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架空の土地が舞台の作品について[編集]

2011年12月18日現在、「Category:山形県を舞台とした作品」 には、藤沢周平原作の映像作品が8件記載されています。これらは全て「架空の土地」が舞台の作品であり、「風の果て」を除く7作品は「海坂藩」が舞台であると公式サイトなどで示されています。

さてその海坂藩ですが、作者が明言したことはありませんが、作者の断片的な言葉や多くの研究者による検証などにより、庄内藩がモデルであると言い切ってもほぼ間違いではありません。しかし、それでも海坂藩は架空の土地です。山形県にかつて存在していたのは庄内藩であって海坂藩ではないのです。こうした場合、これらの作品を山形県を舞台にしているとみなして記載してよいものかどうか、お教えいただければと思い投稿しました。

なお、一ファンとしての私自身は、現状のままでも問題ないと思っています。しかしながら、Wikipediaの観点から見てそれでよいものかどうか悩んでいるところです。また、このことが、他のフィクションやカテゴリに大きな影響を及ぼすことになりはしないかと恐れてもいるところです。

皆様のお知恵をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--嗅足 2011年12月18日 (日) 04:21 (UTC)[返信]

どこかに海坂藩は山形に位置すると明示されているのでない限り、これらの作品を「山形県を舞台とした作品」に加えるべきではないでしょう。モデルというのはあくまで造形の参考にしたということでしかないのですから、それだけでは海坂藩が山形所在と証明されたことにはなりません。--Kojidoi 2011年12月18日 (日) 07:21 (UTC)[返信]
海坂藩の記述を信頼する限り、これを「Category:山形県を舞台とした作品」に組み込むのは無理が有ります。むしろ「Category:架空の土地」に分類すべきだと思います。
--Toshi999 2011年12月18日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

ご回答ありがとうございます。私が未見の「必死剣鳥刺し」「小川の辺」と、原作には明記されていないものの映像中ナレーションで「山形県」と語られている「たそがれ清兵衛」については現状のまま保留し、それ以外の作品は近日中にカテゴリから外したいと思います。ところで、こうした架空の土地が舞台の作品の扱いについて、たとえば「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない」の「M県S市杜王町」についてもやはり同様に考えてよいものでしょうか。こちらは宮城県仙台市がモデルであることはほぼ周知の事実のようですが、作中では宮城県仙台市とは書かれていなかったと記憶しています。私は藤沢周平に関連する記事に強い関心があるのみで、基本的にはそれ以外の記事の編集を行なうつもりはないのですが、気になりましたので重ねておたずねいたします。--嗅足 2011年12月20日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

「Aをモデルにした」ということと、「Aである」ことは違います。従って「舞台とした場所は宮城県仙台市がモデル」であることと、「舞台とした場所が宮城県仙台市」であることは違います。この違いはお分かりでしょうか。海阪藩が舞台であり、海阪藩が山形県の一部をモデルにした、ということから言えるのは「山形県の一部がモデルである」ことで、「山形県の一部が舞台である」ことではありません。
ところで、たそがれ清兵衛の記事では荘内地方が舞台であるとなっています。この記述が正しければ荘内地方は現実の地名であり、山形県の一部なので、「山形県を舞台とした作品」だと言えます。架空の土地である海阪藩を舞台としたことは山形県を舞台にしたことにはなりませんが、作品中に山形県の一部が登場しているなど、海阪藩以外の記述で舞台が山形県であることが言える場合もあります。お気を付けてください。--アルビレオ 2011年12月20日 (火) 20:38 (UTC)[返信]
ご懸念いただきありがとうございます。アルビレオさんご指摘の「違い」については先述したとおり承知しておりますので、私は私の範疇で修正できる点を修正することにいたします。皆様ご回答ありがとうございました。--嗅足 2011年12月21日 (水) 08:46 (UTC)[返信]

こんにちは。アルビレオさんの「Aをモデルにした」ということと「Aである」は違うという見解に私も賛意を示した上で付け加えさせてください。「聖地巡礼」現象に顕著なように、アニメや漫画のファンの中には作品の「舞台」に拘る人が多くいらっしゃいますので、ここは強調しておいた方が良いような気がするので。(ライトノベルで「舞台のモデル」と「舞台」を混同している例がこれ。)そして、この手の話は具体的に考えていくとグレーゾーンが結構あるのです。ややこしいので考えられうるシチュエーションを書き出してみたんですが、、

1.作中で正確な実在地名への言及があり現実の世界と矛盾しない(例:ジェイムス・ジョイスの描くダブリン)
2.作中で実在地名への言及があるが考証が不十分で現実の世界と違うところが生じている (例:作者が行ったことがない海外を舞台にした多くの三文小説)
3.作中で実在地名への言及があるが作者が意図的に現実の世界と違うことも書きこんでいる(例:『ハリーポッター』シリーズのイギリス)
4.作中で実在地名をもじった地名や、実在の場所を匂わす描写がある(例:涼宮ハルヒの西宮周辺)
5.実在地名を一般読者に想起させる記述は作中には無いが、舞台になった場所を作者が明言している
6.実在地名を一般読者に想起させる記述は作中には無いが、研究者や多くの読者によって場所のモデルが推定されて、それが広く知られている(例:藤沢周平の山形県)
7.マンガ、アニメ、映画などの映像化の際に実在の場所にロケハンや撮影が行われて、実在の場所が正確に描写されている。

などとなります。(まだまだ細かく分けることは出来るでしょうが、キリがないのでやめておきます。)

一般的には1~3なら「**を舞台とした」と言っても良いのでしょうが、3のケースでは「新宿での出来事だと作中にはかかれているが、そんな新宿が実在して良いわけがない」というぐらいに架空の要素が詰まっている場合もあるかもしれません(例:菊池秀行)。2のケースだって考証が出鱈目過ぎて「そんなロンドンはあり得ない」状態になっている作品もあるかもしれず、議論を必要とするかもしれません。

4~7のケースは、ファンによっては「**を舞台とした」と言い切ることも多くのサイトで見受けられますが、WPでは「**をモデルとした」とするべきだろうと考えます。6のケー スではその推論されている場所がどれほど「広く知られている」かについては議論の余地を生じるでしょうし、一握りのファンの見解をめぐる「独自研究」「資料の信頼性」「検 証可能性」論争勃発の可能性は高そうです。(今回の海坂藩のモデルが荘内藩だというのは広く知られている話だと思いますが。)7のケースでは、実際にその場所で撮影された 映画については「だって、実際にそこを舞台にして撮影したんだから」という理屈を出されて議論を要することになるかもしれません。

というような長い前振りをやった上で嗅足さんへの質問なんですが、『たそがれ清兵衛』の映画について「映像中ナレーションで「山形県」と語られている」とあります が、どういうシチュエーションでどのように語られていたのですか?時代劇の中で「山形県」と語られたというのは違和感がありまして、劇中での地名言及というよりも、メタレ ベルのナレーションでの言及のように思えます。そうなると、判断は少し微妙かなと思えますので。--おーた 2011年12月21日 (水) 13:59 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。ナレーションについてお答えします。映画「たそがれ清兵衛」では、主人公井口清兵衛の娘・以登の回想という形でナレーションが入ります。映画の冒頭で「私の郷里は現在の山形県庄内郡海坂町。当時はまだ明治維新の前で、海坂藩7万石の城下町でした」と語られています。ただし先述のとおり、映画の原作である3つの短編のいずれにもこのような記述はありません。あくまでも映画限定でのお話であることをご承知ください。 ところで、おーたさんが挙げられた例は私もいささか気になっていたところでして、自分ではうまく表現できずに困っておりました。まさにわが意を得たりです。感謝いたします。--嗅足 2011年12月21日 (水) 15:25 (UTC)[返信]
明治時代から回想するナレーションですか!そして「山形県庄内郡海坂町」ですから、実在の地名である「山形県」の中に架空の地名である「海坂町」を入れ込んだ3のケースですね。まあ、山形県を舞台にしていると言っても良いんでしょうね。--おーた 2011年12月25日 (日) 05:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。明確な場合は良いのですが、おーたさんも下記で仰せのグレーゾーンのときが困りますね。記事には執筆者の思い込みを反映させないことが大切なのだと改めて思い知らされております。--嗅足 2011年12月28日 (水) 11:37 (UTC)[返信]
小説が映画化される際に時代や場所の設定が微妙に変更されるのはよくあることです。映画版の設定を元に原作の方の設定の解釈を行うべきではないでしょう。特に、映画「たそがれ清兵衛」は小説「たそがれ清兵衛」の他2編の小説を原作としているということですから、小説と映画は完全に別物と考えるべきです。厳密に言えば記事を分割して「たそがれ清兵衛(小説)」は「山形県を舞台とした作品」から外すべきでしょうね。--Kojidoi 2011年12月21日 (水) 17:41 (UTC)[返信]
記事を分割……ですか。恥ずかしながら私はそうした大がかりな編集をしたことがないもので、できればどなたかがやってくださればありがたいなあと思っております。それはともかくとしましても、ご助言ありがとうございます。いずれノートの方で「たそがれ清兵衛(小説)」「たそがれ清兵衛(映画)」に分割する方向で提案などしてみたいと思います。--嗅足 2011年12月22日 (木) 09:18 (UTC)[返信]
とりあえずたそがれ清兵衛へのリダイレクトとしてたそがれ清兵衛 (映画)を作って、リダイレクトをCategory:山形県を舞台とした作品に含めるのはどうでしょう。--Kusunose 2011年12月26日 (月) 08:46 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。なにしろそうした編集をしたことがないもので躊躇しておりますが、参考にさせていただきます。ノートで提案するなど検討したいと思います。--嗅足 2011年12月28日 (水) 11:37 (UTC)[返信]

カテゴリへの収録条件ということではないので少し違うかもしれませんが、関連すると思われる先行議論を提示しておきます。と言っても話が頓挫してしまった議論なので、どんな論点や例があるか、程度にしか参考にできないかもしれませんが。「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本の市町村#「○○市が舞台となった作品」」です。--NISYAN 2011年12月21日 (水) 22:27 (UTC)[返信]

ありがとうございます。たいへん参考になります。この話題は、広げようと思うと際限なく広がっていくようで、少々腰が引けております。--嗅足 2011年12月22日 (木) 09:19 (UTC)[返信]
コメントおーたさんの分類について私の意見ですが、まず記事本体の記述とカテゴリの収録条件では話がやや違うと考えます。記事本体には独自研究とならないよう、また検証可能性に注意して書かなければなりませんが、カテゴリは記事への案内であり、厳密に考証して対象を絞るよりは関係する記事を含めておく方が利用者にとって有益だと思います。
1,2,3については、記事で「**を舞台とした」と記述してよく、当然「**を舞台とした」カテゴリに含めてよいと思います。なお、「事実と違う」については、そもそもフィクションが対象であれば当然であり、主人公などの登場人物が現実に存在している人物と違いがあってはならないとすると、もはやフィクションではなくなります。
4については、独自研究になってしまうため記事に「**を舞台とした」とは掛けないでしょう。当然カテゴリにも含めません。まあどこまでが常識の範囲でどこから独自研究になるかは難しいところですが。
5は、検証可能性を満たせば記事で「**を舞台とした」と書いて良いでしょう。
6は、記事では単に「**を舞台とした」ではなく「**を舞台としたと推定されている」のように書かなくてはいけないと思います。カテゴリとしては「**を舞台とした」カテゴリに含めて良いでしょう。
7は、作品中でそこをどのように表現しているかによります。例えば惑星ソラリスでは、未来都市として東京の首都高速を撮影しており、画像でも明確ですし、その旨記述した資料も多数ありますが、あくまで舞台は未来都市であって東京ではありません。
更にグレーゾーンとして、8:実在の地名が記述されているが、それが舞台かどうかが不明確なもの、をあげておきます。たとえば主人公の勤務先が新宿であることは明記されているが、作品中では主人公が自宅近辺しか移動していない場合が考えられます。どうしてもグレーゾーンが残るのは避けられないでしょうから、その場合は個別に議論するしかないと思います。
ついでに記事の分割についてコメントすると、確かに分割した場合はそれぞれの記事で個別にカテゴライズすべきですが、だからと言って現時点の記事を分割する必要はないと思います。更に記述を追加して分割するのであれば全く反対しませんが。--アルビレオ 2011年12月22日 (木) 22:35 (UTC)[返信]
おーたです。私としては、厳密に考証したり規定する意図で1〜7を書き出した訳ではなくて、「グレーなところが、あちこちにあるんだよ」ということを言いたかっただけです。実は、書き足りなかったり誤解を招きそうなところを修正しようかと考えてもいましたが、厳密化したところで益が無いので止めました。上記のアルビレオさんの見解に対しても、個人的には言いたい事は一杯有ります。たとえば、5にしても宮沢賢治が「イーハトーブは岩手のことだ」(正確な所は忘れましたが、賢治自身で何か書いていた筈です、、、)とか何とか言った記述を引いてきて「『グスコーブドリの伝説』は岩手を舞台にして」とか書いたり、「岩手県を舞台にした作品」にカテゴライズする奴がいたら「ちょっと、待て」ではないでしょうか。この件については「グレーな所が一杯あるから、個別に考えるしかない」としておくしかないと考えます。--おーた 2011年12月25日 (日) 05:25 (UTC)[返信]
確かにグレーゾーンが一杯あり、個別に考えるしかないものが多いことに同意します。また、あまり井戸端で続けるべきでもないですね。失礼しました。--アルビレオ 2011年12月27日 (火) 19:50 (UTC)[返信]

ご意見を頂いた皆様、本当にありがとうございました。当初、なにがしかの明確な指針があれば、今後の編集において無用のトラブルが避けられるかもという気持ちも少々ありましてご相談申し上げたのですが、グレーゾーンが多いというお話もごもっともだと思いますので、自分のわかる範囲についてだけ、個々に対処してゆくしかないかなあと思いなおしているところです。--嗅足 2011年12月28日 (水) 11:37 (UTC)[返信]