Wikipedia:井戸端/subj/Wikipediaに関するIPユーザによる問題提起

トップページの「どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。」について[編集]

投稿したり、編集したりする端から、差し戻したり削除したりする人が居ることを明記するべきです。原則もマナーも無視してマイルールで強行する人が居る事を、それらに対してウィキとして指導等を行う意思が無いことを明記するべきです。 これらの説明を一切せず、現状を放置することは、悪徳商法を黙認している行政と何ら変りはありません。211.133.19.107 2006年7月21日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

「どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。」ということは自分以外にも「記事を投稿したり編集したりする」人がいるということなのだから「差し戻したり削除したりする人が居る」ということだと思うんですがね。あらためて書くことも無いでしょう。まあ、(既にあるかもしれませんが)ガイドラインには一言必要かもしれません。「原則もマナーも無視してマイルールで強行する人」にはちゃんと指導されていますよ。211.133.19.107さんがプロックされないのは一応ルールは守っていらっしゃるからだと思います。私が管理人なら即ブロックしたいところですが。58.87.173.38 2006年7月21日 (金) 10:08 (UTC)[返信]

ブロックしたければすればいいでしょ。IPユーザお断りということで、アカウント登録を義務つければ済む話です。
そうなれば、誰某はアラシだとかレッテルはって、このアカウントは奴の別アカウントだからアラシの発言であるから無視!とかやれば効果的に言論を規制できます。211.133.18.242 2006年7月21日 (金) 16:19 (UTC)[返信]

ただただ、残念だなあと思います。あれほど皆さんが筋道を立てて指摘すべき点を指摘し、前向きな話をしようとされているのに、まだ何も理解していただけないとは…。--ブースカ(talk) 2006年7月21日 (金) 11:10 (UTC)[返信]

“あれほど皆さんが筋道をたてて”とありますが何のことでしょうか?また私が何も理解していないの“何も”とはどのようなことでしょうか?よろしかったら教えていただけませんか?
私としては、議論しようとせず、意見を否定されるだけで、テーマを提案しても理由の言わずに却下されていると受け止めています。Maris氏は、私のコメントを勝手に移動させたり、議論中の節を丸ごと移動してしまいました。大変憤慨しています。211.133.18.242 2006年7月21日 (金) 16:19 (UTC)[返信]
却下など、どなたもされていません。その権限もありませんし。あくまでルールに則り皆さんは行動されているに過ぎませんし、あなたの意見を全否定してもいません。ノート:性的嗜好で私も何度かその旨貴方にお話したと私は思っているのですが…。貴方がかのように主張されるなら、それに対して私達が納得できるように論拠を教えてくれないか、とお願いしているに過ぎないんですよ。その部分を貴方は「何も」理解していただけない…私はそれを非常に残念だと申しているのです。かのノートでは私との議論に真摯に耳を傾けていただけたのに…。返す返すも残念です。--ブースカ(talk) 2006年7月22日 (土) 01:04 (UTC)[返信]
その部分を貴方は「何も」理解していただけない… と繰り返されても、全く理解できませんし、イライラが募るだけです。何故説明してくださらないのでしょうか?202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 04:04 (UTC)[返信]

211.133.19.107さんの引用は不完全です。Wikipedia日本語版メインページには「基本方針に賛同して頂けるなら、どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。記事の書き方を読んでから、実際にサンドボックスで練習してみましょう。」と書かれています。そして、基本方針とガイドブックを一通り読めば、編集したものがすぐに他のユーザーによって変えられたり削られたりしうることはわかります。それに、日本語版ではご丁寧にも、投稿ボタンのすぐ上に「あなたの文章が他人によって自由に編集、配布されることを望まない場合は、投稿を控えて下さい。」「あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて不適当と判断された場合(中略)には削除されることに、予め同意を与えます。」と記されていますよね。211.133.19.107さんの指摘している点については、すでに充分明記されていると思いますよ。Aotake 2006年7月21日 (金) 16:39 (UTC)[返信]

基本方針を無視してやりたい放題の粘着が多くの項目にいらっしゃいます。211.133.18.242 2006年7月21日 (金) 17:12 (UTC)[返信]
211.133.18.242さんを一連のIPユーザーさんだと仮定して申し上げます。あなたの今までの発言を見ると「自分の意見に反する編集、発言はWikipediaの基本方針を無視している。自分こそがWikipediaの基本方針である」とおっしゃっているようにしか見えません。(なんてことを書くと「どこでそんなことを書いたか説明しろ」と言われるかもしれませんが、私にはそういう風に感じられたということですのであんまり突っ込まないで下さい。)皆さんは本当に粘り強くあなたとの対話を続けていらっしゃるじゃありませんか。問題を解決しないまま次々と新しい項目を立てて混乱させているのはあなたのほうだと思います。新しい項目を立てるのはとりあえずやめにしてじっくりと話し合われてはいかがですか。
平たく言えば『気にイラネー』ってことですね。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 04:04 (UTC)[返信]
議論している最中の書き込みを勝手に移動されたりして、どうすればじっくり話し合えるのですか?
話し合いの拒否としか思えません。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 04:04 (UTC)[返信]
井戸端は多くの話題を広く扱うものです。冗長になったり、話題が特定の問題に集中しすぎた場合はサブページや該当記事のノートに移動するという方針であり、広く受け入れられています。なるべく大勢の目に触れる場所で自論を主張したい意思は感じられるが、いろいろな質問や簡単な議論が多くなされる井戸端であるという事情も理解いただきたく。--Jud 2006年7月22日 (土) 04:11 (UTC)[返信]
話をまぜっかえさないでください。この節での発言移動とある部分はMaris氏が度々行っている議事妨害行為を非難しているのです。井戸端でのタブだかなんだかのレッテル貼りについては、レッテルの根拠について別途話題にしています。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 05:46 (UTC)[返信]
まぜっかえしてるのは202.233.244.6だろう。話は極簡単なことで、利用者:Maris stellaへのメッセージは利用者‐会話:Maris stellaで書きなさい。彼の行為が糾されるべきであると思うのならばWikipedia:投稿ブロック依頼で提案しなさい。記事に関する話題は該当のノートで、たとえばノート:性的嗜好で振りなさい。
付け加えておくと、202.233.244.6の主張が(たとえ間違っておるということを差し引いたとしても)まったく受け入れられない理由は、自身の勝手な思い込みによるルールの曲解、一般に用いられていない「レッテル貼り」などの意味が通じないあやふやな単語の多用、「憤慨している」と敬意を求める発言をしながら他人の利用者名を勝手に短縮している自分勝手な態度、そしてWikipediaのルールを理解していない数々の発言によって簡単に説明できる。
井戸端は、誰かの編集姿勢について非難するための場所ではないし、悪徳商法を黙認している行政を糾弾する場所でもない。--Jud 2006年7月22日 (土) 07:45 (UTC)[返信]
どなたか、親切な方、Judさんの7:45分付けのカキコを日本語に翻訳しては下さいませんか?202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 08:37 (UTC)[返信]
ブロック依頼してみましたが、意味ありそうもありませんね。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
なんのことはない。からかわれました。ブロック依頼できない人にブロック依頼しろ!と仰るのはどのような意図があったのでしょうか?
・・・・ コピペ ・・・・
(コメント)Wikipedia:投稿ブロック依頼 2006年7月#依頼・コメント資格についてより、IPユーザーには依頼資格がありません。依頼より1時間以内に依頼者が編集回数50回以上かつ活動期間1ヶ月以上のログインユーザーであることが明示されない場合、依頼は無効となります。 --Tomika 2006年7月22日 (土) 09:01 (UTC)
* (終了)依頼資格なしで無効となりました。--Kotoito 2006年7月22日 (土) 10:10 (UTC)
・・・・ コピペ ・・・・
202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 10:28 (UTC)[返信]

(インデント戻す)Judさんは日本語で書き込んでいらっしゃいますし、そんなに難しいことはかいていらっしゃいませんよ。きっとIP氏は日本語だとわからないほど激昂してらっしゃるのでしょうが、まずはガイドライン及び人の文章をじっくり読むということを覚えてください。主張も結構ですが、多くの人の共感を得る主張をしなければ逆効果ですよ。Aboshi 2006年7月22日 (土) 08:56 (UTC)[返信]

Jud氏は、井戸端は大きくなると重くなるから適当に分割するのは当然だと書かれています。項目のページでの議論妨害を問題だと指摘している事へのコメントとして適切なモノであるとは思えません。それを指摘したらなにやら罵りのような文章が出てきたので、私の解釈違いであってはいけないと思い、翻訳を求めるコメントを書きましたが。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 09:01 (UTC)[返信]

IPでブロック依頼ができないなら、ログインなさればいいじゃないですか。もしかして、もうアカウントは持ってらっしゃるんでしょう?それはよいとして、あなたの行動は戦略的観点から見てもあまりうまくないと思いますよ。もちろん、記事をどうするか、何を記述して、何を記述しないかという問題はWikipediaの公式的な基準に基づいて論理的に行われるべですが、Wikipediaに付随するコミュニティーを作っているのはまぎれもなく人間たちです。人間は感情を持った生き物ですから、人間とのコミュニケーションでは「心証」の占める割合が極めて大きいのです。第一印象が悪ければそれだけで対話は困難になります。老婆心から申し上げますが、あなたの行動は、あなたをなだめ諭そうとする人に対して次から次へと、言ってみればケンカを売って、悪い心証を植え付けているのです。それをやればやるだけ、あなたはここで活動しづらくなると思います。たとえば、アカウントを取得してログインする、利用者ページで自己紹介をするという行為は、このネット上のコミュニティーで顔が見えないがゆえに起きがちなコミュニケーション不全を防ぐための有効な方法です。顔が見えない場では、普段以上に「空気を察する」ことが大事だとおもいますし、自分が何者であるかをある程度開示することが必要ですよ。まずは、利用者でログインすることから始められてはいかがですか。--Pugnari 2006年7月22日 (土) 11:41 (UTC)[返信]

こいつはまっとうな対話なんかする気がないからこれ以上相手にするな。おい202.233.244.6、お前が好き勝手にやると、俺たち他のIPユーザに迷惑がかかるってことをわかってやってるんだよな? 日本語わかるか?61.202.11.156 2006年7月22日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
夏厨かいな。ぷぐなり君とは比べ物にならないくらい判りやすい煽りだね。ウィキではアカウント取れば、アラシとのレッテルを貼られて、一端レッテルを貼られると、アラシの別アカウントだとの理由で言論から除外されるということは理解したつもりだ。
ただ、やり取りが記録されるから、後日漏れと同じような考え違いしている奴が出てきたときには簡単に解決できるだろ。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 14:01 (UTC)[返信]

Wikipedia は 新説の発表の場には使えない?[編集]

どっかの百科事典に載っている項目とその説明しか掲載できないという意見がありますが?皆様の共通認識でしょうか?ガイドブックでは他からの引き写し厳禁を再三言っています。そのことと矛盾するような気がしますけど。 ネット上での百科事典で誰でも加筆・編集できるわけですから、むしろ何所よりも率先して新しい項目・記事を掲載するべきだと思いますが。 新しい事でなくても、世間の大半の人が誤解している事柄も世の中にはあります。その当りを正すことも、現状では大変困難な状態です。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 12:33 (UTC)[返信]

私も新しい事物の紹介を積極的に行うべきだとのご意見には賛成ですが、「どっかの百科事典に載っている項目とその説明しか掲載できない」は誤りだと思います。ただしウィキペディアは、まったく新たな見解(新説)の発表の場にはなりません。つまり、どこかの誰かが勝手に考えてその人しかまだ知らないような見解・主張が百科事典に載っていても無意味です。有効な主張・見解であればかならずやウィキペディア以外の出版の場で掲載され、世間の評価を受けているはずです。つまり新たな主張・見解は、ウィキペディア外部での評価を得たのを確認できなければ、ウィキペディアには掲載できません。さもなければ、ウィキペディアはただの万人のためのエッセイ執筆の場所になってしまい、人類共通の知識を蓄積するという使命を果たせません。詳細はWikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:検証可能性などをご覧ください。 Masao 2006年7月22日 (土) 13:13 (UTC)[返信]

>ネット上での百科事典で誰でも加筆・編集できるわけですから、むしろ何所よりも率先して新しい項目・記事を掲載するべきだと思いますが。
Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんの『独自の調査結果の発表の場ではありません』を鑑みれば、何処よりも率先して新しい項目・記事を掲載する必要はありませんね。--経済準学士 2006年7月22日 (土) 13:19 (UTC)[返信]
判りました。Wikipediaでは、内容の正誤について責任をもたないというスタンスだったのですね。
そういう事なので、都市伝説を正す事も歓迎される事ではないわけですね。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 13:24 (UTC)[返信]
IPさん。あなたは本当に人の話を聞いていますか?Masaoさんと同様の趣旨のことをよそでも何回も何回も何回も何回も何回も説明差し上げているでしょう?記事の内容の正誤についての責任はWikipedia:検証可能性で保証することになっているのです。それ以外の方法で保証することが難しいからです。検証不能な記述をあなたが見つけたなら、単にそれを削除すれば良いのですよ。他から引き写すことと、世間一般の共通認識を自分の言葉で書くことは全く違うことです。わかりませんか?
自分こそが正しく、世間の大半が間違っているとは仰いますが、なんで自分がそんなにエライと信じることができるのですか?それを「正す」だなんて大それた考えもいい加減になさったらどうですか。何様のつもりですか。まずは、ユーザー名でログインすることによって、その不遜さの責任をとったらどうですか。--Pugnari 2006年7月22日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
貴方こそご自身の傲慢さを自覚なさった方が今後の人生実りの多いものとなりますよ。私が言うのですから説得力あると思いますけど。
>Masaoさんと同様の趣旨のことをよそでも何回も何回も何回も何回も何回も説明差し上げているでしょう?
結果的にはそのようですね。併しながら、この節での回答を読むまでは、そのように伝わっていませんでした。
相手に伝わらない事について、伝わらない相手を非難しても始まらないでしょうに。
尚、“記事の~”以降の文章については、相変わらず全く意味が取れません。202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、世間の大半の人が誤解している事柄も世の中にはあり、その当りを正すことは非常に重要なことです。これほど重要なことは、ウィキペディアの範疇を超えますので、査読制度のある論文誌等で行ってください。--210.225.103.144 2006年7月22日 (土) 13:35 (UTC)[返信]

あなたは物事の理解力に著しく欠如があるか、バカのふりをしているかどちらかですね。「結果的にはそのようですね」と仰るということは、わかっていて知らんぷりをしているのでしょうから、後者なのでしょう。そういう「知らんぷり」は人と対話する態度ではありませんよ。

私は傲慢な態度を取っているとは思いません。多少語調は強いかもしれませんが、井戸端の別の項目でも申し上げているように、私にだって感情はありますから。私としてはあなたがどんなに理不尽なことを仰っても、怒らないようにしているつもりですが。私はWikipediaの基準について客観的に申し上げているつもりであり、いわば「トラの威を借るキツネ」なのです。私は、自分自身がいつも間違いを冒すのではないかと心配しているような人間ですよ。それに、私は「あなたの誤りを正す」とは言っていないですよ。私の意見、そしてWikipediaの公式見解をあなたに理解していただこうと努力しているだけです。あなたはそれを正面から受け止めた反論をせず、同じ主張を繰り返すので、私を含めて多くの人が何回も同じことを書き込むハメになるのです。あなたが同じ主張をなさったときに、いろんな人から同じ返事が返ってくることが何を意味しているのか、もう一度落ち着いて考えてください。--Pugnari 2006年7月22日 (土) 14:05 (UTC)[返信]

別に私だけが、全人類で他人の説明を理解できないわけではないでしょう。
判ってて知らん振りしていたのではなくて、判らなかったのです。わかった後で振り返ってみれば、そーゆーことですか。と気がついたにすぎません。
判っていない人に同じ文言を繰り返すことは時に逆効果になります。説明する気があるのなら言い方を変えるなりして説明していただけたらと思います。
全然説明する気のないMaris氏みたいな人もいらっしゃるわけですし、まるっきり馬鹿にした応答しかしないkotoito氏みたいな人もいらっしゃるわけですから、なお更です。
馬鹿が必死で質問を繰り返しているのに、「馬鹿が馬鹿言ってら」と放置する姿勢も誉められたものではないと思います。
202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 14:27 (UTC)[返信]

「ガイドブックでは他からの引き写し厳禁を再三言っています」というのは、著作権の問題であって、内容の引き写しの話題ではありません。誤解しないようにしてください。これに不満があるなら、ご自分で新しいサイトを別に立てて、好きにやってくれれば良いです。--ゆきち 2006年7月22日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

まあたしかに、Wikipediaのコミュニティーは新規参入者に多少厳しすぎる面はあるかもしれませんが、それは、Wikipediaの記事、Wikipedia全体の価値を維持し、高めていこうという想いの反映と考えてください。初めて記事を書き込んだ人が自分の記事を削除されたりしたときのショックを和らげる方策は必要なのかもしれません。記事だけでなく、ルールを定めた文書も膨大ですから、初めて投稿する前にそれらにすべて目を通すのは難しいです。しかし、IPさんももう結構長い間Wikipediaにかかわっているのですから、Wikipediaのルールをもうちょっとだけでも受容しようという姿勢を示されれば、ずいぶん事態は変わるはずです。「郷に入りては郷に従う」ということも大切ですよ。--Pugnari 2006年7月22日 (土) 15:44 (UTC)[返信]

通りすがりの者で、馬鹿らしい意見と思われるかもしれませんが一言申させて下さい。上記の意見をざっと拝見させていただきました。私の考えでは、Wikipediaというのは百科事典という性質を持ちつつ、「インターネットで誰でも編集に参加できる今までにはなかった新しい性質をかねそろえた総合百科事典」と捕らえています。たしかに誰でも編集できるという点から、視点に偏りが出たりと統一性に欠ける部分があるかもしれませんし、それに伴って考えの対立により、編集合戦になることもあると思います。しかし、Wikipediaはユーザー同士がルールを決めあい、そのルールの下編集を行い、完成度を高めていくコミュニティなのではないでしょうか?たしかに自分の考え通りにならないと憤りを感じるときも我ながらありますが、その点は互いの譲歩なくして、広く人々にはその記事は浸透しないと思います。辞典というのは、「分からないことを分かるようにする」のが目的なのですから。IPさんを責めるつもりはないですが、Wikiのやり方が気になるのなら「Wikiを無視をする」というのも一つの手だと思います。どうしてもルールになじめないというなら、自分から納得いくようなサイトを開設するなどの積極的行動も求められると思います。もう少しやわらかく考えてみてはいかがでしょうか?勝手なことを申し上げてしまいすみません。でも、私が思ったことを書かせていただきました。--Sky-blue 2006年7月24日 (月) 05:38 (UTC)[返信]

公的な文書・雑誌などが出版されていない場合は、ネット検索して最低でも100件くらいのヒットをしないと、周知の事実とは言えないし、ウィキペディアに相応しいとは言えないと思います。--idea 2006年7月28日 (金) 16:44 (UTC)[返信]

詰まらない突っ込みで申し訳ないのですが、仮に「Wikipedia は 新説の発表の場には使える」と仮定した場合、その記事を執筆した後には誰でもその記事を書き直し(悪く言えば改竄)したり削除したり出来るのですから、新説発表の場としてはシステムの上で不適切な気がするのですが。--水野白楓 2006年7月28日 (金) 17:02 (UTC)[返信]

新説発表がしたければ、何もこんな口うるさい連中が揃っているウィキペディアになんか来なくても、ネット上には2ちゃんやらブログやらいくらでも自由にやれる場所があるわけですから、そちらで思う存分やってください。--猪山人 2006年7月29日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

問題提起 記事内容とカテゴリ別けの違い[編集]

ウィキでは、記事について、既出のモノしか受け容れいれないという方針は判りました。 ある分野についてのカテゴリ別けも同様の扱いでしょうか? 記事の内容は、どこかの雑誌に発表された直後から、その中身の事実については引っ張ってくることが可能ですが、 カテゴリ別けについては、別け方にコピーライトを主張される可能性は有ると思うのですが、如何でしょう? 「人間は男と女に別けられる」にように、誰もが「あたりまえだろ!」と認識したものはコピーライト主張しようがありませんが、「この分野についてこのように別けましょう!」みたいな状態だとコピーライト主張が可能性としてはありえます。 またその際に造語をしていれば、造語についての権利主張の可能性もあります。 ウィキでは十分に枯れた分類で記事を構成するということでしょうか?その具体的な判断基準は?202.233.244.92 2006年7月23日 (日) 04:26 (UTC)[返信]

  • カテゴリー分けに関して私見ですが簡単に述べます。たとえば学術的な分野であれば学会などでの分類が先に議論の対象になりますから学会などで認められた記述を引っ張ってくればいいわけです。問題はそれ以外で、特に商業的な思惑がからんだ分野・・たとえば音楽のジャンルをカテゴライズする場合を考えます。音楽のジャンルは多岐にわたり、甚だしい場合は特定のバンドを差別化して売り出すためにレコード会社のA&Rが宣伝と協力して新しいジャンルをでっちあげる場合があります。が、音楽の事例で言いますと過去に宣伝のために作られたジャンルの呼称を「商標登録」して使用に制限を加えると言ったような事例を寡黙にしてしりません。仮にジャンルであるとか分類の呼称にかんして権利を主張するとしたら「商標登録」が現実的ではないかと思いますが、これは同じジャンルの商品に対して類似の商号を認めない効力はあっても百科事典に記載するにあたって制限されるとは考えられません。実際に商標を使ったカテゴリーであるとか分類、記事の項目に至るまでwikipediaには多くありますが、今のところ問題にはなっていないはずです。--Lcs 2006年7月23日 (日) 04:57 (UTC)[返信]
分類については、記事の内容程には、注意を払わなくてよい。という御主張でしょうか?
ある程度まとまった分類項目の組み合わせや構成配置は、著作物の対象になるとは考えないわけですね?211.133.18.132 2006年7月23日 (日) 05:50 (UTC)[返信]

えぇと、カテゴリ機能は基本的には50音順に並べる方法で使われています。構成配置が何かの引き写しになる状況というのがそもそも想像できないのですが--すぐり 2006年7月23日 (日) 06:35 (UTC)[返信]