Wikipedia:井戸端/subj/記事の改名に当たっての根拠について

記事の改名に当たっての根拠について[編集]

先日、英国騎士道事件の項目名が「勘違い騎士道事件」に改名されましたが、この手順の関していくつか疑問があります。改名を提案し実施された方によると、項目を改めた根拠は「学界ではこの事件は『勘違い騎士道事件』と呼ぶのが通例となっているから」とのことだったのですが、改名を提案された段階で私がそう判断した理由をその方に尋ねたところ、「何らかの文献にそう書いてあるから」ということではなく「自分の大学の図書館の開架の図書を調べた結果『勘違い騎士道事件』としている文献が多かったので学界ではこの事件は『勘違い騎士道事件』と呼ぶのが通例となっていると判断した」との返答を得ました。(なお、改名を主張されている方は、この図書館がどこの大学の図書館なのかについては、「自分のプライバシーに関わることなので明らかにするつもりは無い」とのことです。)このような調査を根拠にすることは問題は無いのでしょうか。まず、「自分の大学の図書館の開架の図書を調べた結果」(しかもどこの大学の図書館か不明)というのは第三者が調査結果を正しいかどうか確認することがおそらく不可能だと思うのですが、Wikipedia:検証可能性から見て問題は無いのでしょうか。また、「~としている文献が多かった」というような調査結果を元に学界の動向をこうであると判断するのは公式の方針であるWikipedia:検証可能性において禁止されている「独自の研究」(発表済みの情報の合成)に当たるのではないでしょうか。さらにこれに関連して、改名を提案し実施された方は、「何らかの事実を前提としてノートで何らかの主張を行うとき、その前提とする事実の存在については厳密な検証可能性は求められない。」という主張をされています。その理由については、「今までそのような指摘を受けたことが無かったので自分はそう考えている。」とのことです。しかしウイキペディアにおいては、すべての記述について、出典が明らかでなく検証可能性を満たさない記述は(即座に、ではないにしても最終的には)除去してよいということになっているはずです。(という理解でよろしいですよね)とすると、記事本体に「この事件は学界では『○○事件』と呼ばれるのが通例になっている」と記述するためには厳密な検証可能性を満たす根拠が求められるが、「この事件は学界では『○○事件』と呼ばれるのが通例になっている」ことを理由として記事名を変えるときには厳密な検証可能性を満たす根拠は求められないということになるとすると、私にはこれは矛盾を含んだ奇妙な結論に思えるのですが、そういう理解でよろしいのでしょうか。--211.124.132.117 2008年12月15日 (月) 19:36 (UTC)[返信]

ノート提示分くらいの出典が示されていれば十分に検証できると思いますが(特定大学の書架にしかないような文献ばかりではありません)...
改名については、そもそも事件名などは、研究者や編集者が勝手につけて一般化していくものである=公式に決まるものではないものなので、特に問題ないと思います。事件番号なり判例集番号を記事名にして、通称は全てリダイレクトとして設定というのがより妥当かなとは考えますが。Fuji 3 2008年12月16日 (火) 03:52 (UTC)[返信]
よく誤解される方が多いですが、記事名を何にするかは付随的な問題であって文中の記述がしっかりしてれば特に問題はないのです(まぁ、だからといって適当な名前をつけるわけにもいかないので、WP:NCでは原則的に正式名称を使うことになっているのですが)。正式名称がきちんと決まっていない分野であれば、そのどれかを「とりあえずの記事名」としておいて、他の名前はリダイレクトかつ冒頭で説明してあれば十分です。例えばこれが「~と呼ばれるのが通例である」と記事中に書くのであれば検証可能性の問題でしょうが、ただの記事の名前(=jawpでは「とりあえずこういう名前で」他の記事と区別しよう、という名前)はウィキペディアン同士が話し合って解決すればよい問題です。当該記事のノートも見てきましたが、しばらく反論もなかった上に、さらに168時間合意も成立していますし、その改名に全く問題はないでしょう。--青子守歌会話/履歴 2008年12月16日 (火) 05:10 (UTC)[返信]

今回問題となっている事件そのものについてはあまり知識は無いのであくまでも一般論で。

  • 提案した人はいたってまじめに提案しているみたいだし、何の根拠も示めされないよりはずっとましだと思うけど、このケースのように「ちゃんとした文献に根拠がある名前の候補が複数あるときに記事名としてどれが妥当か」というのはかなり慎重に検討した方がいいように思う。「調べられる範囲の文献を全て調べたが全て○○だった」あるいはせめて「どちらかが圧倒的に多い」というレベルならともかく、「特定の図書館の開架の本を調べた結果○○の方が多かった」というのはその名称が提案者の独自の見解ではないということの根拠には出来てもその名称が一般的だということの根拠として使うのはかなり危ないかなと思う。こういうやり方はやった人によって(調査対象にした図書館によって)調査結果が変わってしまう可能性もあるわけで、別の人が「いや、私の調査結果は違う」とか言い出したらどうするんだろうと思う。それに単に調査結果の数の大小だけを基準にしてしまうと何らかの理由があって呼び名が変わったものをたまたま古い文献を多数調査したために現在ではあまり使われなくなった古い呼び方を「一般的だ」として記事名にしてしまうといったことが起きるおそれもある。それに今回はそれでよかったとしても政治的・思想的な背景があって複数の名称が対立して存在するようなケースに今回のような方法を適用されると果てしなくもめそうな気がする。
  • 項目の改名の場合に厳密な検証可能性が常に求められかというと、明らかな間違いを訂正する場合なんかもあるので常に必要というわけでは無いだろうし、一般的には現在の項目名の根拠より妥当性があると言えるだけの根拠を示せばよいのではないかと思う。ただ、「記事は内容さえしっかりしていればよく、記事名がどうであるのかは大した問題ではない」という認識は一般的なのか疑問。現行の制度では「記事名の変更についてはわざわざ「改名提案」という制度があってそれを経るのが望ましいとされている。」かつ「記事名の変更(記事の移動)はログインユーザーしか出来ないようになっている。」ということを考えると、「記事名や記事名の変更は重要」というのが現行の制度が前提としている認識のような気がする。
  • 裁判の記事の項目名を事件番号にするというのは一見良さそうだけれど、確か事件番号は審級ごとに違うはずだから一審だけで終わってしまったものはそれでもいいだろうけど、上級審へ進んだ場合には違う事件番号になるわけで、仮に最上級審のもので代表させるとしても民事だと原告の第一陣、第二陣というのもあったりするから一連の裁判全体の記述の記事を一つの事件番号を正式名称にするというのはなかなか難しいように思う。

--222.147.185.139 2008年12月17日 (水) 03:54 (UTC)[返信]

いくつか意見を頂いたのですがとりあえず一つだけ。「よく誤解される方が多い」から私も知らなかったのかもしれませんが、「正式名称がきちんと決まっていない分野であれば、そのどれかを「とりあえずの記事名」としておいて、他の名前はリダイレクトかつ冒頭で説明してあれば十分」という方針はWikipedia:記事名の付け方Wikipedia:ページの改名あたりを見ても見つけられなかったのですが、どこで定められているのでしょうか。正直なところ「多くの項目で多くの方によって項目の名前や改名について熱心に議論されている」という現状や上に上げられている「記事名の変更についてはわざわざ「改名提案」という制度があってそれを経るのが望ましいとされている。」かつ「記事名の変更(記事の移動)はログインユーザーしか出来ないようになっている。」という現行の制度からすると違和感を感じます。--211.124.132.117 2008年12月24日 (水) 18:53 (UTC)[返信]
少々誤解を与えてしまったようですが、明文化された方針は存在しません。が、記事名とは、そもそも「記事名」と言っているように、あくまで「記事の名前」であって「記事主題の名前」ではありません。これは例えばプログラミング言語のC#の記事は、MediaWikiの仕様上C Sharpなってしまうが、C SharpがC#の本当の名前でないことが示しています。記事名はあくまで単にMediaWikiにおいて記事につける名前であるものなのです。なので、例え記事名がどんなものであっても、記事中でしっかり主題の名前が説明してあれば十分でしょう。しかし一方、記事名と言うのは記事名と言うだけあって目に付きやすいものですし、現実世界でも物の名前や呼び方と言うのは激しい論争になります。なので、どうしても記事名は目につきやすいものですし(多くの議論がある)、名前を変える時には慎重になる必要があります(改名提案)。とまぁ、これもあくまでどこかの明確な方針でもないのですが・・・。--青子守歌会話/履歴 2008年12月27日 (土) 05:13 (UTC)[返信]
事件名などは、特に正式なものがあるわけではなく、社会的な扱われ方と判例としての扱われ方で違ったりもするでしょう。とはいえ、その事件が、百科事典の項目として書かれるべきである内実を持っていることもあると思います。
そういう場合には、まず、法律関係の書籍や報道などを情報源として、どういう名称があるかを調べ、どれが適切であるかを考えて決めるというのが、自然だと思います。というか、それしかやりようがない。過去の議論やウィキペディアの特性などから、そうではなく、何らかの決まりごとがあったほうが好ましいということについては、方針となっているものもあるでしょうが、事件名については特段の方針はなかったと思います。意見が分かれるようであれば個別にノートで対話をして、現時点で最善と思われるものはどれか、合意を得るということになるでしょう。一意的に決まるものではないでしょうが、その記事周辺の資料群について同程度の情報を得ている人同士であれば、おおよその傾向などから合意を得ることは難しくないように思います。ある程度指針が見えたら、それを「Wikipedia:記事名の付け方」に反映させることで、議論の繰り返しを避ける事ができるかもしれません。
改名の根拠は、改名した人が、「通例となっていると判断した」というだけではなく、「大学図書館の326(刑事法)の開架に置かれていた本」として挙げている本の筆者が「勘違い騎士道事件」を用いている、ということでもあります。ここで挙げられている本以外で、当該分野で信頼できる資料、広く用いられている資料などがあり、それらでは別の表記が用いられていて、高窪刑法以下の文献で使用されている表記よりも、百科事典の項目としてふさわしい表記がある、ということであれば、対話の後、再度改名することもできるでしょう。--Ks aka 98 2008年12月27日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

記事の改名に当たっては記事内の記述するときと同じようには検証可能性が必要ないのかもしれませんが、そうであるとしても今回のような「図書館の蔵書の傾向によって学界の傾向を推測する」よいう方法で「特定の名称が一般的に使われている」と主張することが出来るものなのか疑問に思えます。特に今回の場合、法律書は法令の改正や判例、社会情勢などの変化に伴ってしばしば改版されたものが出るので、通常は文献を指定するときは単に文献の名称だけではなく、版や発行年、(分量の多い文献については)文献内の頁数なども明記するものなのですが、呈示された文献は「大部分が書名と出版社のみしかしめされておらず、一部にのみ著者名が付けられている。」という状態であり、その旨を指摘したのですがどこの大学の図書館なのかを明らかにしないことと合わせて「何とかして確認して下さいとしか言いようがありません。」という形で拒否されました。そのためこちらが検証しようとしても該当部分が見つからないケースが多くあり、それが違う版の文献を見ている為なのかそれとも同じ版の文献を見ているのに発見できていないのか分かりませんでした。私も自分の出来る範囲で調査しました(少なくとも二桁の文献は調べました)が、私が調査した範囲ではそもそも名前の付けられていない文献が最も多く、また名前の付いているものでは英国騎士道事件としているものと勘違い騎士道事件としているものがほぼ同数であるように思え、上の方で可能性を指摘されているように「私の調査結果は違う」という事になってしまいました(この調査結果が提案者の調査結果より正しいのか私には判断できません。)。このような調査の方法は、「その図書館の蔵書の傾向が学界の傾向を正しく反映しているのかわからない」や「調査はもれなく正しく行われているのかわからない」といった問題があるように思え、上で何人かの方が述べられているように、「その名称が提案者の独自の見解ではない」ということの根拠には出来ても「その名称がそれ以外の名称(こちらもちゃんとした文献に根拠がある)よりも一般的に使われている」ということの根拠にするのは問題があるように思えるのですがどうなのでしょうか。--211.124.132.117 2009年1月4日 (日) 20:41 (UTC)[返信]