Wikipedia:井戸端/subj/どちらが見やすいでしょうか?

どちらが見やすいでしょうか?[編集]

初めて井戸端に話題を追加します。
こちらの記事とこちらの記事、またはこちらの記事、どちらが見やすいでしょうか?
先程前者のページ作成者と論争っぽいものをしましたが、Wikipediaは誰が見ても分かりやすい、見やすい記事を作成することがWikipediaのスタイルではないでしょうか?
どちらの記事が分かりやすいでしょうか?回答いただけると幸いです。--Dibro 2011年10月5日 (水) 05:35 (UTC)[返信]

挙げられている記事で何を比較しているかまったくわかりませんでしたのであなたの投稿履歴を見ましたが、箇条書きすべきかどうかを問いたいのですね?
基本的に見易さというのは主観的な話なので個人によって変わります。箇条書きした方がいい場合もあれば、かえって見難くなる場合もあるので一概に言えません。その辺りの区別はWikipedia:箇条書きWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるあたりが参考になるでしょう。まあ、こういったガイドラインがわざわざ作られてるということは、大半の箇条書きは問題があるという証左でもあります。
それを踏まえた上であなたが問題視された編集については、どっちでも構わないと思います。失礼ながら、どちらが特に秀でているとかそういうレベルにない。しいて言えば、元が短い物をわざわざ節で分化するのはかえって見難くなると思います。これとかですね。ある程度に内容が膨れれば、受賞歴などを箇条書きでまとめるのは読みやすくする行為になると思います。まあ、この辺りは定義文を「概要」としてまとめてしまう行為の話にも繋がるかと思います。
そういうわけで、あなたの編集について、特段、読み易くなったとか、かえって読み難くなったとか、そういった感想は持ちません。ただそれは、あなたが読みやすくしたと思っている編集が、単に履歴を無駄に重ねる無意味なものであるという指摘でもあります。新たに加筆する場合はともかく、既にある記述を補正と称して編集するのは控えた方が良いと存じ上げます。あと強制改行は基本的に用いないでください。--EULE 2011年10月5日 (水) 06:15 (UTC)[返信]
EULEさん、返答いただき光栄です。個人設定の項目で編集履歴を見ましたが340回、編集しているってことになっており、実際に自分が記事を作成し編集していたりするのは50回にも満たないかと思いました。
詳らかな説明、ありがとうございました!--Dibro 2011年10月5日 (水) 07:57 (UTC)[返信]


「見易い」には複数の意味があります。
  • 主題や概要を掴み易い
  • 興味の無い内容を読み飛ばし易い
  • 論理構造と表示構造の一致
  • 不要な情報が無い
  • 文字が少ない/文が短い/情報量が少ない
  • 難解な文字や記号、数式、概念、専門用語等が無い
  • 読まずに眺めただけで読んだような気になれる
  • 「眺めただけで読む気を無くす」ようなことが無い
また「わかり易い」というのは、
  • 概念や専門知識等の前提知識の有無
  • 理解する意欲の有無
  • 読解力の有無
  • 理解したい内容(書いてある内容との差異)
  • 立脚する観点の相違
等の「読む側の事情」により影響を受けるものです。
そして「見易い」と「分かり易い」の他に「読み易い」という判断基準もあります。
Wikipediaが目指すのは、実用的な情報量を維持したまま、当該知識を求めている人の中で可能な限り多くの人にとって分かり易い(=なるべく多くの「読む側の事情」に対応した)、なるべく見易く読み易い記述を行なうことです。その点箇条書きは、「論理構造と表示構造が一致」している場合に限っては「興味の無い内容を読み飛ばし易い」とか「文字が少ない/文が短い/情報量が少ない」等の見易くする効果が得られます。ですがそうでない場合は、「文字が少ない/文が短い/情報量が少ない」ことで必要な情報量が喪失されて却って分かり難くなるものです。見易い、或いは読み易い記述を行なうことは、分かり易い記述を行なうことに優先されることはありません。同様に分かり易い記述を行なうこともまた、実用的な情報量を維持することに優先されることはありません。
残念ながら私は挙げられた記事の人物に関して詳しくなく、また私が詳しい分野に関わる人物でもないようですので、箇条書きになることでどれぐらい「分かり易くなる」のか、或いは「分かり難くなる」のかを判断することが出来ません。またそれを判断する為にそれらを勉強をこれから行なおうとも考えていません。ですので一般論として答えさせて戴きました。
ついでながら、単に貴方の目に美しく映らせるだけの為に無意味な強制改行を用いることはやめて下さい。世界中のbotや情報処理設備とその管理者達に要らん負担を掛けてWikipediaの有用性を下げることになってしまいます。文の意味と一致した意味の文法を用いるように心掛けて戴きたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年10月5日 (水) 08:58 (UTC)[返信]
コメント 芸能人記事などで見られがちな、とりとめのない多量の(しかも時として出典が無かったりテレビで見ただけだったりする)箇条書きは、これはやめるべきです。箇条書きについては「些末なトリビアを迂闊に追加しやすい」と言ったいち側面もあり、ハードコア系の執筆者は、そう言った意味でも遠慮したがっているのかもしれません。ですが、箇条書きの方がわかりやすい例などいくらでもありますし、また先ほどの言葉の裏返しになりますが、成長途中の記事の場合は箇条書きまたは事実上の箇条書きの方がメンテナンスが楽だと言う側面もあると思います。
具体的には、お示しの乙案件[1]ですとどうでしょう。この様に年譜が箇条書き形式の時は、ついうっかり別に無くてもいい冗長・些末な記述が紛れ込んでいる場合が多々あります(ただし題材について私は知識を持たないので、判断はできませんし、改善案も示せません)。丙案件[2]の様な、いわば年譜を文章で説明しているケースですと、余計なものが紛れ込む余地は比較的低いのですが、何か経歴を足したり引いたりしたい時にはるかに「編集に手間がかかる」のはおわかり頂けるでしょう。本日たまたま私が手を入れた記事[3]などは、折衷案とみなせるのでしょうかね。
各々の題材についてどちらがよいのかは、結局はケースごとで、どちらに傾くにしても原理主義はナンセンスです(ただしやはり長大些末な箇条書きは避けましょう)。もし特定の記事で議論が発生するなどした場合は、Wikipedia:コメント依頼などで、外部の編集巧者を呼び入れ、意見の調整をはかってみてください。--Hman 2011年10月5日 (水) 10:08 (UTC)[返信]
森田健作←この記事は「セリフは全て太字にする」という規則で書かれているようです。記事ごとにルールはさまざまなようですね。