7月28日、ZZトップはヒルがヒューストンの自宅で72歳で亡くなったと発表した[19][20] 。彼の妻は後に、彼が慢性的な滑液包炎を患っていたと報告した[21]。ヒルの希望により、ZZトップはフランシスをベースに迎えて活動を続けることを決定した[18]。ヒルはすでにZZトップの次の16枚目のスタジオ・アルバムのためにベースとヴォーカルをレコーディングしていた[22]

2022年7月22日、ZZトップはシェルター・レコード/BMGから2019年のバンドのドキュメンタリー『That Little Ol' Band from Texas』のサウンドトラック『Raw』をリリースした。ヒルとの最後のライヴ・アルバムのひとつである[23]

2022年12月12日、ZZトップは「The Sharp Dressed Simple Man Tour」と題した2023年夏のレイナード・スキナードとの共同ヘッドライナー・ツアーを発表し、7月21日のウェスト・パーム・ビーチから始まり、9月17日のニュージャージー州カムデンで終了する予定であった。

2023年11月6日、レイナード・スキナードとの共同ヘッドライナーによる『Sharp Dressed Simple Man Tour』の2024年継続が発表された。3月8日のジョージア州サヴァンナを皮切りに、第1弾(20日間)は南東部と中西部を中心に回り、4月20日のテキサス州コーパスクリスティで終わる。4ヶ月の休養の後、第2弾(16日間)は8月9日にミシガン州マウント・プレザントでスタートし、北東部とさらに中西部を回った後、西海岸に飛び、9月22日にワシントン州リッジフィールドで最終公演が予定されている[24]

メンバー

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※2024年1月時点

現ラインナップ

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旧メンバー

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  • ダスティ・ヒル (Dusty Hill) - ベース、キーボード、ボーカル(1970年-2021年死去)
  • ラニア・グレイグ (Lanier Greig) - ベース(1969年) ※2013年死去
  • ダン・ミッチェル (Dan Mitchell) - ドラムス(1969年)
  • ビリー・エスリッジ (Billy Ethridge) - ベース(1969年-1970年)

ギャラリー

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ディスコグラフィ

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発表年 邦題 原題 備考
1971年 ZZトップ・ファースト・アルバム ZZ Top's First Album 1stアルバム、当初は輸入版のみ。
1972年 リオ・グランデ・マッド Rio Grande Mud 2ndアルバム、当初は輸入版のみ。ビルボード・ポップアルバムチャート104位
1973年 トレス・オンブレス Tres Hombres 3rdアルバム。 ビルボード・ポップアルバムチャート8位 プラチナム
1975年 ファンダンゴ! Fandango! 4thアルバム。 ビルボード・ポップアルバムチャート10位 ゴールド
1976年 テハス Tejas 5thアルバム。 ビルボード・ポップアルバムチャート17位 ゴールド
1977年 ベスト・オブ・ZZトップ Best Of ZZ Top
1979年 皆殺しの挽歌 Degüello 6thアルバム。 ビルボード・ポップアルバムチャート24位 ゴールド
1981年 エル・ロコ El Loco 7thアルバム。 ビルボード・ポップアルバムチャート17位 ゴールド
1983年 イリミネイター Eliminator 8thアルバム。 ビルボードチャート9位 ダイアモンド
1985年 アフターバーナー Afterburner 9thアルバム。 ビルボードチャート4位 5Xプラチナム
1987年 シックス・パック Six Pack
1990年 リサイクラー Recycler 10thアルバム。 ビルボードチャート6位 プラチナム
1992年 グレイテスト・ヒッツ ZZ Top's Greatest Hits
1994年 アンテナ Antenna 11thアルバム。 ビルボードチャート14位 プラチナム
1994年 ワン・フット・イン・ザ・ブルース One Foot In The Blues
1996年 リズミーン Rhythmeen 12thアルバム。 ビルボードチャート29位
1999年 XXX-トリプルX XXX 13thアルバム。 ビルボードチャート100位
2003年 メスカレロ Mescalero 14thアルバム。 ビルボードチャート57位
2003年 クローム・スモーク・アンド・バーベキュー Chrome, Smoke & BBQ
2004年 ランチョ・テキシカーノ・ベリー・ベスト・オブ Rancho Texicano Very Best Of
2012年 La Futura 15thアルバム。ビルボードチャート6位
1992年 グレイテスト・ヒッツ-ビデオ・コレクション Greatest Hits Video Collection
2004年 クロスロード・ギター・フェスティバル Eric Clapton Crossroads Guitar Festival ZZ TOPは2曲出演

来日履歴

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メンバーが一人でも来日しているものを取り上げる。

ライブではギブソンのレスポール’59は使わず、トーカイのLS-200を使用。

理由に「ギブソンは、盗難がこわいから・・・」

日本のメディアに出演(来日を除く)

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メンバーが一人も来日せずに日本国外で収録されたものを取り上げる。

Hogzzilla

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Hogzzilla(ホジラ)はZZトップが所有するハーレーダビッドソン社製のオートバイを改造した改造バイクである。まったく同じ仕様のものが2台作成された。同時期に製作されたCadzzilla(キャジラ、1949年製キャデラックの改造車)と、カラーリングや各パーツの形状がまったく同じで、流線的なボディもよく似ている。名前の由来は、ハーレーゴジラを掛け合わせたものである。ちなみに、上記「Cadzzilla」の名前はキャデラックとゴジラを掛け合わせたもの。

脚注

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  1. ^ Z・Z・トップのプロフィール”. ORICON NEWS. oricon ME. 2023年5月22日閲覧。
  2. ^ a b c Deming, Mark. ZZ Top Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月8日閲覧。
  3. ^ Bashe, Patricia; George-Warren, Holly, eds (2001). The Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll (3rd ed.). New York City: Simon & Schuster. ISBN 978-0-7432-0120-9 
  4. ^ Talevski, Nick (2006). Rock Obituaries – Knocking on Heaven's Door. London: Omnibus Press. p. 173. ISBN 978-1-8460-9091-2 
  5. ^ Bonson, Fred (August 31, 1996). “Wea's Greatest Hits”. Billboard 108 (35): 34. ISSN 0006-2510. "It was the band's second album, "Tres Hombres", that established their boogie-rock credentials by peaking at No. 8 in 1974." 
  6. ^ McPadden, Mike (2012). “ZZ Top”. If You Like Metallica.... Backbeat Books. p. 30. ISBN 978-1-476-81357-8 
  7. ^ Zalkind, Ronald (1980). Contemporary Music Almanac: 1980–1981 (1st ed.). Schirmer Books. p. 349. ISBN 978-0-028-72970-1 
  8. ^ Hunter, James (2012年9月22日). “La Futura”. Rolling Stone. 2023年4月8日閲覧。
  9. ^ ZZ Top(ジージー・トップ)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2023年5月22日閲覧。
  10. ^ a b 100 Greatest Guitarists: Billy Gibbons | Rolling Stone - 2014年2月15日閲覧
  11. ^ ZZ Top's Billy Gibbons talks guitars, guitars and Rick Rubin - musicradar.com - 2014年2月15日閲覧
  12. ^ Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 1772. ISBN 0-85112-939-0 
  13. ^ American Blues | Biography & History”. AllMusic. November 4, 2015閲覧。
  14. ^ Happy Birthday BFG! The Warped Genius of Billy Gibbons - gibson.com - 2014年4月1日閲覧
  15. ^ ZZトップが9年ぶりの新作『La Futura』を9月発売 - amass
  16. ^ ZZ Top | Awards | AllMusic - 2014年2月15日閲覧
  17. ^ 祝結成50周年!ZZ TOP(ズィーズィー・トップ)、ビッグ・ボリュームなアンソロジー作品が登場”. TOWER RECORDS (2019年5月20日). 2020年2月7日閲覧。
  18. ^ a b Wilkening, Matthew (July 28, 2021). “Dusty Hill Insisted ZZ Top Not Break Up Following His Death”. Ultimate Classic Rock. July 28, 2021閲覧。
  19. ^ ZZトップのビリー・ギボンズ、ダスティ・ヒルの遺志を継いで活動を続けていくことを明かす”. NME JAPAN (2021年7月29日). 2021年7月30日閲覧。
  20. ^ Greene, Andy (July 28, 2021). “ZZ Top Bassist Dusty Hill Dead at 72”. Rolling Stone. https://www.rollingstone.com/music/music-news/zz-top-bassist-dusty-hill-dead-obit-1203694/ July 28, 2021閲覧。. 
  21. ^ ZZトップ、ベーシストのダスティ・ヒルが死去”. BARKS (2021年7月29日). 2021年7月30日閲覧。
  22. ^ Johnson, Kevin (August 7, 2021). “Dusty Hill's Bass and Vocals Will Be on Next ZZ Top Album”. No Treble. August 9, 2021閲覧。
  23. ^ ZZトップ・ローのライヴ・アルバムと新ツアー発表 | Louder”. Loudersound.com (2022年3月8日). 2022年8月2日閲覧。
  24. ^ www.notreble.com > article "ZZ Top and Lynyrd Skynyrd Announce 'Sharp Dressed Simple Man' 2024 Tour Dates" (by Kevin Johnson - November 6, 2023)

外部リンク

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