Wikipedia:コメント依頼/Comy9

利用者:Comy9会話 / 投稿記録 / 記録さんの対話姿勢、日本語能力などについてコメントをお願いします。

経緯[編集]

Comy9さんは昨年10月にWikipedia:削除依頼/水原佐保を提出されました。長らく賛否はつかず審議は停滞していましたが、12月に削除票、今月に入り続けざまに存続票が入り、12日に伊佐坂安物により存続の判断が下されています。削除審議の最中に作者記事をなくすため青春俳句講座 初桜がComy9さんによって作成されており、審議狩猟の直後、作者記事はComy9さんによって書籍記事にリダイレクト化され[1]、昨日になってそれを不服としたPinkpastelさんに差し戻され、以後ノートで議論が続いています。私はリダイレクト化の議論自体はあってもよいかと思っています。しかし存続を不服(記事のノートではっきりと言明されています[2])としたリダイレクト化を強行するのはいかがなものかと思い、ノート:水原佐保#リダイレクト化についてでそのことを指摘させていただきました(その点に関してのお返事はありませんが)。さらに、議論相手のPinkpastelさんにも少々ヒートアップされている部分があったので、利用者‐会話:Pinkpastel#水原佐保についてでその点を指摘し、お返事をいただいております。

被依頼者の反論や説明は色々と言葉が足らぬ点が多く、非常に理解が困難であることからその点をノートで繰り返し述べさせていただいておりますが、ある時点から私はこの方の日本語そのものに違和感を覚えるようになりました。それについてはノートでも具体的に指摘しており、またGtorewさん同様の感想を述べられています利用者‐会話:Comy9でも質問させていただきましたが、自身は日本語を母語としており、「様子見を兼ねて、あえて省略しています。あくまで自分からは語らない者かどうか。騒ぎが起こり,「日本語」とまで言ってくれる者が現れるまで隠れ,急に姿を表すか。」とコメントされました。そのことは誉められたものではない、むしろかなり不適切なように思えますが、本人が意識しそうしているというのであれば確かにある部分ではそうなのでしょうが、やはりこの返答を見る限り、この方の日本語は独特といいますか、捉えどころのない何か暗号をちりばめたかのようなものと化しているように思えてなりません(今になって気付いたのですが、ノート:水原佐保といい、何ゆえ文中の「、」の中に「,」がたびたび混じるのでしょうか)。先月のノート:タルト・タタンノート:8センチCDなどではそこまでおかしな点は見られないように思うのですが(ざっと読みなので私が気付いていないだけかもしれません)、よく読むと削除依頼の中のコメントも微妙かなと感じたり、利用者‐会話:Comy9/過去ログ1におけるコメントも、少量ではありますが結構怪しい部分が目あるように思えます。ノート:水原佐保にいたっては、ほとんど片言の日本語のような状態です。果たしてこの差は何なのか、流石に中の人が複数おられるとは思いませんが、推敲時間の問題なのか被依頼者が言うように全て意図的なものであるのか、判断に苦しむところです。

上記のような疑問を踏まえ、現状ではノートページの議論の解決も容易ではないと考え、コメント依頼を提出させていただきます。--Aiwokusai会話2018年1月19日 (金) 20:05 (UTC)[返信]

依頼者コメント[編集]

なにやら納得されたかのようなコメントがされたように見えたのですが(依頼者とはComy9さん自身のことだとは思いますが)、被依頼者の2018年1月19日 (金) 20:31のコメントに関しては、どのように捉えればよいのでしょうか。なにやら茶化されているように見えるといいますか、どう考えてみても不必要なものに思えるのですが。他の方のコメントを待ちます。--Aiwokusai会話2018年1月19日 (金) 20:40 (UTC)[返信]

当依頼なども含めて存在しますので念のためそこに触れています。そもそも茶化すような「ゆくゆくは編集者の日本語能力基準として方針に至るほどの有意義な日本語能力議論の機会になれましたら幸いです」というコメントをされておきながら、そこに対する指摘にでなく、依頼者が誰であるのかという部分にのみ反応するのは不誠実でしょう。問題のノートページでも被依頼者にはそういった点が見られました。日本語やその他の点について、まともに受け答えや説明をされる気がないのでしたら、どうかご遠慮ください。それだけでは対話拒否とはみなされることはありませんので。--Aiwokusai会話2018年1月19日 (金) 21:01 (UTC)[返信]

(2018年1月19日 (金) 21:42 (UTC)宛て) 知る知らないが今回の話とどう結びつくのか不明ですし、記事の削除・存続かにあたっては削除依頼や記事に書かれている内容が全てでしょう。一般論を述べられているのかこの記事の話をされているのか釈然としません。『右から左で結局分からない方』とはこの場合具体的に誰を指し示しておられるのでしょうか。言葉遊びになっているように思えます。議論するにあたって重要なのは、個人のポリシーなどでなく、礼儀を忘れずWikipedia:説明責任を果たす、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。最後はおっしゃっていることが理解しかねます。今後いずれかの場で議論に参加される際は、普通の受け答えをされるようお願いします。ひねたような言葉受け答えを態々する必要はありませんし、それで日本語能力に疑問をもたれるのはご本人の責任でしょう(Comy9さんが本当に普通の文章を書こうと思えば書けるのか、その真偽については不明なままですが)。そういった態度や対話姿勢を第三者が見てどう感じるかをよくお考えになってください。--Aiwokusai会話2018年1月19日 (金) 21:56 (UTC)[返信]

本日の被依頼者のコメントを拝見し、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Comy9を提出させていただきました。--Aiwokusai会話2018年2月18日 (日) 13:01 (UTC)[返信]

被依頼者コメント[編集]

理屈として理解はしましたのでリダイレクト強行も,事前協議も行える立場ではなくなりましたので取り下げます。

強行の理由についてですが、依頼者の奢りがあったからで,今後は踏み切ったものであることを理解し,事後報告としてでなく,事前に同意を求めたいと思います--Comy9(利用者‐会話) 2018年1月19日 (金) 20:15 (UTC)[返信]

日本語能力に関しましては,どうぞ個人攻撃にならぬよう,ゆくゆくは編集者の日本語能力基準として方針に至るほどの有意義な日本語能力議論の機会になれましたら幸いです--Comy9(利用者‐会話) 2018年1月19日 (金) 20:31 (UTC)[返信]

日本語能力で何か問題があるのでしょうか。共同作業ではありますが仲良しこよしではありません(今回は管理関係で作者を知らなくても、管理系ならば誰でも口出しできるという事情があったまでのつもりです)。ある程度の知っている/知らない仕切りは必要だと思っています。話しても右から左で結局分からない方が求めているのは、一から十まで全部掘り下げることではなくて、要点を相手に突くというポリシーがあるからです
それが思い込みであった、信じていなかった、右から左でも,それでも聞き入れる姿勢自体に誠意の意義がある,というならば反省のするところでありますが、日本語能力とまで根元を疑われるとは残念です--2018年1月19日 (金) 21:42 (UTC)

Aiwokusai様

ご自分で「Comy9さんは昨年10月にWikipedia:削除依頼/水原佐保を提出されました。」と言っておきながら「依頼者」が誰なのか結びつきませんか。あるいは、逐次確認をとっているのですか--Comy9(利用者‐会話)

Pinkpastel様

削除依頼は,削除という合議であって、あくまでその名の合議であり,裁判とまで権限を持つことはありません--Comy9(利用者‐会話) 2018年1月19日 (金) 22:24 (UTC)[返信]

Wikipedia:合意形成Wikipedia:論争の解決Wikipedia:ノートページのガイドラインを見ましたが,合意が異議を認めない,「義務」とまで強い拘束力を保有するとの文面は見当たりませんでした。むしろ反対に対しては「新しい合意」とあります。よって、手順をおさらいすると、まず私がリダイレクトを強行し,Pinkpastel様が反対し,私が新しい合意を持ちかけましたが、Pinkpastel様から、リダイレクト強行による、あらためての反対があったので、新しい合意が即時終了という形になっています。一連の流れを私はそのように理解しています。参加者に「義務」とまで結論の不動を約束させるウィキペディアの方針文書はどこのウィキペディア方針文書でしょうか--Comy9(利用者‐会話) 2018年1月20日 (土) 06:14 (UTC)[返信]

突然の不参加をお詫び申し上げます。理由は、常駐での一級事項な編集活動が一段落して自身による一切の停止措置は何ら問題はないこと、「何たら法で制定されている」等、「法的な脅迫をしない」「法律家ごっこ」いったことを持ち出すのも馬鹿馬鹿しくなってコミュニティーに自浄解決を委ねた(投げた)こと、そもそもが「Wikipedia日本語版」への参加は趣味の云十分の一の思い入れとしての参加で、自身でいつでも停止をかけれれるほど活動停止は何ら問題はなかったこと、参加状況が混在して依頼単位に一歩引いて発言の如何によらず参加者そのものを判断材料としたかったこと(「敵を騙すには味方から」です)、削除依頼に「裁判」がどうたらと、もやは無理矢理構成な論理パズルの、賢い/馬鹿だ、な口喧嘩になってきて収支がつかなくなり「本人」が「説明」する状況ではなくなったこと、色々とウンザリしたこと、以上です。

さて大きく2つ。

1つ目は「水原佐保」削除依頼について。

既に発言していることですが改めて。不参加間に思ったことは、その間に作者名を聞く機会はあるかということでした。答えはありませんでした。「私」自身の編集活動存続と天秤に書け、いるもいないも、よく分からない作者記事に固執するよりは、存続の現実を受け入れる方が適切であると考え、見送りとします。

異議申し立てについて。「法がどうたらこうたら」ですが、日本として法的効果のない海外の法律をこじつけたものであったり、文面に法的信用が備わっていなかったり(「Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意」で「著作物であるための要件(著作権法2条1項1号)を満たせば著作権が発生します」といった、これは何たら法の第何条に裏付けがされたものだ、と言った文面ですね)法に明るい方が、いくら口頭で説明しようが、所詮法律家ごっこであり無意味という事情です。

ウィキペディアは財団の運営です。財団として社会的責任が求められます。が、参加者は財団職員に率いられたボランティアです(権威としても、管理者から常駐、ベテラン、初心者まで、全員財団職員の、いつの間にやら仕事をしてくれているコマの位置付けにあります)。コミュニティーは、このボランティア間での集まりに過ぎません。コミュニティーの決断に異議を唱えることは、オフ会で意見するようなものであり,何のウィキペディアやコミュニティーへの挑戦や反逆行為でもありません。同じボランティアとして、参加者として、コマの井の中の蛙として当然の権利の認識です。

2つ目は「私」自身の対話能力(説明責任)について。

一歩引いて思ったことは、「対話能力」というのは実は建前で、直前の対応や会話を依頼者が拾ったこともあり、私の発言や編集に後続が続かないのは、私自身に問題点があるのではないかを疑ったのではないか、ということでした。

結論は,私の各記事履歴をご覧ください。「鬱陶しい奴が消えてくれた」「牽制、やったー! これで参加できるー!」ならばネット歴ニフティーサーブ/Windows 95時代からの20年近く、編集者としては寝かせ期間を置いて10年の者として、「時代が変わった」と、ネットその物を引くだけの精神的、ネットスキル的器はあるつもりですが……答えは「ない」ということでした。これを「状況証拠」といいます。説明などいりません。事実が全てです。

対話に対してですがWikipedia:ウィキペディアについてをご覧ください。ここは、まず記事本編集ありきの場所であり、編集を差し置いて対話の場所ではありません。正しければ残り、間違えていれば各自で修正、または除去する。これが記事編集の原理・原則です。対話は何のためにあるのかというと、この原則論で解決できない微妙な話題(たとえばAという資料で「A」と書かれている資料とBという資料で「B」と書かれている、どうするか等)のためにあるものです。ちょっと「対話」機能があるからといって、発言を拾って「対話能力」というものは発想の飛躍というものです。白黒がはっきりしている(著名人の死亡年月日等)ことに、それすらも参加者が出自不明で編集できない、(自分が分からないから)全部説明しろ,説明責任だ、全うしろ、というのならば、それは不参加を言葉巧みに当事者に擦り付けた甘えでしかありません。参加しないなら参加しないで結構です。無駄に疑惑好きに餌を与え、放火を「第三者」大義として仕向けさせることになり、バックに第三者がいて釈明に困り迷惑です。

参加者から「説明責任」と掲示を受けましたが、ウィキペディアにおける「説明責任」と言うものは「編集者本人見解」「編集の通り」程度のものであり、客な相手を口頭説明をもって納得させる義務ではありません。ウィキペディアはガイドブックではありません、が、「説明責任」が、編集者が一から十まで責を負う網の目すり抜け手段にとって代わるカードでもありません。編集者は出典を正としている素人なので、その意味で、説明の指摘を受けようが受けまいが,本来の説明責任を負う立場にはありません(編集に伴う一切を擦り付けとしては、所詮素人の事実積み重ね作業なのです)。正は依然として本編集であり、出典であり、その出典著者にあり、その対処手段は「除去」という編集作業を第一として行います。何も知らない第三者が、同じ素人の編集者から説明を聞き、納得し、意見を提言までするというのは、とても難しく、不可思議なことなのです。

編集で争い(編集合戦、罵り合い)が起こればどうするか。

  • 保護依頼
  • 激しい側をブロック依頼あるいは関係者全員ブロック(正しいとか間違っているとか、そういう問題ではない、という理由です)
  • ブロックの警告を呼び掛け

以上です。

対話など、余程のことがない限り、必要はない位置付けなのはお分かりになられると思います(黙って事実を積み重ねる理由は、犬がワンワン吠え合うのと同じです。寄ってくることへの事前抑止措置であり、説明しても相手が納得しないことが、むしろ常だからです。(年少者や暴走老人な)初心者でこそ、事実よりも物言いする自身のメンツを大事にするものですから)。元々対話というものは初心者がすべき事項ではないのです。「対話ができないから問題だ」というのは、とてもおかしな事象なのです。ではどうするかというと、黙ってヘルプガイドブックを読むのです。まずは自分自身で。「ネット」の基本ですね。まず聞く人が、対話の位置付けに益々分からなくなり「対話能力」などという構図となっています。

ここは全員参加の場所です。観客は一人もいません。個人サイト管理人→(←)観客構図とは全く事情が異なります。観客は軍人で言うところの予備役のような位置付けにあります。コンビニで動画撮影して、はしゃいでいたら、客が逮捕されたという事件がありましたが似たようなものです。現実社会と同じで、客に「自分たちは客だぞ」と酔える余地はありません。客自身には野次馬の引け目や礼節を求められます(もちろん私は「全員参加」に「ご自分でどうぞ」と、客には客にこそ礼節を求め、見て見ぬふりとして暗に背中を押している側の者です。言いますよね?「バカは死ななきゃ治らない」)。

「説明」はしましたので私からの説明または返信は正式に以上(クローズ)とさせていただきます。勝手にどうぞ。(ネット)初心者、小中高大生、学びたての学を披露したい生意気盛り、自称専門家のエンドレステープに付き合うほど、ヒューマニストでも、常識人目線正義の味方/英雄でも、お喋りでも、対話その物を目的としての参加も、不参加=逃げた、な子供のタケノコドングリの背比べ争い(議論を通り越した口喧嘩)への興味も、Wikipedia日本語版編集をネットの全てとする常駐のウィキペディアンでもありません。「趣味」です。

記事本編集相違として各自話し合い、そして、お会いしましょう--Comy9(利用者‐会話) 2018年2月17日 (土) 17:22 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメント Aiwokusaiさん、本コメント依頼を提出してくださり、ありがとうございました。

被依頼者は2017年10月14日 (土) 13:32 (UTC)にWikipedia:削除依頼/水原佐保を提出しました。すなわち、被依頼者自身が水原佐保という記事を削除するかリダイレクト化するか存続とするかをウィキペディアのコミュニティの判断に委ねたわけです。Wikipedia:削除依頼/水原佐保において約3か月間にわたる議論の末、2018年1月12日 (金) 13:42 (UTC)に伊佐坂安物さんにより、「存続」との決定が下され、Wikipedia:削除依頼/水原佐保は「存続」との結論で終了しました。

にもかかわらず、被依頼者はWikipedia:削除依頼/水原佐保の結論が出た直後に水原佐保のリダイレクト化を強行し、なおかつ水原佐保のリダイレクト化についての審議を提案するという暴挙に出ました。これは被依頼者自身が2017年10月14日にWikipedia:削除依頼/水原佐保を提出し、水原佐保の存続の是非をコミュニティの判断に委ねたことと真っ向から矛盾する行為であり、エストッペルの原則に反することであるため許されません。また、Wikipedia:削除依頼/水原佐保において約3か月間にわたる議論の末、コミュニティが「存続」との結論を出したにもかかわらず、その直後に水原佐保のリダイレクト化について再び議論を提案することは一事不再理の原則に反し、許されません。

今般の被依頼者による水原佐保のリダイレクト化強行およびリダイレクト化の議論の提案は、ウィキペディアのコミュニティに対する重大な挑戦であり、破壊行為に該当すると考えます。--Pinkpastel会話2018年1月19日 (金) 22:12 (UTC)[返信]

  • 被依頼者は「削除依頼は,削除という合議であって、あくまでその名の合議であり,裁判とまで権限を持つことはありません」と述べていますが、Wikipedia:削除依頼/水原佐保を提出したのは他ならぬComy9さん自身であり、自ら水原佐保の削除依頼を提出して水原佐保という記事を削除するかリダイレクト化するか存続とするかをウィキペディアのコミュニティの判断に委ねた以上、コミュニティが下した「存続」という結論には当然、従うべき義務があり、Comy9さん自身がWikipedia:削除依頼/水原佐保を提出しておきながら、その結論に従わないなどということは全く矛盾した行動であって、エストッペルの原則に反するため、一切、許されません。--Pinkpastel会話2018年1月19日 (金) 23:17 (UTC)[返信]
  • リダイレクト化強行や、問題をこじれさせるようなふるまいを被依頼者が意図的行ったと主張していることで憤慨されるお気持ちは分からないでもありませんが、会話ページでも述べたとおり議論提起そのものは構わないものであると考えております。(存続裁定は尊重するとして)依頼者として個人的にそこを被依頼者と議論したり争う意図はありませんでした。--Aiwokusai会話2018年1月20日 (土) 08:35 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:削除依頼/水原佐保を提出したのは他ならぬComy9さん自身であり、自ら水原佐保の削除依頼を提出して水原佐保という記事を削除するかリダイレクト化するか存続とするかをウィキペディアのコミュニティの判断に委ねたのです。にもかかわらず、Comy9さんはWikipedia:削除依頼/水原佐保においてコミュニティが下した「存続」という結論に従わず、水原佐保のリダイレクト化を強行しました。Comy9さんによるこの矛盾した行動を、Comy9さん自身はどう説明なさるおつもりですか? Wikipedia:削除依頼/水原佐保においてコミュニティが下した「存続」という結論に従う義務があるのはあまりにも当然のことなので、方針やガイドラインに書いていないだけのことです。削除依頼の議論で下された結論に従わなくてよいのならば、削除依頼という制度自体が無意味なものになります。--Pinkpastel会話2018年1月20日 (土) 09:33 (UTC)[返信]

コメント Aiwokusaiさんも述べられておりますように、私にもComy9さんの日本語は、どうも片言のように思われ(挙げればきりがありませんが、ノート:水原佐保における「記事を言っている」や、本ページにおける「むしろ反対に対しては」「反省のする」など)、一読では基本的に何を述べているのかが分からず、二読三読しても分からない(あるいは、主語や目的語の抜けなどのために、何通りにも解釈できる)ことが多々あるという状況です。(「,」が混じる件につきましても、実質的な問題はないにしても、どうも妙な気がします。) このような状況では、(改めて言うまでもないことではありますが)議論を進めようにも進めることができないということになります。コメント依頼が提出されてようやく、「(今後は)事前に同意を求めたい」などというコメントが見受けられますが、日本語の片言な加減が直っていないところを見ると、本当に「反省」されたのかどうか……。 また、今後も(他のページで)リダイレクト化強行のような事案が発生するのではなないか、という不安が拭い切れません。--Gtorew会話2018年1月20日 (土) 09:41 (UTC)[返信]

コメント Comy9さんが水原佐保のリダイレクト化についての審議を提案するとおっしゃるのならば、私はそれに明確に反対します。理由は、Wikipedia:削除依頼/水原佐保において述べた通り、水原佐保角川学園小説大賞「ヤングミステリー&ホラー部門」を受賞していることから、特筆性 (人物) すべての伝記の基準の一つである「非常によく知られている賞を受賞している人物」に該当しており、水原佐保という記事はウィキペディアに独立の項目として収録するに足る特筆性を満たしていると考えるためです。そうである以上、繰り返しになりますが、水原佐保をウィキペディアの独立の項目とせず、リダイレクト化することには断固、反対します。--Pinkpastel会話2018年1月20日 (土) 12:00 (UTC)[返信]

コメント ノート:8センチCDで被依頼者と会話した者ですが、私も氏の日本語能力に疑問を感じていました。何となく言いたいことは分かったのですが、それを難しい概念論みたいな感じで話す(哲学者みたいな話しぶりですかね)ので一読しただけでは文意を読み取るのが困難です。そして、その概念が普遍の真理だという態度で議論に臨むので、他の方からの指摘のあるように腕ずくで解決しようとしないに抵触する行動が見られるのだと思います。--新幹線会話2018年1月21日 (日) 03:51 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者のノートの編集を数年前まで遡り読みました。やはり、被依頼者の日本語能力にはもともと問題があるように思えます。被依頼者は意図的に語を省略している(それも問題であるが)とのことですが、私にはそれが錯誤であるように思えます。もともと言語能力に難があり、そのうえ(またはそれが原因で)省略を多用しているなど。一度本当にまともな日本語の文章を書いて、被依頼者の日本語能力を証明して頂けませんか。Wikipedia日本語版を編集するならば、少なくとも他者との合意形成が可能である程度の日本語能力は必要です。--210.142.106.64 2018年1月23日 (火) 21:07 (UTC)[返信]