Wikipedia:井戸端/subj/特筆性と削除依頼と削除済み記事再作成の関係

特筆性と削除依頼と削除済み記事再作成の関係[編集]

かなり前から感じていたことですが、最近関連する削除依頼に触れることが多くあったので、この機会に確認しておきたいと思い、挙げさせていただきます。表題に挙げている事柄、つまり以下の3項目の関連性についての話です。特定の方針類に傾向して考えると、他の方針類との関係が歪になる側面があると思いますので、特定の方針類のノートではなく、井戸端に挙げさせていただきました。

  1. Wikipedia:特筆性
  2. 削除依頼における特筆性、つまり「Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事」、より限定的にはケースEの一例として挙がっている「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」で示される「特筆性」
  3. 特筆性と「WP:CSD#全般5」、「特筆性を理由に削除依頼を経て削除された記事類の、改善なき再投稿」という文脈での「特筆性」

Wikipedia:特筆性」は、≪記事の主題が、百科事典においてそれ自身の単独の記事が作成されることが適切かどうか≫ということを語っているものであり、現時点の記事がどういうものかを語っているものではない、と私は理解しています。それは、「Wikipedia:特筆性」の冒頭内ですら繰り返して記されている≪記事主題は十分に特筆性があると推定されます≫≪現在の記事において信頼できる二次情報源による出典が提示されていないとしても、それは特筆性がないということを必ずしも意味しません≫≪記事の主題が……≫(強調表示は原文ママ)といった、記事の主題で判断されるものという表現から判断しています。また、削除依頼における特筆性、つまり「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」に示される「特筆性」についても、同様に、削除依頼提出時点の記事ではなく、記事主題に特筆性があると推定できるか、を根拠に判断されるのが妥当と考えています。もちろん、記事にそのような情報が示されていない場合には、そのような情報が存在し得るかという情報を何らかの形で補完した上で判断する必要があろうし、情報源が記事に記されていないがために、それを読んだ利用者がどのような情報が存在するかを補完しきれず、「特筆性がない」と判断(場合によっては誤判断)する可能性もあります。ただ、いずれにしても記事に示されている情報だけで判断するのは不適切、と判断しています。

逆の方向性で言えば、「記事の主題の過去ないしは現時点の状態」に依拠しない、将来性などの観点で特筆性を判断することにも疑問ではあります(そのようなケースの削除依頼は、現在進行形の記事であって、削除依頼審議中に記事主題が特筆足るものになることもあるでしょうけど)。

これらの点について、現行の方針系文書の解釈を中心にご意見を伺いたく考えています。

もう一つ関連として「WP:CSD#全般5」と「特筆性」との関連性、つまり「特筆性を理由として削除依頼を経て削除された記事に対して、改善なき再投稿」と判断されるかどうかの閾値、つまり、どの程度「特筆性」を提示すれば改善されていると考えるか、という話があります。先の話と関連する部分があるのですが、上の理解が正しい(特筆性は記事の主題で判断すべき)とし、削除依頼が適切に機能しているという前提で考えれば、「一度削除された記事は、記事主題に対して充分な特筆性の検討が行われている」ものであり、それを上回る特筆性の提示がない限りは「改善なき再投稿」と言えると考えます。逆に、以前の削除依頼で検討された特筆性判断に用いられた情報を上回る特筆性(削除依頼後の時間経過によって記事主題が特筆性を持ったことによるものか、新しい情報源が登場したことによって特筆性が担保可能となったことによるものかは問わない)の提示があれば「改善された再投稿」と言えると考えます。しかし、その前提にある

  1. 削除依頼が、記事主題に対する特筆性を検証する場(という共通認識)となっているか?
  2. 削除依頼が、記事主題に対する特筆性を検証した結果として削除されているか?
  3. より上位の特筆性を示す情報源が提示された状態での再投稿を妨げない、としているものか?
  4. 「改善された再投稿」であるかどうかは、削除時点の記事内容を知っている、ないしは削除依頼から推測できるという前提に立ったものであり、その判断を「WP:CSD#全般5」付与者が適切に判断できているか?

といった点が気になっています。現行の方針系文書の(どういう場合に再投稿が認められるかどうかの扱いに対する)解釈や気にしている点を中心に、ご意見を伺いたく考えています。

具体例については、私の立場で現在進行形の関連削除依頼(これを投じるきっかけとなった削除依頼)を提示するにはフェアでないかもしれませんので、それらについては控えておきます。もしそれらの削除依頼を見ても、こちらは総論として考え、各論は各削除審議ページにお願いします。代わりに、過去の削除依頼で、今回の例に使えるものだけを挙げておきます。

  • style-3! - 一度削除された記事を、自分なりに改善したものと考えての再投稿で作成した記事です。私は削除時点の版がどのようなものであったか知りませんでしたし、今も知りません。そして、再投稿の初版時には、私の判断とは特筆性に対する閾値の異なる人によって「WP:CSD#全般5」付与および即時削除されやしないかと考えていました。そのあたりの思いは記事のノートに記してあります。

以上について、コメントいただきたく存じます。--NISYAN 2011年1月11日 (火) 23:32 (UTC)[返信]

コメント特筆性の方針は、記事の主題が、「百科事典においてそれ自身の単独の記事が作成されることが適切かどうか」の判断のために「信頼できる二次情報源による出典」を使う。個人個人が、特筆性があるとかないとかという判断をするのではない。通常の検証可能性とはちょっと違って、たとえば企業などでは、たいてい基礎情報は公表されているけれど、第三者が、その企業のことを扱った情報源が求められる。情報源の第三者性とか、そこでの記事主題となる事物の扱いが問われる。ただし現時点で提示されていないからといって直ちに削除を考えるのではなく、情報源を探すことを推奨するが、それがあると主張し続けるだけでは足りない。記事に示されている情報だけで判断するのは不適切だが、それは示されることを期待し、示される可能性を考慮しようということ。「将来性などの観点」は考慮されていません。…というものだと理解しています。なお、この理解では英語版も参照してます。
ただし、日本語版では草案ですから、この方針そのものに依拠して判断されているわけではないでしょう。
記事に対して、常に記事主題に対する特筆性を示す情報源の提示が期待されていて、それが叶わない時に削除依頼が提出される。削除依頼では、適切な情報源を知る者がいて、それが示されれば存続。重要っぽいからもう少し待とうとか、そろそろだめだという意見が交わされることもあるでしょう。情報源が示されても、百科事典的な記事ではないとか、別の理由で削除されることもある。削除依頼は、特筆性のみをもって判断するわけではなくて、複数の問題を抱えていたなら、それぞれに意見が付いていて、それを読めば問題の大きさもいくらかは推察できるでしょう。
特筆性を示す情報源が示されないことを理由に削除された後に再投稿があれば、「改善された再投稿」か、そうでないかは、再投稿で示されている情報源によって判断できる。特筆性を示す情報源があるのなら、それは作成されるべき記事。即時削除の扱いについては「WP:CSD#全般5」の付与の後、管理者が削除するのですから、削除版との比較は可能です。再投稿者が削除版を知らなければ「同一」または「ほぼ同一」ではないはずだし、削除版を知らず、削除されている事を知りつつ「同一」または「ほぼ同一」になってしまっているなら、それが記事の主題としての限界で、やっぱり削除になることもあるでしょう。質的または量的に異なる情報源が示されていれば、改善があり「同一」または「ほぼ同一」ではないので、即時削除の対象ではない。
世間的には知られていない学者なり歌手なりの人物記事が特筆性を理由に削除され、その後学会誌や他言語の書籍などで大きく扱われていることを示す、というようなことは、起こり得ると思います。それで文句が付くこともないでしょう。例示されているstyle-3! では、閾値の問題も絡んでいるように思います。閾値については、記事主題の性質、分野ごとの事情や、地域性、言語の問題などを考慮しながら、記事やプロジェクト、削除依頼の場で合意をしていくしかないんじゃないかな。個別の特筆性に関する文書はいくつか日本語版にもあります。--Ks aka 98 2011年1月12日 (水) 07:29 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。理想を考える限りにおいては、大体私の考えていたのと同じように思います。ただ現実問題、(現在進行形の削除依頼案件だから伏せてあるものの、どの案件かは求められれば提示しますが)Web検索で1時間以内に記事主題に密接に関係した言及書籍が見つかるものに対して削除票のみが4件集まり、言及の取り上げられ方も書籍の1章分を割いて解説されているであろうことが目次から伺えると提示しても削除票は撤回されない、実際にその書籍に当たって1章(20ページ)の8割近くがその記事主題に対する言及であることを加筆と共に示しても(2件の削除票が取り下げられるも、残りの)2件の削除票は撤回されず、さりとて「出典がない」以上の削除理由に関する追加説明はないという、≪重要っぽいからもう少し待とうとか、そろそろだめだという意見≫もなければ≪情報源が示されても、百科事典的な記事ではないとか、別の理由≫が提示されるわけでもないケースを目の当たりにしているというのが現状です。そのような、削除票を投じている人の考えが見えない状況で≪閾値について……記事やプロジェクト、削除依頼の場で合意≫を目指すことができるのかは疑問です。
また、一部の参加者とはより細かく話をしましたが、「削除依頼で加筆依頼に類する効果が得られるならそれでいいじゃないか」という考えの人もいらっしゃるようです。個人的には、それは「削除依頼の目的外利用であり、本来加筆依頼で解決すべきものではないか?」と思うのです。(私の認識が誤っている可能性もありますが)削除依頼がどういう場であるかという共通認識すらも危ういというのが現状の削除依頼の場なのだろうと思うのです。私の遭遇しているのは果たしてレアケースなんでしょうか?
あとコメントいただいたところで若干返信すると、「Wikipedia:特筆性」は≪日本語版では草案≫ですが、削除の方針の「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」に示される「特筆性がない」ということを説明する、草案以上の効力を持つ方針系文書は、他にありましたっけ?それがあるなら私の勉強不足ですのでお教えいただけるとありがたいですし、ないなら草案といえども「Wikipedia:特筆性」を参照するしかないと思うのです、少なくともその文書の基本主旨においては。まさか「特筆性がない」ということの説明資料が草案でしかない以上は、削除の方針に「特筆性がない」を組み込むのは時期早々、などとは言えないでしょうし。--NISYAN 2011年1月12日 (水) 14:32 (UTC)[返信]
順に。
探すか探さないかについては、記事を残さなくてもいいと考えているなら探さなくてもいいと思う。探す、確認する、加筆する、という作業には労力がかかる。それに見合うだけの項目あるいは記述ではないと考える人は、探さずに削除票を入れるだろうし、それはそれでひとつの立場だと思う。
おそらくその情報源は、記事名と同じ用語を使っていない、概念としてその記事名を確立させているのではなく、上位概念に限定を加えているだけではないでしょうか。また、その情報源は、ある事柄に関しての古今の記述を可能な限り網羅的に収集することに主眼が置かれているものではないでしょうか。だとすると、「記事主題に密接に関係した言及書籍」と言えるかどうかは微妙なところ。
加筆の後の削除票取り下げがないというのは、審議を追っていないだけかもしれない。削除の理由を示していなかったり、加筆によってその理由が妥当ではなくなっていれば、対処する管理者は考慮すると思いますよ。
合意を目指す場で考えが見えないというのは、まともに理由を述べていないということなので、気にしなくていいと思います。
削除依頼は加筆依頼ではないですが、その項目や内容によっては、自分は加筆するつもりはなく、また他者が加筆する労力を期待するまでもない、あるいは、この項目に加筆する労力があるなら他の記事にそれをまわすべきだと考えるならば、依頼者や削除票を投じている人たちにとっては、目的通りの削除依頼です。この記事に加筆してほしい、というわけではないわけで。それを何とかしようとする人は、特筆性を示す情報源を示して加筆すればいい。
削除依頼というのは、記事を削除するか存続するかということに一定の関心がある人が集まる場所で、そこでは、感覚的であれ、法に触れるもののように外部から強制力としてであれ、それぞれの判断が示される場所です。削除したほうがいいという合意があるなら、それは一般的な感覚として削除したほうがいいもの。それを明文化したものが方針やガイドラインです。ただし、あんまり無茶な削除や無茶な存続が生じないような歯止めとしての機能も持つ。
削除理由になる根拠としては、直接的にはウィキペディアは何ではないか、理屈としては中立的観点があります。記事は中立的な観点で書かれるべきであり、ある時点で偏りがあることは避けられないとしても、最終的に偏りは解消される。そのためには、第三者的な立場から言及されている資料が存在しなければならない。また、まったくの私人の記事などを排除する上でも、削除の方針から外すわけにはいかないでしょう。--Ks aka 98 2011年1月20日 (木) 17:51 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
削除依頼提出者が、記事を残さなくても良いほどに特筆性なき記事主題だと判断しただけで削除を提出することをOKとするのであれば、「Wikipedia:特筆性」に挙げられている≪もし無関係な情報源において主題に関する有意な言及がありそうな時は、積極的な努力にもかかわらずそのような情報源が見つけられなかったのでなければ、特筆性なしでの削除は適切ではないでしょう。特筆性を満たしていない記事においては、記事の削除は最終手段であるべきです。≫なんていう文言はいらないのではないかと思うのです。少なくとも≪あんまり無茶な削除……が生じないような歯止め≫にはなっていないと感じています。≪無茶≫かどうかの閾値問題かもしれませんが、≪加筆の後の削除票取り下げがない≫とか、少なくともその加筆に審議上の意味がないことを示すような説明がないとか、そういう審議を追いかけるのを忘れるないしは追いかけるのが困難になるほど多数の削除依頼を提出するという行為であるなら≪無茶≫と感じます。
そもそもが≪その項目や内容によっては、自分は加筆するつもりはなく、また他者が加筆する労力を期待するまでもない≫と削除依頼提出者が判断できた根拠が不明なのです。削除依頼提出者がその分野に詳しく、その分野における「第三者言及を示す情報源」足り得るものを普段から見ており、これは流石に載っていなさそうだと判断する、あるいはそこまでその分野に詳しくなくとも、その分野における「第三者言及を示す情報源」足り得るものにどのようなものがあるかを知っており/調べており、隅々まで探して、やはりなさそうだと判断して削除依頼提出するなら判ります。例えば富樫雅彦さんというドラマーがいました。当該記事は2007年8月から1年以上に渡って{{特筆性}}が付与されていました。幸い削除依頼は提出されず、私の加筆以降に{{特筆性}}は再付与されていません。とはいえ、ドラマーに対する「第三者言及を示す情報源」としてリズム&ドラム・マガジンがあること、当該人物の音楽分野であるジャズに対する「第三者言及を示す情報源」としてスイングジャーナルがあることはその分野に詳しい人には自明のことですが、そこでの加筆にあるように富樫さんはスイングジャーナル誌において多数の受賞歴があります。{{特筆性}}付与者はそういう情報源を探す≪積極的な努力≫をしたのだろうかと。削除依頼提出者による、その分野の理解/あるいは理解していなくともそれを補うに充分な≪積極的な努力≫が、左記の富樫さんのようなレベルのものだったりしないだろうかと。いつだったか忘れましたが、ギター誌の表紙を飾るギタリストが削除依頼に提出されていたことがあった記憶がありますが、そういうケースもやはり≪積極的な努力≫という観点で疑問を感じます。
件の記事についての詳細であれば当該削除依頼の審議ページのノートでも使ってほしいところですが、問題となった概念は、ヨーロッパで半世紀前まで横行した事件の原因となった概念でもあるという点で、単なる上位概念の類型の一つとは言えないのでは?という点を加筆によって示してあるつもりです。単なる1文、1ページにちょこっと書かれたものでなく、22章の1章分(20ページ分)が割り当てられた情報源(それは鑑識の分野に関する言及である23章(16ページ)を越える)に対して、≪記事名と同じ用語を使っていない≫≪上位概念に限定を加えているだけ≫として≪記事主題に密接に関係した言及書籍≫とは言えないのでは?ということが、出典提示側と同水準の≪主題に関する有意な言及≫に対する≪積極的な努力≫によって、削除意見者からより詳細な説明と共に行われているなら判ります。しかし、削除意見者の行動はそうではありませんでした。他には、その記事にはen版があり、そちらは独自研究等の記事内容を問題視するタグは付与されていないわけですが、en版の存在まで確認しているのだろうかという点についても疑問に感じています。en版から持ってこなければ存続が危ういとは考えていないのでen版ベースの加筆は行っていませんが、削除された場合にはen版からの翻訳も視野にいれています。しかし、en版からの翻訳記事が存続なら、少なくとも記事主題は特筆性のあるものだといえると考えますし、そうであればこの審議中にen版の記事内容も含めて審議されるのが然るべき(2度も削除依頼のコストを払うのは無駄)と考えています。後、記事主題を指す情報源でありさえすれば、≪記事名と同じ用語を使っていない≫ことは改名の理由にこそなれ、削除の理由にはならないのではと考えます。日本で定着していない言葉であればますますそう言えると思います。
≪削除理由になる根拠≫のあたりは共通認識でしょう。問題は特筆性を満たす根拠となる情報源が記事に提示されるまでのプロセスであり、特筆性を満たす根拠となる情報源を見つけられそうだと誰かが感じるものに対して、見つけられなさそうだと感じる誰かが、他者もやはり見つけられなそうと推測し、あるいは(どういう根拠からかは知りませんが)探すに値しない対象だと考えて、それだけを理由に削除依頼提出されること、そして削除に行き着くこと(「第三者言及を示す情報源」がどのあたりにありそうか、それを知っている人が少ない分野においては削除に行き着くでしょう。しかしそれは「第三者言及を示す情報源」が存在しないこととは一致しません。)をどう考えるかという話です。
方向性を大きく変えますが、どのような「第三者言及を示す情報源」がありそうかという一覧が各プロジェクトにあると嬉しいとは感じています。定期刊行誌の一覧記事、ある特定分野の多数の記事に展開できそうな書籍(例えばショートケーキに挙げたことのある『お菓子の由来物語』 ISBN 978-4-7790-0316-5 は、多数のお菓子分野記事に対する「第三者言及を示す情報源」となり得ると考えます)などがプロジェクトから内部リンクなりISBN外部リンクなりで参照できるようになっていると、≪記事を残さなくても良いほどに特筆性なき記事主題だと判断しただけで削除を提出することをOK≫に準じて行動する削除依頼提出者がそのような情報を活用することに期待はできませんが、執筆者や加筆者や存続意見者や再立項者が参考にする情報とはなり得るだろうと思うのです。--NISYAN 2011年1月22日 (土) 05:33 (UTC)[返信]
特筆性に言及した信頼できる二次出典が2冊あろうと3冊あろうと(複数は草案です)、話題が特殊すぎる場合、量によっては「独立立項するほどの特筆性はない」と判断されて、ケースバイケースで本記事に加筆が望ましいという事で、削除しても構わないことになっています。独立した権威ある専門書を2冊持ってきてこと細かに共通の話題ごと記事を立てて行っても、その全てが存続保障されることにならないという事です。 いわば「特筆性がない」は万能の宝刀です。 とりあえず問題のない外部リンク、出典が記事内に確認されたら、宝刀を取り出すのではなくて独自研究を除いて主記事への統合提案する方向に持って行ってもらいたいものです。--Gyulfox 2011年1月12日 (水) 16:00 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。
一つは、その場合、一般論で考えるなら統合のための存続票なのかな(もちろん、統合に値する記述が元記事の削除依頼時点に含まれているかということにも依存し、例の件では出典付き記述は私の加筆のみなので、出典付き記述に限定すれば履歴無関係に私が転記可能で統合のための履歴保持は不要、ということは、個別論では有り得る)と思います。
また、もう一つは、そういう何らかの理由付けが削除票意見者から出てくるなら話も違うかなというところ。件の削除依頼で言えば、「独自研究を払拭する出典がない」という削除票に対して出典が付いたら、せめて「その出典は独自研究を払拭できるに値する情報元ではない」などの追加説明でもあれば話は違うと思うのですが、それすらないですから。削除依頼時点の状況に基づいて票を投じるのみで、削除依頼時点からの状況変化に対して、票の変更や撤回、票の理由に対する追加説明や新しい理由付けの提示などがないというケースは、統計的情報は持ち合わせていませんが、私の感覚ではそこそこ多いように感じています。いくら票の多寡のみが存続削除の判断根拠でないとはいっても、先の削除依頼の先ほどまでの状況のように「提示されている根拠が記事最新版に適合していない削除票が複数に対して、存続票が1件のみ」というケースでは管理者さんも存続対処できないでしょう。そのような削除依頼の状況が1週間近く続くということに対して、正常な審議状況でないように考えるし、何か対策できることはないだろうかと思うわけです。--NISYAN 2011年1月13日 (木) 00:25 (UTC) 若干補記 --NISYAN 2011年1月13日 (木) 00:47 (UTC)[返信]
あれに関しては私は何も直接手出しする気はありません。微妙だったので一般的な考え方を述べただけです。 またこれも一般論ですが、議決中に劇的に状況が変わった時は、票を投じて後の状況を知らない人の意思を確認する上で、一旦存続するのが普通です。 第一管理人は色んな人がいますが、普通議論内容を重視して、それが削除案件なのか存続案件なのかを票の比率だけでは判断しません。 モデルとして出された「提示されている根拠が記事最新版に適合していない削除票が複数に対して、存続票が1件のみ」の場合は、一週間たっても即断せず存続票がある程度伸びてくるまでいつまでも待つのではないでしょうか?--Gyulfox 2011年1月13日 (木) 01:18 (UTC)[返信]
ここでの主題ではないのですが、管理者さんが3人程度ということであればともかくそうでない現状で、管理者さんが一利用者視点で「微妙」と考えている案件であればともかく「存続だよなー」と考えている案件に対して、一利用者の立場で存続票を投じず、≪存続票がある程度伸びてくるまでいつまでも待つ≫というスタンスが理解できません。件の記事には更なる加筆を行い、削除時点から考えて約4,500バイト程度の加筆が全て出典ベースの記述となっているわけですが、それでも記事主題に対する特筆性(削除理由)の観点で一利用者として存続/削除が微妙と考えているなら、せめて微妙と考える理由(コメント)だけでも一利用者として記載いただければ、存続にしろ削除にしろ、削除案件の短期化を図れるのではないかと思うんです。もっとも、普段から削除案件に関わっていない管理者さん(執筆中心の管理者さんとか)にこういうことを言うつもりはなく、あくまで普段から削除案件に関わっている管理者さん限定ですが。--NISYAN 2011年1月16日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
最近は削除案件に関わってないですが、個人的な感覚としては、削除の対処をしてるときは、「対処できる/できない」という基準で審議を見ているので、「できない」「むずかしい」という場合は、次の案件に行く。対処は管理者しかできないけど、その案件の審議は、管理者である自分もできるけど、管理者でない人も参加できる。ずいぶんましになってきているとはいえ、削除の対処をしている管理者の作業量は、そうとう多いです。明らかに存続となる案件なのに、方針を理解していない人が削除票をつけているような場合は、判断も容易なので、そこで管理者自身が票を投じるのも、それほど面倒ではない。本文履歴の推移や情報源の性質などを把握しないといけないような場合だと、手間がかかりすぎる。削除依頼が今よりも溜まってた頃の長期案件だと、自分がうっかり審議にかかわると自分は対処出来なくなるし、次に対処してくれる人がいるのだろうかという危惧も感じてました。だから、管理者ではなく、いち利用者として審議に加わることはあるけれど、管理者という立場としては、特に普段から削除案件に関わっている管理者の場合は、コメントを残すのは難しいことだとご理解いただきたいです。管理者ではなく、より多くの参加者に、審議に参加してもらうことが期待される。--Ks aka 98 2011年1月20日 (木) 17:51 (UTC)[返信]
ありがとうございます。主題ではないこちらについては、対処管理者さんがそういうことを気にしなくてもいい程度の人数に増える、あるいは、対処管理者さんが審議に参加しなくてもいい程度に審議参加者が増えることを期待することとして締めたいと思います。--NISYAN 2011年1月20日 (木) 20:54 (UTC)[返信]