Wikipedia:井戸端/subj/曖昧さ回避について20200606

曖昧さ回避について[編集]

できないの冒頭に、ZARDの楽曲できないおよび韓国の映画できない (映画)への誘導を追加しましたらすぐに「曖昧さ回避テンプレート統合」としてまとめられました。まあ曖昧さ回避の記号が複数あっても仕方ないので妥当でしょう。…まとめられた結果、2020年6月6日9時26分の版では「呼吸ができないことについては「窒息」、「en:Choking」を、ZARDの楽曲については「息もできない」を、大韓民国の映画については「息もできない (映画)」を、その他の用法については「en:I Can't Breathe (disambiguation)」をご覧ください。」となり、ZARDの楽曲および韓国の映画について項目名「息できない」ということになり事実に反するので、「呼吸ができないことについては「窒息」、「en:Choking」を、その他の用法については「en:I Can't Breathe (disambiguation)」をご覧ください。ZARDの楽曲「息できない」については「息もできない」を、大韓民国の映画「息できない」については「息もできない (映画)」をご覧ください。」としました。そうしたら13分後に「曖昧さ回避を行う場合は、概要を始めに表記し項目名を重複させず、必ずその他の用法を最後に記述してください」としてRevertされましたが上記の通り重複でなく…まあそれだけなら誤りを指摘すればいいのですが、「必ずその他の用法を最後に記述してください」とされたらen:I Can't Breathe (disambiguation)の訳を固定できなくなり、正確な記述が不可能になります(もちろん、「I Can't Breathe」は「息できない」と翻訳されます)。この場合はどう処理すればいいのかお教えいただけると幸いです。--6144会話2020年6月6日 (土) 10:09 (UTC)[返信]

こんにちは。この度は少し誤解を与えてしまうような内容で申し訳ございません。まず「概要を始めに表記し項目名を重複させず」というのは、「概要」つまりその項目の内容の要約という意味です。これはTemplate:Otherusesに記載されている例文から引用して「この項目では、hogeについて説明しています。aについては「A」をご覧ください。」となっているように、わざわざ「アルファベットの1つ『A』については『A』をご覧ください。」とはなっていません。曖昧さ回避はあくまでその該当する項目への誘導を行うものであって、わざわざ項目名(上記の例では「A」)を重複させて記述する必要はありません。これは過剰なものです。次に「必ずその他の用法を最後に記述してください」というのは、同じくTemplate:Otherusesに記載されているものから引用して、「この項目では、hogeについて説明しています。aについては「A」を、その他の用法については「Template:Otheruses (曖昧さ回避)」をご覧ください。」となっているように、必ず全ての曖昧さ回避のテンプレートは、一番最後にその他の用法が表示されるようになっています。これにより、必ず最後にその他の用法を記載するようにと書きました。また、あなたが述べられている「『必ずその他の用法を最後に記述してください』とされたらen:I Can't Breathe (disambiguation)の訳を固定できなくなり、正確な記述が不可能になります(もちろん、『I Can't Breathe』は『息ができない』と翻訳されます)。」という言葉の意味合いが分かりません。現在私が差し戻しを行った状態になっていますが、しっかりと英語版へのリンクは維持されていますし、表示も可能です。これについてはどういった経緯でのことでしょうか。--TKsdik8900会話2020年6月6日 (土) 10:50 (UTC)[返信]
  • (コメント)「息できない」と「息できない」は重複ではありませんWikipedia:ハットノートにはこのような場合でもハットノートが使用可能であると明記してあります(具体的には、「ハットノートのある記事とよく似た記事名を使っている、といったことが原因でハットノートを含む記事にたどりつくことがあります。そんな時、ハットノートは探索対象かもしれない記事や曖昧さ回避ページへのリンクを提供します」とあります)。「呼吸ができないことについては「窒息」、「en:Choking」を、ZARDの楽曲「息できない」については「息もできない」を、大韓民国の映画「息できない」にについては「息もできない (映画)」を、その他の用法については「en:I Can't Breathe (disambiguation)」をご覧ください。」では、「その他」は結局「息できない」なのか「息できない」なのかわからなくなります。--6144会話2020年6月6日 (土) 10:59 (UTC)[返信]
    • 返信 たしかにハットノートに使用可能である旨が記載されていました。その件については私の知識不足でした。申し訳ございません。ですが、I Can't Breathe (disambiguation)はただのその他の用法をまとめた曖昧さ回避でしかありません。しかも、そのリンクは英語版へのリンクですので、日本語の文法の話をここでされても困ります。そもそもあなたが仰っている「息が」なのか「息も」なのかは問題ではありません。そもそも中1レベルの英語文法の話なのでお分かりかと思いますが、日本語への翻訳の際にほとんどの場合主語を省きます。これは朝鮮語でも同じで、日本語や朝鮮語は主語がなくても通用します(「私はこれを食べます。」の場合「私は」を省いても通じます)。あなたは「息が」か「息も」で判断がつかないとしていますが、本来なら「私は / も息ができない」で区別を迷うはずです。「息ができない」は「息をすることができない」が短縮されたものです。ですので、「息が」は固定なのです。また、「息もできない」は正式には「私は息をすることもできない」となるので、「息すらもできない」という異なった意味で捉えられてしまいます。また「も」になるのであれば、必ず英語の文章の最後に「too」とかがつくはずです。ですのでこの言葉は必ず一つの日本語の文章として理解できるもののはずなのですが。--TKsdik8900会話2020年6月6日 (土) 11:27 (UTC)[返信]
  • 問題のページを拝見しましたが、まずハットノートが長大すぎるのではないかと思いました。日本語版では「ハットノート(Hatnote)とは、記事の冒頭に置かれる『短い』注です。」(強調は私によるもの)とほのめかされているだけですが、英語版は直接"As hatnotes separate the reader from the content they are looking for, hatnotes should generally be as concise as possible."とハットノートは簡潔にまとめるべきであるとしています。誘導のために懇切丁寧なハットノートを作ってしまうと、それを必要としていない大部分の読者には迷惑だから、バランスよくコントロールしましょう、という話なのでしょうね。英語版至上主義という訳ではないのですが、極めて妥当な判断であり、従って問題ないのではないでしょうか。
以後はもし私があなたなら、という話です。en:I Can't Breathe (disambiguation)については、日本語版に存在していない記事へのハットノートからの誘導はマイナス面の方が大きいと考え、除去します。「息もできない」については曖昧さ回避を作り、「息'''も'''できない」については「[[息もできない_(曖昧さ回避)]]」をご覧ください。とするでしょう。直接お話とは関係ありませんが、「裸絞」についても除去します。--おいしい豚肉会話2020年6月6日 (土) 18:29 (UTC)[返信]