Wikipedia:井戸端/subj/用例は存在し正しい日本語ではあるものの辞書に載っていない語をどうするか。

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用例は存在し正しい日本語ではあるものの辞書に載っていない語をどうするか。[編集]

正しい日本語と言うことは分かっているが、辞書(専門的な辞書も含む)に(見出し語として)載っていない、正しい語義が不明な語をウィキペディアで受けいれるべきですか?べきではないですか?ちなみに私は受け入れないべきと思います。語義が不明なのにそれを使っては、意味が不明だからです。語義を文脈から推測して使う方もいますが、誤用しかねないと思うのです。それに辞書(専門的な辞書も含む)に載っていない語を使っては、読者は絶対に理解できません(曖昧な理解しか出来ません)。調べようが無いですから。ですがその語は正しい語(俗語でない)なのです。難しい問題ですがどうしましょう。ノート:酵素#触媒する?も参照。例えば、「触媒する」。正しい語か不明なものでは「主塔」。他には知りませんが専門用語を調べれば無数に出てくるかも知れません。--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 02:54 (UTC)

言葉の定義に関しては姉妹プロジェクトのウィクショナリーに求めてはどうですか?ちなみに「触媒」は名詞ですのでそれ単体では動詞を示す「する」は普通、使いません。触媒という名詞に動詞性を見出せるなら動詞性名詞としてサ行変格活用の動詞として用いることが出来ます。(これ以上の定義に関することはウィクショナリーに任せます)
世界的に通用しているなら使用しても良いと思いますが、できるだけ定義のしっかりとした(辞書的に使用が認められている)言葉を使用することが百科事典としては望ましいとは考えます。一単語に対して出典明記をするわけにもいきませんからね。--アルトクール 2009年5月21日 (木) 03:48 (UTC)
日本語の辞典が数万語収録程度の規模しかないレベルの辞典しか出ていない言語の固有名詞や、サブカルチャーに属するもの等、現在Wikipediaの項目名で使われているものでも辞書に出ていない単語はかなりの数にのぼります。また、辞書に出ていても「不明」とされているものもあります。(「魚魚」という文字など。)こうした「言葉狩り」のような考えは看過することはできません。他に適当な読み替えがあればそれに改めるということであれば問題はないかと思いますが、一定の範囲以外の用語の使用は一切認めないという姿勢には賛同できません。--Himetv 2009年5月21日 (木) 03:57 (UTC)
辞書というのは世界のうちのほんのわずかのことが載っているだけです。辞書にないから、ということで言葉を削除していけば、多くの文章が書けなくなります。ということで、どうするかといえば、「どうもしなくていい。そのままで」と思います。なお、「触媒する」は、化学分野ではごく普通に通じるような気がします。--Adan 2009年5月21日 (木) 04:28 (UTC)
他の語や表現で代替できるならば、より日本語として平易で適切な語句を用いるべきでしょう。いわゆる地の文・説明文であればなおさらです。--Geso 2009年5月21日 (木) 04:36 (UTC)
人が語義を理解するのは、辞書に見出し語を見つけた時だけではないでしょう。むしろ多くの用例に触れながら帰納的に理解していくことが主であると思います。その意味でも Wikipedia の文章が見出し語だけで構成される必要は無いし、そうするメリットが大してあるとは思えません。使用の実例が参考文献で確認できれば十分です。- NEON 2009年5月21日 (木) 05:16 (UTC)

(異論の3人へ)多くの文章が書けなくなるからと言って明確な定義の無い語を使っていては、文章の意味が不明になってしまいます。今回の主題は正しい語なのですが、読み手も書き手も正確な語義を知らないのに、それで書こうと言うのはウィキペディアの品質の問題になると考えます。

世間一般に広く認められている語でも「実は誤用だった」と言う事はよくあると思います。通俗な表現を安易に受け入れてはウィキペディアが百科事典の品質を保てません。辞書あっての百科事典だと思います。(「触媒する」に関しては正しい表現ですが)。(余談)私個人の考え方ですが、私が語義を理解するのは「辞書に見出し語を見つけた時だけ」です。その様な考え方が百科事典では重要なのではないでしょうか。--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 05:34 (UTC)

申し訳ございませんが、ぎけんかしさんが日本語で書かれた百科事典を読解するには必要な語彙量が不足しているように思います。--Himetv 2009年5月21日 (木) 05:46 (UTC)
Himetvさんはどういう意図で上記意見を述べられたのでしょうか?百科事典の作成に協力していただけている方の素朴な疑問に対して、このような発言は語彙量が不足しているように思います。--118.243.238.100 2009年5月21日 (木) 06:14 (UTC)
「辞書に見出し語を見つけた時だけ」にしか語義が理解できないのであれば巷間に発行されている「紙の百科事典」を読むことすらおぼつかないです。ぎけんかしさんが「私が語義を理解するのは『辞書に見出し語を見つけた時だけ』です。」との発言を撤回するのであれば、ぎけんかしさんが百科事典を読む上で語彙が不足しているという発言は撤回します。ですが、ぎけんかしさんでなくても、「語義を理解するのは『辞書に見出し語を見つけた時だけ』」という状態の方は百科事典を読むには無理があるでしょう。--Himetv 2009年5月21日 (木) 06:21 (UTC)
なるほど、Himetvさんの思考は了解しました。しかしながら、他の方の一部分の言動をとりあげて揶揄するような発言を行うのは皮肉骨髄であり、百科事典の共同執筆者として感心しません。他の方たちは丁寧に返答しております。真摯に受け止めてください。--118.243.238.100 2009年5月21日 (木) 06:40 (UTC)
了解しました。丁寧かつ真摯であることを心がけて返答させていただきます。「通俗な表現を安易に受け入れてはウィキペディアが百科事典の品質を保てません。」という意見に関しては一見肯けるような意見ですが、民俗学、文化人類学等習俗に関する対象を扱う学問では「通俗な表現」そのものを扱うこともあり避けて通ることができません。「辞書あっての百科事典だと思います」に関しては、辞書も百科事典も、互いの存在が無くても成立するものであり、それらの間に主従関係は無いものと思料します。また、複数の学派で解釈の異なる単語も多数あり、これらを考慮の外にに置いていることは、「百科事典」を特定の学派によらない中立的なものでなく、特定の学派、教義に基づいた学習事典程度のものにしか考えていないように見受けられます。以上、ぎげんかしさんの2009年5月21日 (木) 05:34の反論に関しては同意できるところが全く無かったことに関して申し上げました。--Himetv 2009年5月21日 (木) 07:00 (UTC)
「通俗な表現」そのものを扱う学問は含めていませんし、その様な学問でも、「通俗な表現」の説明文は通俗であっては説明にならないと思います。今回の場合は、あらゆる辞書に定義が載っていなかった場合であって、特定の学派、教義に基づいて言っている訳ではありません。一つでも定義文があれば、それが誤用でないと言う証拠にできますから。--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 09:56 (UTC)
  1. 誰もがその意味を解さない単語であるなら使わないべきでしょうが、用例が存在するということは、解すことができる(ないし実際に解されている)単語ということです。
  2. 既に述べられているように、辞書に載ってない単語だってたくさんある。辞書の規模にもよる。そもそも辞書に登場していても、複数の辞書によって意味が違う単語すらあるわけで。
  3. 小学生が、ポアンカレ予想の説明を読んでもわからないから、自分にもわかるように書き換えろと言っても誰も相手にしないように、一部の人間が、それは曖昧だ、理解できないと言ったところで、それはその使用に問題があることを証明するわけではない。ともすれば、抗議した人間の読解力・語彙力の無さを証明するだけである。ぎけんかし氏が、化学の権威で「触媒する」なんて意味がわからん、と言うなら一考に価するかもしれませんが、そうで無いなら、その抗議自体にあまり意味が無いでしょう。
以上より、用例が示されている時点で、その語句の使用に問題は無い。それに対する抗議は、基本的にその分野に専門的な知識を持たない人間の、何ら考慮するに値しない意見だと考えられる。
また「定義が曖昧だ」というなら、抗議した人間が確固とした定義を提案すれば良いだけで、それができない、また、相手方も実際にそう使われているから変えようがないと言うなら、それで終わりでしょう。逆に、定義がわからないのに、無理やり書き換えたら、その方が問題でしょう。何ら、正しさを保障しているわけでもなく、誤った情報である可能性が高いわけで。あわせて、「実は誤用だった」と言う場合でも、「実は誤用である」とわかる人間が、そう訂正するなり、注釈を入れればいいだけの話です。仮定や可能性で、それが全否定されるのは暴論です。--EULE 2009年5月21日 (木) 06:34 (UTC)

それは、読者が定義を勝手に推測しても良い、それを執筆で使ってもよい、と言う意味でしょうか。もしその様な判断基準で今まで運営されていたのならば、私はいっそうウィキペディアを信用できない。そして信用されないと思う。そして定義されている言葉だけで説明することで、格段に信用・理解に足るものになるならば、言いかえをすべきだと思ったのです。私たちウィキペディアンは言語学者などではないので、語義を推測して使っては誤用しかねません。文脈で語義を推測して語義を導き出しても、それは各々の主観でしかないですのでウィキペディアでは辞書に定義がある語を使わないと説明文を書けないのではないかと考えたのです。ですが定義が無くても理解できるならば使って良いと皆さんお考えのようで、私のようなわざわざ単語ごとに辞書を引く人は一般的でないのかと思いました。すると、出典が無いのに執筆者が文脈判断で語義の説明を書いたり出来てしまうような気がしますがそれでも良いのでしょうか。誤用された文が長く放置されるような事も起こり得るのではないでしょうか。私の「語義を文脈で判断してはいけない」と言う考え方はウィキペディアでは間違いですか?--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 09:56 (UTC)

議論の途中なので正しいか間違っているかの判断をする前に一言。Wikipediaの目的に「正しい日本語の教育」というのは無いと存じます。(ウィクショナリーでは「正しい日本語の解説」というのはあるかも知れません。でも「正しい日本語の教育」というのは無いと存じます)Wikipediaの方針で(積極的)検閲はしない(つまり(積極的)校正もしない)、内容であれ表現であれ、ただ次の執筆者の改善に委ねるということだと考えます。(つまりWikipedia:よくある批判への回答をご覧ください)--あら金 2009年5月21日 (木) 10:39 (UTC)
語義を推測して使っては誤用しかねません
逆です。その語義を変えられないなら(まして、よくわからないなら)、推測しないために、出典に書かれている物を直接用いるべきなんです。「言い換え」というのは、語義を推測したから可能な行為であって、その時点でぎけんかし氏の意見は非常に大きな矛盾を抱えています(ですから先述で「逆に、定義がわからないのに、無理やり書き換えたら、その方が問題でしょう。何ら、正しさを保障しているわけでもなく、誤った情報である可能性が高いわけで。」と言ったわけです)
また、前回の1と2の意味は辞書は定義になりえないということです。まず、全ての語彙が辞書に載っているわけではない(ゆえに、通常ならば、その分野で通用する語句が載ってないことは十分にありうる)。次に辞書にも多様な種類があり、どのような辞書で縛るのか?規模の大きさ、分野別、それを何か特定の辞書に限定すべきだというならば、それこそ現実的に不可能です。また、同じ語句でも辞書によって記述が違う場合、あるいは非常に曖昧な記述というのがあります。総じて、ぎけんかし氏は辞書に何か過度の信頼を寄せているように思われます。--EULE 2009年5月21日 (木) 11:50 (UTC)
ぎけんかしさんは、新明解国語辞典をご存知でしょうか(どういうものかは当該項目および外部リンクの解説ページを見れば分かります)。-- 2009年5月21日 (木) 12:26 (UTC)
(書き込むタイミングが遅れてしまったので文脈的に変ですが)EULEさんの回答はとても的を射た回答で、とても私を考えさせるものでした。確かに1の解すことが出来ると言うのは長年辞書の定義だけを信じ、一度も語を自力で解そうとしなかった私にとってはとても斬新なもので、しかも説得力のある回答でしたので、考え直してみようと思います。
(二回目の返答へ)なるほど、ごもっともです。私の考えは誤用されているかもしれない文を正そうとして、更に事態を悪化させてしまう恐れがありました。ではこのままでよいと言うことですね。今から思えばなんて馬鹿なことをしようとしていたんだと思います。お騒がせして済みません。では質問ですが、文脈で語義を判断して使うことはして良いことですか?してはいけない事ですか?「触媒」のように、一意に語義が推測できる場合は良いのでしょうか。長年辞書を過信してきた私にはさっぱり分からなくなってしまいました。[1]の要出典をはずすことは可能ですか?
それと新明解国語辞典についてですが、辞典として成立しているなら問題なく信用できると思いますがどういう意味なのですか?--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 14:02 (UTC)
ではこのままでよいと言うことですね。
はい、その通り。このままで良いということです。
そもそも、誤った情報が載ることを恐れているようですが、ウィキペディアでは別に誤った情報が載ること自体は何ら否定される物ではないです。ウィキペディアで記述すべき情報とは、出典に書いてあるかどうかであって、真実かどうかでは無いですから。出典に「触媒する」と書いてあったんなら、何の問題も無く使えるでしょう。例え、それが正しくない日本語であるとしても。無論、より良い語句に変えられる余地があるなら、変えた方が良いかも知れませんが義務ではないですし、まして変えられる余地が無いなら絶対に変えてはいけないと思います。もし良ければ「ユビキタス」とか「ツンデレ」とか、いくらでも具体的な事例を挙げられますよ。
文脈で語義を判断して使うことはして良いことですか?
私は良いと思いますが、正直どっちでも良いと思います。別にウィキペディア特有の問題ではなく、小学校の国語の授業での先生によって変わるくらい軽い命題だと存じます。ぎけんかし氏が小学校時代に、国語の先生に「文脈で判断するな」と言われているなら、判断しなければ良いと思います。ちなみに私の先生は「辞書も良いがまず文脈で意味を推測すると良い」と言っていたような気がしますが。--EULE 2009年5月21日 (木) 14:30 (UTC)
ぎけんかしさんは冒頭でこう切り出しておられます。「正しい日本語と言うことは分かっているが、辞書(専門的な辞書も含む)に(見出し語として)載っていない、正しい語義が不明な語」。語義が不明なのになぜ正しい日本語ということが分かっているのでしょうか。文脈を読んでいるからに他なりません。つまり、答えは最初から出ているということです。--Kojidoi 2009年5月21日 (木) 15:02 (UTC)

よろしければ[2]をご覧ください。--ぎけんかし 2009年5月21日 (木) 16:31 (UTC)