Wikipedia‐ノート:ノートページのガイドライン/過去ログ1

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本文書の立項経緯[編集]

ノートページでの慣習的な決まり本文は、Wikipedia:ガイドブック 交流・議論Help:ノートページWikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするWikipedia:議論が終わったらまとめておくから部位々々を引用しています。 他人の発言を編集しないという明文化された基本方針の必要性を考えましたが、もしもそれが基本方針となったさいには、本文中の方針全てが一カ所に纏まっていた方が分かりやすいだろうと考え、最初から署名を統合したような文となっています。

もしもこの方針について議論をする際は、統合うんぬんの話と、他の部位についての話を分けて議論するようお願いします。私は、ただ、他人のコメントを編集しないという当たり前のことを明文化しようとしただけです。(=HS)) 2007年10月24日 (水) 10:35 (UTC)

GFDL上の問題[編集]

方針文書としてまとめることは、検討すべきかと思います。また、内容として、土台となるものを、他の方針からもってくることも(それぞれの文書が改変されていく際にどうするかということも考えないといけないとしても)、問題ないと思います。が、このままではGFDLに従わない改変となってしまいます。ひとまず即時削除させていただけますか? 差し支えなければ、深夜になりますが後ほど同じ文面で再構成します。--Ks aka 98 2007年10月24日 (水) 10:45 (UTC)

ノートは“本文”ではないですか。要約欄に引用部を載せてないためですよね? 他にも何かあるのこもしれませんし、お手数をかけますがよろしくお願いします。(=HS)) 2007年10月24日 (水) 12:54 (UTC) 
履歴を継承した形で、元の記述に戻しました。--Ks aka 98 2007年10月24日 (水) 17:10 (UTC)

セクションタイトル前後の空白[編集]

一部セクションタイトルが「 コメントを勝手に編集しない 」などと空白を含んでおり、参照の際注意が必要でなのですが、これは意図的な空白ですか。--Jms 2007年10月31日 (水) 18:33 (UTC)

記述者ではありませんが、修正してみました。もし何らかの意図があってのことなら差し戻しを行って下さい。--Sheepech 2007年11月1日 (木) 12:30 (UTC)

ノートの目的外使用[編集]

ノート:大河ドラマにて、(Wikipediaについて理解していないであろうと思われるユーザーによる)目的外使用と判断される書き込みが行われたのですが、「コメントを勝手に編集しない」節の内容を厳密に適用するとノートでの合意がない限り無断での除去ができないことになります。(当該ノートではとりあえず現在の内容に基づいて「除去は一応禁止」としておきました。)

「利用方法を錯誤した、あるいは故意に間違えたと思われる書き込みの除去」あたりを加えた方がいいと思います。--Sheepech 2007年11月1日 (木) 12:30 (UTC)

ご意見ありがとうございます。ただ、一見には問題がないように思えるのですが、“思われる”の部分が大きな問題を抱えているとは思いませんか?ノートページの目的ははっきりと定義されておらず、またはっきりと定義することは不可能だと思います。このため、ある個人アカウントが不適切として削除した部分を、あるアカウントは、適切であったとして差し戻しを行うかもしれません。この場合はどちらの行為も正当なものであり、意地を張り続けるようなことがあればノートページの編集合戦となってしまいます。合意形成が必要だと私は思います。--(=HS)) 2007年11月2日 (金) 06:42 (UTC)

ガイドライン化の提案[編集]

まず最初に、英語版から翻訳した上で、これをもって主ページを補筆したことを報告します。

その上で、本ページのガイドライン化を提案します。(補筆後の)内容に対して、「ノートページでも基本的に方針を守る」とか、「時刻の言及には世界標準時を使う」などの点に対して、大小さまざまな異論もありえようかと思いますが、ガイドライン化に向けての議論の中で合意形成できればと考えます。まず1週間待って、ガイドライン化および内容に異論が出なければ、ガイドラインのテンプレートに貼り替えることとし、もしその間に異論がでれば、問題点について議論し、合意形成が出来た時点で改めて告知し1週間の猶予の後ガイドライン化、という手順にしたいと思います。ご協力よろしくお願いいたします。--Aotake 2007年12月17日 (月) 09:54 (UTC)

  • (コメント) 「慣習的な決まり」は、慣習なのか決まりなのかどっちだ、というのもありますが、それはさておき、内部の矛盾が残っている気がします。たとえば、「無関係な議論は削除してかまいません」という一方で「決して他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えたり、削除してはいけません」とあります。ざっと眺めてすぐ気づきましたので、じっくり読めばまだあるかもしれません。ガイドラインの最低ラインとして内部矛盾がない、ということを要求はしないにしても検討すべきだと思います。もちろん、内部矛盾をかかえているガイドラインがあるのは事実ですし、また時間を置いたからといって矛盾が自然消滅するわけでもありませんが、一週間でこのレベルの検証ができるかというと、相当の労力が必要だと思います。できないとは言いませんが。--Jms 2007年12月17日 (月) 11:36 (UTC)
    • 早速ありがとうございます。1週間については、問題点が解決してから1週間として提示しています。それでも短ければもちろんもっと延ばしてかまいません。さて、「無関係な議論」については、「他人の言葉を、その人が考えていない内容に書き換えたり、削除してはいけません」の下にある、例外的に認められる項目の中に「記事の改善にまったく無関係な内容(#記事のノートページの使い方参照)」としてあげられてはいるので、内部矛盾はしてないと思うんですが、確かに分かりにくい記述になっているかもしれませんね。「まったく無関係か」誰が判断するのか、という問題もありますから、かなり慎重になってもらったほうがいい項目でもあると思うんですが、実際問題として直上の#ノートの目的外使用で話題にされているような例やノート:集中治療室/過去ログ20061123のような例もあるので、内容としては含まれていてもいいかなと思うのですが。いかがでしょうか。--Aotake 2007年12月17日 (月) 12:15 (UTC)

あまりよろしくないと思います。議論進行の妨げになる、ということが主たる問題点なら、当該部分のサブページ化で対処した方が安全ではありませんか。削除してしまうと「なぜ削除するのだ」という議論 (?) を呼ぶリスクが高くなるのではないかと思います。--Jms 2007年12月17日 (月) 17:45 (UTC)

そうですねえ。Jmsさんのご意見もよくわかりますし、正直なところ私も英語版の翻訳をひとまず導入しただけなので、個人的に別にこの項目を推し進めたいわけでもないんですよね。ただ、しつこいですが、上の節での提案もありますし、完全削除ももったいないように思います。例えば、「記事の改善にまったく無関係な記述については、適切な理由を添えた上ですぐに過去ログやその目的に特化したサブページに移動してもかまいません」あたりではどうでしょうか。「すぐに」は無くてもいいかな。--Aotake 2007年12月17日 (月) 18:22 (UTC)
「まったく無関係」「適切な理由」は論争を起こし得るでしょう。「(それでも、くらいを入れるか?) 脱線が続く様なら、その部分はサブページに移動させて議論の見通しを良くすることも検討しましょう」あたりではいかが。--Jms 2007年12月17日 (月) 19:05 (UTC)
そうですね。「検討しましょう」が実際にこの項目を必要とする人にとって充分なら私はご提案の文面でかまいません。とりあえず書き換えて、他の方の反応を待つことにしましょう。ちなみに「適切な理由」というのは「議論の見通しをよくするためにサブページに移動」とかそんな文言を添えることを念頭においていましたが、相変わらず、うまく表現できてないみたいですね(^^;
以下は例によってまとまらない意見ですが、結局、この項目で大切なのは、ほんとにめちゃくちゃ関係ない記述が書き込まれた時に、それを消したからといって、除去した人を責めたり、差し戻したりするような不毛なことをしないようにということなのかなと思います。正直、すぐに除去してしまってもいい場合も実際にあるわけですが(日記のような書き込みとか、プロジェクトページのノートに記事の原稿が投下されることとか)、むしろそういう場合で除去が行われた時に第三者が「ガイドライン違反!」といって差し戻したりすることを抑制したほうがいいのかもしれません。まあでも、私はそもそも、ノートに意味不明な記述があったって、記事が無傷ならいいんじゃないかという方ですし、無駄な争いの芽はなるべく摘んだほうがいいですよね。
その他の点はいかがでしょうか。みなさまのご意見ちょうだいできれば幸いです。--Aotake 2007年12月18日 (火) 13:26 (UTC)

インデントを戻します。現行の基本方針と、ガイドラインを参照するならば、ノート上の他人のコメントを編集することは、そのコメントが個人攻撃、署名、個人情報などに抵触していない限り、荒らしと見なされるのではないでしょうか。荒らしについては差し戻しで対処とも書かれています。 ノートページで意味のない書き込みを除去して、そのためにさらに意味のない議論を始めなければならないのはばかげています。 私は、差し戻しで対処となっていた方がいいと思います。全く無意味だと思われる書き込みが除去されたところで、無意味な書き込みの除去を差し戻す人はいるのでしょうか?  私は、差し戻しを行う人はいくらか以上の意味があったと考えているから差し戻しを行うのだと思います。差し戻しの抑制が上手く明文化できればいいのですが、結局その利用者の判断/解釈で差し戻せるのか差し戻せないのか決まってしまうのではないでしょうか? 

新しい見出しを作り、

00の部分は、(例えば)独自研究になっている恐れがあり、Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まりに基づいてこれの除去を提案します。もしも、三日以内に複数の反対意見がでなかった場合には、(例えば)過去ログ化を行います。なお、この見出しの部分は意見の収束後に併せて過去ログ化されます。予めご了承下さい。コメントを書き込む際には予め((関連する方針など))を熟読されるようにお願いします。

などのテンプレートはいかがでしょう? 独自研究や、無意味な議論だと思われる際の除去に用いるものとしてです。上手くいけば三日で除去できますし、三日の間、反対意見を持った人がこの提案を知る機会がなかったとしても、それはその除去される部分の不要性を示しているのではないでしょうか。いささか乱暴な説明ですが。また、

  • 簡潔に: 発言が300字を超える時には短くできないか検討しましょう。

とありますが、300字ということになにか根拠があるのでしょうか? 私は、それなりに書いた文章を見直しますが、字数を数えたことはありません。 私は、この三百字というのは不要で、

簡潔に 長く、ぐだぐだした…がちです。投稿の前に、プレビューなどを有効に活用して、もっと簡潔で分かりやすい文章にならないか検討してみましょう。また、細部…ょう(下記参照)。

の方がよいと思います。また、“コミュニケーションする”の部分では詳しく説明することは推奨されているため、字数制限を掲げる形で簡潔さを求めるのは、内部矛盾だとも取れると思います。--(=HS)) 2007年12月22日 (土) 02:15 (UTC)

コメントありがとうございます。「差し戻しで対処となっていた方がいい」という点ですが、「除去」という表現を差し替えるということですよね。差し戻しの抑制についてはHelp:以前の版にページを戻す方法にも触れられているので、そちらにリンクをしつつあとで書いてみたいと思いますが、よろしければ直接の加筆ぜひお願いいたします。テンプレートのご提案についてはどうでしょうね。コメントを早めに除去しないといけないような事例は、たいていの場合、ケースバイケースの慎重な対応が求められるように思うので、個人的には、テンプレートや定型文を貼り付けて対応することを促進したくないですけど。あと300字ですが、これは英語版の100語というのをだいたい日本語で同等の内容の文章だと300字くらいかな、ということで書き入れました。たぶん、「簡潔に」というのは抽象的で解釈が分かれるから持ち込まれた目安でしょう。300にこだわる気はありませんが、数値はあってもいいとも思いますが…(ちなみに私の今のコメントはここまでで400字ちょいです)。「コミュニケーション」の「詳しく」は私が翻訳の時に紛れ込ませてしまった形容詞みたいです。どうもすみません。こっちの「詳しく」は削除しておきます。--Aotake 2007年12月23日 (日) 05:18 (UTC)

コメントが止まって3日ほどがたちました。どうでしょう。ここから1週間、反対がなければガイドライン化してよろしいでしょうか。--Aotake 2007年12月26日 (水) 14:31 (UTC)

細かな点を追求しはじめるとキリがないので、年内ガイドライン化でよいのではないでしょうか。といいつつ、署名は推奨される習慣ではなく公式な方針だと思ったりもしていますが、ま、それも細部。--Jms 2007年12月26日 (水) 21:43 (UTC)
ありがとうございます。他の方のご意見も待ちつつ、特になければ、年内ということで動きたいと思います。それと、署名のところは一言書き足してみます。ご確認、修正などお願いいたします。それと、ガイドライン化の後でもいいかなと思って先延ばししましたが、以前ご指摘のあったタイトルについてはどうしましょう。英語版のように「ノートページのガイドライン」でもよいかと思いますが。--Aotake 2007年12月28日 (金) 07:07 (UTC)
Jmsさんがご指摘の通り、WP:SIGを「推奨」とするのには大きな違和感を覚えます。ガイドライン化自体は賛成ですが、「公的な方針を推奨」とすることを「細部」と呼ぶには無理があるかと・・・。その1点だけ直してからのほうがいいと思います。--青子守歌 2007年12月28日 (金) 07:16 (UTC)
確かに細部というのには無理がありました。署名の分は推奨とは別項目にした方がわかりやすいと思います。タイトルは「ノートページのガイドライン」あるいは「ノートページの使いかた」か、そのあたりでしょう。ノートページ、としなくとも、鈎括弧でくくって『ノート』でよい気もします。わたしの好みとしては「『ノート』の使いかた」>「ノートページの使いかた」>「『ノート』のガイドライン」>「ノートページのガイドライン」の順ですが、あくまで個人的好みです。--Jms 2007年12月28日 (金) 07:48 (UTC)
逆に認められない行為に「署名をしない」を追加するのがいいのかもしれませんね。また、WP:ESというガイドラインもありますから、おっしゃる通り、「推奨される行為」からは外して別の場所にするのがいいかと思います。--青子守歌 2007年12月28日 (金) 08:02 (UTC)

(インデント戻し) 確かに認められない行為なのですが、二重否定的なのはわかりにくくありませんか。必ずすること、決してしてはならないこと、した方がいいこと、この三本立てがわかりやすいでしょう、表現をどうするかはさておくとして。--Jms 2007年12月28日 (金) 08:44 (UTC)

お二方ともありがとうございます。この辺はWP:SIGがガイドラインである英語版の移入ではうまくいかないあたりですよね(実は個人的には署名強制はガイドラインレベルでいいと思ってたりもするんですが、去年の提案で発言しなかったし、それを言い出すとそれこそきりがないので)。では、節をわけて「守るべきルール」「推奨される習慣」「認められない行為」の三本立てにするということでよろしいでしょうか。タイトルについては混乱するので節を分けます。--Aotake 2007年12月28日 (金) 09:49 (UTC)
特にコメントがないことからガイドライン化を実施いたしました。ご協力ありがとうございました。引き続き、タイトル、また内容の改善、よろしくお願いいたします。--Aotake 2008年1月1日 (火) 13:04 (UTC)

文書のタイトル[編集]

先にJmsさんから「『慣習的な決まり』は、慣習なのか決まりなのかどっちだ」というご指摘がありました。今のタイトルが決して悪いというわけではありませんが、特に先行する議論があって決まったわけでもないので一応、タイトルについてどうするか話し合っておきたいと思います。今のところ選択肢としては

  • 現状維持(「ノートページでの慣習的な決まり」)
  • 「ノート」の使いかた
  • ノートページの使いかた
  • 「ノート」のガイドライン
  • ノートページのガイドライン

が出されています。私は「ノート」にしないほうが好きかなと思いますが、内容がはっきり伝われば強いこだわりはありません。まずは皆さまの率直なご意見をよろしくお願いいたします。--Aotake 2007年12月28日 (金) 09:49 (UTC)

「ノートページの使い方」で良いと思います。この議論は半年止まっていますが、正式に改名提案を出しましょうか。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月26日 (木) 09:16 (UTC)

他人のコメントの編集[編集]

他の項目は日本語版でも慣習化していると思うのですが、他人のコメントに対する割り込み編集(割注や節分け)については、コンセンサスはできていないか、否定的であるように思われるのですが、どうでしょうか。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 07:30 (UTC)

どうでしょう。とりあえず明文的なコンセンサスはないような気がします。ただ、私は割り込んでいるのは見たことがありますが、それに対して否定的なコメントは記憶では見たことがありません。なにかもめた実例をご存知でしたら教えていただけると話が進みやすいと思います。--Aotake 2008年1月3日 (木) 08:40 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分/保護解除議論当事者が両方ともブロックされているので、適切ではないかもしれませんが、私が見たことがある例です。--Clinamen 2008年1月3日 (木) 09:19 (UTC)
反応遅くなってしまってすみません。ちょっと議論をたどってみようと頑張ってはみたのですが、なにがなんだかよくわからないほどこじれていて把握が難しかったのですが、これは割り込みというよりリファクタリングでもめているのではないかと推測したのですが、ちがいますか?ただ、思い返してみると、署名をきちんとせず、かつ割り込んでコメントするので話がぐちゃぐちゃになると苦情が出た例は確かにあるように思います。一方で割り込みが有用な場合もあるでしょう。私自身他の方の発言を分割して移動したこともあります。次のように書き換えてはどうですか。
発言の分割:非常に長く、論点が多岐にわたるコメントの場合、コメントを見出しなどで分割したほうがその後の議論がしやすい場合もあるでしょう。このような時には、分割によって発言の文脈が断ち切られないか充分に注意するほか、署名を補ったり、<small>(理由)により見出し追加。~~~~</small> といったコメントを加えるなどして、発言の流れがわかるように配慮してください。また元の発言者の同意が得られない場合は分割しないでください。
--Aotake 2008年1月8日 (火) 11:49 (UTC)
その案で大丈夫かなとは思いますが、もめることがある理由は、割り込むと、署名のない節ができてしまうため、節単位での筆者がかなりわかりにくくなること(つまり、署名から署名までがひとつの発言単位という掲示板的なシンプルさが失われる)、もうひとつは、記述の体裁もふくめて発言内容であるという考えもあるということだと思います。--Clinamen 2008年1月14日 (月) 06:13 (UTC)
そうですね。割り込む場合には元発言者の署名を補完することは必須だと私も思います。それで「署名を補ったり」と書いてみましたが、もう少し明確に「元の発言者の署名を補ったり」としましょうか。まあどちらかというと、割り込まれるほど長い文を投稿する時には、あらかじめ話題ごとに節に分割せよ、ということなんでしょうが…--Aotake 2008年1月14日 (月) 06:40 (UTC)
しばらく話がとまっているので、ひとまず上の案で書き換えました。問題があれば修正などお願いいたします。--Aotake 2008年2月1日 (金) 14:23 (UTC)

他の利用者のコメント間の空行の削除は許されるか?[編集]

(意見募集)Help:箇条書きで示されているデメリットはノートでも同様に発生し、他の利用者のコメントに「3.~マークアップの修正」とあるので、私としては、他の利用者のコメントの間であっても、自分の意見を書くついでに空行を除去しても問題はないと解釈しております。それで正しいと思われるかどうか、皆さんの意見をお聞かせ下さい。--Game-M 2008年2月20日 (水) 13:11 (UTC)、2008年2月20日 (水) 16:49 (UTC) 補足

Wikipedia‐ノート:ノートページでの慣習的な決まりでやった方が良い気もする。少なくとも、表示も変化しないようなケースはOKかと。--Dark Eyes 2008年2月20日 (水) 13:40 (UTC)
表示も変化しないような編集には意味がありません。意味のない編集を好むような利用者は意味のない利用者にしか思えません。--N yotarou 2008年2月20日 (水) 13:56 (UTC)
ああ、当然「編集コメントのついでに」の話かと思ってたら、そうは書いてなかったか……。ま、そういう意味で。--Dark Eyes 2008年2月20日 (水) 14:17 (UTC) - 修正--Dark Eyes 2008年2月20日 (水) 14:32 (UTC)
(編集競合)ぼくなんかは毎回一行開けてコメントしていますが、本当は開けない方がいいのは事実なのでコメントする際に一緒に整形するのはいいと思います(よく差分を確認してうっかりであったとしても絶対に他の人の編集を改編してしまわないように気をつけないといけません)。ただ、それだけの編集はあまりよくないかと。まあ、慣習的なコメント形式自体がHelp:箇条書きに反しているんですけどね(定義 ";~" の部分がない)。 --Mzm5zbC3 2008年2月20日 (水) 14:20 (UTC)

ここまでを、Help‐ノート:ノートページ#他の利用者のコメント間の空行の削除は許されるか?から一部転記しました。--Game-M 2008年2月20日 (水) 19:58 (UTC)

えーと、このように独断で議論の場を独断で変更するなどの結果、Game-Mさんは方針の理解のために3カ月の投稿ブロックになりました。普通の利用者なら独断で転記なんてしないし、複数の場で議論を行なうこともありません。--N yotarou 2008年2月21日 (木) 13:29 (UTC)
議論の場をHelp‐ノート:ノートページからここに移したことに関して、おそらくDark Eyesさんのアドバイスを受けたものであり、こっちのノートでやるのが適切な話題だと思います。--貿易風 2008年2月22日 (金) 04:21 (UTC)

ブラウザによって空行の有無が表示に影響するかどうか違いがある様です。FireFox と IE7 では空行があるとちょっと余分に行間があき、発言者の違いが読みやすくなります。実際にブラウザが受け取るタグには一度箇条書きから出 (て戻) る分だけ余計なものが入ります。わたくしはGame-Mさんによる空行削除に萎縮して、意図してスタイルを変えて空行を入れるために段落をあらためて書く様になりました (そうすれば空行削除に伴う誤削除の可能性はなくせる) が、あまり幸せではありません。箇条書きをノートでのインデントに転用している部分が本質的問題なので、箇条書き程度の手軽さでノートに使えるスタイルがあると良いのですが、それがない現状で議論に参加する者を萎縮させかねない空行削除を行なうのは褒められた行為ではないと思います。--Jms 2008年2月20日 (水) 22:17 (UTC)

補足。「3.~マークアップの修正」というのはシンタクスの範囲 (たとえば開いた要素を正しく閉じていないなど) での修正許容であって、セマンティクスがかかわるばあいは別だと思います。発言者を区別するための空行はセマンティクスとして意図的に挿入されているものであることを否定できませんし、また空行によって要素は正しく閉じられているので、空行除去は「マークアップの修正」を逸脱していると思います。--Jms 2008年2月21日 (木) 03:50 (UTC)
横から失礼します。私は(発言のついでが基本ですが)空行削除を含むマークアップ修正を比較的行う方なのですが、「シンタクスの範囲」に留めるべきだというのにはちょっと戸惑いがあっていくつかご意見を伺えればと思います。つまり、ここのガイドラインにもあるように「レイアウトをきれいに」したほうが何が起きているのが把握しやすくなる場合があると思うのです。私が他者の発言のマークアップ修正だけを行った編集には、例えばノート:ハムレットがあります。私は自分の編集によってわずかながら可読性が向上したと思ったのですが、やはり一般的にこういう編集はよくないというのが大勢の意見でしょうか。
もう1つ、最近WP:利用案内、WP:調べもの案内に設置した、新規セクション投稿時に最初から署名タグを埋め込む措置(署名漏れを防ぐのが目的)に関連して、組み込まれているテンプレート中のコメントアウトで書いたメッセージが重複して残ったり、署名の位置が冒頭に来たりすることがしばしばおきています。私はコメントアウトメッセージの削除や、署名の末尾への移動といった編集を行うようにしていますが()、このような編集をしない方もかなりいます。これも一般的には受け入れられない編集でしょうか。--Aotake 2008年2月21日 (木) 04:20 (UTC)
他の利用者の会話ページならあまりいじらない方が無難だと思いますが、ノートページについては空行除去を含め、Aotakeさんが挙げられているようなレイアウトの補正は特に問題ないんじゃないでしょうか。他者発言の改竄とは思えないですし、むしろ推奨されてもいいように思えます。--貿易風 2008年2月21日 (木) 05:18 (UTC)

ハムレットの例拝見しました。「1926(改行)年」の類はシンタクスの範囲に準ずる (語や文が閉じていないのに改行されている) と思いますが、「そのためには…しらなければならないでしょう」はそうとも言い切れないと思います。シンタクス、セマンティクスというのは適切な表現でなかったかもしれません。尚、Game-Mさんの空行除去は複数編集間の空行 (複数の人の発言の間の空行や、単一の人だが署名時刻の異なる発言間の空行) の除去なので、かなり事情が違うと思います。 で、空行を表示させたいけれど除去されたくないから、こうやって段落を変える習慣が身についてしまいました。箇条書きを abuse しているところに問題の根本はあるのですが、なぜ空行をいれてはいけないかというのを考えれば、そもそも箇条書きとしてのセマンティクスを期待されていないところまで空行除去を適用するのは行き過ぎだと理解できると思うのです。--Jms 2008年2月21日 (木) 08:34 (UTC)

貴重なご意見、ありがとうございました。ひとまず、お尋ねした種の編集を今後する際には、なおいっそうの注意をして行うように心がけたいと思います。もともとの話題の空行の削除に関しては、Jmsさんがおっしゃるように、箇条書きとして使っていない以上、箇条書きとして調える必要はない、むしろそれぞれのスタイルを重視する、という考えが大勢ということになるでしょうか。これに関しては、私も他の方の発言前後、もしくは発言中の空行削除もしたことがそれなりにありますし、かなりの方がそのような削除は不適切だと考えているということがわかっただけでも、収穫でした。箇条書きのabuse についてはかなり前に、インデント用のマークアップをつくってはどうかという提案が bugzilla にあったようですが、その時は優先度も低いし、といった感じで開発者は動いてくれなかったみたいですし、当分、いまの状態が続くのでしょう。読み上げブラウザなどを使用される方には、ウィキペディアのノートの慣習として了解いただくしかないかもしれませんね。--Aotake 2008年2月24日 (日) 15:35 (UTC)
ああそうだ。私がこれをOKだと思ったキッカケは、井戸端の整理で最近良く見るんで、「ベテランの方の編集行動は真似しとこう」と思ったからだ。どうして誰もあれには文句を言わないんだろう?--Dark Eyes 2008年3月2日 (日) 11:41 (UTC)
(議論終了)皆さん、ご意見ありがとうございました。アドバイスに従ったとはいえ、私が無断で議論場所を移したのは事実ですので、その点についてはお詫びします。--Game-M 2008年5月24日 (土) 04:38 (UTC)

基本方針はノートページに適用されるか否か[編集]

Wikipedia:独自研究は載せないによると

  • 他の基本方針同様、独自研究の排除は記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。

とのことで、原則的には基本方針はノートに適用されないみたいなんですが、このWikipedia:ノートページでの慣習的な決まりによると

と正反対のことが書かれています。原則として基本方針がノートに適用されるのかされないのか、統一したほうがよくないですか?--貿易風 2008年2月7日 (木) 10:12 (UTC)

「記事における方針」なんだから、適用されるのは記事だけの筈ですね。現行の記載の内容には問題ないと思うけど、表現を変えた方が良いかも。英語版では、どうなってるんでしょう。--Dark Eyes 2008年2月7日 (木) 12:40 (UTC)
確かに矛盾してますね。ですがまぁ、例えばノートページに独自研究を載せたところで記事には何の支障もない(一個人の主張にすぎない)わけですから、ノートページに適用する必要はないかと思います。ただ、多分その記述で言いたいのは「ノートだからと言って、独自理論を展開して好き勝手していい訳ではない。」といったようなことでしょうから、そういった記述に変更するのがいいと思います。--青子守歌 2008年2月7日 (木) 13:25 (UTC)
それぞれの経緯をみてみますと、WP:NOR での問題の記述は、もともとの翻訳の原文となっていた英語版、04:29, April 26, 2006 (JST?) [1] [2] の版に入っていた On talk pages and project pages という節に由来しています。この記述は英語版では [3] で削られましたが、日本語版では残されてそのまま公式方針としてリリースされました。日本語版で残すことについて議論したかどうか判然としませんが、[4]に「original research を独自調査と訳すことはこの方針が禁じている独自研究では無いか」(大意)といった趣旨の発言があるように、「方針は独自研究だから書けないはず」といった不毛な議論がいくつかあったことが背景にあると思います。一方の WP:TALK での文は私が比較的最近の英語版の翻訳を持ち込んだ時に入った部分です。NP:NOR のリリースにも関わっていたのでここにやや矛盾があることはわかっていたのですが、WP:NOR の記述にも「ただし、ノートページで個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう」とあり、一方で WP:TALK には「程度の差はあれ」とあるあたりで一応いいかなと放置してしまったことは申し訳なかったです。
どうするかについては相互に表現を調整したほうがよいのではないかと思います。WP:NOR の方を例えば「本方針は記事の内容に関するルールであり、ウィキペディア上のルールなどを扱うプロジェクトページは基本的に対象外となります。またノートページへも厳しく適用はされませんが、ウィキペディアは個人的意見を書き込む場所ではありませんので、個人的な見解・理論について多くを表明することは、歓迎されません。」とし、WP:TALK では「記事に適用される方針は、記事に対するほど厳格にではありませんが、基本的にノートページにも適用されます。」などとすればもうすこし整合性がとれるのではないかとおもいますが、いかがでしょうか。--Aotake 2008年2月7日 (木) 16:49 (UTC)
うーん。どちらかというとWikipedia:独自研究は載せないの文章はそのままor微修正にとどめて、こっちの文章の「ウィキペディアの方針を守る」の書き出し(第一段落)を
検証可能性独自研究は載せない中立的な観点といった基本方針は原則的にはノートページに適用されません。ただし、ノートページにおいて推測や提案・個人的に知っている事柄を提供するといったことはあくまでその後記事に生かすための調査の手がかりとして認められることです。方針に合致しないことがらを延々と議論し続けるのはノートページの目的外使用ですから推奨されません。あまりに度が過ぎる場合は除去あるいは移動(過去ログ化)される場合があります。
みたいな感じで書き換える方がしっくりくるのですが…。「原則としては適用されない」と思っているので。ただそうすると節のタイトルと内容が矛盾してくるような気もしますね。タイトルも「ウィキペディアの方針から逸脱しない」とかにするべきかもしれません。
あ、Aotakeさんの提案も積極的に反対するってわけではないです。--貿易風 2008年2月8日 (金) 07:31 (UTC)
私も「適用はされないが……」という記述の方がすっきりします。方針側を「される」→「されない」に変えるのは、三大方針全ての位置付けを変えるという大事業になりませんか? 「適用されませんが、ウィキペディア全体を貫く基本精神です」程度の説明追加でいいんじゃないでしょうか。ところで、検証可能性や中立的な観点については、Aotake氏はどのようにお考えですか?--Dark Eyes 2008年2月8日 (金) 08:48 (UTC)
私自身の上記の提案は、記事で拒否されたあとにノートページで自説を展開してもめるという例がまま見受けられ、中にはブロックに持ち込まれてしまうというような状況を鑑みてのことで(英語版にこの内容が加わった経緯もほぼ同じようです en:Wikipedia_talk:Talk_page_guidelines/Archive_1#Talk_page_hell)、問題を回避するためにどちらがより有効かという事へ対する個人的見解に基づいていましたが、もめるほどのことでもありませんし、意図しているところは恐らく同じだと思いますので、貿易風さんのご提案の方で構わないと思います。ただ、記事ページ以上にノートページでの行動を念頭に置いた方針もいろいろとありますから、「基本方針」としてしまうより、「記事内容のルールや記事のスタイルのルールは」としたほうがより厳密かとおもいます。また「存命人物」の方針のように方針自体がノートも対象としているものもありますので、そこは明確にしたほうがよいと思います。
「検証可能性や中立的な観点についてどう考えるか」のご質問があったのですこし脱線気味ですが私の思う所を述べますと、「他の基本方針同様、独自研究の排除は記事にのみ適用され」の記述は WP:NOR にだけあり、NPOV や V には特に記述されていないわけで、むしろ特に議論もなく(しかも遥かに後発でリリースされた)WP:NOR の記述が他の方針の位置づけまで縛ってしまったことの方が(今考えると)おかしいかなと思います(過去の版まで洗っていないのでかつてそういった議論・記載があったとすればご教示ください)。基本的には検証できないことや中立性の方針に反することはノートページでいくら展開されてもしょうがないわけですから、その意味ではこれらの方針も「百科事典を作成するための議論という枠組みをはみ出さない」という点においてノートページへ適用されて然るべきだと思います。--Aotake 2008年2月8日 (金) 09:34 (UTC)
貿易風氏の文章をベースとするなら問題はありませんが、一応続きを。「検証可能性」の 記事における三つの方針のうちの一つです という表現は、対象を記事に限定しているように読めます。「中立的な観点」の冒頭も、記事やテンプレートやポータルなど、という事で、ノートページが対象に入るようには読めません。極端な言い方をすると「方針が適用される」と書いて、「出典のない記述は除去!」とか言われたら困るという事です。「中立的な観点」を踏まえて議論するのは当然ですが、ノートを中立的に記述しろと言われても無理ですので。--Dark Eyes 2008年2月8日 (金) 11:26 (UTC)

(インデント戻し)上のAotakeさんの意見を参考に以下のように提案しなおします。

WP:TALKの「Wikipediaの方針を守る」というタイトルを「Wikipediaの方針から逸脱しない」に変更した上で、第一段落を2/8にここに書き込んだ文章のように変更する。ただし、「基本方針」となっている部分を「記事内容や記事のスタイルに関するルール」とする。その上で、さらに続けて「また、Wikipedia:存命人物の伝記のように、記事にもノートページにも適用される方針もあります」と書く。
WP:NORの方は、「また、他の基本方針同様、…」の部分を「また、他の記事内容に関するルールと同様、…」と書き改める。

Wikipedia:礼儀を忘れないとかWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいとかは明らかにノートや会話ページでもでの振る舞いの話をしているのでわざわざ書かなくてもいいかなと考えました。これでいかがでしょうか?--貿易風 2008年2月9日 (土) 09:46 (UTC)誤字訂正。--貿易風 2008年2月10日 (日) 07:51 (UTC)

とてもいいと思います。ありがとうございます。--Aotake 2008年2月9日 (土) 10:24 (UTC)
Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないにも書いておきましたが、一週間ほど待って異論がなければ書き換えようと思います。--貿易風 2008年2月10日 (日) 07:51 (UTC)
NOR のノートからたどって来ました。NORも含め、ご提案の変更に賛成します。現状の運用状況にも合っているのではないでしょうか。--スのG 2008年2月13日 (水) 12:13 (UTC)
変更しました。議論につきあってくださった方々ありがとうございました。--貿易風 2008年2月17日 (日) 05:04 (UTC)

文書名と内容とに不整合部分があるように思うんですが、..[編集]

この文書は、英語版の「Wikipedia:Talk page guidelines」を訳したものようですが、なぜ「ノートページでの慣習的な決まり」のような文書名なのかがよく分かりません。

「慣習的な決まり」ということで普通の日本人が考えるのは、法体系で言うところの成文法に対する慣習法のようなものだと思います。ウィキペディアの場であれば、「公式な方針として記述されたものではないけれども、慣習として利用者に支持されている事柄で、..」のような意味合いで捉えると思います。

ところが、読み進んでいくと「投稿には署名する」ような話も出てきますが、これは言うまでもなくウィキペディア日本語版の「公式な方針」です。

こういう文脈では読む側に混乱を招きますし、再考が必要のように思います。文書の内容というより、文書名の問題なのかなとも思いますが。--Tossie 2008年3月3日 (月) 08:21 (UTC)

上の#文書のタイトルの節をご覧ください。--Aotake 2008年3月3日 (月) 09:40 (UTC)


文書名の関係では、以前のセクションで既に候補案のお話が挙がっていたようで、私の見落としだったようです。
Dark Eyes さんにも、私のノートページの方へその関係のお知らせをいただいて、大変ありがとうございました。

そちらのセクションに移した方がいいのかも知れませんが、要領が良く分からないのでこちらで以下に続けさせていただきますが、統合した方が良ければ、それについてはお任せしますのでよろしくお願いします。

  • 今の「ノートページでの慣習的な決まり」のままでは、上で触れましたように、よろしくないと思います。
  • 単に「"ノート" の・・」ように表すのは、私も賛成しません。
  • 「ノートページの使い方」ですと、以前にAotakeさんが『"ノートページでの操作方法" のような意味に取られたりもするだろうし、..』のようにおっしゃっていたような問題もあるでしょうし、不適なんだろうと思います。
  • 「ノートページのガイドライン」では、ちょっと言葉足らずのようにも感じます。

個人的には、【ノートページの利用に関するガイドライン】あたりなら、平易で紛らわしくもないのではと思ったりもしています。--Tossie 2008年3月3日 (月) 15:47 (UTC)

【追記】
なお、文書名を仮に【ノートページの利用に関するガイドライン】のようにする場合に、署名の関係では、「守るべきルール」のようなサブセクションを特に設けるのではなく、「記事のノートページの使い方 推奨される習慣」の頭に置くようにして、そこでのなお書きに、『署名については以前には「考慮すべきガイドライン」だったものが「公式な方針」に変更されて、..』のようなことを触れておく形もあると思います。その方が、英語版との対比という面からも分かりやすいような気もします。--Tossie 2008年3月3日 (月) 16:17 (UTC)

見通しからも、ノートページでの慣習的な決まり#ノートページでの見出しづけの観点からも、「そちらのセクションに移した方がいい」と思います。転記する際はこの文もいっしょに連れていってください。
慣習と決まりという、ある意味で対立するものを、一方が他方を形容するという形で使うのが問題なので、「ノートページの慣習と決まり(ごと)」などとする手はあります。ガイドライン、というのは文書の意図することとは違う硬さを持つと思います。「使いかた」のかわりに「議論のしかた」や「暮らしかた」というのも考えましが、どちらも違うでしょう。--Jms 2008年3月3日 (月) 20:45 (UTC)
本文書は、冒頭のテンプレートで「ウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドライン」と示されます。
したがって、文書名としては、それが何についてのガイドラインかを示すのが形だろうと思います。
ですから私が先に挙げた【ノートページの利用に関するガイドライン】とかですと、ガイドラインである文書を「○○○に関するガイドライン」と表すことになって、文言重複気味ではあるかも知れません。
ただ、「翻訳のガイドライン」、「論争のある記事に関するガイドライン」、「一覧系記事の作成ガイドライン」、「表のガイドライン」のように、そういった例がないわけでもありません。
また、英語版でも、en:Wikipedia:Talk page guidelines(This page documents an English Wikipedia editing guideline.・・・)のような形になっています。
「ノートページの慣習と決まり」とかですと、ガイドライン文書として分類されているその"ガイドライン"について言い換えるようなことになるんでしょうが、話が交錯するというか紛らわしいようにも思いますし、他のガイドライン文書にも、そういう例は見当たらないように思いますが。--Tossie 2008年3月4日 (火) 06:48 (UTC)

発言移動の是非[編集]

#他人のコメントの編集と似た話なのですが、背景が異なることもあり別項目とします。

試験運用中のWikipedia:著作権/改訂案で、記事本文とノートページとの間の転記であっても要約欄を利用してカット・アンド・ペーストとして履歴継承する様明記されました。従来も必要だったのですが、明記したことにより特定版削除となる場合が増えるのではないかと危惧しています。従来のWikipedia:著作権ではリンクを張ることがこの履歴継承の要件とされていましたが、同改訂案では要約欄を使うことが必須とされ、継承の手法としてはリンクなどとなっています。これは外部からの GFDL 文書の持込みの想定とも呼応するものです。継承手法がリンク以外にも広げられたことにより、ノートページついては前述の特定版削除の対象となる場合であっても、ノート中の署名の連鎖を履歴として指定することにより、版自体は巻き込み削除されても内容的には問題のある部分だけの削除に留めることが (少なくとも理論的には) 可能です。ここで問題になるのは、履歴が時系列で整列しているのに対し、ノートの場合はかならずしも整列していないということです。とはいうものの、複数の節で並列して議論が進行している場合で、それぞれの節の内部で時間的に整列していれば (つまり新規発言が後ろへ付加されていれば) 大きな困難はないと思います。問題なのは、議論整理のため発言が大幅移動される場合です。移動の規模によっては、署名連鎖によるみなし履歴継承解釈を断念せざるを得ない場合も出てきます (といっても断念に至る議論自体削除されているので参照できませんが)。他者の発言の編集というのも時系列とノートでの順序が対応しなくなるという点では厄介なのですが、すでに歯止めがかかっていると期待します。

こうした不幸な事例を少なくするために、発言の移動を抑制するか、移動したとしても移動元の発言自体はコメントアウトしてその場所に残す、ということを「ノートページでの慣習的な決まり」述べておく方が良いのではないかと思います。いかがでしょう。--Jms 2008年5月5日 (月) 23:52 (UTC)

利用者会話ページでの発言の削除[編集]

現在の版には以下の記述があります。

あなた自身の会話ページでは、他人のコメントを除去してもかまいませんが、一般的には過去ログにすることが好まれます。また、理由なく他人のコメントを除去した場合は、通常、礼を失しているとみなされます。自身の会話ページであっても、他人のコメントの文章を改変して、そのコメントの内容や意図を歪曲することは決して認められません。

しかし、問題のある利用者が会話ページを白紙化あるいはコメントアウトすることが見受けられます。悪質な書き込みでない限り、過去ログ化のみ許すという方針にしてはどうでしょうか。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月26日 (木) 09:16 (UTC)

こんにちは。当該箇所はWikipedia:投稿ブロックの方針2.2.5.8.2項との関連について基準が競合しており問題がある記述になっていますね。慣習的に「個人ノートへの他人の記述を故意・頻繁に削除するケース」が投稿ブロックの対象になる例がしばしば見られます(123など、直近の分の発掘例です)。他人に不愉快(本人にとって)な忠告や警告が投稿された場合、反射的に削除してしまうようなケースが多いようですが、一般論として「ノートへの他人の投稿内容は削除しない」、警告した結果として削除行為を止めて頂けなければブロック依頼(過去の運用としては短期なようです)、止めて頂ければブロックしない(過去の運用では発掘に届かず)といった運用で宜しいのでしょうか。ちょっと良く分かりません。Wikipedia:投稿ブロックの方針2.2.5.8.2項だけを見れば外形行為基準(現実にノートへの他人の投稿内容を削除する行為を行い、警告を聞かない)で情実関係なくブロック対象になる、と読める記述となっています。--大和屋敷 2009年11月17日 (火) 00:18 (UTC)

改名提案[編集]

本文書の名前はen:Wikipedia:Talk page guidelinesの訳ですが、#文書のタイトル#文書名と内容とに不整合部分があるように思うんですが、..にあるようにページ名に不整合がありますので、改名を提案します。肝心の名前ですが、guidelineの訳は慣例としては「ガイドライン」とするのが通常なので、それをそのまま採用すれば「ノートページのガイドライン」となるでしょう。 またカタカナ語が重なるのがなんとなく偽外人の話言葉のようでしっくりこないという見方もあるでしょうが、ガイドラインの別訳として「指針」というのがあるので(ex.Wikipedia:レイアウトの指針など)、「ノートページの指針」という案もあるでしょう。--Kurz 2011年1月17日 (月) 11:54 (UTC)

提案から一週間が経ちましたが特に意見が出ませんでしたので、当初案のとおり改名します。--Kurz 2011年1月24日 (月) 11:06 (UTC)

Talkheaderテンプレートの一部修正[編集]

Template‐ノート:Talkheaderにて、Template:TalkheaderにHelp:ノートページ#ノートページの用途へのリンクを追加する提案が出ています。--sabuell 2011年5月12日 (木) 07:38 (UTC)

Wikipedia:ノートページのガイドライン#レイアウトについて[編集]

こんばんは。Wikipedia:ノートページのガイドライン#レイアウトに、「新しい発言は下に続くべきだと考えられています。ほとんど全てのノートで、新しい発言は下に続いています。新規の発言についても下に加えてください。」と記載がありますが、これは節の中の会話でも適用されると考えてよろしいでしょうか。議論中ABC3人が話しているときに、AがCに質問をし、Cの回答がある前に、Bが別の発言をし、その後CがAの質問の下に回答を挿入(Bの発言の上)したことがあり、時系列がABCにもかかわらず、ACBとなり、混乱したことがありました。--Kenken12345678会話2013年3月5日 (火) 15:46 (UTC)

コメント依頼を提出いたしました。--Kenken12345678会話2013年3月8日 (金) 04:21 (UTC)

CはBの下にBと同じインデントで書くのがよくある習慣かと思います(要するに時系列)。ただ、インデントを使ってどの投稿に対する応答なのか示しますから、いつも時系列になるわけではないです。Bの発言の後で応酬が続いてインデントが深くなった後で、最初のAのコメントに対する応答を書く場合は、インデントだけではAに対するコメントだというのが分かりにくいので、Aの直後、Bの前に書くのもありかもしれないです。--Bugandhoney会話2013年3月8日 (金) 13:41 (UTC)

こんばんは。自分にとって都合の悪い発言を隠すために、わざと下に記載せず、議論の中に紛れ込ませていた人物がいました。時系列ならそれはおこりえません。むずかしいですね・・。--Kenken12345678会話2013年3月9日 (土) 18:14 (UTC)

記事に無関係な投稿に関する部分を復帰したい[編集]

ノート:プリティーリズム・ディアマイフューチャー2013年7月10日 (水) 22:51の版から)で記事に無関係な内容の取り消し・復帰というやり取りがあり(編集合戦というほどのものにはなっていません)#ガイドライン化の提案の議論に辿り着きました。上の議論でAotakeさんが書かれた「無駄な争い」になってしまったようで……。私のような勘違いを防ぐためにも2007年12月17日 (月) 22:44時点における版で追加された“常識的に見てあまりに無関係で、正常な議論を阻害するような投稿は削除してもかまいません(#他人のコメントの節参照)”と他人のコメント節の箇条書き“記事の改善にまったく無関係な内容(#記事のノートページの使い方参照)”を復帰したいと思っています。みなさんのご意見をいただけないでしょうか。また「無関係な内容の除去」について何らかの合意が得られているなら併せて教えていただきたく思います。--せちせち会話2013年7月12日 (金) 14:31 (UTC)

  • 「記事に無関係な投稿であると判定するのが誰なのか」という根本問題が解決されていませんのでご提案はWikipediaの運営形態にそぐわないものだという印象があります。①ほとんどの場合ノートに投稿されている内容は投稿者本人の必要性に従って投稿されており、アカの他人が「無関係だろ。除去するわ」としても納得せずリバート合戦に発展する可能性があります。②つぎに本編記事で深刻な編集対立がおこっており険悪な雰囲気の場合、ノートで「無関係だから除去するわ」の行為が単なる悪意の表現形態にすぎない可能性があります。他人のノートでの発言を無断で改変することはそれこそ深刻な議論妨害で投稿ブロック対象です(8.2ノートページや会話ページにおける他者の発言の故意の改竄)③また、そもそもWikipediaの目的は百科事典の作成であり、その品質は標準空間で維持されているべきもので、ノートは言わばバックヤードです。標準空間に投稿された「無関係な記述」を過渡的にノートに移動させるという作業もWikipediaでは良く行われる慣習です。④ノートへの無関係な投稿が編集検討をあきらかに阻害しており、議論の妨害であると考えられる場合は、まず本人のノートで対話して中止を要請してみて、それでも中止しない場合はコメント依頼を作成し、中止すべきだというコンセンサスを得たにも関わらずノートでの「無関係な投稿」を繰り返す場合は投稿ブロック依頼を提出する、という流れが現在のガイドライン上の適切な処置だと考えられます⑤また無関係なアスキーアートの投稿のような「文字通りの荒らし行為」の場合は版ごと即時削除を依頼するのも手です。⑥一般論ですがWikipediaは「どこの誰とも知れない」名無しの群集がよってたかって作り上げるプロジェクトですから、どんなひとが参加しているか皆目わかりません。中にはどうしようもなく偏っている人がおり、また時にはあなた自身(自分自身)が相手からそのように見られているかもしれません。そういう空間では「常識的な処置」はなかなか成立しません。実害があまり無い程度でしたら華麗にスルーするのがベストの選択だと思います。⑦今回のケースではせちせち氏は他のアカウントの方の無断削除を適切に復帰されており、一般的慣習に従った処置だったと思います(その直後にまた無断削除した方がおられますが)。ただせちせち氏におかれましても当件について「あまり思いいれ」が無いようでしたら、案件自体を華麗にスルーなさるという手もあると愚考いたします。--大和屋敷会話2013年7月13日 (土) 02:25 (UTC)
ありがとうございます。特に思い入れがあるわけでもなく、コメントを投稿したIPアドレスの方もこれ以降活動されていないのでひとまずこの件はこのままにしておきます。
(Wikipedia:ノートページのガイドラインの)議論を見るに、上に挙げたガイドラインの内容が「不適切だから」とか「問題のある記述だから」除去されたというわけではないようだったので、良いとも悪いともされず放置されている問題なのかなと思っていました。特に合意はないという認識でいいでしょうか。--せちせち会話2013年7月15日 (月) 14:00 (UTC)

反論ピラミッド図の追記相談[編集]

このガイドインの英語版には、効果的な反論の仕方を階層別にピラミッドで表現したen:File:Graham's Hierarchy of Disagreement1.svgが記載されています。これを日本語版WP:TPGにも記載してはどうでしょうか。ピラミッド図の上三つが推奨される反論の仕方で、下三つが避けるべき反論の仕方です。 ノートページにおいて、より効果的に(荒れずに)反対を言う際の参考になり、また個人攻撃などを伴った反論の仕方が推奨されないことを、初心者にも明示して説明できます。ご意見下さい。既に、翻訳した図をm:File:Graham's Hierarchy of Disagreement (Ja).pngに載せています。翻訳図に関しても問題点の指摘、改善案などがあれば頂戴できれば幸いです。--背番号9会話2013年8月7日 (水) 16:32 (UTC)

図を拝見させて頂きとりあえず以下の2点が気になりましたので、簡単にコメントさせて頂きます。
  • refutation の訳語ですが、ここでは「論破」というより「反駁」とした方が良いように思います。「論破」では相手を言い負かして議論が終了したような印象を受けますが、ここでは必ずしもそうとは限りませんよね。結果として「論破」になることはあるでしょうし、当事者の意気込みや目論見としてはそうなのでしょうけれど、この図の上位2階層で示したいことは、図中の説明にあるように、相手の誤りを例証に基づいて指摘し反論する、といった議論の方法論だと思います。つまり「結果」ではなく「プロセス」です。「反駁」であれば「他人の意見に反対し、その非を論じ攻撃すること。」(広辞苑第六版)という意味なので、ここでの意図をより的確に表していると思います。
  • quotes ですが、「明白な引用」ではなく「実例」としてはいかがでしょうか。「explains why it's mistaken using quotes」→「実例を示しながらその理由を説明する」。
以上です。--Penn Station (talk) 2013年8月7日 (水) 18:31 (UTC) 追記:Penn Station (talk) 2013年8月8日 (木) 10:19 (UTC)
ご意見有難うございます。ご指摘の2点とも再考します。以下詳細です。
refutationについて:ご指摘通り「論破」は意味が強すぎる印象があるため変更しようと思います。ただ、代わりに「反駁」を使うかどうかは保留させて下さい。理由は、反駁には3つ目のCounterargumentも含まれるように思うからです。オンライン辞書でも[5]同類の言葉にくくられています。ということで、論破を弱めた「論駁」という語がより適当かな[6]、と現在考えています。追加でご意見があれば助かります。
quotesについて:表現を再考してみます。ただ訳語として用いるならば「実例」よりも「引用」の方がより適当に思います。理由は、詳細説明のある元の記事で、効果的な反論の仕方の例として、
The author's main point seems to be x. As he says:

<quotation>

But this is wrong for the following reasons...

—Paul Graham(How to Disagreeより)

と紹介されており、ここでのquotation、quoteは、相手の主張のどこを攻撃するのか引用して明示しろ、という意図なのだと思うからです。--背番号9会話2013年8月21日 (水) 15:37 (UTC)
コメント 画像についてのみですが黄色い「姿勢批判」の文字が非常に見辛いです。もう少し濃い色や暗い色にするかアウトラインを引いたほうがいいと思います。--せちせち会話2013年8月8日 (木) 13:00 (UTC)
改善します。--背番号9会話2013年8月21日 (水) 15:37 (UTC)

追記提案[編集]

上記のご意見も頂き、m:File:Graham's Hierarchy of Disagreement (Ja).pngを編集しなおしました。その上で、改めてこの図を本文章内に掲載することを提案します。場所は英語版と同様、WP:TPNOの文頭を想定しています。ご意見お願いします。--背番号9会話2013年9月10日 (火) 15:06 (UTC)

Talkheader改定案[編集]

Template‐ノート:Talkheader#記事が掲げる主題について その2にて、テンプレートが案内する文言について、その分かりにくさ(伝わりにくさ)から、文言の改訂案が提出されております。みなさんのご意見をお待ちしております。--Megevand (会話) 2013年9月3日 (火) 17:27 (UTC)

「見出しに決して他の利用者名を掲げない」について[編集]

「ノートページでの見出しづけ」の章に「見出しに決して他の利用者名を掲げない」という記述がありますが、例えば「○○年○月○日(○)○:○の○○さんの編集について」のような見出しで議論を始めることに問題があるとは思えません。「見出しは必ず他のすべての利用者に当てたものにしてください」という説明書きからして、おそらく、もともとは英語版にある"Don't address other users in a heading"のようなことを意図していたのではないかと思います。「見出しに決して他の利用者名を掲げない」を「見出しで特定の利用者に呼びかけない」に変更することを提案します。--Dwy会話2015年12月7日 (月) 14:17 (UTC)

反対がないようなので、変更します。--Dwy会話2015年12月18日 (金) 03:09 (UTC)