Wikipedia:秀逸な記事の再選考/0.999... 20100429

0.999...[編集]

(ノート) 一文一文の修飾関係が曖昧で、何を異いっているのかよくわからない。 定義があやふや、話題がとびとびで、何が言いたいかわからない。これは、だれにとってもわからないという意味でとってもらってよい。私自身、一応実数論の初歩については、大学教養程度のことを学んでいるが、何が何だかわからない。

ただ、パラグラフ展開のレベルの低さにと文レベルのレベルの低さに絞って議論しても、十分目的は達されるため、そこに絞って議論する。(どこから突っ込んでいいのかわからないので)。さらに項目「0.999... とは何か」に限り、問題点を指摘する。

まず、タイトルの命名法に問題がある 「0.999... とは何か」という項目名は、 おそらく「0.999...」の定義を与えようとしたのだろうという期待をあたえる。 実際、定義らしきものが書かれてはいる。しかし、


第一パラグラフ:実数の初等的な証明に共通の原理を要約
第二パラグラフ:0.999…の定義?何かの注釈
第三パラグラフ:等式 0.999... = 1 の証明の多様性
第四パラグラフ:表現が2通りあり、2通りに限られること

と、第二パラグラフで、かろうじて定義を述べてはいるものの、それ以外は少なくとも「定義との関連性」が 不明確な記載となっている。(拾って「定義」としてふさわしいものにかえられないことはないが)

次に、文レベルで一つ。

(引用) 「整数や有限小数の場合と異なり、それ以外の表記法は1つの数をいくつかの方法で表すことができる。」 (/引用)

まず、「それ以外」って何?、次に、後続の例が「それ以外の表記法は1つの数をいくつかの方法で表すことができる」という主張?を補足してない。これだけで、文として意味をなしてない。こんな文がいたるところにある。「書きかけ記事」なら、しょうがないけども、「秀逸」では決してない。


尚、この記事を書く上での難しさに触れておくことで「けなしっぱなし」にならないようにしよう。

実は、1=0.999… の証明以前に、実は「0.999…」と「9が無限に並ぶ数」が「存在するのか」 等のややこしい問題がある。1=0.999… の証明を、「公理」しかないところから始めるのならば、以下の 手順を踏む必要がある。

(1)0.999…の定義: 0.999... は数列 {0.9, 0.99, 0.999, 0.9999, ...} の極限として定義する。極限の存在の証明は、難しい。

(2)0.999…に、四則演算をおこなっていいことの証明: 「極限」と「四則演算」の交換可能性について議論が必要。この議論は、難しい。

(3)古典的な証明:

ところが、(1)、(2)の論証は、大学で数学科を卒業した学生であっても、そうそう出来ないと思われることで、おそらく、中高の教師できちんとできるのは、ごくひと握りだとおもいます。私は、応用系のくせにやたらこの辺詳しいですが、こういうのは例外中の例外です。

一つ、評価できる点としては、(1)、(2)を後に回して、『0.999…』が存在し、かつ、 『項別に四則演算が可能だとしたら』『1=0.999…』である」 という論旨をにおわせる何かがあることでしょうか?--夜仮面様 2010年4月29日 (木) 02:10 (UTC)[返信]

  • コメント実数の範囲の話なら(1)を示すのは簡単ですし、(1)が示されたなら0.999…は極限操作ではなく1つの定まった実数になるので(2)は必要ありません。「数学科にも難しい、中高の教師にはまず無理」というのが何を根拠におっしゃっているのかが不明です。除去提案の理由が「わかりにくい」ということですので、夜仮面様さんの難しさについての感覚は重要な問題になります。--Kyoku 2010年4月29日 (木) 11:06 (UTC)[返信]
  • >「数学科にも難しい、中高の教師にはまず無理」

記事の良い点を指摘した文脈に関係。 本題に無関係。よって、別の場所で回答する(中身は移動済)。 夜仮面様 2010年4月30日 (金) 05:32 (UTC)[返信]


  • >極限操作ではなく1つの定まった実数になるので(2)は必要ありません。

そんなことはありません。 (2)のうち、「「極限」と「四則演算」の交換可能性について議論が必要」 です。但し、本題に無関係。よって、別の場所で回答する(中身は移動済)。

コメントこの場は秀逸な記事の再選考ですから、記事そのものについての議論でお願いします。要するにどこが良くないから秀逸に値しないのか、どう直されるべきであるかということを明確にして頂きたいのです。「0.999... とは何か」節については文言的な点については詳細に述べられていますが、文言だけなら直せば良いではないかと思いますし、また「0.999... とは何か」以外の節についても問題があるということのようですが、それが文言だけの問題であるのか、そうでないのかがはっきりしません。この提案だけを見て賛否を決めることはできません。--Kyoku 2010年4月29日 (木) 17:04 (UTC)[返信]

「明確にダメ」なところはすでに指摘済み。再度指摘する。

  • 修飾関係が不明瞭な文がたくさんあります。それらすべてを修正すべきです。
  • 全ての節において、タイトルを最適化してください。(タイトルと中身を一致させてください)
  • 定義を明確にしてください。複数の定義をつかいわけているようにも見えるが、どこでどの定義に基づいた議論をしているのかを明確にしてください。でないと「あってるか」すら分かりません。
  • 全体の論旨を見直してください。つまり、前提とする立場から、個々のパラグラフの結論までののつながりを、明確にしてください。

3までは既に例示済み。2までで充分「秀逸でない」。 記事としてダメではない(私ならスタブのままにしておくが) しかし、秀逸では到底なく、どっからいじればいいか見当もつかないぐらい 稚拙。「Minor Revision」では、無理、「Major Revision」が必要。 修正案を出せと言われても、全部書き直せとしか言えない。

ただ、記事としての切り口に面白い点がある点は評価する。


尚、ここまで一文一文のレベルが(記事として)低い(「ネット上の会話レベル」では充分だが)と、「会話」と同じで、「文をなおしてみたら、案外なかみがよかった」ということも ありえないとはいえません。ただ、そのレベルからの修正に関しては、 「秀逸か否か」の議論が終わってから、この記事のノートで議論すべきです。夜仮面様 2010年4月30日 (金) 05:22 (UTC)[返信]

Kyokuさんからの前質問は、論旨と無関係なものを多く含んでおり、 この場で回答してしまったことをお詫び申し上げます。内容は、移動済み--夜仮面様 2010年4月30日 (金) 05:32 (UTC)[返信]


  • 除去依頼のおっしゃることは、私ごときの教養ではわかりかねますが、ノートページに告知テンプレートを代行で貼り付けた際に見たら、選考のときから、内容、文章について問題視する声が多く、記事の文章と見比べて改善が進んでいないようですので、除去とするのも致し方ないと思います。--GDSTCB 2010年5月1日 (土) 05:51 (UTC)[返信]
  • 現状維持 秀逸な記事の再選考にだすより、ノートで議論喚起して、本当にその改善方法が正しいのかをゆっくり議論すべきではないでしょうか?それから再選考しても遅くはないと思います。どっからいじればいいか見当もつかないぐらい稚拙とまでいうなら、全部修正した記事の例を具体的にだしていただきたいものですね。過去の執筆者をもうすこし尊重すべきとおもいます。少なくとも、夜仮面様が執筆されているIMRAD科学的方法のような記事をみる限り、頼むからそういう記事にはしないでくれと感じます。--Nnkr 2010年5月9日 (日) 02:51 (UTC)[返信]
  • 現状維持: お返事ありがとうございました>夜仮面様さん。出典不備や内容的破綻はなく、説明されるべきことは十分説明されていると思いますし、そこは夜仮面様さんも認められているようなので現状維持票とします。文章表現上の問題については相対的に些細な問題ですし、主観も絡みますので編集とノートの議論で対応すべきです。--Kyoku 2010年5月9日 (日) 05:28 (UTC)[返信]


  • 除去数学を専門に学んだ事があるものです。これまでの議論をざっと読みましたが、「読みにくい」というのが論点のようですので、それについてコメントさせてください。この記事が読みにくいのは、簡単な事を難しく言っているだけの記事だからです。0.999...が1に収束するのは高校二年の文系でも知ってるレベルの知識(収束概念)だけで十分なはずなのに、この記事ではそれをわざわざ大学の知識を使って言い換えてます。もちろん収束の概念を厳密に定義するには大学レベルの知識(ε-δ論法)が必要なのですが、それは本来「収束」の記事に書くべき内容であるはずです。それをわざわざ、0.999...に書いているから難しくなっています。同様に本来「実数の公理」の記事に書くべき内容(デデキンド切断、コーシー列、区間縮小法)をわざわざこの記事に書いています。このようにわざと難しく書く為だけに書かれたとしか思えない部分も散見されます。以上の理由から、本来簡単な事を難しく書いて煙に巻いているようにしか見えませんし、本質をわざわざ外して論じてるようにしか見えません。よってこの記事は秀逸な記事だとは思えません。ピロクテテス 2010年5月20日 (木) 06:53 (UTC)[返信]


  • コメント:ピロクテテスさんのご指摘の通り、前提によっては、「高校二年の文系でも知ってるレベル」によっても精密な議論が可能でしょう。その点は私も同感です。ご指摘のように、「実数論」に全てを押し込めてしまって、しれっとそれを使うというのは、数学的に正しい議論です。実数論というのは、前提を見失うと、何が何だかわからなくなるもの極致ですからなー。中途半端に論じるなら、まったく意味がない。また、単なる知識の振り回しでしかない。さらに、実数論に立ち入らないなら立ち入らないで、この程度の話なら、納得する説明が可能。

さらに、何度も指摘しているように、「前提とする事実」をあやふやにしているせいで、検証ができない状況になっている点の存在は、記事選考時の議論等も含め、もはや明白でしょう。

前提とする事実をあやふやにしたままで議論を広げる」ことで、 「大きく間違ってもいないが、正しいとも言い切れない」内容にするというのは、他の秀逸な記事なんかでもよく見られますし、 啓蒙書の類でもよくあります。そのなかには、一定の評価を得た書物があることも認めます。このような論法は、 少なくとも、プロ(僕は数学は素人ですが)の世界では「難しく書く為だけに書かれたとしか思えない」とか、「よけいわからなくなる」とか「衒学的」と酷評れますが、ある特定のレベルの人(具体的には科学オタク、哲学オタク)には受けがよく、そういう意味では、Kyokuさんのいうように主観なのかもしれません。

参考までに、ググってこの評価の「プロによる評価」を見積もってみました。この問題の解説って、10名以上の大学の先生がWeb上に公開されてされてるのですが、誰も引用してない。この時点で、専門家の評価は確定でしょうな。テーマ自体は、大多数の学生にとって有意義であるにもかかわらず。ずっと読者層が狭まる内容で、秀逸な記事なんざクソくらえで書いた、隅の方にある私のIMRAD科学的方法ですら、10件以上の専門家(大学教官、研究者以外はカウントしない)による肯定的で、明示的な引用があるわけですから(「はじめて論文を書く人にお勧め」だが「Wikipediaらしくない」という意見もあり、これは、Wikipedia的に肯定ととってよいかはわかりませんが)。衒学的な要素を極力排除したせいで、夢がないというのは、私も思いますし、自分でも、悪文が多く、意味をはっきりさせるために挿入表現が多いことも認めますが。夜仮面様 2010年5月20日 (木) 16:31 (UTC)[返信]

  • コメント>Nnkrさんのご意見に関して

>全部修正した記事の例を具体的にだしていただきたいものですね。

一つのシンプルな回答としては、ピロクテテスさんのご指摘があるでしょう。この回答は、私よりもさらに「全否定」で、 議論の流れ自体を否定しているので「reject」に相当する判断をされていると考えてよいでしょう。

個人的には、「実数論にまで問題提起を膨らます」という論旨には、夢があるなと思いますし、「関連する項目」への助走をつけるという 意味での冗長性がある記事は好きというのもあって、「前提とする事実をあやふやにしている」点は否定するものの、 「論旨」は否定しないという「甘さ」(これが話をややこしくしたという反省もありますが)をもったつもりです。 これは、「過去の執筆者の尊重」のつもりだったのですが。

何度も繰り返しますが、実数論というのは、「どこまでを前提として認めるか」によって似たような議論が「正しい」こともあれば「間違い」のこともある(証明になっているか、否かが変わる)。この記事では、さまざまな前提に基づいた議論が入り乱れており、しかも、どこまでがどの前提に基づいているのかわからない。最初の言い方をすると、「何が何だか分からない」わけです。掘り下げるなら煙に巻くなとというのが私の意見

さもなくば、「過去の執筆者の尊重」はやめて、(実数論は別枠で論じるというスタンスで) 高校流に、「等身大の難しさ」で書けよとまでは言いませんが。 夜仮面様 2010年5月20日 (木) 17:25 (UTC)[返信]

コメントさらに読み込みました。夜仮面様さんも似たような事をおっしゃってますが、この記事、定義・定理・公理という数学の大前提ともいうべきところが欠けています。おそらく、書いた人がよく分かっていないのでしょう。はっきりいえば、疑似科学ならぬ擬似数学とでも呼ぶべきレベルなので、秀逸な記事どころか、大幅な修正が必須な記事であるように思えます。

これが「擬似数学」な理由は「証明」と称するものが証明になっていないからです。 例えば「代数的な証明」ですが、こうした議論は、0.999...の収束性を前提としており、「証明」中にその議論が欠けています。また0.999...の収束性を前提として0.999...の収束性を論じているわけですから、循環論法に陥っている可能性が高く、「証明」とは呼べない代物です。(注:証明を修正するには大学レベルの知識(単調有界⇒収束)が必要な上、そうした知識を使うのであればそもそもこんなもって回った証明は必要ない。)

またこの記事では「代数的な証明」を論じる段階では、少数点展開の定義はもちろんまして実数の公理すらも前提としていないようです。従って定義されてもいない概念の性質がなぜか証明できている事になり、「擬似数学」レベルだと結論できます。

私が懸念しているのは、この「擬似数学」を正しい「数学」だと読者に誤解されかねない事です。正しい知識を紹介するはずの百科事典として、これは最悪の事態でしょう。ピロクテテス 2010年5月22日 (土) 07:29 (UTC)[返信]

まあ、無限級数の和の公式をつかって、サックリと証明するというのは、「私ならそうする」し、 正しいのだけども、夢はないかなという部分があるんですよね。 あえて、もってまわった議論をしてるところに、この記事の本質があり、 その本質の部分が「面白い記事」に発展する可能性を持っている。そこを 認めるか認めないかが、ピロクテテスさんと私の違いですが…。

いずれにしても、「論理の欠陥」を「曖昧な言葉でごまかしている可能性」については、共通したものがあるようです。また、この中で、私とピロクテテスさんのみが、「実数論を一通りは学んだ」者にしか分からない点に言及している。ただ、私は数学を専攻していない研究者であることもあり、 顕現性が高く、誰でもわかる「文レベル」のダメさを突いたのですが。

正直なところ、文レベルでのあやふやさが酷過ぎて、欠陥の有無を明確にあぶりだすのが 難しいし、いちいち言い逃れをされてたら、話が収束しないというのがあるのですが、 きちんと数学を専攻された方が論理的に解説してくだるおかげで、「証明自体」に 入り込んだ議論も可能かもしれません。夜仮面様 2010年5月22日 (土) 12:47 (UTC)[返信]


コメントNnkrさんの、「秀逸な記事の再選考にだすより、ノートで議論喚起して、本当にその改善方法が正しいのかをゆっくり議論すべきではないでしょうか?」というコメントによって、「秀逸でない」ことをはっきりさせたうえで、「ゆっくりと修正する」という本来のありかたが 崩れているように思います。ピロクテテス さんが、「不正確」な点の一例を手短に示して下さっていることもあり、 この「秀逸な記事」に対して「正確性への疑問」を出すという必要性があるかもしれません。夜仮面様 2010年5月22日 (土) 13:46 (UTC)[返信]


選考開始から3か月が経過しましたが除去の要件を満たしておりませんので存続となりました。--Pastern 2010年8月8日 (日) 13:44 (UTC)[返信]