Wikipedia:井戸端/subj/「晩年」の誤用

「晩年」の誤用[編集]

「晩年」という語は故人の死去前の数年を意味するはずですが、存命人物の引退前の時期(確認した例は情熱の砂漠加藤英司桑原隆)、あるいは無生物(確認した例は九段下ビル鉄道コレクション新潟交通モワ51形電車東濃鉄道笠原線銀座7丁目劇場阪急西宮スタジアム萬年社)に対して使われている場合があります。以前にも修正した記憶があり、もしかすると誤用が少なくないのかもしれません。これを書いている途中に見つけたのですが、意味合いは違うものの、7年前にもWikipedia‐ノート:避けたい言葉#俗語を用いた説明について(井戸端より)で指摘されていました。

無生物であれば(擬人化が慣用化している分野はないと思いますが)単なる誤用にとどまるでしょうが、存命人物での誤用は失礼で、問題が大きいと思います。とはいえ、この手の誤用は著作権侵害を見つけるヒントにもなりそうなので、あまり性急に修正してしまうのも避けたほうがいいのかな、とも思います。おそらく日本語特有の問題なので、他国語版の方針では考慮されてこなかったのかなと思いますが、なにかいい対策はないでしょうか。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2012年7月10日 (火) 18:33 (UTC)、一部修正 2012年7月10日 (火) 18:56 (UTC)[返信]

ちょっと調べてみましたけど、ウィキペディア編集者による単純な誤用とも言えないようです。加藤英司桑原隆の「現役晩年」ですけど、スポーツ記事では比較的よく使われる表現のようです(、他にもあります)。記事の出典となる文献でも使われているような場合にも訂正するのは正しくないでしょう。とりあえず、機械的・一律な訂正は避けたほうがよさそうです。--Bugandhoney会話2012年7月10日 (火) 19:03 (UTC)[返信]
たしかに「現役晩年」のように限定を伴った表現であれば誤用ではないかもしれませんね(とはいっても、あまり望ましい表現ではないと思いますが)。いずれにせよ、機械的な修正は不可能だと思っています。可能なのはWikipedia:存命人物の伝記等で注意喚起するぐらいでしょうか? --KAWASAKI Hiroyuki会話2012年7月10日 (火) 19:35 (UTC)[返信]
いや、私のポイントとしては「誤用」が信頼できる情報源にまで広がっている場合は、そのままにしておいたほうが正しいということです。ウィキペディアには正しい日本語を普及させる、などという使命はありませんので。新聞の人物記事だと、「晩年」は基本的に亡くなった方だけで使用されてますけど、「情熱の砂漠」式の「(創作)活動の晩年」というのもちらほらと見つけることができました。鉄道車両を擬人化して「晩年」という言葉を使っている記事はたくさんありますね[1][2][3]。鉄道車両を擬人化するのは中立的な観点から問題があるかもしれないです。主題に対して思い入れがあるのであって、適切な距離が取れてませんので。--Bugandhoney会話2012年7月10日 (火) 20:42 (UTC)[返信]
この辞書に拠れば「死去前の数年」だけとは限定していませんので、「誤用」とは言い切れないのではないでしょうか。日本語は多義的な用法がありますので、1つの用法だけを認めて他を誤まりとすべきではないでしょうし、本件では私は辞書を根拠としましたが、辞書は用例としては古い用いられ方を中心に集めていますので、他の新しい言葉では辞書すらもあてにできない場合があるでしょう。要するに、世間一般に広く用いられるようになればそれが正しい用例となるわけです。偉そうに書いて申し訳ございません。--Shigeru23会話2012年7月11日 (水) 09:17 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── ここで問題にしているのは、すでに没しているという意味の表現を存命人物に使用するのは名誉毀損にはあたらないにしても失礼であるということです。たとえば「現役晩年」(スポーツ紙で多数の用例が確認できるものの、Googleで検索するかぎり主要紙では用例が見当たらないのは対象分野の違いか、記事公開期間の違いか、それとも用語基準の違いか分かりませんが)であれば(死没ではなく)引退前の時期を意味しているのが明らかなので、あまり問題はないと思いますが、こういった限定なしに「晩年」という表現を使用するのは避けるべきだと思います。

問題を提起するにあたって、事前に『新明解国語辞典』(第五版)、『岩波国語辞典』(第四版)、『大辞林』(第二版)、『大辞泉』、『広辞苑』(第五版)、『日本語 語感の辞典』、『使い方の分かる類語例解辞典』で語義を確認しています。いずれも手元で利用できたもので、最新の辞書ばかりではありませんが、ご指摘いただいた記述を含め、いずれも生涯の終わりに近い時期という意味で共通しており、死期と関係しない語義を認めている辞書はありません。問題の性質上、死期と関係しない語義を国語辞典が広く認めないかぎり、「晩年」を存命人物に使用するのは不適切だと思います。

記事をちゃんと読めば存命であることは明らかだ、という意見もあるかもしれませんが、頭から目を通すことを前提とするのもおかしな話ですし、「晩年」という表現の対象が記事の主題となっている人物とも限りません。

無生物の「晩年」はおそらく擬人化を意識しているわけではなく、単なる誤用だろうと思うのですが、どうでしょうか。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2012年7月15日 (日) 13:35 (UTC)[返信]

コメント 辞典が出てきたので、1件だけ書き込みます。1992年発行、三省堂国語辞典の第四版(小型版)では、「職業生活」を挙げ、「現役時代の晩年」という用例を紹介しています。--Frozen-mikan会話2012年7月15日 (日) 13:51 (UTC)[返信]
ご教示、どうもありがとうございます。現時点では死期と関係しない語義が広く認められているわけではないと思いますし、三省堂国語辞典での用例も誤解の余地がないものですので、限定なしの「晩年」という表現はやはり不適切かと思いますが、とはいえそれほど目くじらを立てる必要はなく、気がついたら修正する程度で充分、というところでしょうか。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2012年7月15日 (日) 13:59 (UTC)、一部修正 2012年7月15日 (日) 15:30 (UTC)[返信]
鉄道車両の出典となるようなメディアの記事に関しては擬人化だと思います。「1965年うまれ」や「寂しい晩年となった」というような表現もありますので。おそらく、こういう表現に慣れているウィキペディア編集者が記事でも使用しているのではないかと。(誤用であれ擬人化であれウィキペディアの鉄道車両の記事では避けたほうがいい表現だと思います。)--Bugandhoney会話2012年7月16日 (月) 14:31 (UTC)[返信]