Wikipedia:井戸端/subj/なぜ学術的資料の信頼性は高いことにされているのか?

なぜ学術的資料の信頼性は高いことにされているのか?[編集]

Wikipedia:信頼できる情報源

「もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます。」
「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。」
「二次資料
ひとつまたはそれ以上の一次資料または二次資料を要約したものです。学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。」

となっているのは何故でしょうか。


官公庁の資料は「政府の公表物は信頼できることも多くあります。しかし、政府の信頼性のレベルには大きな幅があり、しばしば、あからさまに情報の隠蔽を許容したり、全くのごまかしを発表したりする様な事を行って、自らの権益を保持することがあります。」
宗教の資料は「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります。」 「一次資料、つまりそうした組織の意見を論ずる記事に含まれるというのは例外です。ただしそのような場合でも、非常に注意して使うべきであり、他の情報源で裏付けすべきです。」
こうなっています。

学術資料は「もっとも信頼できる」とさえ言われていますが、そこまで信頼できるものでしょうか。なぜ官公庁資料や宗教的資料は、学術資料よりも信頼できない扱いをされているのでしょうか。この書き方だと、政治的記事や宗教的記事であっても学術資料で記事を作ることを推奨しているかのように見えてしまうのではないかと思いますが。--125.2.187.138 2018年8月10日 (金) 13:24 (UTC)[返信]

元も子もないことを言えば、まさに「政治的記事や宗教的記事であっても学術資料で記事を作ることを推奨」しているんです。むしろ、政治的記事で官公庁の資料や、宗教的記事で宗教的資料は、一次資料(当事者)になるのだから、避ける理由が増えると思います。官公庁資料に関して言うのであれば、それが統計データであって、一般的にも客観的にも学術的にも異論がないのであれば、そのまま乗せればいいですが、逆にその前提が1つでも満たせないのであれば、あくまで官公庁の資料ではこう出ていると、出典元を記事本文で明言した上で引用することは問題がなかろうと思います。ただ、反対的な学術的出典に基づく意見などがあれば、そうしたものを中立的観点を踏まえて併記なりする必要もでてきます。
ただし、注意すべきは、アカデミックな場所から出た=学術的資料ではないです。学士論文を学術的資料というのは難があるし、あるいは著名な憲法学者であっても、門外漢である国際関係論に関する意見表明やコラムに学術的資料としての価値はないです。--EULE会話2018年8月10日 (金) 13:56 (UTC)[返信]
コメント まず小生には「官公庁資料や宗教的資料」と学術的資料がバッティングする局面が少々思いつかないのですが、まあ言ってしまえば「根拠の在りやすさ」「朝令暮改のしやすさ」にあるでしょうな。例えば学術論文は「教授と生徒が署名し」「概論から結論まで首尾一貫していることが求められ」「第三者検証が可能であり」「査読を受けている」等、複数の要因によって信頼性が担保されております。では官公庁資料や宗教的資料のすべてがそのような厳密な手続きを経て世に出ているかと言うと、そうもいかないわけです。ただ官公庁であれば第一次資料は(よほどの下位組織でないかぎり)政府や政党の体面を懸けて行われるわけですからその点をして信頼でき、宗教的資料…経典も同様です。ただ、Wikipediaはそういった言説を総括したり取捨選択して一方を掲揚する場ではありませんので、よほど問題(例えばその官公庁資料が各国から認められていないクーデターによる政党のものであったり、その宗教団体が明らかな反社会的カルトであるなど)がないぎり普通は両論書かれるべきであり、その際にまず当事者性が少ないであろう学術的資料が重視されるわけです。簡単な例を挙げると、某国某地で現代に伝わる某宗教Xの失われた秘密分派Yが確認され、それについてYの記事を立項するとして、通常は「(当事者であり、従ってY発見の報を自身の宗教的権益の拡大に使われるかもしれない)Xの教祖Zのお言葉(宗教的資料)」より「Yがどのようにして分派し隠滅されたかという第三者の歴史学的資料ZZ」が信頼性としては上位であり、この場合ZZを核に記事を執筆すべきでZについては「この発見に対し、ZはYについて意見を表明している。」などとすべきであるわけです。憚りながら一抒致しました。--力在領域会話2018年8月13日 (月) 18:01 (UTC)[返信]
コメント 大学や学術団体には、左翼学者の息がかかっていますが、大丈夫なのでしょうか。--114.175.144.99 2018年8月15日 (水) 23:56 (UTC)[返信]
そのような疑問を挟むこと自体がナンセンスだと言わざるを得ません。学術的資料の価値を貶めたところで、政府や宗教団体の出す官公庁資料や宗教的資料が根本的に抱えている構造上の問題が解決されるわけではありません。逆に学術的資料が信頼性に乏しいというなら、じゃあ、信頼性の高い資料とは何ぞやという話になってしまいます。
また、学術的資料だからといって盲目的に正しいと判断する必要もないし、それは問題です。その学術的功績や範囲を離れて、特定個人や特定団体の思想信条や価値観が反映されているのだとすれば、「〇〇大学の〇〇はこう指摘している」というような形で主張者を明示的に記述したり、その反対意見を中立的に併記することがウィキペディアとして妥当です。当該の文章はあくまで相対的な信頼性の高さについて述べているのであって、学術的資料であれば何でも、どんな引用や参照でもOKと言っているわけではありません。--EULE会話2018年8月16日 (木) 01:10 (UTC)[返信]
コメント ほう、それはそれは…そのような極めて広範で大胆な発言には確かな根拠がお有りなのでしょうか。貴殿は人身攻撃に基づく立証が困難な案件を提出されたので、貴殿にはそれを証明する義務が生じました。すなわち、「『左翼学者の息がかかっている』から『その大学や団体の資料は信用ならない』ということ(またはその逆)を示す根拠」(※教授個人や研究チームや研究会やゼミではなく、大学や団体そのものの思想傾向が各資料の学術的信頼性を毀誉褒貶するという例示)を示していただきたく願い申し上げるものであります。
(余談ではありまするが、国外ではUSSR下でチェレンコフ光の発見に寄与し1958年のノーベル物理学賞を得たパーヴェル・チェレンコフ氏ら三人や、現代中国アルテミシニンを発見し2015年のノーベル生理医学賞を共同受賞した屠ユウユウ氏など、左翼としてみなされうる政党下で思想に関わりなく国際的な賞を受賞し(当然、思想によって受賞が左右されなかっ)た学者が既に存在する例を挙げることは、ウィキペディアンであれば容易であろうと思われます。)
憚りながら陳述いたします。詭弁はおやめ下さい。(このトピック自体もその傾向はありますが)貴殿の発言は理性を感情や思いこみで否定する愚に陥っており、三大方針に抵触して居ります。--力在領域会話2018年8月16日 (木) 16:59 (UTC)[返信]