Wikipedia:井戸端/subj/各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行への対策について

各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行への対策について[編集]

各記事のノートや削除依頼、コメント依頼などを拝見していると、時折、必ずしもルールに即していない主張が多数の参加者によって支持され、黒でも白になってしまう、また逆に白でも黒になってしまう、多勢に無勢で押し切らえてしまう状況にあるように思います。この状況はWikipediaの方針に即していないのはあきらかであり、なんらかの抜本的な対策が必要なのではないかと考える次第です。

現実社会においては司法、行政、立法の三権を分立させてうまく公平性を保つような仕組みとしているのに対し、Wikipediaをみると、行政(管理者による)、立法(ルール整備)はある程度うまくいっているように見えますが、司法の場に該当する各種依頼が上に述べたように多数派によって壟断されてしまい得る状況にあるのではないかという話です。例えば、ある議論において一人が正論を述べていたとしても三人が反論を行っていた場合には、議論は容易には決着しないでしょうが、そうした時、多数派が「いつまでも納得しない」や「コミュニティを疲弊させる」などといった手段を弄して議論相手を吊るし上げた場合には、多数派はコメント依頼やブロック依頼においても基本的に多数派による数を頼んだ議事進行が可能であるということです。運が良ければ、多数派を上回る数の善意の第三者が参加する可能性もありえますが、そうでないケースがありえるというのは問題でしょう。そもそもが、Wikipediaにおいて、己とまったく関係のない、興味のない分野の審議に中立的な姿勢で臨み、労力をかけて問題の根幹を探り、コメントを書くボランティア精神溢れる利用者が多数存在するというのは考えにくいものがあります。

こうした状況を是正するような妙案はないものでしょうか。例えば陪審員制度を創設するだとか。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 06:30 (UTC)[返信]

コメントある議論において一人が正論を述べていたとしても三人が反論を行っていた場合、その一人のほうが「正論」であるという判断を行なう権力を誰かが持つというのは危険なことなので、方針やガイドラインを案内し、コメント依頼などで参加者を増やすという形で解決するのがウィキペディアのやり方、てことだと理解しています。一人の側でも、三人の側でも、あるいはたとえそれが「正論」であったとしても議論の進め方がまずいようなら、方針やガイドラインを理解していない、しようとしない、ということでブロックの対象になる。というのが、今の日本語版のありようだと思います。
例示されている陪審員制度というのは、「己とまったく関係のない、興味のない分野の審議に中立的な姿勢で臨み、労力をかけて問題の根幹を探り、コメントを書く」ことを強制させることですから、ボランティアで成り立つウィキペディアにはそぐわないでしょう。司法的な部分を担うグループを作るということでは、英語版ほかでWikipedia:裁定委員会Wikipedia:調停委員会というのがあり、日本語版でもかつて議論はされていました。--Ks aka 98会話2015年6月4日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
「その一人のほうが「正論」であるという判断を行なう権力を誰かが持つというのは危険なこと」とありますが、だからといって多勢に無勢を許容するというのはWikipediaの方針になじまないものでしょう。そもそも権力を与えるのが危険というのであれば、管理者やその他の特権ユーザも危険な存在であるということになるため、その論は現行制度そのものも否定するものであるはずです。「議論の進め方がまずい」というのは暴言、虚偽、個人攻撃、印象操作といったものに抵触する行為ということになろうかと思いますが、これは少数派であっても多数派であっても行いうる行為であって必ずしも少数派のみが行いうる行為ではなく、寧ろ、多数派のほうがそのような行為に類する蓋然性が高い行為を数を頼んで行い易い土壌がWikipediaにあるように思えます。つまり、多数派によって支配された議論では多数派のコンセンサスがそのままコミュニティの判断とみなされる蓋然性が高く、そこに誤謬や虚偽があるとしても見逃されやすい、一方で、少数派が同様の行為を働いたとしたら、それが軽度の問題や単なるミスであるとしても、たちまち多数派によって吊るし上げられそのままブロックという流れになってしまう。つまり、本来のWikipediaの方針、ルールを余所に、正論を述べるユーザをブロック、追放さえすることが可能であるというのが現状のWikipediaの実際上のシステムであり、それこそが危険であるというのがこの提言の意図するところです。
陪審員制度はウィキペディアへの確かに労力を強要するものです。しかし、それが「ボランティアで成り立つウィキペディアにそぐわない」ということはないと考えます。管理者やその他の特権ユーザは実際に労力を強要されており、それで実際上、現在運用されているということを考えれば、その論もまた的を射ていない論であると思います。すくなくても「そぐわない」として早々に切り捨てるのは早計でしょう。
裁定委員会、調停委員会というのは知りませんでしたが、ちょっとWikipedia:裁定委員会を読んだ所、わたしが想定しているようなものとはまったく異なりますが、少なくともそういった裁定機関皆無の現状よりはましともいえるかなという感はします。わたしがぼんやりと想定している陪審員制度とは、論争や審議の解決に際して、ある程度ルールに通暁していると思われるユーザ(一定の経験があるユーザということになるでしょうか?)の中から、無作為に復数人選出し、Wikipediaのルールにもとづき個々の論争に即した対処を管理者に勧告するような機関です。勧告ですから強制力はありませんから管理者は勧告に従う必要はありませんが、参考にするというものです。問題は、論争の度に提訴が乱発され陪審員を招集することなれば、Wikipediaコミュニティの支払うことになるコストは膨大になることになるため、そこをいかに抑制するかということになろうかと思いますが…。まあ、これは単なる一案にすぎません。なにか妙案がないものですかね。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 13:29 (UTC)[返信]
コメント 良くも悪くもボランティアだけで運用しているプロジェクトですので、仰るような仕組みを作るのは難しいでしょう。陪審員なら信頼の厚い有能な人材でなくては務まりませんが、そんな貴重な人材に仲介役を押し付けるようなことが認められるとも思えません。もし白が黒に、黒が白になってしまったのを見つけた時は、ウィキペディアでは一事不再理などはありませんので、もう一度提案・依頼して、それをひっくり返してみせれば済むことです。賛成ばかりだったのが、やり直したら何故か反対ばかりになるとか(その逆も)実際には割とあることで、それは「間違えたら後で修正する」「失敗しても回復できる」というウィキペディアの基本的な姿勢でもあります。--Hisagi(氷鷺)会話2015年6月4日 (木) 13:46 (UTC)[返信]
まあ、確かに記事内容については仰せの通りなのでしょうけど、ここで論じているのは記事内容だけでなくユーザに対するコメント依頼やブロック依頼でもみられ得ることです。つまり恣意的なルール運用によって、ブロックとなってしまう被害者が存在し、逆に問題のあるユーザであっても見逃されてしまうというケースがありえるということです。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 14:35 (UTC)[返信]
記事と同じだと思えばいかがでしょう。別にウィキペディアは常に正しくある訳ではありません。また、ウィキペディアに参加する権利なんてものが全員に保障されている訳でもありません。どうやったって人間が集まれば不満も出ますし、どうやったって「理不尽なことで不利益を被った」と主張する人が出てきます。その辺も込みで、ウィキペディアに参加してください。--Hisagi/氷鷺会話2015年6月4日 (木) 14:49 (UTC)[返信]
それもそうでしょうが、そうした不正義をできるだけなくすということが現実社会では絶え間なく模索され実現されてきています。Wikipediaにおいても同様に模索されてもいいと考える訳です。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
具体的に何の件か知りませんが、「納得すべきことに納得できない」だけのお話のように聞こえますので、このまま同じ主張を繰り返されても仕方がない(何も変わらない)と思いますよ。本当に、陪審員的なものを立ててまで対策を立てないといけないような問題が起きているのなら、実例をお願いします。--Hisagi/氷鷺会話2015年6月4日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
わたしが想定している事態は既に述べているとおりです。「納得すべきことに納得できないだけ」と仰るのはWikipediaでは常に「納得すべきこと」、正しいことのみが行われていると仰っているのでしょうか。あなたはつい先ほど「賛成ばかりだったのが、やり直したら何故か反対ばかりになるとか(その逆も)実際には割とあること」、「ウィキペディアは常に正しくある訳ではありません。」と述べているじゃありませんか。こういう事態を改善できないかというお話です。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 15:44 (UTC)[返信]
ええ、ですからその恣意的ななんとかでどういう問題が起きているのか、改善すべき問題がどういうものか、提示してみてください。架空の問題であれば特段対策を講ずることもありません。--Hisagi/氷鷺会話2015年6月4日 (木) 15:52 (UTC)[返信]
ええ、ではなくて、あなた自身「ウィキペディアは常に正しくある訳ではありません。」と述べているでしょ。これはウソだったんですか?改善すべき問題については既に冒頭に、一番初めに述べています。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 15:56 (UTC)[返信]
誤解させてしまったようですみません。ウィキペディアに常に正しくあることを求めるな(間違えたら(ブロックしたら)直せば(解除すれば)済む話)…くらいの意味だったんですけどね。そして、改善すべき問題とやらが(どの程度)実在するのかも曖昧なのでは、検討しようがありません。私も一番最初に言っていますが、これは最初から無理な話だと思いますよ。--Hisagi/氷鷺会話2015年6月4日 (木) 16:13 (UTC)[返信]
つまり、Hisagiさんとしてはそのような実態はないので改善すべきことはない、というご意見ということですね。まあ、それはひとつの見解としてはありえなくもないと思います。ご意見ありがとうございました。--IP58xv会話2015年6月4日 (木) 17:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)ほぼKs aka 98さんの言うとおりだと思います。そもそもこの提言は前提からおかしくて「一人が正論を述べていた」という判定を誰がしたのかが不明です。どういった立場の人が正論と判定したのかはとても重要な事です。議論において一方だけが普遍な正論という場合はほとんどありません。多くの場合、多数派・少数派の双方ともが自分が正しいと思っていて、各々の立場で自らの主張は正義・正論であると思い込んでいるため議論が紛糾する事になります。本当に少数派の方だけが正論ならば両者の主張の違いを見極めて、井戸端でもコメント依頼でもいいので、具体的に理路整然と説明して人を集めれば流れは変わります。それができないのは議論の進め方や説明の仕方が不味かったということであり、反省を次に生かすしかありません。--Sureturn会話2015年6月5日 (金) 07:04 (UTC)[返信]
  • コメント 特定の事物が絡む案件では『ミートパペット的な複数利用者』のような利用者群の存在を感じることはあります。個人的にそのような利用者群であろうと、方針文書のグレーゾーンなところを場合場合で都合のいいように解釈するようなことや、WP:ILLEGITに準ずる行為を行なわなければ問題は小さいものと考えます。
とはいえ誰某の行動に問題があると考えても、多数派のうち個人対象のコメント依頼を行なうと他数名が出てきて紛糾しうやむやになったり多数派対象のコメント依頼を行なうと論点がまとめにくかったりするのでWikipedia:裁定委員会などは実働すればありがたいでしょう。まあその前にしばし議論から離れて自分がヒートアップしてないかとか彼我の何が問題と感じたかなどを客観的にまとめることのほうが先だと思います、熱が入ると気付かないうちに余計なこと言ってたり論点ずれたりするものですので。--210.141.54.169 2015年6月5日 (金) 09:16 (UTC)[返信]
コメント興味深い話題だとは思うのですが、改善の最大の問題は労働力の確保なのではないでしょうか。陪審員制度は興味深いのですが、立候補ならやらない方がマシなので「条件を満たす中から無作為に選ぶ」ことになると思います。選ばれたら強制なのか辞退出来るのかも問題ですし、その仕組みを組み込むのにどれぐらいのコストが必要なのかも問題です。そもそも陪審員に「何をさせるのか」も重要だと思います。決定権を与えるのか、ミニ調査投票をさせるだけなのか、或いは議論を分析して問題点(循環論法や論点回避など)の指摘をするだけなのか。あまり権限を与えない方向なのであれば、むしろ議論の際に頻出する問題点と対策などの手順書を用意する方が安価でいいかも知れません。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月5日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
>立候補ならやらない方がマシなので「条件を満たす中から無作為に選ぶ」ことになると思います。
同感です。
強制かどうかですが、強制は難しいので極力協力を呼びかけるぐらいでしょう。おそらくですね、ユーザのなかにはコメント依頼を覗いたこともない人も沢山いると思うんです。指名されて声がけされれば協力しないでもないという方もいらっしゃるのではないかと。権限については、大きすぎず、小さすぎずがいいでしょう。決定権を与えてしまってもいいのですが、陪審員としての意思統一を行った上での勧告で十分だと思います。この勧告は公示されることになるため、強制力はないものの意味あるものになると思います。勿論、意思統一の際には、議論を分析することが各員には課せられます。手順書を用意するとのことですが、その手順書が参照されなければ意味がありません。現在、Wikipedia上にはルールがあるわけですが、必ずしも論争の際にそれらに則った議論が行われている訳ではないと思います。誰かがルールを指摘しても議論の趨勢によって解釈はいかようにも変化してしまうし、黙殺されてしまうことさえありえます。
この案の問題はいかにコストを抑えるかです。無数にある論争の度に陪審員集結ということになれば考えただけで凄いことになりそうですからね。要するに訴訟の濫発をいかに抑えるかだと思うのですが、そうですね陪審員による審議期間をたとえば二週間としその間は提訴者は一切の編集を行えないようにするとかどうでしょうかね。--IP58xv会話2015年6月5日 (金) 16:17 (UTC)[返信]
陪審員としての意思統一を行った上での勧告で十分~~意味あるものになると思います。
それが為されたならば確かにそれで充分に意味があることに同意します。ですが「陪審員としての意思統一」でまた同じように揉め、本件問題提起のそもそもである「多数の参加者陪審員によって支持され~~多勢に無勢で押し切らえてしまう状況」が再現されるだけのことになるのではないかと懸念します。
これを防ぐ為に「無作為に選ばれた」陪審員に対し「客観的に判断する為のルール」を課すのであれば、同じことが非陪審員(例えば議論参加者)にも出来るはずですし、陪審員に出来ないことは非陪審員にも出来ません。例えばルールに議論の分析があるならば、議論の分析が陪審員にも可能であることが仮定されていることになります。それが仮定出来るのであれば非陪審員にも仮定出来るはずなので、第三者意見が入る以外は意味が無いのかな、と。つまり「ミニ調査投票」や「強制コメント依頼」に過ぎず、既存の「調査投票」や「コメント依頼」の利用が少ないのと同じ理由で利用が少なくなるのではないかと思います。これを打破出来る妙案が必要と考えます。
Wikipedia上にはルールがあるわけですが~~
その「ルール」は手順を定めていません。例えばWikipedia:論争の解決ではステップ2: 論争の相手と話し合うのような大雑把な枠組みでの手順を示していますが、私の言う手順書とはこの「論争の相手と話し合う」の中での話し合う手順を記したものです。例えば国会での討論では手続きが規則として定められています。国会での討論は多数決投票の前段階として有権者(=国会議員)にアピールする為のものであり、合意形成を主目的とするwikipediaでの議論とは大きく異なります。ですがそれに対する共通認識が礼儀や冷静など、「国会での討論」でも「楽しい雑談」でも共通する方法論しかルール/ガイドライン化されていません。どちらが正しいかは意見が分かれるにしても、手順書に従っているか否かは(手順が妥当ではないと主張する以外は)意見が分かれることは(熱くなっていなければ)無いでしょう。煩雑になるのは問題ですが、「両者が認める点」が多ければそれだけ誤解を解き易く=相互理解し易く=合意が形成され易くなると考えます。
この案の問題はいかにコストを抑えるか~~要するに訴訟の濫発をいかに抑えるか
引用部前半に同意するとともに、同後半に異論を提示します。私の見解では「頻発されることを前提として濫発されても良いぐらいコストを抑える必要がある」です。利用されない制度なら無意味です、既に同じ目的を持った制度が存在していますので。つまり「調査投票」や「コメント依頼」が。なのでそれとの差別化が必要であり、その差別化可能な唯一の要素は「手軽さ」しかないと考えます。依頼する方(議論参加者)にも、依頼される方(この場合は陪審員)にも。
私は、陪審員側の最大にして深刻なコストとは説明責任だと考えます。誰でも紛糾している議論なんぞに巻き込まれたくはありませんし、紛糾するような微妙な議題に関して「責任を以って」発言出来るほど強固な意見を持っている人も少ないでしょう。ついでに言うと、有意な編集をしているウィキペディアンがそれに巻き込まれることはwikipediaにとってあまり有益とは思えません。対策として陪審員を辞退可能(≒協力をお願いするだけ)にするなら、結局のところ「議論に積極的に参加したい程に強固な意見を持っている人」以外は粗方辞退するわけで、イコール本件問題提起のそもそもの「~~などといった手段を弄して議論相手を吊るし上げ」る為に弄する手段が増えるだけの話になってしまうわけです。
で、陪審員にとって手軽にするならそれは結局議論参加者にも出来ること(手順書など)に帰着してしまうのかな、と。議題に関する意見を言わない(=巻き込まれないようにする)のであれば議論進行上の問題を指摘するぐらいしか出来ることは無く、議論進行上の問題を指摘する為の知識が全体的に不足している(ので揉めている)のだから陪審員(やその候補者)にそれを知らせる為の文書が必要になるのかな、と。そしたら陪審員無しにも出来るよな、と。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月6日 (土) 03:41 (UTC)[返信]
末に返信します。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
  • そもそもの話が問題では?
  • 「黒でも白になってしまう、また逆に白でも黒になってしまう、多勢に無勢で押し切らえてしまう状況にあるように思」うような人は、『自分は常に正しい』と考えがちな人なのではないのでしょうか。であれば、そう思う人の方に問題があるのだという可能性が大いにあります。そんな場合、みんなどうしてこんな話に乗るのかを、自分の主張をいったん置いて考える、そんな感覚が大事だと思うんですよ。
  • 私は割とへそ曲がりなので、様々な議論で私の意見が通らなかったことは多いですけど、ここでの議論が完全に変な方向へ向かってる、そんな風に感じたことはないですね。無政府的な議論の流れだけで決定してゆくというここのやり方は、おおむね成功していると感じています。--Keisotyo会話2015年6月5日 (金) 22:33 (UTC)[返信]
結局こういう人は、陪審制で思い通りの結論に至らなければ第二、第三の陪審制を求めるだけでしょうね。陪審員制の裁判なんか見てても弁護士の誘導次第でかなり変な判決に至ったりもしますし、そういった仕組みによって公平・公正な結論に至るという保証があるわけではありません。訴えた少数派に不利な結論に至ったら、それはそれでまた騒ぎ出すでしょうね。--Sureturn会話2015年6月6日 (土) 02:15 (UTC)[返信]
わたしは別にわたしや特定の個人、グループと関連した議題を提起しているわけではないので議題を特定の個人と結びつける言説はご遠慮くださると幸いです。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 04:19 (UTC)[返信]
私は単にドクターショッピング的な人とイメージが重なるという事でそのように述べただけで特定の個人と結びつくような話はしていません。それを読んでIP58xvさんが特定の個人と結びつく話だと思ったなら何か思い当たる節があるんでしょうね。結局、陪審制にしても、その少数派の人の思い通りの結論に至るという保証はありません。やっぱり少数派の方の主張はおかしいという結論になった時どうするかという事を考えておくのはポイントの一つです。そこで陪審員の人達に苦労かけた分の代償として訴えた少数側を無期限ブロック(追放)とか重たい処分にする等ですね。ついでに乱用も防ぐことになります。--Sureturn会話2015年6月6日 (土) 09:23 (UTC)[返信]
では聞きますが、あなたの先のコメントは「結局こういう人は」で始まっていますよね。「こういう人」とはわたしのことを指していると思ったのですが違うのでしょうか。それとやっぱり少数派の方の主張がおかしいという結論になった場合、どうするかはその陪審員が決めることであって一律ブロックというのはどう考えてもおかしいでしょう。暴論だと思います。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 12:13 (UTC)[返信]
こういう人というのはあくまで設定内の少数派で論争の結果に不満があり陪審による判定を求める人です。IP58xvさんは一応傍観者でしかないという面倒な設定でやっているために混同したのだと思いますが、IP58xvさん自身の事だとすると傍観者でしかないIP58xvさんが、当人そっちのけで、陪審の結果が気に入らないといって第二、第三の陪審制を求めるという奇妙な話になります。傍観者ではなく当事者ということなら最初からそのように言ってください。その人の意見は正論であるというわりに、陪審で黒判定が出てもペナルティは嫌だということであれば、そんな自信の無い自称正論でしかないしょうもない話なら、他人に大変な負荷をかけさせてまでやることではないと思います。そんな人のしょうもない主張のためにタダ働きさせるなんて時点で論外ですが、敢えてやらせるならですね。自信が無いなら申請しなければいいだけです。--Sureturn会話2015年6月6日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
何が面倒な設定なんだか。わたしの話ではないと述べているでしょう(どこかで)。第二、第三の陪審制なんて誰が述べ始めたんでしょうか。わたしはそんなこと語った記憶はありません。前のめりな話をするのはやめてくれませんかね。いちいち他人を中傷しないと話を進められないんでしょうか。難儀ですね。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
IP58xvさんの話ではないのなら、「こういう人」もIP58xvさんとは別人というだけです。第二、第三の陪審制というのはIP58xvさんが誤解された同じ文の中での話であり、傍観者であるIP58xvさんと同一とすると文の意味が通らなくなってしまうという事を説明しました。IP58xvさんが既に語っていようといまいと無関係に、Keisotyoさんのレスを読みそういうことが起きるでしょうねという予想を書きました。私は私が思った事を書きます。前のめりとIP58xvさんが個人的に感じたとしてもそれは私には無関係です。IP58xvさんが好むレスをしなければならないわけではありませんし、IP58xvさんに従わなければならない理由はありません。話の流れをある程度コントロールしたいなら、提案する前に少しは考えて設定を練っておくことをおすすめします。--Sureturn会話2015年6月6日 (土) 13:55 (UTC)[返信]
要は誤解されやすい提案の仕方だったということですね。難しいもんですね、この手の提案は。とにかく個人に属する問題とみなされると途端に脱線、脱線のオンパレードですからね。手痛い経験になりましたよ。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 14:29 (UTC)[返信]

世界最狂の魔法使いCray-Gさんへ。確かに陪審員が議論の分析ができるかどうかは不明です。コメント依頼で集まる人と同様でしょう。ただ、双方の差は、片方が自律的に議論参加するのに対し片方は無作為に指名された参加者であるということです。これは大きな差ではないでしょうか。コメント依頼との差別化は当然必要でわたしはコメント依頼の上位に陪審員性を想定していました。自律的に集まるユーザ層と無作為に選出されるユーザ層、どちらにより権威をもたせるべきかと考えると後者になるべきではないかと思います。「有意な編集をしているウィキペディアンがそれに巻き込まれることはwikipediaにとってあまり有益とは思えません。」についてはその通りなんですが、少しずつコミュニティに対する責務を分担してwikipediaの質を底上げできれば、それはそういったウィキペディアンにとっても有益なことでしょう。まあ、しかし、ここで述べている陪審員制は単なる思いつきレベルの案ですので、わたしとしてはこの案に拘泥しているわけではありません。仰せの文書案については、確かに現状のWikipedia:論争の解決は粗すぎるのには同意します。文書を充実させることによっても同じ目的が達成できるのであれば、それもいいと思います。そちらのほうが皆さんの賛意を得やすいですかねぇ。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 04:37 (UTC)[返信]

IP58xv様へ。ここまでの議論、よく読んでみてください。あなたへの意見は、ほぼどれもこうなのですよ。
『互いの議論で合意を作りながら進めるのがここの流儀。それでほぼうまくいっている。あなたの案はそれには合わない』
私の言葉もその一つの形にすぎません。これまでの人たちもみんなそういっている。あなたはそれに対し、
『それではどうしても納得できない』
そういうことです。このままでは『いつまでも納得しない人』ですよ。--Keisotyo会話2015年6月6日 (土) 04:43 (UTC)[返信]
返信 (IP58xv氏宛) 辞退が許されるなら「大差は無い」と考えます。コメント依頼だって見て見ぬ振りされてるものがあるでしょうから。
文書案は、最悪一人でも可能なことですからね。草案なりが完成してから改めて賛意を問えば済む話なので、今此処で賛意を得る必要は無いと考えます。内容の問題だと思いますので。
返信 (Keisotyo氏宛) (※Keisotyo氏へ向けた発言です。IP58xv氏から見ると不当な表現が含まれている可能性があります。)
粗方間違っていないと考えますが、もう少し「泳がせて」おいても良いのではないでしょうか。放っておいたからって害が出る類のものでもないでしょう。「危険思想」であることは確かですが、少なくとも陪審員制なる案を出せるぐらいには真面目に考えているのですから、何か言うたびに論理的に「難癖をつけて」いればその内に何か妙案が浮かぶかも知れませんよ。
もしも「『自分は常に正しい』と考えがちな人」自身が納得出来るような解決策の案が出されるのであれば、それは「『自分は常に正しい』と考えがちな人」と合意を形成する時の参考になるかも知れませんしね。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月6日 (土) 08:17 (UTC)[返信]
  • 世界最狂の魔法使いCray-G様、私にはあなたの言葉に出てきた『泳がせて』が、全くわかりません。それが何を意味するのか、どうしてこの文脈で出てくるのか、全く理解できません。それとも私が誰かを追いつめようとの意図を持っている、とかそういうのですか?そうであれば大変な誤解ですし、それはあなたが計略を使いたい人、ということを示唆するのでしょうか?そうでなければいいと思ってますが。--Keisotyo会話2015年6月6日 (土) 08:42 (UTC)[返信]
Keisotyo氏がIP58xv氏に対して「本件問題提起を取り下げる」ように促しているものと考えたので、「取り下げなくて(=泳がせておいて)も良いのではないでしょうか」と答えたものです。
もしも「誰かを追いつめようとの意図」の中に「IP58xv氏に本件問題提起を取り下げるように促す意図」が含まれているのであれば、私はそのように認識しました。もしも含まれていないのであれば、私はそのようには認識していません。誤解があるのであれば正したいものと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月6日 (土) 09:00 (UTC)[返信]
なるほど。私は意見を述べただけで、取り下げろ、との主張の意図はありません。それから。意味はわかりましたがやはり「泳がせて」はよくないですよ。それは相手を見下ろした表現になります。『不当な表現』と自分で感じるならなおさら使ってはいけない言葉でしょうね。--Keisotyo会話2015年6月6日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
Keisotyo氏の発言には「取り下げろ、との主張の意図」が含まれていないことを理解しました。失礼しました。またもう一方に関しても留意しておきます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月6日 (土) 09:37 (UTC)[返信]
Keisotyoさん、あなたの見解として現行でなんら問題ないというのであれば、それをあなたが表明すればいいだけの話です。あなたは「いつまでも納得しない」といっていますが、議論を開始してからまだ数えるほどのコメントしかしていません。一体、何回以内に納得しなければ、「いつまでも納得しない」になるのでしょうか?あなたはすべての議論において、統一した基準を用いてこういった「いつまでも納得しない」などの言辞を用いているのでしょうか?きちんとした基準をここで答えることができますか?単に自分の意見にあわない意見を封殺するためにこうした言辞を用いているのではありませんか。わたしの感覚では少なくともまだ他者から意見が出る可能性があるのではと思っています。ひょっとしたら、もう意見は出ないかもしれません。出ないのであればそれで議論を打ち切ればいいだけの話です。しかし、もし出たとしたら、そしてそれがわたしと問題意識を共有するようなものであれば、あなたの「いつまでも納得しない」カードは拙速にすぎたということになり、恣意的なルール運用であったということを認めねばならないと思います。こうした思い込みによる恣意的なルール運用をどうにかすべきというのが、まさに本議論の意図するところです。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 12:13 (UTC)[返信]

Maddestmagicianさん、残念ですね。問題意識を共有できているものと勝手に判断していましたが、あなたとしてははわたしを「泳がしている」と認識していたとは。「危険思想」とは一体なんのことですか?あなたとは最近、活動範囲が重なることが多いなと思っていたのですが、ひょっとしてこれ[1]が危険思想ですか?--IP58xv会話) 2015年6月6日 (土) 12:13 (UTC) ちょっと言い過ぎたように思いますので取り消します。ただ、Maddestmagicianさん、わざわざ誤解を招くような言辞を弄することはないだろうと思いますよ。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 13:06 (UTC)[返信]

あなたと同じ問題意識を共有できている方はいないと思いますが。「危険思想」だと言われたのは、あなたのその「いつまでも納得しない」ゆえの「じゃあ陪審員制度を設けよう!」という発想です。すでに指摘されていますが、あなたのそれは、納得がいかなければ陪審員制度を、それに納得いかなければ第二の陪審員制度を、それに納得いかなければ第三の……といつまでも無限にゴネ続けるような類のものなので、危険思想だのとりあえず泳がせておこうだのと言われるのです。--Hisagi/氷鷺会話2015年6月6日 (土) 12:34 (UTC)[返信]
ですから、それはこれから問題意識を共有出来ている方の見解がなされないという前提で喋ってますよね。Hisagiさんにはこれからはそのような見解が絶対につかないと言い切ることができるのですか?第二、第三の陪審員制度を設けるなどとはわたしは言っていないし、そもそもここで述べている陪審員制度だってぼんやりしたイメージで例として述べているだけです。危険思想やら泳がしておこうだのいわれるのは極めて心外です。なにが危険思想ですか。なんでもかんでも意に沿わないことを即座に危険思想などと決めつけ、意見封殺を図るほうが余程危険です。--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 12:44 (UTC)[返信]

この方の文体というか、癖は見覚えあるなと思ったのですが、IP58xvさんは、Truesightさんではないでしょうか?Nononame~jawiki会話2015年6月6日 (土) 08:44 (UTC)[返信]

いいえ、違います。あなたこそ確実に多重アカだと思いますが一体誰なんですか[2]?--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 12:13 (UTC)[返信]

コメント ちょっと一言述べておきたいと思います。現在、反対されている方が多数であることは認めますが、わたしがここで述べていることはそれほど変なことだとは思いません。現に英語版で、裁定委員会やら調停委員会なるものがあるということは需要があるということではないでしょうか。何故に「危険思想」やらなにやらとここまで攻撃される方がいるのかわかりません。ただ、このまま問題意識を共有される方が現れないのであれば、拙速な問題提起であったということでしょう。その場合は、自然議論の打ち切りということになると思います。何も急いで閉じる必要はないのではないでしょうか。--IP58xv会話) 2015年6月6日 (土) 12:56 (UTC)一部訂正--IP58xv会話2015年6月6日 (土) 13:06 (UTC)[返信]

先ずはっきりさせておきたいところとして、私ことCray-Gは「問題意識を共有」していると思っています。今まさに数を恃みにした有意義ではない議論進行が行なわれていて、それは「臭い物に蓋をする」ことは出来るけれども根本的な解決が出来ません。根本的な解決とは合意の形成です。今現在、単にIP58xv氏の意見が封じられようとしているだけであって、IP58xv氏との合意が形成されようとしているわけではありません。
また「思い込みによる恣意的なルール運用をどう」すべきかに関しては、既にwikipediaを始めとする全てのウィキメディア・プロジェクトに於いて共通した「どうすべきか」が定められています。それは「合意を形成する」ことです。何等かの権威(方針文書や制度運用)に頼ることではありません。思い込みでも恣意的でも統一した基準を用いていなくても構わないのです、議論を行ない合意を形成するのであれば。今現在この場に於いて「それ」がされていません、それは問題です。
そして何が「危険思想呼ばわり」されているのかですが、「合意を形成する為の努力を放棄することに正当性を与える制度を設ける」ことが「危険思想呼ばわり」されています。既に私は三点、「数」の問題に対処する為に既に調査投票とコメント依頼が設けられていること、陪審員制度にしても結局のところ同じことが繰り返されるだけであること、コメント依頼よりも低コスト(≒より権威が無い)にするべき、を主張しました。それに対してIP58xv氏は「コメント依頼よりも権威を持たせ」たものを求めていると明言しています。これは「合意を形成することを旨として調査投票にさえ一切の権威を持たせていない」現行制度に対する、もっと言うならば「wikipediaの理念に対する挑戦」です。
「wikipediaの理念に対する挑戦」をするしか無かった「哀れな」言語版があったようですが、現在の日本語版では其処まで深刻な事態には至っていないと考えます。なのでもしも「wikipediaの理念に対する挑戦」をすることが目的ならば、閉じてしまっても良いと考えます。ですがもしも「wikipediaの理念に対する挑戦」をすることなく「数の問題を解決」出来る方法を模索するつもりがあるのであれば、私もそれがあるべきだと感じていますので、急いで閉じられてしまうのは「もったいない」と考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月8日 (月) 03:41 (UTC)[返信]
現今のこの議論に関するわたしの認識はあなたと同様です。つまり、大方においてなされるべき正当な理由に基づく合意形成のための努力がなされていないということです。但し反論を行うことが合意形成のための努力がなされていないということではありません。反論に正当な理由があるのであれば(単に問題を認識しないので、必要ないも正当な理由と認めうる)、それは合意形成のための努力といえるでしょう。わたしが問題視しているのは、ここの議論でも既に幾人かが早々に表明している「いつまでも納得しない」を振りかざした議論封止=一切の反論を許容しない非論理的な姿勢、数を頼み正当な論拠無く議論の進展に寄与しない人身攻撃まがいの言辞を弄する姿勢などです。
しかし、「単に問題を認識しないので、必要ない」が大勢であれば、わたし一人頑張るつもりもありません。別に急いで閉じる気もありませんが、問題意識を共有する見解が述べられないのであれば、自然打ち切りとなるでしょうと述べたのはそういうことです。
「合意を形成する」というのは勿論、Wikipediaのルールで定められた論争解決のための手段です。しかし、なんでもかんでも合意を形成すればいいというものでもありません。たとえば多数決による合意形成は認められないというルールが存在します。各ルールを尊重し、ルールに沿った議論進行において合意の形成を行うというのがWikipediaの目指すものであり、恣意的なルール運用に基づく合意形成はその対極に位置するものであると考えます。つまり、恣意的なルール運用に基づく合意形成はWikipediaの理念に反するものだと考えています。Wikipediaは無法地帯ではありません。ルールが存在します。Wikipediaにおいて参加者が敬意を払うべき権威こそがWikipediaの理念であり、方針などのルールです。
わたしは「合意を形成する為の努力を放棄することに正当性を与える制度を設ける」ことを目指している訳ではありません。まったく逆です。既に述べたように、ルールに沿った合意形成が行われる状態は寧ろわたしが希求するものです。そして、まさに、わたしが問題視しているのが「合意を形成する為の努力を放棄することに正当性を与える制度」です。何度も言っていますが、それが数を頼んだ「いつまでも納得しない」、「コミュニティを疲弊させる」などの言辞による攻撃手段です。今回はそれに「危険思想」が加わりました。この「危険思想」という語句が使用されたということについてはかなり驚きましたし、今でも<無い>と思いますし、将来においてもなかなか使用されることないとは思いますが、このような語句でさえ、数を頼んだ議論姿勢においては極普通に使用されるといういいサンプルであるといえるでしょう。「危険思想」とは論理的な根拠なしに思想や主張を糾弾しうる反民主主義的な攻撃的言辞です。このような語句が普通に飛び出す土壌が、Wikipedia日本語版にはあるということです。まあ「危険思想」をアイロニーとして使用するというのであれば<有り>でしょうが、憂慮すべきはそのように捉えていない人物もいるということです。それがWikipedia日本語版の議論のレベルであり、それが問題であり、それをここで改善すべく議論の対象としている訳です。
また、何度も何度も述べているように、陪審員制やその運用は案として、また叩き台として述べているものであってそれらについてわたしが執着している訳ではありません。何ら問題のない制度案を即座に出せるのであればはじめから明確な案を述べて提案にかけています。それができないから、妙案を募り、ぼんやりしたイメージながらも議論に寄与すると思い陪審員制というものを述べているのであって、その陪審員制に問題があるからといって、攻撃されるのは心外です。そんなことに拘っていても、議題となっている問題の解決には一切寄与しないはずです。これが大前提。一方で、わたしは陪審員制においてもその権限は大きすぎず、小さすぎずが望ましいと述べており、その決定は勧告に留めるべきであるとの案を述べています。これがどうして「wikipediaの理念に対する挑戦」になるのか、まあ理解できませんね。
本議論を急いで閉じるつもりはありません。問題意識を共有し、まじめに議論する方が現れるのであれば応じる準備はあります。また、自然打ち切りとなったとしても、このような議論提起があったということは記録されるのでまったく意味のないことでもないでしょう。--IP58xv会話2015年6月8日 (月) 06:40 (UTC)[返信]
横から失礼します。僕としても、少なくとも「危険思想」という語句を使用されたのはかなりまずいと感じます。「危険思想」などと言わず、「問題のある案」として、どこら辺が駄目なんだという事を云えば理解してくれる人もいることでしょう。それをあえて攻撃的な語句を使用したからいけないのだと思います。もっと適切な言葉選びをすればこのように議論が脱線するのを防げると思いますし、とても残念です。ちなみに今回の議論に関しては僕は中立であることを表明しておきます。--ドングリ会話2015年6月8日 (月) 09:31 (UTC)[返信]
返信 (ドングリ氏宛) いや、えーと、「変な言葉を使うな」と言いたいことは理解します。ですが「どこら辺が駄目なのかという事を既に理解している人」に対して「どこら辺が駄目なんだという事」を説明するのは意味が無いと思うのです。私は何を誤解しているのでしょうか。
返信 (IP58xv氏宛)
既に幾人かが早々に表明して~~
それ程に多くの人に恐怖と警戒心を植え付けるだけの破壊力のある存在なのだということを御理解下さい。そして同時に、IP58xv氏がまさにそうした恐怖を呼び起こす類型の話し方をしているということも御理解戴ければと思います。
わたしが問題視しているのは~~議論封止=一切の反論を許容しない非論理的な~~人身攻撃まがいの言辞を弄する姿勢などです。
それは確かに問題です。が、相手に対してそうであると認識することもまた「~~する姿勢」に該当します。つまりお互い様なのです。
そのお互い様の一方が(例えば少数派だから意見封殺されたと認識して)本件問題提起のような問題提起を行なうなら、自分自身も問題を抱えている現実を認識していないということです。そして認識されていない問題は永遠に解決されることはありませんので、つまり問題行動が繰り返されることになります。
IP58xv氏が本件問題提起のような問題提起を行なったことで、IP58xv氏もまたそのような「自分自身も問題を抱えている現実を認識していない」人なのだろうと推測されました。それが誤解なのであれば「そのような人」とは異なる行動を取るべきではないでしょうか、如何にも「そのような人」が言いそうな「一体、何回以内に納得しなければ~~あなたはすべての議論において~~きちんとした基準を~~封殺するためにこうした言辞を用いて~~」のような発言で「わたしが問題視しているのは~~議論封止=一切の反論を許容しない非論理的な~~人身攻撃まがいの言辞を弄する姿勢など」を実行して見せるのではなく。
しかし、なんでもかんでも合意を形成すればいいというものでもありません。
いいえ、何でもかんでも合意を形成すればいいのです、字義通りの意味での合意であるならば。つまり反対意見が一切無くなれば。反対意見がある合意なんて無いはずですからね、本来なら。
たとえば多数決による合意形成は認められないというルールが存在します。
「多数決による合意形成は認められないというルール」は存在していませんのでご注意下さい。単に、多数決で合意が形成されることは滅多に無いという現実があり、圧倒的大多数がそれを理解しているだけです。つまり「強制された合意」はwikipediaが要求する「字義通りの意味での合意」とは異なる、ということです。それでもそれで大人しくなって問題を起こさないでいてくれるなら別に構わないのですが、残念なことに強硬に「多数決」を求める者は大抵は少数派に属しています。つまり「自分は多数派だと信じているから勝利を確信して多数決を求めたが実際には違っていて敗北したので何だかんだ言って暴れ始める」のです。それが多数決以外であっても同じことです。つまり陪審員制であろうが、それ以外の何かであろうが。彼等は「自分達が勝利することを前提として合意」したのであって「字義通りの意味での合意」をしたわけではないからです。それがSureturn氏の言う「結局こういう人は、陪審制で思い通りの結論に至らなければ第二、第三の陪審制を求めるだけ~~訴えた少数派に不利な結論に至ったら、それはそれでまた騒ぎ出すでしょうね。」と言うことであり、それがわかっているので「多数決が忌避されている」だけです。「多数決による合意形成は認められないというルール」が存在しているわけではありません。
各ルールを尊重し、ルールに沿った議論進行において~~敬意を払うべき権威こそがWikipediaの理念であり、方針などのルールです。
私とは見解が大きく異なるようです。方針などのルールは「既に為されている合意を確認し易くし手間を省く為のもの」でしかなく、五本の柱を除いては「何であろうと合意が最上」です。五本の柱が除外されるのは、五本の柱に反することは「ジミー・ウェールズが必ず反対するので決して合意が形成されない」からに過ぎません。もしかしたらジミー・ウェールズの死後、ウィキメディア財団が叛旗を翻して五本の柱に反する何かが合意されるかも知れません。それどころかジミー・ウェールズが「もはやwikipediaは百科事典などという古臭い概念に縛られた存在ではない」とか何とか言い出すかも知れません。その場合には「何であろうと合意が最上」に従い、五本の柱の一柱が再合意されることになるでしょう。
ルールに沿った合意形成が行われる状態は寧ろわたしが希求するものです。
少なくとも私とは希求するものが異なるように思えます。私が求めるものは「字義通りの意味での=反対の一切無い=幸福な」合意を形成出来る環境です。その為には「ルールに沿った」という条件が必要なのかも知れませんが、「ルールに沿っていない限り有り得ない」と私が認識するまでは、私は「字義通りの意味での=反対の一切無い=幸福な」合意を形成出来るならルールを問題にしません。いやでも金銭取引とかは流石にどうかと思うのでやはりルールはどうでも、とまでは言い切れないかも知れません。
何であれ、私は幸福な合意を形成する為には「相互理解の為の議論」により誤解を解くことが重要だと考えています。誤解が解けるなら議論に限らなくても良いのですが、議論がやはり最も効率的に誤解を解ける手法だと考えています。
このあたり、私に誤解があるのであれば正したいと思います。誤解が無いのであれば、私は興味を失いつつあります。
まさに、わたしが問題視しているのが「合意を形成する為の努力を放棄することに正当性を与える制度」です。何度も言っていますが、それが数を頼んだ「いつまでも納得しない」、「コミュニティを疲弊させる」などの言辞による攻撃手段です。
それに問題があることは認めますが、それで被害を被るのは「圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠を持たない側」なので今のところ「それなり」に上手く廻っていると考えています。新設するルールに関して考えるより先に「圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠」を用意して出直すべきなのではないでしょうか。
今回はそれに「危険思想」が加わりました。
では、「私は圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠を持たないので合意を形成することが出来なかったが、それは自分に非があるのではなく圧倒的大多数に非があるので自分の意見を通す為のルールを制定するべきだと思う」という主張は何だと言えば良いとお考えなのでしょうか。それが誤解だと主張するのであれば、それが誤解だと「圧倒的大多数を納得させられる」ような行動を取る以外に無いと思うのですが。
と、此処から先の意見をつらつらと書いていて似たようなことを書いて「言葉遣いに気を付けろ」と御鞭撻を頂戴したことがあったことを思い出しました。他に良い表現を思い付いていないので、今回は控えておきましょう。ついでに類似する内容に対して返答したことが他にもあったので、私の見解を理解する参考にして戴ければと思います。
このような議論提起があったということは記録されるのでまったく意味のないことでもないでしょう。
そうですね。
既に述べた通り私は「問題意識を共有」していると思っていますので、本件問題提起に関して私が誤解をしているのであればそれを正し、前向きに対話出来ればと考えています。誤解が無いようであれば、既に述べた通り興味を失いつつあります。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月8日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
>それ程に多くの人に恐怖と警戒心を植え付けるだけの破壊力のある存在なのだということを御理解下さい。
えっ?何が?まったく理解できません。根拠を述べてくださいよ。
>IP58xv氏がまさにそうした恐怖を呼び起こす類型の話し方をしているということも御理解戴ければと思います。
それはどういう話し方なのですか。意味がわかりません。
>それは確かに問題です。が、相手に対してそうであると認識することもまた「~~する姿勢」に該当します。つまりお互い様なのです。
いいえ、お互い様ではありません。問題を起こす側と問題を認識し咎める側が同じであるとするならば、まあWikipediaにおいては少なくともコメント依頼やブロック依頼というものはなくなりますね。
そのお互い様の一方が~~
お互い様という前提から誤っているので帰結も妥当なものではありません。
IP58xv氏が本件問題提起のような問題提起を行なったことで、IP58xv氏もまたそのような「自分自身も問題を抱えている現実を認識していない」人なのだろうと推測されました。
どういう論理ですか、それ?
「一体、何回以内に納得しなければ~~あなたはすべての議論において~~きちんとした基準を~~封殺するためにこうした言辞を用いて~~」のような発言で「わたしが問題視しているのは~~議論封止=一切の反論を許容しない非論理的な~~人身攻撃まがいの言辞を弄する姿勢など」を実行して見せるのではなく。
え?
いいえ、何でもかんでも合意を形成すればいいのです
そうではありません。Wikipediaは少なくとも現在は百科事典であり、百科事典を編纂するために各種ルールが設けられています。それらのルールに沿わないということであれば、それは百科事典を編纂するための議論ではなく、サークル活動の発刊する同人誌も同然です。
「多数決による合意形成は認められないというルール」は存在していませんのでご注意下さい。
Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんに「ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。我々は正当な理由によるシステム運営を行います。」と書かれています。あなた自身調査投票には権威がないと言っているでしょう。いずれにせよ、合意には(「我々」からみて)好ましい合意とそうでない合意が存在するということです。
残念なことに強硬に「多数決」を求める者は大抵は少数派に属しています。つまり「自分は多数派だと信じているから勝利を確信して多数決を求めたが実際には違っていて敗北したので何だかんだ言って暴れ始める」のです。
それは本当ですか?わたしはそうは思いません。決めつけが過ぎるのではないでしょうか。
つまり陪審員制であろうが、それ以外の何かであろうが~~
前提となる仮定が誤謬を含んでいるものと思われるのでその帰結も妥当とは思えません。
私とは見解が大きく異なるようです。方針などのルールは「既に為されている合意を確認し易くし手間を省く為のもの」でしかなく、
一部のルールはそうでしょうがすべてがそうであるとは思えません。少なくとも5本の柱は違う訳です。
それどころかジミー・ウェールズが「もはやwikipediaは百科事典などという古臭い概念に縛られた存在ではない」とか何とか言い出すかも知れません。
それはもう百科事典ではなく別の何かですね。ここでは百科事典であるWikipediaについて論じています。
私は「字義通りの意味での=反対の一切無い=幸福な」合意を形成出来るならルールを問題にしません。
それはサークル活動の発刊する…
何であれ、私は幸福な合意を形成する為には「相互理解の為の議論」により誤解を解くことが重要だと考えています。
Wikipediaは百科事典として閲覧者が存在することを前提に編纂されているものだと思います。つまりは利益を受け取るのは閲覧者であって、Wikipediaは編集者のために存在しているものではありません。編集者同士の相互理解が最優先事項ということはありえず、であるならば、自ずと編集者、議論を律するルールが存在するということになります。要するにWikipediaは編集者同士の自己満足のために存在するものではないということであり、Wikipediaのルールに沿わない合意はWikipediaが本来思い描いているものではないということです。
それに問題があることは認めますが、それで被害を被るのは「圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠を持たない側」なので
それは善意の真摯な編集者のみが参加しているという前提でのみ通る理屈です。また、ここでは「圧倒的大多数」とは一体何かということを考えねばならないでしょう。Wikipediaのどこの議論において「圧倒的大多数」というものが存在するのでしょうか?せいぜいが数十人、その数十人が「圧倒的大多数」を代替できうる存在であるかどうか疑問です。
新設するルールに関して考えるより先に「圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠」を用意して出直すべきなのではないでしょうか。
なんの論拠ですか?
では、「私は圧倒的大多数を納得させられるだけの論拠を持たないので合意を形成することが出来なかったが、それは自分に非があるのではなく圧倒的大多数に非があるので自分の意見を通す為のルールを制定するべきだと思う」という主張は何だと言えば良いとお考えなのでしょうか。
そんなこと知りませんよ。少なくともわたしはそんなことを論じているわけではありません。
と、此処から先の意見をつらつらと書いていて~~私の見解を理解する参考にして戴ければと思います。
あまり関係なさそうですので参考にするのはよしておきます。
既に述べた通り私は「問題意識を共有」していると思っていますので、本件問題提起に関して私が誤解をしているのであればそれを正し、前向きに対話出来ればと考えています。誤解が無いようであれば、既に述べた通り興味を失いつつあります。
不思議なことに、ここまで話しておいて、あなたがどのような問題意識を持っているのかわたしにはわかりません。あなたは共有していると仰っていますが、ここまであなたの見解を読んでみたところ、何を問題視し、どうあるべきかと考えているのか全然理解できません。対話が足りないということでしょうか?しかしあなたは興味を失いつつある、ということはそういうことでもないのでしょう。少なくともあなたはどんな合意でも合意なんだという考えの方なのでわたしが目指しているものとは異なるようです。わたしは既に、わたしの考えを普通にわかりやすく述べているので、そこに共感できていないのであれば、「問題意識を共有」していることはないんじゃないかと思います。そんなことを思いつつ、あなたがここで何をやったかということに目を向けると…あなたは一体何をやっていたんでしょうか。興味を失いつつあるということは目的は達成されたということですかね。そうだとすれば、あなたは真摯に議論を行うフリをして一体何をやっていたんですかね。--IP58xv会話2015年6月8日 (月) 12:24 (UTC)[返信]
えっ?何が?まったく理解できません。
なるほど、「そういう人」に遭遇したことが無い人なんですね。或いは「そういう人」が「そういう風」に見えない人なのかも知れません。どちらでも構いませんが。
いいえ、お互い様では~~というものはなくなりますね。
そんなことはありません。例えば「お互い様だと認識している側」は「コメント依頼やブロック依頼」をしません。そういったことを行なうのは「お互い様ではない、アイツラは悪い、オレは悪くない」と思っている人だけです。さらにそれさえもまたお互い様である場合が多いわけで。
そうではありません。Wikipediaは少なくとも現在は百科事典であり~~であれば~~サークル活動の発刊する同人誌も同然です。
そうですよ、wikipediaは「サークル活動の発刊する同人誌も同然」なんですよ。と言うか、ジミー・ウェールズが提起しウィキメディア財団が運営する巨大な「サークル」が発刊している「同人誌」なんですよ。同人誌について歴史を調べてみた方がいいんじゃないかと思います。wikipediaを素晴らしい百科事典にするという志を同じくする同人がウィキペディアンです。
Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんに~~
「合意=多数決」は誤りだと言っているに過ぎません。数に基づいて決定することを(字義通りの意味で)合意すれば多数決が可能です。方針として多数決にすると合意された場合(例えば管理者の信任)もありますし、編集内容を多数決にすると合意されて実際にそうされる場合もあります。つい昨日までその投票が行なわれていたようですが、今日時点では実施中の投票は無いようですね。
いずれにせよ、合意には(「我々」からみて)好ましい合意とそうでない合意が存在するということです。
そうです。
不思議なことに~~
本当に不思議ですね。私は「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行には解決するべき問題がある」と考えているのに、IP58xv氏にはそれが「理解出来ない」なんて。何故でしょうか。
しかしあなたは興味を失いつつある、ということは
あぁ、私が興味を失いつつあるのは、「IP58xv氏は各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決するつもりである」のでは「ない」のではないかと疑いを抱き、もしその疑いが正しいならば今後の議論の流れは「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決する」方向へ進まないであろうからです。
少なくともあなたはどんな合意でも合意なんだという考えの方なので
言い方からは誤解されているようだと感じるのですが、もしも私の疑いが正しいならば「どんな合意」が示すものがIP58xv氏と私とで「異なるものを指している」はずですので、誤解されているわけではないのかも知れません。
そこに共感できていないのであれば、「問題意識を共有」していることはないんじゃないかと
そうですね。私は「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行には解決するべき問題がある」と考えているので、「そこに共感」出来ないのかも知れません。
興味を失いつつあるということは目的は達成されたと
いいえ、残念ながら私の「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決する」という「目的」が達成される「見込みはゼロである」と予想しそれが強化されつつあるので「興味を失いつつある」のです。
そうだとすれば、あなたは真摯に議論を行うフリをして一体何をやっていたんですかね。
私は私の表現の所為で「IP58xv氏が気分を害した」ことから「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決する」意欲を失うのではないかと考えたので、該意欲を維持し議論が継続するように努めただけです。
ですが此処までの対話により私は、私が覚えている問題意識である「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決する」こととIP58xv氏が覚えている問題意識である「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行に対抗する為の制度が無い問題を解決する」こととはどうやら異なるようである、との疑いを覚えています。
もしもその疑い通り私が「問題意識を共有している」と誤解していたのであれば、私は本件問題提起に於ける議論に興味は無いわけです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月9日 (火) 02:40 (UTC)[返信]
なるほど、「そういう人」に遭遇したことが無い人なんですね。或いは「そういう人」が「そういう風」に見えない人なのかも知れません。どちらでも構いませんが。
「そういう人」って何ですか?いや、結構。議論に関係ないことを書き連ねないでください。
~~さらにそれさえもまたお互い様である場合が多いわけで。
お互い様で済むのであればコメント依頼やブロック依頼は必要ありませんよね。ところが現実はそうではない訳です。
そうですよ、wikipediaは「サークル活動の発刊する同人誌も同然」なんですよ。
なるほど、これは例えが悪かった。少なくともWikipediaは公共の利益に供することを目的としたメディアであってそのための各種ルールが存在している訳です。編集者同士、はたまた一部の人々の自己満足のためだけに存在するメディアではないということです。
「合意=多数決」は誤りだと言っているに過ぎません。~~
いずれにせよ、好ましい合意と好ましくない合意があるのは確か、と書いておいたはずです。あなたのそもそもの主張である合意であればなんでもいいということはないということです。
本当に不思議ですね。私は「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行には解決するべき問題がある」と考えているのに、IP58xv氏にはそれが「理解出来ない」なんて。何故でしょうか。
それが本当であればということですけどね。ただわたしは率直に言ってあなたの言をあまり信用できなくなっています。議論に関わりのない「そういう人」を始め、なんやらかんやらをちょいちょい中傷まがいの言辞も交え書き連ねる。一体何がしたいんだろうと思います。
あぁ、私が興味を失いつつあるのは~~
そういう疑念を持っているのであれば参加されなくて結構です。わたしもあなたのコメントに興味を失いつつ有ります。
言い方からは誤解されているようだと感じるのですが、もしも私の疑いが正しいならば「どんな合意」が示すものがIP58xv氏と私とで「異なるものを指している」はずですので、誤解されているわけではないのかも知れません。
勿体ぶらずに直裁的に書いてもらわないとわかりません。基本的に合意を目指す議論なんですから、わかりやすく書いてください。隠喩やら比喩やら勿体ぶった言辞に終始するのはやめてくれませんかね。疲れます。
そうですね。私は「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行には解決するべき問題がある」と考えているので、「そこに共感」出来ないのかも知れません。
同上
いいえ、残念ながら私の「各種議論や各種依頼における数を頼んだ議事進行にある問題を解決する」という「目的」が達成される「見込みはゼロである」と予想しそれが強化されつつあるので「興味を失いつつある」のです。
そうですか。ではそれでも結構ですよ。
私は私の表現の所為で「IP58xv氏が気分を害した」ことから~~
そうですか。としか言えませんね。少なくとも議題に寄与する話題ではないですね。あなたのこのコメントは。--IP58xv会話2015年6月9日 (火) 07:02 (UTC)[返信]
ふむ、相互理解は難しいようですね。迂遠な議論になりそうです。
私は既に本件問題提起に於いて、数を恃みにした有意義ではない議論進行が行なわれようとしていたことを指摘しました。これにはIP58xv氏からも賛意を得ましたので、問題は無いと考えます。
また同時に、私は制度導入の最大の問題は労働力の確保であり、それは何等かの決定(勧告も含めて)をする以上は深刻なコストとなる説明責任が要求されることから反対陣営により議論に巻き込まれるからだと主張しました。これには直接の賛意は得ていませんが、恐らく異論は無いものと考えます。
さて、ここでIP58xv氏が「特別に決定権を持たせた制度導入でなければならない」と考えているのではないという前提の話になるのですが。
例えば本件問題提起に於いて行なわれた「数を恃みにした有意義ではない議論進行」の問題は、何等の決定権が無くとも係かる議論進行を制御することが出来れば、問題は解決するのではないかと考えます。もしもIP58xv氏もこれに賛意があるようであれば、決定権が無いならば説明責任も不要なので導入コストは想像より低くなることから色々と案を出し易くなるのではないかと考えるのですが、如何なものでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月9日 (火) 08:37 (UTC)[返信]
何事もなかったような素振りでしれっと続けられても困ります。こうした場合、普通は自らに対する疑念を払拭し、信用を取り戻すところから始めると思うのですが、その点、いかがお考えですか?--IP58xv会話2015年6月9日 (火) 09:25 (UTC)[返信]
「ウザい輩だ」と思われたらしいとは思いましたが、「疑念を抱かれている」とは思っていませんし、以って「取り戻すべき信用」があるとも思っていません。発言内容からは、「私ことCray-Gに対してIP58xv氏は疑念を抱いている」と主張しているように思えるのですが、そうなのでしょうか。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月9日 (火) 10:03 (UTC)[返信]
司法の役割の必要性が感じられませんし、そもそも現状で司法の役割を果たしているものがいるとすれば、特定の編集者に肩入れして削除行為や投稿者ブロックを行うような悪質な管理者ではないでしょうか?--ラズベリーそば会話2015年6月10日 (水) 13:48 (UTC)[返信]