Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701

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1点目。【被依頼者からのコメントに(問いかけの無視について)「具体的にお願いします」とあるので、私の発言から具体例を示します。この編集この編集において、私はある文献の記述をとくに取り上げることの妥当性・必要性を二度質問しましたが、返答はいただけませんでした。】自明の質問と理解しており、回答する必要はないと判断しました。大和屋敷は平田2006-10-27を信頼できる情報源と認定しており、それに対して「なぜそこまで重視するのか?」との質問は無意味です(「なぜなら信頼できる外形性をそなえた資料だと認識しているから」)。次に実質として、Trcaさんは「「最終的には司法判断により決定されるべき」「可能性がある」「考え方の一例」として示されている」ことが平田2006-10-27が「著者自身が信頼性に欠けることを認めている」表れだと当該箇所で指摘していますが[1]それは憶測です。信頼性に留保をおくことと、信頼できないことは別です。平田2006-10-27にかような記述があることをもって平田2006-10-27が信頼するに値しない情報源だと判断することは、通常の論理的推論としては誤謬を含みます。(信頼できない可能性の自白≠信頼できないことの告白)。

2点目。【ノート:科学における不正行為#2011年6月12日(日)06:23版の議論では、一方的に議論を打ち切るまで、被依頼者は私だけでなく、DwyさんやDictonwolfさんの指摘や問いかけにまったく回答していません。】については具体的におねがいします。どのような指摘や問いかけがあったことに対して回答がされていないのでしょうか。

3点目。【被依頼者は、[2]の要約欄でDwyさんからノートでの議論を参照するよう呼びかけられているにも関わらず、無視してリバートを繰り返しています】。これはすでに6月7日時点からノートで編集検討が開始されており、その当初の対手はgestgestさんです([3])。すでに元あった記述を6月12日時点でDwyさんがリバートし、同日に大和屋敷が復元したものを15日にリバートしたものです。Dwyさんが15日にふたたびリバートしたのはこの判であって「ノートでの議論をご参照ください」なるコメント欄への記載をもって大和屋敷があたかもノートでの議論に参加していなかったかのような(曰く「無視してリバート」)印象をもたれるのは全体の経緯を捉えていないものです。大和屋敷はこの時点ですでにノートでの検討の中核的参加者の一人であって、なおかつDwyさんの主張には明確に反論しています。むしろ6月12日の時点でDwyさんがリバートした行為についても(「ノートでの議論をご参照ください」)なる指摘とともに、リバートの性急さを批判いただかなければ均衡中立な行為批判とは言えないでしょう。

4点目。【被依頼者はDwyさんの呼びかけ以降、3RR抵触寸前までリバートを繰り返したのち、自らの都合のよいタイミングで保護依頼を提出するまで、ノートでの議論に参加していません。】。先ほども申しましたが、先にリバートをおこなったのはDwyさんです。大和屋敷はgestgestさんの記述を適正化(リバートではありませんよ。平田2006-10-27を利用し新規に寄稿したものです!)したあとに6月12日にDwyさんが「信頼できない」といきなり(【この段階では】なんら根拠なく、単に法律解釈論を披瀝するのみで)断定して削除したものがきっかけになります[4]。よって事実関係が間違っています。もう一度確認してください。6月16日頃から6月20日ころまで議論に参加していない(投稿がない)というのは、単に大和屋敷ではない現実のワタクシ(パソコンのこっち側にいる本体投稿者)が現実に忙しかっただけのことですのでご了解ください(参考[5])。

5点目。【他人事のように保護依頼を出す姿勢を見て、被依頼者は3RRと保護依頼を悪用し、他者の編集を抑圧しようとしていると私は受け取りました。】これについてはTrcaさんの認識について記述されたものと判断しました。保護依頼を悪用して他者の編集を抑圧しようとしていると理解されたとしたら心外です。一方で保護依頼を「利用」して他者との「記事本体における編集合戦」を抑圧しようとしたものであります。ノートでの議論を抑圧した覚えはないということです。

6点目。【「個人攻撃」について、被依頼者のコメントでは井戸端の議論にしか言及がありませんが、被依頼者はノート:科学における不正行為でも、「まんまと人格攻撃の応報という徒労な結果に終わりました」と書いています。ここでの議論において、誰のどのような発言が「人格攻撃」とお考えなのか、具体的な指摘をお願いします。また、「応酬」とおっしゃるからには、ご自身も人格攻撃をなさったとお考えでしょうか?】について。[6]については井戸端での議論の拡散、および結論を得ることなく別の判断により決着したことの徒労感を表明したものです。井戸端での議論において人格攻撃(これは人身攻撃と述べようとしたものであり、いささか誤字であります。必要があれば修正します)のレトリックにより議論が「信頼できる情報源の認定方法」についての討議から「検討参加者の検討手法や議論手法の誠実性」にすり替わったことを残念に思う、との主意表明になります。応酬というのはまさに応酬であり、大和屋敷の行為を批判する記述に対してそれを無視するのではなく(論点のすり替えに同意・同調するのではなく)反論してしまったことをもって論点の拡散に加担してしまったことを指します。他の編集検討者の行為について明示的に批判したのは1回だけだったとおもいます[7]。他にも人身攻撃のレトリックにより議論が拡散してしまっている箇所があれば(それは大和屋敷が無意識におこなってしまった可能性があります)後指摘ください。

以上、すべての点について誠実に回答しようと努力し丁寧にコメントをつけたつもりですが、モレやヌケ等ございましたらあらかじめお詫び申し上げます。--大和屋敷 2011年7月1日 (金) 00:22 (UTC)[返信]

1点目。これではじめて返答をいただけました。コメント依頼という事態に至る前に、ノートでの議論のなかでご返答いただきたかったものです。さらに反論したいこともありますが、すでに終結した議論であり、このコメント依頼とは直接の関係がないので控えます。
2点目。1点目で返答いただいた私のものを別にすると、Dictionwolfさんによる2011年6月16日 (木) 10:32(以下時刻はUTC)、同2011年6月16日 (木) 14:19、Dwyさんによる2011年6月22日 (水) 16:37の編集等が無視されています。
3点目。Dwyさんの行為にも問題がないとは言いませんが、ここは大和屋敷さんの行為に対するコメント依頼です。
4点目。忙しく議論に参加できないのであれば、リバートするのも控えるべきでした。ノートでの指摘に(大和屋敷さんにとっては無意味なものだったにせよ)返答せずにリバートをした以上、対話拒否とみなされても仕方がありません。
5点目。誠実に編集合戦の抑制を目的として保護依頼を提出したのであれば、さらにリバートを行うべきではありませんでした。編集合戦に自ら加担しながら、編集合戦を抑圧したかったと言っても説得力がありません。
6点目。大和屋敷さんは、ノート:科学における不正行為を過去ログ化する理由として、「結局まんまと人格攻撃の応報という徒労な結果に終わりましたということであります。問題がなければこの一連の(「徒労感」だけの)記述を過去ログ化したいと思います。」と発言されています。井戸端の議論が人格攻撃の応酬だったことを理由にノート:科学における不正行為を過去ログ化するのでは筋が通らないので、この発言は当該ノートでの議論を指したものと理解しました。私の理解が誤解であれば、なぜ井戸端の議論を理由にノートの議論を過去ログ化しようとしたのか、ご説明ください。--Trca 2011年7月2日 (土) 02:44 (UTC)[返信]


議論2[編集]

  • Henonさんへ、まずは意見が大きく対立しつつも常に冷静で論理性をもったご発言に敬意とお礼を述べさせていただきます。さて本題ですが、Henonさんと私の相違は、Henonさんが「行為」についてご発言されているのに対して、私はその行為によってもたらされた「効果」について申し上げていることにあると考えます。Henonさんの「許容する行為」で他(今回は私)と開きがあった場合、「行為」自体の相違は小さなものでも、それによってもたらされる効果への影響が大きければ、より厳密に判断していただきたい。正確な判断をするにはその背景もある程度検証した上で行っていただきたいというのがこちらの趣旨です。例えば裁判において告発者が発言したのを他の証人が一方的で不当なものと発言したとします。告発者はその証人の発言こそが一方的で不当なものと考えて、その証人の背景がどういったものかを発言したところ、「告発者の証人に対しての発言は本裁判とは関係が無いので不適切、証人の発言は表現こそ改めるべきところがあるものの概ね支持される。」とすれば、正常な審議は出来ません。本来は告発者及び証人がどういった背景でそのような発言をしているか。どちらの発言が信頼性が高いかを考慮してこそ正常な審議が行えるということです。例えば[8]でmaryaa氏が2つご発言されていますが、1つ目の発言だけならばHenonさんと同じ行為であるように感じますが、2つ目の発言によって正常な審議の助けを出されたと見ています。もし「私は行為について言及しているのみで効果については関与しない」とされても、通常の記事についての議論であれば主題の「記事」に大きな影響を及ぼさないので問題ありませんが、今回のような被依頼者の行為による審議の場合、告発者や証言者の発言に対して大きな影響を及ぼすことは、想像に難くないと思います。そういったことからもこのような審議の場では、その発言によって及ぼす影響をまで十分考慮いただき、軽々に片方のみを肯定(私にはそのように見えました)することになる発言は控えていただくこと。また、そういった部分まで踏むこまれるなら、ご自身なりに背景を確認した上でご発言願いますようお願いします。最後に今まで少しきつい発言で反論させていただいてましたが、今回のはHenon氏が意図しなくとも結果的に「第三者の立場であるHenon氏が論争対立者の一方を容認したことで、私の発言の正当性における信頼が大きく損なわれた」と考えたからで、どうかその点をご容赦頂きたいと思います。--kei 2011年7月26日 (火) 13:20 (UTC)[返信]


まず、勝手ながら上記のkeiさんの発言をその上のお二方の発言とは節を分けをさせていただきました。もし問題がありましたらお知らせください。
さて、keiさん。どうもあなたの発言を見ていると、結局のところ、「正しい発言をしている自分を誤解させるような行為は控えて欲しい」という主張に思えてなりません。確かに私がkeiさんに一部誤解を与えたとすれば、それは私の書き方が悪かった点もあるかもしれません。しかし、「私にはそう見えました」とか「私はそう考えました」というだけでkeiさんの発言に何の問題もないかのような書きぶりには納得できません。ノートなので少し厳しい言い方をしてもよいかと思いますので、以下、いくつか指摘したいと思います。
  • 第一に、「Truesight氏の発言は表現こそ改めるべきところがあるものの概ね支持される」と主張しているわけではありません。もしそう考えたとしたらそれはkeiさんの誤解です。
「表現こそ改めるべきところがあるものの」というのは「表現」に対する重要性の認識が低いのではないでしょうか。主体を明らかにした書き方にして欲しいという要望は、Truesightさんの発言の趣旨を明確にするものであり、「客観」ではなく「意見表明」へ発言の射程を限定するものです。表現はそれくらい大切な話だと思います。
また、「支持」という言葉の使い方も私の意図とは違います。私がTruesightさんの発言について、
(ア) 大和屋敷さんに対するkeiさんのコメントに納得できないと意見を表明する行為
は容認し、
(イ)論争の当事者同士の評価は相当割り引いて考えるべきであること
という点は支持します。しかし、
(ウ)keiさんのコメントが公平性を欠いている
というTruesightさんの発言の内容には同意してもいないし否定してもいません。行為の容認と発言内容の容認は別の問題です。ですから、「概ね支持できる」などという比喩を用いられるのは不適切だと思います。keiさんがどう思われたにせよ、「軽々に片方のみを肯定」などというのは完全な誤解です。仮にkeiさんがどう思ったとしても、それらは完全に誤りであり、少なくとも私は、私の後の発言を良く見ればそれは明らかだと考えます。
  • 第二に「背景」の検証について。
一般に、
A という人が X と主張する
A について何らかの疑惑/問題/いかがわしい点がある
従って、X という主張は偽である
というのは典型的な人身攻撃による誤謬です。「議論の相手をおとしめ、その主張を第三者が割り引いて考えるように仕向けること」は本来避けるべきで、「あなたはこの男が無罪だと主張するが、あなた自身も犯罪者なのだから、そんな主張は信用できない。」というような論証の方法は危険です。ですから私は、A氏の持っている背景のうち、主張Xとは無関係なものを取り上げて、A氏の主張Xを棄却しようとするのは出来る限り避けるべきだと考えます。そしてまた、仮にそのような方法でA氏の主張Xを棄却できたとしても、それはXが正しくないということを論証したことにはなりません。私が、「大和屋敷さんの行為とは全く関係のないTruesightさんやPSIAさんの行動について議論するのは避けるべきだ」といっているのはそういう意味です。他方、keiさんの大和屋敷さんに対するコメントについて、「keiさんと大和屋敷さんがノート:南京事件において対立している」ということは、keiさんの主張の当否を判断する上で少なくとも関係のある情報です。私はその情報を書き込むことを容認します。そしてそれは「大和屋敷さんの行為に関するコメント依頼」の主旨に合致していると主張しているのです。
  • 第三に「効果」について。
keiさんの言う「効果」という意味でなら、私はTruesightさんの主張する「keiさんのコメントが公平性を欠いている」という発言が「客観的=かなり広範な合意を得られている」と解釈される「効果」を懸念して、「主体」を明らかにした書き方にしたほうが良いのではないかと提案しています。
その一方で上でも述べたように、Truesightさんの「公平性を欠く」という主張を棄却するために、Truesightさんの(大和屋敷さんとの議論とは関係のない)行動を取り上げることは、無用の人身攻撃を仕掛けているとみなされてしまう「効果」を懸念して、keiさんにそうした発言の仕方ではなく、大和屋敷さんの行為について詳細に議論するようにしたほうが良いのではないかと提案しているのです。
keiさんは、Truesightさんの発言で「自分の発言は完全に正しいのに、その信頼性が損なわれた」という「効果」を強調しておられます。しかし率直に言って、「Truesight氏は、非常に問題の多い行動で無期限ブロックされたNakata88氏のWikipedia:コメント依頼/Nakata88やWikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88で被依頼者に苦言を呈する利用者に対して、Nakata88氏と一緒になって逐一反論したり非難[40]するなど、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。」というkeiさんの発言の方が、ご自身の発言の信頼性を貶める効果をもたらしていると私には感じられるとあえて申し上げなければなりません。
  • 第四にMaryaaさんの発言について。
2つあるというkeiさんの書き込みが充分に理解できませんでした。keiさんの言う「1つ目の発言」というのは、[8]にあがっている「それはさておいても、上記コメントは一理あり、今回に関してはどっちもどっち、という印象があります。」という発言のことをさしているのでしょうか、それともその前の「上記コメント者は署名を覚えてください。また、ここは被依頼者の行為に対するコメントの場ですので、依頼者に対するコメントがおありならば、別途立項願いたい。」という発言のことをさしているのでしょうか?[8]の差分だと前者のように感じられます。しかし私は、keiさんの大和屋敷さんの行為に対する主張とそれに対する公平性を欠くというTruesightさんの意見とを「どっちもどっち」などと判断しているわけではありません。「どっちもどっち」というのは、「どちらの主張にもそれなりの理由はあるが、一定の非もある」というような意味でしょう。keiさんの大和屋敷さんの行為に対する主張とそれに対するTruesightさんの公平性を欠くという意見に対して、どちらにも理があるなどともいっていないし、どちらにも一定の非があるなどとも言っていません。私がしているのは、Truesightさんの発言がTruesightさんの個人的な見解であることを明確化し、keiさんには自身の主張を補足したりTruesightさんにさらなる説明を求めることで、「正常な審議が行われるように助けを出している」ということに他ならないと、少なくとも私は考えているのです。
われわれが何らかのテーマについて議論するとき、たとえどんなに自分が正しいと思って主張していても、それに納得しない人もいるのが常です。そうした反論をどのような方法で書き込むかは反論する人の自由にゆだねられており、賛否だけを述べる人もいれば、丁寧にひとつひとつの根拠を列挙する人もいるでしょう。比較的簡単に言葉や態度がエスカレートする人もいるでしょうし、また長い議論の中でお互いが疲弊することもあるでしょう。しかしそのときに「自分の意見が正しいのだから、自分の意に沿わない形で出された反論は不可だ」というような形で発言することはなるべく避けるべきです。どうも私は、keiさんの発言が「提示した正しい評価が不当に貶められている」ということを強調しすぎているように思えるのです。何が本当に正しいかが明確でない主題について論じている以上、もう少し相手の反論の主旨を斟酌した上で、ゆっくり時間をかけて議論するしかないと私は思っています。--Henon 2011年7月30日 (土) 08:11 (UTC)[返信]


Henonさんへ。概ね理解しました。 まず前提として、私と被依頼者の意見が対立していることを知られるのは不都合とは考えていません。私の提示したリンクを見れば分かることなので、確認した参加者それぞれが対立度合いや程度を判断すれば良いと考えています。ところが、意見対立する当事者の一人であるTruesight氏があたかも中立者であることを装って(私の主観です)「相当割り引いて考慮する必要がある」「客観的に見て」や「公平でない」との発言は当事者から見れば全く中立的でない、一方的な意見であると感じたからこそ、反論したということです。

あまり長文になりますと争点や主張がぼやけてくるので、出来る限り簡潔にまとめることを重視して何度か文章を修正していましたが、Henonさんの発言内容に沿った形で返答すると、私の表現力が原因でここまでの分量となってしまいました。お詫び申し上げます。

念のため、コチラが感じている争点を上げておきます。

  1. 反論に対する再反論は同じ範囲内であれば許容される。
  2. 広義としての議論と関係する話題は、表現方法その他で大きく制約を受ける
  3. 上記、制約の範囲を超えた発言は、その発言そのものが議論から排除されるべき
  4. 以上の性質を持った発言に対する反論は、同一範囲内に限って許容される
  5. 脱線したという評価は個人によってバラツキが有るので、そのやり取りの片方を否認した場合、もう一方も否認すべき

ということになります。あとの反論部分は、上記争点を説明したものと認識いただければわかりやすいと思います。以降はあまりの長文となったことで、読み違いや読み落とし、要領が得れない・発言内容が分からないとすれば、全て私の文章の組み立てが悪いことに起因するものと認識していますので、その前提で参考程度に読み進めてください。読み進めるのに負担が大きいと感じられるなら、むしろ読み飛ばしていただいて構いません。上記5項目についての見解を述べていただければ結構です。その場合、以降の議論で説明に引用するか、別の利用を考えます。その際は詳しくは見ていないとおっしゃっていただければ、それを踏まえて議論を進めますので、遠慮なくおっしゃって下さい。

  • Henonさんが「主張」に対してでなく、「行為」について容認したというのは私も書いた通りで、ここの見解はほぼ一致しているでしょう。ただその容認した「行為」は、狭義では本議論と関連しないため、容認されるか否かは普遍的なものでなく、表現方法その他において範囲が限定されるべきと考えます。一旦、容認か否かは脇に置いて、例の発言に対する表現はHenonさんも指摘されたように行き過ぎた発言があった。まず、ここは議論の出発点として認識を一致させましょう。ここからはコチラの主張になりますが、「行き過ぎた表現」によって行為そのものが下記の理由で否認されるべきというのが私の考えです。(エ)追加、ウ)をHenon氏の発言内容に沿う形に修正)--kei 2011年7月31日 (日) 12:26 (UTC)[返信]
(ア)表現その他で限定的にOKだが、イ、エが適切であることが前提
(イ)「相当割り引いて考えるべき」という主観が入ったのでNG(印象操作とも取れる)
(エ)主観による発言なのでNG(Truesight氏の発言)
(ウ)Truesight氏の発言と一体の扱いとする。
と見ています。あと「概ね支持できる」などという比喩を用いられるのは不適切とされたのは、コチラの表現が適切でありませんでした。申し訳ありません。「実際の内容その他については明言しないが、証言としては概ね採用される。但し修正すべき部分がある」と読み替えればスッキリしませんか。その場合の反論は他で上げている通りです。
  • 次の「背景」ですが3つ問題が有ると考えます。まず一つは片方が許容範囲を超えた背景説明したことを容認したなら、同じ範囲内で反論としての背景説明は許容範囲であるということです。ここで「許容範囲」を超えたか否かは1で申し上げたとおりです。どこまでが許容されるかは争点となるでしょう。
二つ目ですが、まず前提として、議論に脱線はつきものだということを申し上げておきます。もちろん、粛々と本題についてのみ意見が交わされるのは大変望ましいことですが、議論が白熱するほど、長引くほど脱線する可能性が上がるのは仕方がないことと見ています。また一見、関係無いと思えても、議論を進めるにつれて有効であったり、関係ないと思っていたのは少数派であったというのもよくあることです。それと経験則ですが特に政治的な話題や歴史・国際関係など、個人のイデオロギーが入り込みやすい話題ほど脱線はつきもので、経済学や科学分野などのある程度答えが出ている分野を専門に議論していた方との「脱線の許容範囲」は、大きく相違すると見ています。よってHenonさんも他でおっしゃってた通り、どこまでが許容で、どこからが脱線と見るかも人によって変わるということ。脱線についての評価はあらゆる部分でズレが生じるとの認識で話しを進めます。
最後の3つ目ですが、背景説明に反論するための背景説明は認められるべき再反論の範囲だということです。当依頼では参加者の背景説明は不要との意見はもっともだと思いますが、一方が行なったことで、された側が報告の信頼性が損なわれたと考えるなら、許容されるべき防衛措置と考えます。例えば、先に背景説明した人物自体が意見対立の当事者である場合、その報告自体に偏りが生じるので、反論された側はそれに対して再反論する権利を有していると考えます。その反論方法はいくつかありますが、前者(Truesight氏)の発言自体が主観的であり、恣意的な印象操作の可能性を感じていると考えた場合、有効な反論はその発言を否定する方法であるということ。例えば、例の発言に対して「具体的な反論を求む」とすれば、あの発言に対して形式的に「肯定する部分があることを認めている」という事実が残ります。そうなるとコチラとしてはTruesight氏の思惑はある程度成功したと感じたため、そういった反論は不十分で、彼の発言そのものを覆すことがもっとも有効と考えたということです。発言内容を覆す方法も幾つかありますが、Truesight氏の「誰がどういった人物か」という発言から既に、議論の中心から外れているとの認識を持ったため、「Truesight氏も当事者の一人なので、前回発言は偏っている」と主張すれば更に反論が入り、何度か脱線したやり取りが続くことを懸念したので、例の発言に対しての一度だけの反論としてTruesight氏のかつての行為を反論として使ったということです。私の背景説明が不適切なら、先に行なったTruesight氏の背景説明も不適切です。さらに具体的な事例を使用した背景説明なら反論も可能ですが、本人の主観(印象)だけの発言は受け取り方次第では個人攻撃となりますので、再反論の許容範囲もある程度拡大すると考えます。但し許容範囲が拡大した再反論を受けて、更に再々反論まですれば、完全な脱線行為となり、議論から排除されるべきと考えます。
ここは誤解が生まれやすいところと考え、もう少し続けます。例えば私の報告に対してTruesight氏が、その報告を具体的に指摘して反論した場合、コチラが「Truesight氏はこのような行為を行う人物です」とするのは、完全に不適切なのは間違いありませんが、私の報告に対してTruesight氏が「kei氏はこのような人物です(しかも主観only)」とするのが認められる行為というのは公平性に欠けます。例えば具体例に対して反論(主題)し、副次的に情報を出した上で「以上の通り意見対立している・・・」とするなら、ある程度の表現までなら単なる言葉の流れでの発言となるので許容できる可能性があるでしょう。(1(ア)の範囲内で容認。)
  • 「効果」については、まずは誰がその評価をするかということになります。今回のは当事者である私です。例えその評価がHenon氏と違っていようと、それによって責任や影響を被るのは当事者なので、当事者本人が主体的に評価して行動するのは当然のことと言えるでしょう。そこで、Henon氏の発言になりますが「行為」についてはTruesight氏発言「内容の検証と評価はしないが正当な行為と容認」、kei発言「不適切な行為と否認した」と評価が分かれたことによって、もたらされる効果は当然優劣がつきます。この部分で優劣が付くことによって、当依頼の過去~未来の発言に対してもその優劣の影響が及ぶことになります。これが「懸念」する効果です。今回のは指摘される可能性が有ることを認識した上で反論しました。しかし私の予測した指摘とは、私の報告に対して、まずTruesight氏の個人の主観に基づいた発言を指摘した上で、私の反論とした発言も指摘するものでした。これなら双方の同じ行為に対して優劣がつかず公平な指摘と受け止められます。仮に私からそのような「背景説明」発言をし、あとでTruesight氏が反論に用いる形で「背景説明」したのであれば、仕掛けたのはコチラなので、私のみが批判されても理解できます。今回はその逆で、批判対象も逆となったわけです。
  • Maryaaさんの発言については、説明不足で申し訳ありません。「それはさておいても」以降の発言で合ってますが、前後も関係するので、出来れば差分でなく、下に付いてる、その当時の版を見ればわかりやすいと思います。大事なのは「どっちもどっち」では無く、確認したという事実です。Maryaaさんは、私の反論に基づいて情報を上げたIPユーザの行為を当依頼とは関係ない行為であると指摘しています。ここで一旦、依頼者と被依頼者の評価で優劣がつきます。(正確には私でなくIPユーザですが、私の主張を見て代理で情報を提供されてるので、私の代理行為に当たります)ところが、Maryaaさんは、初回コメントだけでは当依頼の影響が及ぶと判断し(推測)、中身を実際に検証し、それについて発言されたということです。よって、優劣が付いてしまう発言であれば、あらゆる状況を想定して、確認した上での発言を行う慎重さが求められると言うことです。

「自分の意見が正しいのだから、自分の意に沿わない形で出された反論は不可だ」という考えは持っていません。本人の意に関係なく議論進展に有効な反論であれば問題はありません。Truesight氏のは、報告したものに対して議論進展をもたらさない単なる個人的印象による批評を入れたことが不可ということです。また、露骨なまでの恣意的行為も認められないということです。ここまでですが、やはり長いですよね。申し訳ありません。重複部分の削除等、もう少し簡略化できそうであれば適時修正を入れていきます。--kei 2011年7月31日 (日) 05:16 (UTC)(体裁修正及び、ア~エ部分をHenonさんの発言に沿う形に修正--kei 2011年7月31日 (日) 12:26 (UTC)[返信]

keiさん、返答ありがとうございます。私は自分が当初から参加している議論であれば、少々長い返答でも気にしませんので大丈夫です。時間を見つけて返信させて頂きます。取り急ぎ返礼まで。--Henon 2011年7月31日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
keiさん。私には到底納得できそうもないことがたくさん書かれているのですが、すべてに逐一反論するだけの元気はないので、少し概括的な返信になりますがお許しください。こちらもいささか長くなっていることもご容赦ください。
私にはどうも「争点」の認識が少し違うように思うのです。おそらく私とkeiさんの決定的な違いは、
一、具体的な根拠を伴わない形であっても、ある論点に対して賛否という主観的意見表明をする権利はある。
ということに賛同するかどうかだと考えられます。この問題点には2つの側面があります。
a.何を主観的意見とみなすか。
b.具体的根拠を伴わない主観的意見表明は、コメント依頼で行うべきではない行為か。
という2点です。私が問題視しているのは、keiさんが客観と主観を峻別しようとする余り、主観的意見表明という行為そのものを妨げようとしていると感じられる点です。そもそも私は、「客観的意見」というものが相当限定的だと考えています。まったくないとは思いませんが、われわれの多くの意見は多かれ少なかれ主観が紛れ込む余地があり、そのことをもって発言自体がNGだと言い出したらそもそも議論なんて不可能ではないかとさえ思います。私が懸念を表明しているのは、keiさんは自分がどう感じたかということを根拠に多くの行動を起こされている、そういう主観的な判断で行動を起こされているにもかかわらず、Truesightさんのひとつの主観的意見表明で、「自分の客観的意見の信頼性が侵害された」とことさらに強調しすぎているということなのです。あえて少しだけ揚げ足を取りますと、keiさんの最初の報告には、「意味不明な思い込み」、「意見対立者をわざと挑発する」、「参加者の発言をわざと引用して」、「わざとはぐらかして」という表現が出てきます。大和屋敷さんが何を思い、また「わざとやっている」のかどうかは本人以外に誰もわかりません。また、Truesightさんのことを「あたかも中立者であることを装って」と述べたり、「Truesight氏の思惑」と何か背景に隠された目的があるかのような書き方をしたり、そう考えているのはkeiさん自身であり、これらの報告や発言もいうなればkeiさんの主観ではありませんか。だからといって、keiさんのこの発言の信頼性が傷つくわけではないと思います。
次に「具体的根拠」を伴うかどうかについてですが、すべての人がいついかなるときも意見表明をするときは必ず根拠を述べなければならないとするのはとても窮屈で多様な意見を述べる機会を失わせるように思います。既に、Truesightさんとkeiさんには他の場所での議論もあったことですし、Truesightさんは、単純にkeiさんの意見に納得していない人もいるということを言っておきたいだけだったかもしれません。またそういう形での賛否の表明は容認するべきだと私は考えます。もしどうしても反論したければ、具体的に述べてくださいと要望すればよく、それで返答が得られないなら、その議論を見ている人にとって、単なる意見の表明というレベルで受け取られるだけの話です。ここでもkeiさんは、Truesightさんの発言で、あたかも自分の人格・信頼性すべてが汚されてしまったかのような受け取り方をされているように思うのです。また、「具体的根拠」に関する議論がすべて抜け落ちて、ア~エの中で、単に「主観か否か」という点しか述べられていないことも気になりました。
二、そもそも1や4にある「何が同じ範囲内か」ということ自体が問題である。
私とkeiさんでは、「同じ」と判断しているものがそもそも違うわけです。keiさんにとっては自身の反論はTruesightさんの発言と同じ範囲内のものなのでしょうが、私はそう考えてはいません。「同じ範囲内」であるかどうかの見解に差異がある以上、「同じ範囲内であれば許容されるかどうか」は実際には副次的な争点なのではないかと考えます。
三、当事者によって判断が異なるからといって、片方を否認するならもう片方も否認するべきだという議論には賛同できない。
ある論点に対してXという意見とYという意見が表明されたとき、AさんはXは範囲内だがYは場外だと考えた。BさんはXもYも場外だと考えた。CさんはXもYも範囲内だと考えた。そういう状況の場合、Yという意見に対して否定的な見解を述べたAさんの行為はNGなのですか?私はそういう意見には同意できません。多くの編集者がまさに自らの主観的判断によってwikipediaに参加している以上、多くの人々の主観的判断が示されることが重要なんじゃないでしょうか。XとYに関して脱線しているかどうかが各編集者によって判断が分かれているということと、ある一人の編集者がXとYをどう判断するかはその編集者の責任と主観で行えばよいことであり、その判断を表明することを妨げるべきではないというのが私の考えです。
四、仮に同じ範囲内にあったとしても、常に応答や反論が許容されるわけではない。
そもそも「同じ範囲内」であることが無条件に許容されるわけではないと考えます。仮に誹謗中傷されり個人攻撃されたたからといってこちらも誹謗中傷で応えてよいということにはならないし、そうした発言に対して何か可能な反論の許容範囲が広がるなどということはないと私は考えます。私はTruesightさんの発言が何らかの意味で恣意的な印象操作であるとは思いませんが、しかし仮にそうであったとしても、それに同じレベルで応答してよいはずがありません。
(なお、2、3で述べられている点については、どういう意味か完全には理解できませんでしたが、少なくともTruesightさんが「私は」と表現を修正された以上、発言そのものを除去する理由はないと私は考えています。)
五、その他いくつかの細かな点について。
  • Truesightさんのコメントについて
「相当割り引いて考えるべき」というのは、何もこの発言には信頼性がないとか「偏っている」とか、議論の当事者の見解は全く信頼性がないということを断定しているわけではないと思います。ですから「一般的」な注意喚起であると申し上げたわけです。しかしもちろん「論争当事者の見解は相当割り引いて考えるべきだ」というのもひとつの主観かもしれません。私はある程度広範に合意が得られる種類のものだと思っていますが。
  • 「背景説明」について。
Truesightさんがした背景説明は、単にkeiさんと大和屋敷さんが議論の当事者同士であることを指摘しただけで、私は不適切だとは思いません。「当事者であること」は「公平な意見ではないこと」の根拠になっていると読むべきではないと私は考えます。少なくともTruesightさんが発言を修正されたわけですからなおのこと前段は後段の根拠であるとはいえないと考えます。
  • 「効果」について。
keiさんが、Truesightさんの発言やその後の私の発言で、自分の発言の信頼性が傷つけられたと感じている(=主体的に評価している)ことはわかります。しかし、それが少し大げさではないかと私は述べているのです。「防衛措置」であるとか、「当依頼の過去~未来の発言に対してもその優劣の影響が及ぶ」などというのは言いすぎだと思います。ひとつの論点に対するやり取り、具体的には「Truesightさんというkeiさんと議論している人がkeiさんのコメントに納得していないと表明していること」がkeiさんの発言すべてに波及するわけではないと思います。
下の議論で世界最狂の魔法使いCray-Gさんが、「Truesight氏が勢い余って場外に飛び出した」と述べていますが、残念ながら私はそうは考えません。私の考えでは、「勢い余って場外に飛び出した」のはむしろkeiさんの方だと思います。keiさんの発言によって、keiさん自身は自分の発言の信頼性について補強できたと感じておられるのでしょう。しかし、私にはむしろ逆効果だと感じられると申し上げているのです。あの反論の仕方が、Truesightさんの発言が不当なのものであると論証できたとkeiさん以外の誰が判断できるでしょうか。少なくとも私には到底そのような「効果」はもたらされなかったと言わざるを得ないのです。ましてや「本人の主観(印象)だけの発言は受け取り方次第では個人攻撃となりますので、再反論の許容範囲もある程度拡大する」という考え方の方こそよほど主観的な発言ではないでしょうか。仮に相手がエスカレートしたかといって、こちらもさらにもう1ステップエスカレートさせてよいなどというのは私には理解できません。相手がエスカレートしたと感じたならば、なお自分は一歩下がって対応するべきだと私は考えます。
  • 「行為」と「効果」について。
keiさんが効果あるいは結果を重視しているということはわかります。しかし、効果や結果をもって行為を禁止することに、私はかなり危うさを感じます。はぬまんさんとの議論の中でも、「コメント依頼に対する異議」という言葉の使い方が、「コメント依頼という行為に対する異議」という意味で使われてしまっているように思うのです。コメント依頼が行われた結果、その依頼者の発言に対して同意できないと表明することと、依頼者がコメント依頼した行為が誤りであったと断じることとは別の問題です。そこが峻別されていないので議論が混乱していたように思われました。--Henon 2011年8月4日 (木) 16:20 (UTC)[返信]
少し補足です。
いま読み直したところ、Truesightさんの最初の発言には、「同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが」とあるので、そもそも「中立を装って」というのは言いすぎなのではないかと思いました。
また下の議論において、「その行為を認めると、意見対立した利用者に対して、他でも繰り返すことが予想されたため、もう少し強く、そういった行為をすれば自身にとってデメリットしか無いとの認識を持たせるためにあのような発言をしました。「どちらも本議論と関係ない話しはやめてください」(こういった発言が入ることをある程度期待していました。)と入れば、すんなり終結した話しだと感じています。」と発言されていますが、これにもいささか違和感を持ちます。そもそも、Truesightさんの行動を抑制させるためなら脱線してもよいというのは、私には言いすぎだと感じられます。本筋から外れたと認識していながら、他人が止めてくれることを期待して議論をエスカレートさせることが建設的な対話だとは思えません。--Henon 2011年8月4日 (木) 16:55 (UTC)[返信]
Henonさん、ありがとうございます。前回上げた私の感じる争点ですが、私の表現が適切でないことが原因で、微妙なニュアンスで齟齬が生じているように感じます。前回上げた争点に解説、もしくは反論を加えます。
1.反論に対する再反論は同じ範囲内であれば許容される。
反論については権利と考えますが、その内容に関しては権利ではなく内容次第で許容か否かが判断されるということです。私はHenonさんのように人格者ではありませんので、琴線に触れれば怒りもわきますし、感情を隠しきれずに反論してしまうこともあります。また同じ行為であっても何度も繰り返す人物に対しては、許容範囲が狭まることもあります。(念のため申し上げておきますが、これでも冷静に対応する努力は続けています)そういった際、許容(権利ではありません)されるやり取りは同じ種類、同じ範囲での反論だということです。その範囲に関しては4で返答致します。
2.広義としての議論と関係する話題は、表現方法その他で大きく制約を受ける
少し背景説明について確認させて頂きます。コメント依頼において次のような発言があったとします。A「この人はネット右翼的な考えを持っているので、発言は全て恣意的だ」、B「私から見るとこの人物はネット右翼とされる人物にあげられる行動と、至るところで類似した行為が見られるので、意見そのものが公平でないと考えます」、C「この方の思想は保守的傾向が強いので、発言自体が極端に偏向しており、参考にはならないと思います。」、D「今までのやり取りを見ると、この方の思想は保守的傾向が強く、発言自体が偏っているように感じます。」この内、どれがOKでどれがNGとお考えですか。
3.上記、制約の範囲を超えた発言は、その発言そのものが議論から排除されるべき
同意されたかはともかくとして、解釈に齟齬は生じていないように感じますので、省略します。
4.以上の性質を持った発言に対する反論は、同一範囲内に限って許容される
同じかどうかというのは、確かに評価する人物によってバラツキは生じるでしょう。そのように、既にバラツキが生じることが予想される場合に重要なのは、厳密に区別することでなく「同じ種類」か、「同じ範囲」かを広義に捉えるということになります。Henonさんが裁判官のように、こういったことを裁定される役割を持っているとすれば、厳密な判断も可能でしょうが、同じ一参加者同士が議論する場合、必要なのは厳密な区別ではなく、物事を俯瞰的に捉えることだと考えます。そういった場合に必要なのは個人によってバラツキの多い狭義の概念でなく広義の概念です。それと仮に誹謗中傷されたり個人攻撃されたからといってこちらも誹謗中傷で応えてよいということにはならないとのことですが、それで先にした側の行為を容認し、された側の反論を不適切とするのは、かえって問題をこじれさせるでしょう。これは本人が意図(当初、Henonさんの発言が意図的に肩入れしたものと思い込んでいたことで、失礼な発言をしていました。申し訳ありませんでした。)せずとも片方に肩入れした行為になってしまいます。
5.脱線したという評価は個人によってバラツキが有るので、そのやり取りの片方を否認した場合、もう一方も否認すべき
a「貴方は馬鹿だ」、b「そういう貴方こそ気が狂っている」とのやり取りは、ab両方が悪いのであって、aのみやbのみを断罪してはいけないということです。もしくは、このやりとりまでを議論にありがちな脱線と許容(極端な例なので本来はNGですが)して、それ以降のやり取りは認めないということです。
主観と客観について述べさせて頂きます。表現を省略していたので、正確な用語にしますと「主観的」と「客観的」になります。要はどちらにウェイトが置かれた観点かということです。例えば、ある統計データに基づいて現状を解説した資料があったとします。一般的には、その統計データ自体も有る特定の人物が組み立てた主観による仮説に基づいて、それを検証をするためにリサーチする項目を主観によって決定し、そのリサーチ結果を元に担当者の主観に基づいた論理構成によって解説します。これは主観がポイント毎に入りますが、一般には客観的な資料に属するものとなります。主観的な観点も客観的なデータや資料があるほど、客観性の高い観点になります。翻ってTruesight氏の発言(当初でも訂正後でもかまいません)には客観的な要素が見当たらず、100%主観による発言となっています。再度申し上げますが、これは議論の進展をもたらさない発言であり、正面から反論しようのない発言となります。
補足部分に関しては異論がありますが、本議論には重要度が低いので少し保留とします。Henonさんが見解をお求めでしたら、改めて発言します。--kei 2011年8月5日 (金) 14:25 (UTC)[返信]
keiさん。はじめに一つ申し上げたいのですが、私は比喩で話を進めるのはなるべく避けた方がよいのではないかと思います。的確な比喩は物事の本質を整理するのに役立つこともあるでしょうが、議論を混乱させることもあると思います。今回の応答では若干のそのあたりについてのコメントをせざるをえないので少しはしますが、かえって議論を混乱させそうな感じがするのです。
  • 「同じ範囲内」について。
私はkeiさんがTruesightさんの発言とkeiさん自身の発言を同種のものであると認識していることは理解しています。『a「貴方は馬鹿だ」、b「そういう貴方こそ気が狂っている」とのやり取り』という比喩をどの程度真に受けるべきか判断がつきかねますが、しかしそのような比喩を用いている以上、少なくともkeiさんにとってTruesightさんの発言は「貴方は馬鹿だ」というのと同程度の人格的攻撃であると映っているのだと判断せざるをえません。
しかし既にその時点で私とは判断が異なっているのです。keiさんが同じものだと諒解していることはわかります。しかし、それが正しい認識だとは私には思えないのです。Truesightさんの発言は
(1)自分もノート:南京事件での議論に参加していることを明示
(2)keiさんがノート:南京事件において大和屋敷さんと対立的な立場で議論していることを指摘
(3)keiさんの大和屋敷さんへのコメントは相当割り引いて考えるべきだと意見を表明
(4)自分はkeiさんの大和屋敷さんのコメントに対して公平ではないと思っているという意見を表明
という4つの部分からなっています。
少なくとも(1)に主観的要素はなく事実を述べているだけです。
(2)では、以前keiさんが「比較的激しい応酬」という言葉も主観的だとおっしゃっていたように思いますが、それはやり取りに使われている言葉の激しさ以外にも単に頻度が多いという意味もあるように思います。仮にそこは言葉が走りすぎているとしても、「keiさんと大和屋敷さんが議論の当事者であって、かつ意見が対立している」ということは事実なのではないですか?もしそうなら全体としてみればkeiさんの主観的な要素は「激しい応酬」という以外にはなく、そこを除けば問題はないと思います。
(3)は「相当割り引いて考えるべき」と考えているのはTruesightさんであり、ここはTruesightさんの主観的意見でしょう。ですが、「対立している当事者同士が相手の行動について批判している場合には、相当程度割り引いて考えるべきである」ということは、読者の側の一般的注意として私はそれなりに広く合意が取れる見解だと思っています。そしてもうひとつ、「相当割り引いて考えるべき」というのは、「keiさんのコメントが偏向している」と断定しているわけではないことです。「割り引いて」も零だとは言っていないのです。また同時に、「対立している論争者が相手について批判するコメントはすべて偏っている」と言っているわけでもないと思います。時として公平性を失うこともあるから読むときには注意が必要だということです。ですから(3)はもちろんTruesightさんの主観的意見ですが、それなりに合意の取れる一般的な注意喚起について述べているのだと私は解釈しています。(2)を根拠に述べられた(3)の意見は、keiさんと大和屋敷さんの議論を踏まえて、keiさんのコメントについて述べられたもので、決して場外乱闘であるとは思えません。
(4)はもちろんTruesightさんの主観的意見です。具体的な根拠は示していませんが、しかし、これもkeiさんの大和屋敷さんの行為へのコメントについての賛否ですから、大和屋敷さんの行為に直接言及していなくとも、大和屋敷さんの行為についての議論の一環であるとみなすべきだと私は考えます。おそらくこの点がkeiさんと私の認識の最大の相違点です。
Truesightさんの発言に対するkeiさんの第一の応答は、TruesightさんがNakata88さんの行為に対するコメント依頼/ブロック依頼に対する行動を根拠に、Truesightさんの行動を「偏っている」と批判するものでした。この反論は、大和屋敷さんの行動と直接関係しているものではありません。Truesightさんのkeiさんの報告に対するコメントの方が公平なものではないと説得する根拠にすらなっていないと私は判断しています。この応答が、大和屋敷さんの行為に関するコメント依頼に合致しているとは到底いえないと考えます。だからこそ、Truesightさんの最初のコメントとそれに対するkeiさんの第一の応答はコメント依頼の趣旨に合致しているかどうかという点で決定的に違います。
keiさんがTruesightさんとのやり取りを『a「貴方は馬鹿だ」、b「そういう貴方こそ気が狂っている」とのやり取り』と同様な意味で、「同じ範囲内の議論である」と判断していることはわかりますが、私にはそれは受け入れがたいのです。どう広義に解釈しようと俯瞰的に見ようと、この差は私にとっては決定的なものなのです。
例えばkeiさんの反論が、「Truesightさんのコメントは具体的な根拠がなく個人的な印象ばかりを述べているように思います。具体的な根拠を述べずに意見だけを書くべきではないと思います。」だったら完全に場外であるとは思わなかったでしょう。またkeiさんの第一の応答がTruesightさんと何度かやり取りを重ねた上で出てくる発言ならまだお互いエスカレートしてしまったのかなと判断することもできたかもしれません。
ましてや「その行為を認めると、意見対立した利用者に対して、他でも繰り返すことが予想されたため、もう少し強く、そういった行為をすれば自身にとってデメリットしか無いとの認識を持たせるため」との目的で発言したとすれば、それこそ大和屋敷さんの行為に対するコメント依頼との主旨から逸脱していることは明白ではありませんか。そうしたことは、Truesightさんの会話ページなどで必要なら行うべきことのはずではありませんか。Truesightさんの最初のコメントとkeiさんの第一の応答を「同じ範囲」と見ることは残念ながらわたしにはできません。
  • 「背景説明」について。
keiさんからのご質問には残念ながら「どのようなコメント依頼で発言されたものかによってどれが許容できるかは変わる」としか言いようがありません。例えば、コメント依頼がTruesightさんの行為に関するものなら場合によっては容認されるコメントもあるかもしれません。しかしコメント依頼がTruesightさんに関するものではなく、また扱っている話題が、例えば「科学における不正行為」のように「保守的思想」と関連の薄い分野に関することであればすべてNGだという可能もあります。率直に言ってこの4つの選択肢を設けてkeiさんがどういうことを議論したいのか私にはわかりません。
  • 「主観的/客観的」について。
私は客観的データや客観的意見の存在をすべて否定したいわけではもちろんありません。しかし、少なくともkeiさんの最初の報告は、何らかの統計データに基づいたものではありませんよね。また私は、keiさんの報告が統計データに基づいて話をしているというほど客観的なものだとも思えません。大和屋敷さんの行動が「恣意的なもの=わざとやっているもの」かどうか判断することは、統計データに基づいて話をすることとはレベルが違うと思います。「私にはわざとやっているようにしか思えません」は主観的意見の表明ですが、私はそのような意見を述べることをある程度は容認します。何度も述べていますが、どのような形で意見を述べるかは参加者の裁量と責任によるべきであり、またコメント依頼は何かに決着をつけるための場でもない以上、あるコメントに対する賛否を述べるだけの意見であってもそれを書き込むこと自体に問題があると思いません。keiさんはそうしたコメントはNG=不可だと考えておられるようです。私が何度か申し上げているのは、「自分の意に沿った形の反論」つまり「1~8の論点に具体的根拠を添えた形での意見表明」以外は認められないという態度を取っておられるように見えることです。繰り返しますが、「Truesightさん、そういう意見表明の仕方は無効だと思います。」というコメントなら私は容認したでしょう。私が問題にしているのはkeiさんの第一の応答のやり方そのものです。そして、そうした意見表明の機会を奪おうとしているように見える点です。
  • 「議論の進展」について
そもそも「コメント依頼」は、被依頼者の行為について広くコメントを募るものであって、必ずしもそれが合意に至るべきだというわけでもないし、個人的印象を述べることもそれなりに許容されている場なのではないかと思います。その意味で、コメント依頼は何が正しいか決着をつける場所ではないと思います。ブロック依頼や何らかの投票が行われている場所なら少し話しは違ってくるかもしれません。下の議論で、keiさんは世界最狂の魔法使いCray-Gさんの「論破厨」との発言に抗議しておられます。しかしわたしには、keiさんが議論で何かに決着をつけようとしているように見えるのです。自分のコメントに反対するコメントが残ることを極端に嫌い、「形式的に肯定する部分があることを認め」ることさえ受け入れがたいという発言からそう感じてしまいます。--Henon 2011年8月5日 (金) 21:30 (UTC)[返信]
  • 「同じ範囲内」
どうも合意点が見いだせそうにない。(1)~(4)については、私は初回発言で被依頼者とはノート:南京事件 (1937年)で長く議論しています。から始まりWikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での対話拒否。ノート:南京事件 (1937年)びノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2では、度々冷静さを欠いた書込が目立ちます。ノート:南京事件 (1937年)では、攻撃対象がほぼ私だけのようなので、私一人が我慢すれば良いと考えてましたが、複数ページ、複数の対話者で同様の行為があるなら少し問題と考えます。で終わっています。被依頼者とは論争があることは既に述べています。あとの判断は皆さんに任せるようにしているので、Truesight氏の発言は過剰です。「相当割り引いて考えるべき」と考えているのはTruesightさんであり、ここはTruesightさんの主観的意見とのことですが、他の参加者の評価を客観的な情報を提供せず、主観的な意見として表明すること自体に問題があるとは感じませんか。それを認めれば「単なる言いがかり」も、し放題となるでしょう。Truesightさんのkeiさんの報告に対するコメントの方が公平なものではないと説得する根拠にすらなっていないと私は判断とのことですが、議論に有効な発言と見ていないのであれば、容認・否認の区別をあそこでつけることに矛盾は感じませんか。「他でも繰り返すことが予想されたため・・・」については、まず、ここの議論でも同じ行為をするように見えたということ。(その客観的な材料となる情報は出しています)それを牽制する役割を持った発言をすることで、議論がおかしな方向へ進まないように考えての発言であるということ。ところがHenon氏が「Truesight氏容認」、「kei否認」としたことで、自体の収拾どころか拡大につながったと見ています。
  • 「背景説明」
「行為に関するコメント依頼」です。今議論しているのがそれなので、「科学における不正行為」に対する意見を募るようなコメント依頼とはなりません。どこで線引きをされるのかを確認したいのです。
  • 「主観的/客観的」
Henonさんの返答では統計データを用いた分析だけが客観性を有していることを認めるような発言ですが、引用が統計だけでなく文章であっても客観性を有することが出来ます。wikipediaでは、出典(外部資料やデータ)を用いることで客観性を担保する一つとしています。統計データとは関係ない記事は全て主観に偏った記事だとお考えですか。それと「Truesightさん、そういう意見表明の仕方は無効だと思います。」というコメントなら私は容認したでしょうとのことですが、それだと私の発言次第で、Truesight氏の第一発言が容認か否認かに分かれることになり、矛盾しています。「…無効だと思います」との発言を容認したとすれば、即ちTruesight氏の第一発言を否認することになります。反論内容によってTruesight氏の第一発言が「容認」か「否認」かに分かれるべきでないでしょう。
  • 「議論の進展」
どういった意図で、今の議論にこれを持ちだされたのか真意が分かりかねますが、全てに決着をつけようとの考えはありません。逆に全てに妥協点を見つけようとの考えもありません。
常に冷静で論理的にお話しできる方と見て対話していましたが、「背景説明」や「主観的/客観的」でのご発言を見ると、揚げ足を取るような印象を持ち、少し残念に感じます。理解しあうことを目的に議論されているのなら、「どのようなコメント依頼…」や「また扱っている話題が…」としたり「統計データに基づいたものではありませんよね。」という発言にはならないでしょう。もう少し正面(これが比喩であるという説明も必要ですか?)からコメントされることを望みます。Henonさんが、表面的な言葉の矛盾を探してでもご自身の主張を通したいとお考えなら、これ以上議論するのは無駄かもしれませんね。--kei 2011年8月6日 (土) 01:05 (UTC)一部追加--kei 2011年8月6日 (土) 02:16 (UTC)[返信]
keiさん。
  • 「背景説明」について。
例えば、今回のkeiさんの最初の報告に対して、別の誰かがA~Dのような反論を持ち出せばどれもすべてNGだと考えます。あるいはkeiさんの発言に対してTruesightさんが行った第1の応答の後、A~Dのような発言をTruesightさんに対して行ってもやはりすべてNGであるということなると思います。
個別の発言について言うなら、Aにある「全て恣意的」との断定は適切とはいいにくいし、Bにある「至るところ類似している」というのも「ネット右翼とされる人物にあげられる行動」が類型化されたものなかのかかなり疑問が残るため、それを根拠に公平性がないと断定するのは適切ではないと思われます。またCにおいても「保守的傾向が強い」ということは「意見が極端に偏向して」いるかどうかの根拠にするには余り適切とはいえないと思います。Dにも同様のことが言えますが、たとえば、「南京事件」に関する議論の中であるXさんが取った行為に対するコメント依頼の中でDのようなコメントが発せられた場合には、議論の流れによっては許容されることもあるかもしれません。しかし、「科学における不正行為」に関する議論の中であるXさんが取った行為についてのコメント依頼において、Dというコメントをしてもそれは許容されないと思います。「行為に関するコメント依頼」であっても、その行為がどのような話題を扱っているものかによってどの発言ならば許容されるか=コメント依頼の主旨に合致しているかは変わってくると思います。
私が前のコメントで疑問を提示したのは、keiさんが何を基準あるいは差異としてA~Dの発言を想定し、どのようなシチュエーションでの発言を想定しているのか私にはわからなかったので答えにくいということです。
  • 「主観的/客観的」について。
統計データだけが客観的だと主張したいわけではありません。しかし、keiさんが統計データについて言及されたのは、例えば、「○○というところの発行した△△という統計資料には××というデータがあります」というような発言と同程度には、自分の報告が客観的だということを主張されておられるからではないでしょうか。私が前の発言で言いたかったのは、そこが同程度のものだとは思えませんということです。例えば、「客観的にみて、大和屋敷さんの行為はわざとはぐらかしています」というコメントがあれば、私はやはり「客観的に」を「私は…と思います。」に書き直すべきだと主張すると思います。「わざと」は大和屋敷さんの「意図」を問題にしていて、誰もが確認できるような資料やデータそのものではないからです。それは大和屋敷さんの発言についていくつか引用した上であっても同じことで、やはり「客観的にみて」とかくのは避けるべきだと思います。私がkeiさんの最初の報告にも主観的要素が色濃く反映されていると感じているのはそういう意味です。しかし私はそれがkeiさんの報告の妥当性を疑わせるものであると思っているのではなく、大和屋敷さんの具体的な発言を引用しているという点で線を引いて、自分の発言の方がTruesightさんの発言よりもより客観的であり、Truesightさんの意見表明そのものがNGで、「議論に進展をもたらさない」発言であり、「発言そのものが議論から排除されるべき」と断定している点を問題にしているのです。「正面から反論できない」とありますが、私は、「もっと具体的に根拠を述べてください。そうでなければ、Truesightさんのコメントは単なる個人的印象(主観)でしかなく、その程度のレベルでしか受け取られないと思います。」というようなコメントをすればよかったのではないかと申し上げています。keiさんがTruesightさんの第一の応答について、「肯定する部分」は全くないと断定し、「そういった行為をすれば自身にとってデメリットしか無いとの認識を持たせ」たいと考えてコメントすることが行き過ぎじゃないかと申し上げているのです。「Truesightさんも議論の当事者なのだから、私が提示した大和屋敷さんの発言を検証し、問題点を具体的に指摘してください。」とかけば、Truesightさんから応答があったかもしれないし、そうすれば「議論が進展」したかもしれないわけです。keiさんはTruesightさんがはじめからそうするべきだとお考えのようですが、議論の仕方は様々で、お互いに自分の下した評価だけを表明しておきたいということもあります。片方がさらに議論したいと望めば、さらに根拠を提示して議論するということに進展していくということもありえます。私がkeiさんの行動で問題があると思っているのは、Truesightさんのコメントが「自分の許容できる意見表明の方法」の枠外にあったからといって、その直後の応答で、Truesightさんの別の行動を持ち出してTruesightさんが偏向していると断定したことです。あえて申し上げるなら、そこには「Truesightさんの行動すべてが偏っている」という主張が入り込んでいるようにも私には見えるため、なおさらエスカレートしすぎではないかと考えているのです。
  • 「Truesightさんの第一発言を容認か否認か」の部分について。
この議論では、「行為」と「内容の妥当性」が混乱しているように思います。何度も申し上げていますが、私は「発言を書き込む」という「行為」を容認することとその発言の内容に「妥当性」があると判断することとは区別しています。例えば、Truesightさんの第一の応答に対し、「Truesightさん、そういう意見表明の仕方は無効だと思います。」とkeiさんが応答していれば、私はTruesightさんに「主観であることの明示」だけを求め、keiさんの発言についてコメントすることはなかったかもしれないと言っているのです。私自身は、Truesightさんがkeiさんの報告に意見を表明することNGだと考えているわけではありませんが、Truesightさんの意見表明の方法に納得が出来ないと表明するならまだコメント依頼の範囲内であると申し上げているわけです。
  • 「当事者同士の議論」について。
何度か述べているように、私は、「対立している当事者が他方の行為についてコメントする場合は相当割り引いて考えるべきである」という主張は、多くの対立する議論の中で、議論を読み判断する際には一定の共通理解が得られる見解だと思っていますし、また、それが「コメント」そのものに妥当性が全くないと主張しているものではないと思っています。ただ、Dictionwolfさんが「燻製ニシンの虚偽」であると意見を述べられていたり、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが『悪く言えば「単なる人格攻撃」』だとのご意見を述べておられることを見ると、そうしたことが共通理解であると思っている私の認識はあまり正しくないのかなとも思いました。
最後に、私は「表面的な言葉の矛盾を探してでも自身の主張を通したい」と思っているわけではありません。ただ結局のところkeiさんの方は、自分の発言に関して何も非はなかったのですべて適切な行動であったという立場からは何も変わっていないように見えるので少し長く議論しているのです。--Henon 2011年8月6日 (土) 04:19 (UTC)[返信]
少しコメントが追加されたようなので補足します。
  • 「相当割り引いて考えるべき」という点については上のコメントで書きました。それは「当事者同士だから」ということを根拠にしており、私は「一般的注意喚起」として共通認識があると考えていましたが、実際にはそうでもないのかもしれないし、そんなことはあえて表明しなくても参加者はみな当然理解しているということなのかもしれません。
  • 「言いがかり」もし放題とありますが、それなら「具体的な根拠を示さないでTruesightさんの主観的な意見だけを述べられるだけでは単なる言いがかりと見られても仕方ないと思います。根拠を具体的に示してください。」と書けばよいだけではないですか。それが議論を「おかしな方向」へ進ませることになりますか?私が問題視しているのは上の『「主観的/客観的」について』の後段で述べていることです。
  • 「議論に有効な発言と見ていないのであれば、容認・否認の区別をあそこでつけることに矛盾は感じませんか。」はよく意味が取れませんでした。私は、Truesightさんの発言の妥当性を否定する根拠にならないようなことを持ち出すべきではないと言っているのです。
  • 繰り返しますが、私は「表面的な言葉の矛盾を探してでも自身の主張を通したい」と思っているわけではありません。しかし、上の追加された発言、例えば『Henon氏が「Truesight氏容認」、「kei否認」としたことで、自体の収拾どころか拡大につながった』をみると、keiさんと見解の相違はあれ、私が「行為」と「内容の妥当性」を区別していることも、二人の発言の何を問題視しているかも考慮されておらず、結局のところ、「私henonの意図はどうであれ、自分の行動は適切で、私henonの行動は誤解を招くもので問題があった」という当初の見解から何も変わっていないように思えます。--Henon 2011年8月6日 (土) 04:38 (UTC)[返信]
「背景説明」
私の感覚では全てNGです。どちらの議論であっても個人の一方的な主観を根拠の提示もなく述べてはいけないと考えます。こういった場合は細かく切り分けてしまえば、ケースや背景を参加者全員が正しく認識する必要が生じ、また参加者全員が正しく現状を認識したとしても意見衝突する可能性が高く、合意に至るのは困難なものとなります。
「主観的/客観的」
問題は「客観的」と表明するか否かではなく、客観的な材料すら提示せずに主観を述べたことにあります。それでは「私から見ると〇〇氏は非常に偏った性格で、あの発言自体も都合よく解釈したものにすぎないと思います」との発言も許容ですか。Henonさんが重視される「主観の表明」「~思います」と個人の見解を述べています。
「Truesightさんの第一発言を容認か否認か」
Truesightさんの意見表明の方法に納得が出来ないと表明するならまだコメント依頼の範囲内との意見はわかりますが、それだと、「激しい応酬」、「相当割り引いて考慮」、「公平なものではありません」を認めたことになります。私はこの発言自体が公平でないと感じているので、その返答は不十分であり、コチラの反論すべき条件を満たしたものではありません。
「当事者同士の議論」
当事者同士の議論であることは、既に私の第一発言で(関連情報を添えて)表明しています。それに対して、関連情報もなく一方的に個人的な見解を述べたのがいけないとしています。
「~根拠を具体的に示してください。」と書けばよいだけではないですかとのことですが、そう指摘される行為を行なったTruesight氏は問題とはならないのでしょうか。Henon氏が考えていた返答を私がしなかったことで私に非があるということに矛盾は感じませんか。そういった原因を作ったTruesight氏の発言が無ければ良い話です。
少し合意形成を目指して、私の見解を述べさせて頂きます。私は全ての行為に対して、全く問題の無いものとは考えていません。第二発言は行き過ぎの感はありますが、それが不適切と評価されるならTruesight氏の発言も同じように不適切とすべきだと考えています。その根拠は他の場所で、Dictionwolfさんや世界最狂の魔法使いCray-Gさんが述べたのと同じような感覚を持っているからです。よって、私の第二発言が不適切であったとされるのは構いませんが、同様にTruesight氏の発言も不適切であった。もしくはTruesight氏の発言が許容できるなら、私の第二発言までは許容とする。いずれかの考えにはなりませんか。--kei 2011年8月6日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
keiさん。
  • 「私から見ると〇〇氏は非常に偏った性格で、」というのは削るべきだと考えます。性格全体に関することは人格を攻撃しています。誤解を与えたかもしれませんが、「個人の主観」なら何でも発言してよいといっているのではありません。ある話題について賛否や意見の表明なら良いのではないかといっているわけで、「性格」やその人の「思想」を否定的に述べるのは許容されないと考えます。また、私は全体を断定するような発言も控えるべきだと思います。何かある問題行動を取り上げて、その人のほかの行動すべてに問題があると批判することなどは、許容できない「主観の表明」にあたると考えます。他方、「あなたの●●という発言は、都合よく解釈したものにすぎないと考えます。」というのなら許容できるのではないでしょうか。「なぜそう思うのか具体的に指摘してください。」「それは△△だからです。」と応答があれば何も問題は起きない発言だと考えます。そういう議論ができるかどうかを少なくとも一度は試みるべきだったと言っているのです。
  • keiさんにとって「激しい応酬」、「相当割り引いて考慮」、「公平なものではありません」という発言が重大な意味を持っているのだということは理解できます。しかしそこは一歩譲って一度は具体的な根拠を求めたらいかがですかと申し上げているのです。「発言自体が公平でないから反論すべき条件を満たしていない」というのはまだしも、だからといって「第二発言のようにエスカレートさせてもよい」という感覚に私はついていけません。
  • 「そう指摘される行為を行なったTruesight氏は問題とはならないのでしょうか」とありますが、Truesightさんが「具体的根拠を求む」との要請に応えて具体的な根拠を示せば何も問題にはならないのではないでしょうか。ひとつの発言で即座にそれが問題発言となる場合もあるでしょうが、やり取りの中で両者の拠って立つ立場や根拠が表明されていけばよい話です。
  • 「Henon氏が考えていた返答を私がしなかったことで私に非があるということに矛盾は感じませんか。」とありますが、確かにkeiさんは私が望ましいと考える応答の仕方をなさっていただけませんでした。しかし、私はその際、keiさんの別の行動を取り上げてkeiさんの発言が偏っていると糾弾した覚えはありません。keiさんの最初の報告と第二発言に関することに限定して議論しているつもりです。自分が想定していたあるいは望ましいと考えた反論の方法に入っていなかったというときに、何をしたかが問題なのであって、私はkeiさんの第二発言をしたという行為を問題視しているわけです。
  • 何度か述べてきましたように、私にはTruesightさんの第一発言が議論から排除されるべき重大な問題発言であるとは捉えていません。私はkeiさんが挙げられた「ネット右翼に関する仮想発言A~D」や「貴方は馬鹿だ」という仮想発言aとTruesightさんの第一発言とを比較することに無理があると感じます。それに比べてkeiさんの第二発言は許容できません。またTruesightさんの第一発言をうけてkeiさんの第二発言が許容されるべきだという根拠も残念ながら納得できません。従って、現時点では、keiさんのご提示いただいた「いずれかの考え」には同意できません。--Henon 2011年8月6日 (土) 15:07 (UTC)[返信]
Henonさん、ありがとうございます。要点を絞って申し上げます。
  • では「私から見ると〇〇氏は非常に偏った性格で、」は除去ですか、それとも取り消しタグによる修正ですか。私としては発言を撤回するという意味で除去が適切と考えます。取り消しタグによる修正は、「貴方は馬鹿少し認識が甘い」というように中傷行為を悪用することも可能なので、履歴は残りますが不適切な発言は除去が望ましいと考えます。ようは、初回発言の内容次第で、修正か除去の判断が変わると見ています。これについての見解をお聞かせいただけますか
  • 「重大な意味を持っているのだということは理解」いただきありがとうございます。では、そこから一つコマを進めて、例えばHenon氏が「kei氏は具体的な根拠を求めたらいかがですか。」とされずに、「Truesight氏の発言は一般的な注意喚起である」とし、私の発言を不適切とした発言は、先に進みすぎたとは見えませんか。--kei 2011年8月7日 (日) 02:04 (UTC)[返信]

keiさん。

  • 発言の修正の方法はその場でどういう議論の流れがあるかということに依存して変わると思いますし、取り消し線で修正することは、今回のTruesightさんの場合には何か悪用されているという認識はしていません。むしろ少し勇み足であったことが自戒として残っているとも考えられます。また、「私から見ると〇〇氏は非常に偏った性格で、」というような表現は人格を攻撃しているため、それなりに相手に謝罪することが必要かもしれません。しかし今回の「客観的に」を修正するのは、「偏った性格」などという人格攻撃とはぜんぜんレベルが違うものだと考えます。
  • 私が最初の発言で主張したのは、一般的な注意喚起と主観は区別して書くべきだということです。私はTruesightさんの第1の発言で、前半は一般的な注意喚起、後半はTruesightさん個人の賛否の表明だと理解し、おそらくTruesightさんはそのように書きたいのではないかと推測して訂正するようお願いしたわけです。しかしkeiさんの第1の応答は、Truesightさんの発言を否定する根拠でも自分の発言を補強するものでもありませんでした。keiさんは、『例えばHenon氏が「kei氏は具体的な根拠を求めたらいかがですか。」とされずに、「Truesight氏の発言は一般的な注意喚起である」とし、私の発言を不適切とした発言は、先に進みすぎたとは見えませんか。』とおっしゃっていますが、keiさんの第2の発言は、
  • 大和屋敷さんの行為とは全く関係のないTruesightさんやPSIAさんの行動について議論するのは避けるべきだ
  • 仮にに、TruesightさんやPSIAさんの行動について、大和屋敷さんの行為と関係ない部分でkeiさんに異議があるのだとしても、そのことをもって、大和屋敷さんとkeiさんの論争に対してコメントしたTruesightさんの発言が棄却されるわけではない

という2点で不適切だということには変わりません。「keiさんの発言は●●という観点で適切でないと思います。Truesightさんに具体的な根拠を述べるよう求めたらいかがですか。」としたところで、keiさんの方がTruesightさんを容認し自分を否定していると感じるのは変わらないと思います。keiさんの中では、Truesightさんの発言を容認できないという意識が強いのだと思われ、Truesightさんの発言よりも御自身の発言がより強く否定されているということに納得されていないのだと思います。しかし、私の方は、Truesightさんの発言に比べるとkeiさんの発言の方が遥かに問題があるという考え方なのです。その理由は今までいろいろ述べてきたとおりです。

  • また私の第2の発言では詳細に私の考え方を述べていることも補足させていただきます。私の最初の発言で「keiさんは、具体的根拠を求めたらいかがですか」と書かなかったことがどのような問題を生じているのかはわかりません。しかし、keiさんが私が最初からそのように述べるべきであり、そうすれば自分は私の意見の主旨を理解でき、ここまで長く議論することはなかったと仰るなら、それは私の書き方が悪かったのかもしれません。ともあれ、少なくともTruesightさんが発言を修正したあとの私の第2の発言では(3X),(3Y)のように、こう反論するとよいと思うという私の考え方も示していますし、「先に進みすぎた」とは思っていません。

(これは本筋とは関係ないかもしれませんが、私の最初の発言の段階では、keiさんとTruesightさんからどういう返答がくるのか全くわかりませんでした。例えば、Truesightさんがいや客観的だと反論する可能性もありました。もしそうなれば私の方から、個人的賛否の表明よりも強いことを主張されるならもう少し具体的な根拠を出した方がよいと思いますと再度発言したでしょう。また例えば、keiさんが第2の発言は少し言い過ぎたので軌道修正しますと発言するかもしれなかったわけです。そうすればkeiさんの第2の発言は少し熱くなってしまったのだと諒解し、私はそれ以上keiさんの発言が不適切だと主張しなかったかもしれません。ですから私は、Truesightさんの意図を推測しそれが明確になるような書き方をするようお願いし、keiさんの発言の中で不適切な部分を指摘するに留めました。)--Henon 2011年8月7日 (日) 06:05 (UTC)[返信]

Henonさん、ありがとうございます。
  • 度々質問で申し訳ありませんが、2点確認させて下さい。以前A~Dの質問で細かくご返答頂きましたが、Henonさんの見解は普遍的なものであり、また他の利用者に質問しても回答が一致するとお思いですか。
  • それと、私の第一発言に対してTruesight氏の第一発言が後で上がった例の反論だったとして、それに対する私の第二発言が「Truesight氏は同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のTruesight さんは同議論において被依頼者とともに意見対立者に対して比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみて、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」と発言した場合、やはり内容の修正を求めるのみで、その発言が不適切とは考えませんか。
あとは反論部分です。「偏った性格」と「数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」は大差ない表現と思います。ここはフェース・トゥ・フェースで議論する場でなく、また物理的な行動の見えないネット上における議論の場なので、こちらでの唯一のツールである発言が「どのような傾向か」という問題に触れていることに変わりありません。よって発言がどういった傾向かを述べることは、その人物の性格がどうであるかというのとことです。Henonさんは「違う」とのことなので、少なくとも利用者によって評価が分かれるでしょう。また大和屋敷さんの行為とは全く関係のないTruesightさんやPSIAさんの行動について議論するのは避けるべきだとされてますが、その一方でTruesight氏は私の行動に触れているということに矛盾を感じます。あと最後の部分ですが、Truesight氏の発言には具体的な修正を求め、私の発言に対しては「少し言い過ぎたので軌道修正します」と自主的に発言が無かったので、不適切としたということにも矛盾を感じます。Henonさんの期待通りの回答が無かったことを判断材料として、物事の決定に影響を与えるのは、やはり理解出来ません。--kei 2011年8月7日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
keiさん。
  • 普遍的かどうかはわかりません。私は「対立している参加者が他方の行為についてコメントしている場合には、相当割り引いて考えるべきだ」という立場はそれなりに合意が得られるのではないかと思っていますが、そうではないかもしれません。どのような発言が許容されるかは参加者によってまちまちでしょう。私はさしあたって私の主観をもって議論を進めています。
  • 仮にkeiさんの報告に対してTruesightさんが何か具体的な観点を述べ、その上で賛否を表明したとします。その場合にkeiさんが、「Truesight氏は同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のTruesight さんは同議論において被依頼者とともに意見対立者に対して比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみて、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」と発言した場合のことをお聞きになっていると理解してよいでしょうか。その場合、もし私が発言するとすれば、やはり「客観的に見て」というのは避けるべきだと述べるでしょう。対立している参加者同士がお互いの行為について述べているわけですから、やはり主体である「私」の見解として述べるべきだと思います。そうしたやり取りがかわされることは、大和屋敷さんの行為に関するコメント依頼の中で交わされるものとしてはぎりぎりいっぱい範囲内なのではないかと思います。
  • 『「偏った性格」と「数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」は大差ない表現と思います』とありますが、私は大違いだと感じています。前者は性格全体について述べていることになりますが、今回の場合の後者はkeiさんが挙げられた大和屋敷さんの行為に対するコメントに対するもので範囲が限定されています。もちろん「客観的に見て」という表現は不適切なので修正すべきと考えますが、その修正が行われた後であればなおさらはっきりしています。この「公平でない」という指摘はkeiさんの行動すべてや性格全体にわたるものではなく、あくまでもkeiさんの最初の報告に対する限定的なコメントだと思うからです。私が重要視しているポイントは言及している発言の射程が限定的であることです。
  • 『Truesight氏は私の行動に触れているということに矛盾を感じます』とあります。上の繰り返しになりますが、Truesightさんが主張していることは、keiさんの書かれた最初の報告について、自分は公平ではないと感じているということであり、対象はあくまでkeiさんの最初の報告です。Truesightさんは、keiさんの行動のうち大和屋敷さんとの議論に関係していないことは何も持ち出していません。大和屋敷さんとkeiさんの間の議論についてkeiさんが行った最初の報告だけを問題にしているのです。
  • もちろんTruesightさんが内面でどう考えているかはわかりません。しかし、例えば、
同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。
というコメントは、keiさんのコメントについて、最初の報告に限らずすべての発言を割り引いて考えるべきだと言っているわけではないと思います。あくまでkeiさんが大和屋敷さんの行為について言及している部分では「相当割り引いて」考えるべきだということであり、これも対象は限定的だと考えます。後段の
客観的にみて、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。
も、あくまで対象はkeiさんの最初の報告だけです。それ以外のkeiさんの行動や行為を問題しているわけではないし、公平でないと主張しているわけではないと考えます。
  • keiさんは「発言がどういった傾向かを述べることは、その人物の性格がどうであるかというのとことです。」とおっしゃっていますが、これは二重の意味で今回の議論を的確に表現しているとは言えないと思います。
第1に、Truesightさんの発言はwikipediaにおけるkeiさんの発言全体がどういった傾向かを述べているわけではありません。あくまでもkeiさんの最初の報告という1つの発言だけを問題にしていると理解するべきだと思います。例えば「比較的激しい応酬」というのを発言の傾向と捉えておられるのかもしれません。仮にそれが大和屋敷さんとkeiさんの間の議論におけるkeiさんの発言の傾向を述べているものだとしても、それは大和屋敷さんとの議論に関することなので、私は発言そのものが不適切だとは思いません。(大和屋敷さんとkeiさんの議論を正しく形容したものかどうかは別の問題です。「激しい」と形容されることに納得いかないのならその旨を表明すればよいわけです。それはコメント依頼の範囲内だと考えます。)
第2に、ある人物がXという話題についてある傾向を持って意見を述べている状況があったとしましょう。例えば内容的なことではなく、エスカレートしやすいとか、扇動的な言葉を使うといったことでもかまいません。そのような状況で、その人物がXとは無関係の別の話題Yについてコメントしたとしましょう。その場合、「Xという話題においてこの人物は●●という発言の傾向があるから、Yという話題に関する発言も相当割り引いて考えるべきだと思います。」と発言するのは決して適切ではありません。Truesightさんの発言は、keiさんの発言の傾向や性格を根拠にkeiさんの発言に異論があると表明したのではないと私は解釈しています。あくまで大和屋敷さんとのやり取りに関する点にだけコメントしているのだと考えるべきだと思います。
また「発言の傾向」と「性格」をダイレクトに結びつけることにも、またそうしたことからある特定の発言の妥当性を議論しようとすることにも私は問題を感じます。そのような立場はそれこそ「正面から応答する」ということにはなっていないと思います。
  • 念のため申し上げておきますが、私はkeiさんがTruesightさんのNakata88さんのコメント依頼・ブロック依頼で取られた行為に対して「偏った行動を起こされる」と批判していること、その内容の当否を問題にしているのではありません。前にも申し上げましたが、例えばTruesightさんの行為全般に関わるコメント依頼なら、keiさんの第二発言も議論のためのひとつの材料として有効かもしれませんし許容される可能性もあります。しかし、本コメント依頼では、あくまでも大和屋敷さんの行為が問題となっており、それに対するkeiさんの報告と「公平でない」という意見を持っているTruesightさんがいらっしゃるという状況です。わたしがkeiさんの発言を不適切だと考えているのは、Truesightさんの意見表明の仕方を受けての発言ではなく、Truesightさんのまったく別の行動を根拠に今回のTruesightさんの意見表明を否定しようとしたということにあります。TruesightさんがNakata88さんのコメント依頼やブロック依頼でおこなった行為を問題にしたいなら、それはTruesightさんと個人的にやり取りするべきです。その場で問題行動があったからといって、本コメント依頼における「公平でない」というTruesightさんの意見が妥当なものかどうかを判定することはできないのです。
  • 「Truesight氏の発言には具体的な修正を求め、私の発言に対しては「少し言い過ぎたので軌道修正します」と自主的に発言が無かったので、不適切としたということにも矛盾を感じます。」
とおっしゃっている意図があまりよくわかりません。私はkeiさんが軌道修正すると自主的に発言しなかったから不適切だといっているわけではありません。ただそのあと軌道修正が行われれば、少しは不適切さもやわらげられたかもしれないと言っているのです。
  • 「Henonさんの期待通りの回答が無かったことを判断材料として、物事の決定に影響を与えるのは、やはり理解出来ません。」というのはどういう意味なのか私には良くわかりませんでした。
また少し長くなりました。ご寛恕くだされば幸いです。--Henon 2011年8月7日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
Henonさん、ありがとうございます。
  • 既に報告者(kei)が被依頼者と長く議論していることを表明し、攻撃対象がほぼ私であるという実質的に意見対立の当事者であることを自ら表明しているにもかかわらず、議論参加者の報告に重要な意味を持つコメント依頼において、少なからず影響を与えるであろう参加者に対する発言で、極めて主観的な見解を述べた発言が適切なものとは思えません。また、参加者によって判断がわかれることを予測可能でありながら、片方は容認、もう片方は否認という非常にシビアな評価を下されたことも適切であったとは思えません。Henonさんは個人的な主観によって議論を進めたとされてますが、参加者の報告に信頼性が何よりも重要な要件とされるコメント依頼において、バラツキがあるであろう個人的な主観を中心に議論参加者の発言の適否を区別して判定することは、Henonさんが意図せずとも、印象操作の一端を担ったとも取れます。ああいった場でギリギリアウト、ギリギリセーフなど個人によって見解が分かれることが予想される場合は、対立者(Truesight氏、kei)のそれぞれの適否をシビアに分けずに両方アウトまたは両方セーフとするのが適切な措置であったと考えます。
  • 二点目の返答についてですが、その判断は誤りだと考えます。背景を述べるのは先に言ったもの勝ちではありません。先の設問では恐らく大多数の方が、私の第二発言で再反論せずに「反論者に対して個人的主観による印象」を述べた時点で議論脱線と見做し、NGとするでしょう。また、私が設問のような個人的見解による印象を語った場合、Truesight氏がHenonさんの望むような回答をするとは思えません。(それは彼の行動として提示した関連リンクやコチラでのやり取りを見れば容易に想像できるでしょう。)その結果、「kei 容認」「Truesight氏 否認」となれば、当然Truesight氏の反論も上がり、やはり事態は収拾しなかったでしょう。よって、背景説明・反論までは放置するか、両方咎めるかをすれば事態が収拾できたはずが、Henonさんの発言によって議論の混乱に拍車が掛かってしまった可能性も否めません。(もちろん、「だから私の行為は全て正しい」とは考えていません)
  • フェース・トゥ・フェースとならない本議論での「性格」とは、即ち「発言における傾向」だと言うことは根拠と共に既に述べました。さらに反論するなら、ネット上のコミュニティでの唯一の媒介ツールである「発言」が、同じくコミュニティ上での「性格」(当然お分かりだと思いますが、あくまでもコミュニティにおける性格であって、現実社会での性格を述べている訳ではありません。)を反映したものとはならないという根拠、例えば第三者が見てその発言と性格が異なることが容易に分かるケース等をご説明願います。
あと、その他反論です。
「発言全体がどういった傾向かを述べているわけではありません」は、コメント依頼における被依頼者と私との発言に関われば十分であって、実質的に全発言に対してコメントを述べることは不可能なので、十分な返答を頂いたとは思えません。
「激しい」と形容されることに納得いかないのならその旨を表明すればよいわけです。については、既に実質的に被依頼者とは意見対立しているということは、根拠の明示とともに自ら表明しています。それに対して根拠の明示無く「激しい」「相当割り引くべき」と発言され、更に「激しくない」「相当割り引く必要が無い」と私が発言することを求めるのは無理がありませんか。Henonさんなら、そういったやり取りをするかも知れませんが、一度、根拠を明示して発言した内容を、何ら根拠の明示もなく「激しい」「相当割り引くべき」「公平でない」とされたのに対して、更に「激しくない」「割り引く必要がない」「公平だ」と繰り返すことを(もはや子供の喧嘩レベルと捉え)無駄と感じる利用者も少なくないと思います。
「Xという話題においてこの人物は●●~」についてですが、結局はある人物の発言に対して、主観というブランドの「相当割り引いて見る」というフィルターを掛けることを促す発言に変わりがありません。やはりどちらも不適切です。
そのあと軌道修正が行われれば、少しは不適切さもやわらげられたかもしれないに関しては、「軌道修正すると自主的に発言」することが、前言の適/否・有罪/無罪・OK/NGを決定づけるほどの効力がある発言とはならないでしょう。後の発言(しかも色々な反論方法がある中で、一個人が期待している内容をピンポイントで探し当て、自主的に発言されなかった)によって適否が分かれるとするのは、あまりにもハードルが高く無理があると感じます。--kei 2011年8月7日 (日) 16:17 (UTC)[返信]

keiさん。

  • 私が明確に申し上げているのは、Truesightさんの発言は主体を明示すればセーフ。keiさんの発言はアウト。ということです。この2つの発言については「ぎりぎり」とは考えていません。参加者によって判断がわかれるからどちらもNGにするべきだという点について同意できないことは既に何度も述べたので繰り返しません。私は私の発言が普遍的なもので全ての参加者の同意が得られると思って発言しているわけではありません。わたしはわたしなりに合理的だと思える発言の仕方をしているだけです。その方法がまずいとの指摘は甘受しなければなりませんが、参加者の見解が分かれるからという理由で私の発言が不適切だったということにはならないと思います。
  • 「発言の傾向」と「性格」がどの程度リンクしているかという点は本筋ではないのであまり深入りしないようにしたいと思います。私が主張している本筋は、仮に「発言の傾向」=「性格」だとしても、そのことだけを根拠に個々の発言や行動の妥当性について断定することは避けるべきだということに尽きています。
  • 「軌道修正すると自主的に発言」することが、前言の適/否・有罪/無罪・OK/NGを決定づけるほどの効力がある発言とはならない』とおっしゃっておられますが、私は、軌道修正をしたことで発言の適否を「決定付ける」といっているわけではありません。「少しは和らげたかもしれない」というのは、不適切でなくなるという意味ではありません。不適切な発言は不適切なままです。しかしみな時としてエスカレートするのが常なので、それ以上発言を撤回せよなどとコメントすることはなかったでしょうと言っているのです。
  • 「ハードルが高く無理がある」とありますが、私がkeiさんの第二発言に変わるものとして許容できる範囲はかなり広いはずだと思っています。既に上でもいくつか述べているので繰り返しません。また、Truesightさんの第1の応答に対して、「もう少し具体的な根拠示していただかないとこちらは反論できません。具体的な根拠を示さない主観の表明は単なる言いがかりと受け取られてても仕方ないと思います。」とkeiさんが応答した場合、少なくとも私はkeiさんの発言を批判したりしなかったでしょうし、他の読者の方もkeiさんの発言を批判する人は少数なのではないかと思います。それは「ハードルが高い」とは私には思えません。また、私の発言の後に、keiさんが「軌道修正して、Truesightさんに具体的根拠を求めること」は、私個人が期待していた内容というより、このコメント依頼を見ていた読者の方々が期待されていたことなのではないかと私は思っています。
  • keiさんが大和屋敷さんの行為に対してコメントした第1の報告に対して,別の方が(例えばTruesightさんが)大和屋敷さんとkeiさんの間のやり取りにおいて、keiさんがいかなる発言をし、それがどういう傾向のものであったのかということをその方の主観で総括し発言することを私は禁止するつもりはありません。その総括や発言に異論があるならkeiさんが反論すればいいからです。keiさんは主観的意見には反論できないというお考えのようですが、私はそう考えていないのです。議論というのはある程度は主観的な発言が交錯するのが常であり、それに納得がいかなければ反論すればいいだけのことです。私はすでにその方法をいくつか示しました。keiさんは同意されていないようですけれども。
  • しかしkeiさんの第二の発言はそうしたkeiさんと大和屋敷さんの間のやり取りに対するTruesightさんなりの総括に正面から反論するものではありませんでした。keiさんのなさったことは、Truesightさんの全く別の行動を持ち出して、Truesightさんの発言の妥当性を否定しようとしたことだったのです。大多数の方がどう判断するかを私がここで明言することはできません。しかし私は何度か申し上げているように、例えば「Truesightさんは私(keiさん)と多くの場所で意見が対立している当事者ですから、私に対するTruesightさんのコメントは相当割り引いて考えるべきだと思います。」というぐらいなら、keiさんに「そのような議論は避けるべきだ」とコメントしたりはしなかったと思います。私が問題にしているのは、keiさんの第二の発言で、「Truesightさんの行動」が偏っていると断定した点にあり、またそれが「Truesightさんの性格」であり、「Truesightさんの起こす全ての行動が偏っている」と断定しているようにさえ見える点です。
また、keiさんの第二発言にTruesightさんが反論しようとすれば、それは大和屋敷さんの行為について議論していることから外れてしまうことは明白です。keiさんは第二発言においてコメント依頼の趣旨に合致した形で反論を述べることが少なくとも可能であったにも関わらず、Truesightさんがコメント依頼の趣旨に合致した方法では反論できない断定を行っているのです。わたしがkeiさんの行動について問題視しているのはこうした点なのです。
keiさんはTruesightさんとすでに他の場所で議論し場合によっては対立していた経緯があり、Truesightさんの行動や発言の傾向について、すでに一定の印象を形成されていたのでしょう。議論する際にそうした印象を形成することが悪いと言っているのではありません。それはあくまでもkeiさんの抱かれた主観的印象に過ぎず、場合によってはTruesightさんにも異論があるでしょう。そのような印象をあからさまに表に出して、「この人は偏っています」と断定し、Truesightさんの発言を棄却しようとしたことを問題視しているのです。誤解を生まないよう繰り返しますが、「私はTruesightさんの私に関するコメントの方が公平でないと思います。」とだけ述べるか、「Truesightさんは私(keiさん)と多くの場所で意見が対立している当事者ですから、私に対するTruesightさんのコメントは相当割り引いて考えるべきだと思います。」くらいでも私は許容できると申し上げています。keiさんが行った反論は、TruesightさんがNakata88さんの行動を擁護したということを根拠に、Truesightさんの発言全般を否定しようとしたことになり、私はそこを最も重要視しています。
  • もうひとつ述べておきたいことがあります。やはり「片方は容認、もう片方は否認という非常にシビアな評価を下された」というような表現になってしまうことに私は多いに不満を持っています。これでは、私がTruesightさんの発言を方法や内容の妥当性などの全て容認し、keiさんの発言を全て否定したという感じに受け取られかねません。何度も述べているように、私の第一発言は、Truesightさんに発言の訂正を求めているわけで、それば見方によっては、「そのような議論は避けるべきです」と述べているkeiさんの発言へのコメントよりも、より踏み込んだ発言だとさえ言えるかもしれません。
また私はもちろん私の主観的判断で行動していますので、私の最初の発言は、至らぬところがあったのかもしれませんが、その発言自体に致命的な問題があると多くの方に思わせるような書き方ではないと思っています。「議論の混乱に拍車を掛」けたとされるのは納得できません。さらに言えば、例えば、あとからご発言になった世界最狂の魔法使いCray-Gさんやはぬまんさんなどの方々が、私の最初の発言にはまずかった点もあるのではないかとおっしゃられるならば私はその意見に謙虚に耳を傾けなければならないでしょう。しかし「背景説明・反論までは放置するか、両方咎めるかをすれば事態が収拾できたはず」などという発言は、そもそも第二発言で議論をエスカレートさせてしまっているkeiさんが言うべき発言だとは私には思えません。keiさんの第二発言を受けて、Truesightさんが具体的な根拠を述べようという気になるとは到底思えません。もう既にTruesightさんとPISAさんがkeiさんと「殴り合い」になっている状況だったのです。私の発言がどちらかに加担したものであるというように誤解して混乱したのはkeiさん御自身ではありませんか。

keiさんは議論の当初、私に「不誠実だ」とか「マナーに反する」というkeiさんの主観を表明されてきました。私は私なりに自分の見解を説明し誤解していると思われる点を説明したつもりです。「表面的な言葉の矛盾を探してでもご自身の主張を通したいとお考えなら」と指摘されたことに異論はありましたが、その表現そのものに拘らず、内容的な説明で応えたつもりですし、keiさんのご質問にもそれなりの態度で応答したつもりです。一度は誤解していたことを理解していただけたのかと思いましたが、うえで書いたような表現をされるとそう思ったことも間違いだったのかと感じてしまいます。「私の行為が全て正しいとは考えていません」とのことですが、私henonの第1の発言が、keiさんの第二発言に比べてより重大な問題があったかのような総括の仕方をされていることにやりきれないものを感じます。ノートページに移って以降のkeiさんとの議論の中で、keiさんに御自身の第二発言が(Truesightさんの第一発言以上に)相当にまずかったと私が考えているということをある程度認識していただければよいかと思っていましたし、私の意見を表明しkeiさんの主観とすり合わせることで、keiさんや私の今後の行動の参考になればよいと思っていました。また私は今の段階で発言そのものを削除するべきだという形で合意形成を求めているわけでもありません。もちろん私は自分の第1発言が不適切なものであったと撤回するつもり現時点ではありません。既にお互い充分に自分の意見の内容について説明し、どこに見解の相違があるかもはっきりしたと思います。残念ながら私は「人格者」ではありません。これ以上議論してもお互いの主観のぶつかり合いだけで平行線なのではないかとあえて申し上げさせていただき、この辺でひとまずお開きということにしてもよいのではないかと提案させていただきます。(以降なにも返答しないという意味ではありません。)お礼を言いそびれるといけないので、今まで長い議論にお付き合いいただいたことに感謝とお礼を述べさせていただきます。ありがとうございました。--Henon 2011年8月7日 (日) 20:24 (UTC)[返信]

==総括として==

Henonさん、ありがとうございました。今回合意点を見いだせなかったことを残念に思います。以下は合意をいただけなかった点、こちらの問題とする部分がクリアにならなかった点として、上げさせて頂きます。

  • Henonさんは参加者によって判断が分かれるからどちらもNGにするべきだという点について同意できないとのことですが、ここは同意云々よりも、「正しくはどう有るべきか」というのが肝要となります。通常の記事における議論よりも、参加者の発言に重みのあるコメント依頼において、一参加者であるHenonさんが、同じ参加者の行為の適否を述べることは、本人の主観よりも「正しくはどう有るべきか」を優先して考えなければなりません。今後はそういった考えなしに個人の主観で同じ参加者の適否を分けた評価をするのは控えていただきたいと考えました。
  • またHenonさんは「私にはノート:南京事件 (1937年)の議論は非常に長すぎて、もはや誰と誰がどういう観点で議論しているのか把握できません。~」として、以降もこちらでのやり取り以外は確認しない、コメントしないと表明されていました。しかし、既に情報が提供されているにもかかわらず、そちらでのやり取りの確認なしに、当該ページでのやり取りのみに目を向けて発言することは、少し発言における責任の重みを軽んじているように感じました。現実社会で、腕が当たったとしても犯罪とはなりませんが、それが意図的であったり、ある特定の人物に対して継続的に行われていたとした場合は、事情が変わって傷害罪ともなるでしょう。その際に、その人物は「意図的だ」「執拗に繰り返している」と発言しても取り合わず、その一場面だけを切り取って「腕が当たっただけなので問題ない」「他での出来事は知らない」とすれば、意図的に腕をぶつけた人物の行為を助長させることとなり、その社会は乱れることとなります。例:割れ窓理論。(裁判所や警察の存在しないwikipedia上では尚更、参加者一人一人の自治意識が要求されます。)よって、「知らないなら無暗に発言しない」「発言するなら結果的に不十分であったとしても事実関係を確認する責任を持つ」としなければならないと考えます。
  • 上記と関連するものとして、もし私の第一発言の報告に対して、Truesight氏がその報告への反論を行ったとし、それに対して私が「Truesight氏は~、被依頼者とともに意見対立者に対して比較的激しい応酬~、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」と発言した仮定した場合の適否を質問した際、発言の修正は求めるが、大方問題が無い旨の回答をされましたが、既に議論から脱線していること。同様の指摘をした場合、やはり事態の収拾には貢献せず、むしろ混乱を招く可能性を持った発言であったと考えます。ここでもし発言する場合、重要なのは「実際はどうなのか」ということです。よって「適否」を評価するなら、「最低限寄せられた情報は確認する」ことであり、確認しないなら「適否」についてのコメントをしてはいけないということ。コメントせざるをえない場合は、せめて「適適」、「否否」のいずれにすべきと感じます。
  • 最後の返答では、私の第二発言が完全なアウトだと申されました。しかしその前の発言では、「軌道修正すると自主的に発言」すれば不適切さが和らげたとしており、論理の一貫性が感じられません。有罪か無罪かという話で、後の行動や発言によって、当初有罪であったのが無罪へと変わるとしているのと同じであり、やはり矛盾のある回答だと感じました。
  • 「性格を述べたものはNG」、「発言の傾向を述べたものはOK」とした発言に対して、こちらは「ネット上のコミュニティでの唯一の媒介ツールである「発言」が、同じくコミュニティ上での「性格」とであるとし、即ち「発言における傾向」は「ネット上における性格」と同意であると反論しました。それに対して「発言の傾向」と「性格」がどの程度リンクしているかという点は本筋ではないのであまり深入りしないようにしたいと思います。との返答をされました。もとはHenonさんが、「性格」について述べるとNG、「発言における傾向」に対して述べるのはOkであると、矛盾する回答をされたことに対するものであって「あまり深入りしない」とするのは回答を避けたと取られても仕方がないものと感じました。それは、深入りしない根拠としてそのことだけを根拠に個々の発言や行動の妥当性について断定することは避けるべきだと発言されましたが、これも元は私がA~Dの例を出して質問した際に適否の根拠として、ご自身が述べられたことでした。よって、自身が根拠としてそのことだけを述べながら、反論があるとそのことだけを根拠に根拠に断定できないとされ、矛盾した回答と感じました。
  • Henonさんは「片方は容認、もう片方は否認という非常にシビアな評価を下された」というような表現になってしまうことに私は多いに不満を持っています。とされました。その根拠としてTruesightさんの発言を方法や内容の妥当性などの全て容認し、keiさんの発言を全て否定したという感じに受け取られかねません。とされましたが、Henonさんに異を唱え、こちらで長く議論している中心はTruesight氏の第一発言と私の第二発言についてのものであり、全発言に対して申し上げたことはありません。また文脈を見ても容易にその2発言についてのものだということはお分かりであるはずが、「全発言」とされて反論されだしたことに戸惑いを感じました。ここまで議論を続けていたにもかかわらず前提条件がご理解頂けないことに、非常に残念に感じました。
  • もっとも疑問に感じたのは、終盤のご発言で「議論の混乱に拍車を掛」けたとされるのは納得できません。さらに言えば、例えば、あとからご発言になった世界最狂の魔法使いCray-Gさんやはぬまんさんなどの方々が、私の最初の発言にはまずかった点もあるのではないかとおっしゃられるならば私はその意見に謙虚に耳を傾けなければならないでしょう。とされた部分でした。世界最狂の魔法使いCray-Gさんはともかくとして、意見対立状態であり、いたるところで論理性に綻びが生じているはぬまん氏が、応援するTruesight氏の不利になることを発言することは有るはずが無く、それを承知で「謙虚に耳を傾ける」条件とされることに、論理性は感じられませんでした。。さらに、上記発言は、私が一定の根拠を持って述べても耳を貸さないが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんやはぬまん氏なら、判断の前提となるべき根拠を明示する前に、「耳を傾ける」用意があることを表明したのは、「理屈は関係なくて貴方の話しは受け入れない。でも世界最狂の魔法使いCray-Gさんやはぬまん氏の発言なら理屈抜きで謙虚に受け入れる」と表明したことになります。結局のところHenonさんは、論理では無く感情論で述べていたのがということを理解しました。

以上、思い浮かぶ範囲で述べましたが、細かな部分は省略しました。同意いただけない可能性が高いと思いますが、Henonさんへのお願いとして、今後、他の参加者に適否を分けた発言をする場合は、最低でも寄せられた情報程度は確認(結果的に不十分な確認であったとしてもです)すること、その労力を惜しむなら、適否を分けた発言はしないようお願いする。そのような意見があったことを是非とも記憶に留めていただきたいと思います。長くお付き合い頂きありがとうございました。--kei 2011年8月8日 (月) 15:48 (UTC)[返信]

基本的に被依頼者と関係のない話でしたので静観してきましたが、私の話が出てきましたので発言します。前にも言いましたが、大和屋敷さんを擁護したりとかTruesightさんを応援したりといったことはした覚えがありません。keiさん個人の思い込みでしょう。御両名と同意見でkeiさんと対立した場面があるではないか、と思われるのなら、あくまで私が個人としての判断でkeiさんの発言がおかしいと思ったに過ぎません。例えばkeiさんが執拗に名前を出されるNakata88さんの意見では、パチンコにおいて「掛け金とするべきだ」とするNakata88さんの主張に私は反対しています。keiさんの私への態度はそういった先入観ばかりを持たれているように感じられ、まともなコミュニケーションが取れないのではと感じられました。また、如何に対話努力を試みようにもそのような態度を取られてはできることも限られてしまいます。先入観に囚われず、またそれまで意見の対立があったウィキペディアンであろうと公平な態度を取られるよう求めます。--はぬまん 2011年8月8日 (月) 16:30 (UTC)[返信]
はぬまん氏へ。了解しました。では今後意見が一致した際はよろしくお願いします。「公平な態度~」と発言されてますが、常にそうあるよう努めています。以前私の論理性に関して述べられてましたが、今回のやり取りでは、はぬまん氏の発言で、随分綻びが目立ったという印象(具体的な部分も指摘済みです。)でした。あと「まともなコミュニケーション~」「先入観~」とされてますが、こちらの感覚ではむしろ「はぬまん氏のほうが~」ということになりますが、これ以上のやり取りをしても得るものは無いので、発言は控えます。以上、ありがとうございました。--kei 2011年8月8日 (月) 16:59 (UTC)[返信]

==henon側からの総括として== keiさん。長い対話にお付き合いいただいたことに改めて感謝致します。

  1. 私は、対象になっている話題に対してどういう賛否を持っているかという主観的意見が多様な参加者から示されることは重要視されるべきだと考えています。もしその意見に同意できなかったり、より詳しい説明が欲しいと感じたならそう要望すればよいだけの話です。それを受けて具体的なやり取りが複数回交わされる中でお互いの立場や意見の根拠が明確化されていくというのが議論の作法だと考えます。その際、具体的な説明を求めたにも関わらず回答がなければ、その方の賛否表明はそのレベルのものとして受け取られることになるでしょう。これが私の「正しくはどう有るべきか」であり、それは再三にわたって表明してきたはずです。私はkeiさんがTruesightさんの発言を受けて一度もそうした具体的やり取りを試みないまま、全く別の行動を持ち出してTruesightさんの行動全般を偏っていると断定したことを問題視しましたが、そのことが許容されるべきなのかどうかもうまく合意に至らなかったようです。
  2. 結局のところkeiさんには、私が論理的に対話するときの作法の話をしているのだという意図が伝わらなかったように感じました。私はTruesightさんやkeiさんの意見表明の方法に問題があると考え、表現の修正や話題の転換を求めました。その際、私はkeiさんが大和屋敷さんの行為について述べた第一の発言に非があるということは一言も述べておりませんし、Truesightさんの「keiさんのコメントは公平ではない」という意見が正しいなどとも表明しておりません。私は1.で述べた私の考えに基づき、Truesightさんが自らの主観を表明していることを明確化した上で、keiさんがそれに反対したいならばお二人の間で議論すればよいと考えていました。また同時に、keiさんの応答は、Truesightさんの別の行動を持ち出してTruesightさんの発言を棄却しようとしたもので、このコメント依頼で述べるのにはふさわしくなく、また発言の妥当性を棄却する根拠にはならない旨を指摘しました。私はこれらの指摘は、ノート:南京事件における議論やTruesightさんの過去の行動とは無関係に判断できるごく基本的な事柄だと考えていましたが、keiさんとの間で合意は得られなかったようです。
  3. 私は議論の中で時として主観がぶつかりあい、お互いの発言がエスカレートしてしまうことがあると思っています。不適切な発言をしてしまった場合、もちろんその発言は不適切なままですが、後から軌道修正をはかってお互いに理解を深めるべく議論することで、そのことによって不適切な発言の不適切性がなくなる訳ではないとしても、自分の不適切な発言の責任を取ることは可能であると考えています。私はkeiさんがそうした対応を取ることが可能であったと見ていますし、またそうするべきであったと考えます。
  4. 私がkeiさんの議論に同意できないのは、「全体性」と「限定性」が混乱していると感じられるからです。私は、Truesightさんに発言の訂正を求めるという形でTruesightさんの第一発言について問題点を指摘しました。しかしkeiさんはそのことを「片方は容認、もう片方は否認」という形で総括されています。私はTruesightさんの発言の内容的な妥当性については何も容認しておらず、また意見表明の方法に問題があると指摘していたにも関わらずです。同じことが「発言の傾向と性格」に関する点にも言えます。私はあくまで「関連する話題における発言の傾向」を総括して発言することは可だと述べました。しかし「コミュニティにおける性格」というのは全体性が含まれています。X,Y,Zという話題におけるA氏の発言の傾向を見ると、彼のコミュニティにおける「性格」は●●であると考えられるから、別のWという話題における発言にも妥当性がないのだなどという推論は許容できません。限定された話題における発言の傾向と、コミュニティーにおける「性格」という全体性が直接結び付けられ、その人の別の発言の妥当性を判断する根拠として用いられることに異議を呈したつもりですが、そこが上手く伝わらなかったようです。「全体性」と「限定性」の違いは、「受け入れる・容認」とか「主観/客観」(普遍的/個人の主観)とか「有罪/無罪」というような言葉の意図している範囲がうまく共有できなかったという点にもあったと思います。これは私の印象ですが、keiさんの議論にはどうしても容認するのか否認するのか、主観なのか客観なのか、有罪なのか無罪なのかというYesかNoかというような二分法が行われているように感じました。私の書き方に問題があったことも否定はしませんが、私が「限定」して述べたことが「全体」のこととして総括されているように感じられる部分があると申し上げざるを得ません。
  5. 私がkeiさんとの議論の中で問題と感じたもうひとつの点は、すでに「殴り合い」の当事者であったkeiさんが、それなりの意図を持って仲裁に入ろうとした私の発言を自分の行為以上に不適切であるかのように論難したことです。私はkeiさんを含めあらゆる方のご意見を謙虚に受け止める気持ちを持って議論しているつもりです。特に、その時点で「殴り合い」の当事者ではなかった方々が私の仲裁法に問題があると言われるならより謙虚に受け止めなければならないでしょう。しかしそもそも「殴り合い」の当事者であったkeiさんが、自分はこういう仲裁法を期待していたのであり、それに沿わない方法で仲裁に入った私の方により問題があるかのように述べたり、また意見対立者に加担しているかのような総括をされてしまうのは心外であると申し上げざるを得ません。
  6. 私がkeiさんにお願いしたいことは、自分と意見が対立し、議論で合意が得られなかった相手に対してももう少し謙虚な言葉遣いと話題が変わったときは自分の形成した印象をいったん脇において、少々のことでエスカレートしないで対話するといった応対をして欲しいということです。 --Henon 2011年8月8日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

コメントHenonさん、ありがとございます。上記発言は反論したい部分もありますが、キリが無いので差し控えます。1つだけ申し上げたいのですが、下の節でHenonさんは仲裁に失敗する発言の仕方になってしまい議論を長引かせることになってしまった私としては大変参考になるものでした。との発言をされましたが、そういった意見をこちらでも示していただければ、もう少し歩み寄れたかも知れないと思います。もしくは十分にそういった気持の表明がされており、私が正確にHenonさんの気持ちを読み取れなかったかも知れないと感じました。(勿論こちらからの歩み寄りが、Henonさんのキー・ファクターに届かなかったという理由も有りますが)長くお付き合い頂き、ありがとございました。中々難しいですが、私も議論では冷静さを保つことを、今後は心がけていきたいと思います。議論でお見かけした際はよろしくお願いします。--kei 2011年8月9日 (火) 13:28 (UTC)[返信]

Maddestmagicianさんのご提案について。[編集]

Maddestmagicianさん&他の参加者の皆様。 私は、ここまでの発言の中に「コメント依頼の主旨とはズレている」という意味で「場外」に出ているものがあるということには賛同し、かつ自分の発言のいくつかもそうした「場外発言」であったかもしれないと反省しています。 ただ、keiさんの大和屋敷さんの行為に対するコメントに関して、Truesightさんが具体的に反論している箇所、それに対するkeiさんの再反論が含まれているということを忘れるべきではないと思います。何らかの方法で議論の場をノートに移すことに賛成しますが、大和屋敷さんの行為に関するコメント部分はコメント依頼の中に保持しておくことが望ましいのではないかと思います。どうするのが適切か、残念ながら私には良いアイデアが提示できませんが、皆様のご提案をお待ちしたいと思います。--Henon 2011年7月30日 (土) 08:21 (UTC)[返信]

細かい点を考慮すると難しいのではないでしょうか。提案者の提案どおりバッサリでいいと思います。--Truesight 2011年7月30日 (土) 11:01 (UTC)[返信]
◆発案者です。当方は既に述べたように、

コメント被依頼者とはノート:南京事件 (1937年)で長く議論しています。こちらでは

  1. 訳の分からない理由で多重アカウントの疑いを掛け、本人が否定すると謝罪も無く対話拒否。利用者‐会話:疑問
  2. 進行中の議論を一方的に打ち切り。[9]
  3. 攻撃手段として[10]を提出する。
  4. 意味不明な思い込みで執拗に攻撃[11][12][13]するも[14]によって反論されると、執拗な引用は収まるが謝罪は無い。
  5. 意見対立者をわざと挑発するような行為。[15](こちらは細かい事例が多すぎるので、指摘した部分のみを提示しています。)
  6. Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での自身に都合の悪い質問には対話拒否。
  7. 参加者の発言をわざと引用して馬鹿にするような発言[16]
  8. 議論参加者の発言に対してわざとはぐらかして人身攻撃?にすり替えるような反論[17]

など、Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での対話拒否。ノート:南京事件 (1937年)ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2では、度々冷静さを欠いた書込が目立ちます。ノート:南京事件 (1937年)では、攻撃対象がほぼ私だけのようなので、私一人が我慢すれば良いと考えてましたが、複数ページ、複数の対話者で同様の行為があるなら少し問題と考えます。--kei 2011年7月17日 (日) 14:28 (UTC)

コメント 同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみてわたしからみると、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。とは思えません。--Truesight 2011年7月18日 (月) 07:07 (UTC)ご指摘を受け訂正--Truesight 2011年7月20日 (水) 16:57 (UTC)
Truesight氏は、非常に問題の多い行動で無期限ブロックされたNakata88氏のWikipedia:コメント依頼/Nakata88Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88で被依頼者に苦言を呈する利用者に対して、Nakata88氏と一緒になって逐一反論したり非難[18]するなど、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。--kei 2011年7月18日 (月) 15:10 (UTC)
まだ場外乱闘は続きそうですね。いい加減スレチとか迷惑とかの域を超えていると思うので提案なのですが、場外乱闘の発端部分以降をノートか何かに写してからそちらで続けてもらうというのは如何でしょうか。
私見ながらこの場外乱闘は、kei氏の「Truesight氏は~~など、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。(kei 2011年7月18日 (月) 15:10 (UTC))」という発言以降に完全に場外に出たと考えます。なのでこの発言の直後に該発言が不適切であるという指摘があった旨と、その後の議論がノートに写されて継続した旨を書き添え、ノートに節を設けて該発言以降を移動したいと思うのです。
人に依っては前述の発言そのものや、或いはその直前のTruesight氏の発言なども既に場外であると思うかも知れません。ですが私の考えでは、長い場外乱闘の発端として両発言は残しておかないと後から読んだ人が何が起ってどうなったのかわからなくなる(=単に除去したのと同等になる)と思うのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月30日 (土) 04:45 (UTC)
ノートの方にコメントを書きました。この話題についてもノートで議論した方がよいですよね?--Henon 2011年7月30日 (土) 08:22 (UTC)
提案に賛成します。私は自分の発言が移されることに異論ありません。細かい話もノートの方がいいでしょうね。--はぬまん 2011年7月30日 (土) 08:32 (UTC)
上記提案に賛成します。--Truesight 2011年7月30日 (土) 10:11 (UTC)
( ・`ω・´)ゝ移動しますた--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年?月??日 (?) ??:?? (UTC)
のような感じに残しておこうかと考えています。
またノート(此処)に#利用者keiのコメントに端を発した議論という節を設け、そこに上記内容を含めた該当部を(議論の継続性を鑑みてkei氏の コメントから私の提案直前まで)移動しようと考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月30日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
少々時期尚早かとは思いましたが、移動しました。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月30日 (土) 13:16 (UTC)[返信]

やはり少々(一時間ほど)時期尚早だったようで、kei氏から公平ではない旨の意見が出されました。合意が形成されない状態が長く維持されることは可能な限り避けたいと思っていますし、現状ではTruesight氏が表側での議論(=場外乱闘)の継続を避けようとしている所為か議論が停止している状態となってしまっていて、単にkei氏が駄々を捏ねているだけに見える状態となってしまっていることもまた、kei氏の望むところではないと思います。

なので早急にノートにて正常な議論継続を行なえるよう、合意を形成したいと考えます。其処でkei氏にお尋ねしますが、「移動するならせめてTruesight氏が具体的な指摘をし、コチラが反論した部分までは維持して」欲しいと仰っている部分とはこの部分まで、ということで宜しいでしょうか。

だとするとkei氏もご理解戴けているように「コンパクトにする」必要があるでしょう。かと言って該部分だけでも充分に長く、単に「抜粋する」だけでは流れも見えず正しく引用された状態にならないのではないかと危惧します。単なる抜粋ではなく、前後関係も加味したある程度の「纏め」が必要になるでしょう。

其処で合意を形成する大前提として、纏める方向性で構わないのか、飽くまで(前後はともかく指摘反論部分は)完全な形で「抜粋する」ことを希望するのかを確認したいと思います。

前者であれば纏めの文案を出して戴くか、私の方から文案を出すつもりでいます。それに対する修正の要望を(kei氏にもTruesight氏にも)出して戴き、合意出来る纏めを作成したいと思います。あまり気は進みませんが後者であれば、それ以前の部分はそれなりに纏めてしまいますが、「何処から何処まで」を抜粋するのかに関して(kei氏にもTruesight氏にも)意見を出していただき、合意を形成したいと思います。ただもしかしたらTruesight氏は疲弊していて積極的に意見を出せる状態にないかもないかも知れないと思っていますので、発言が無ければジャンジャン進めていくつもりでいます。

世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月3日 (水) 01:10 (UTC)[返信]

駄々を捏ねているのは実際的に事実でしょう。本来こう言ったどの文章を移動させどれを残すかといった話も被依頼者とは関係のないことであり、keiさんは相変わらず場所をわきまえずに発言をしているのです。なぜノートに移動する必要があるのかを理解いただけない限り議論を進めてもまた場外乱闘を始めるのは目に見えています。--はぬまん 2011年8月3日 (水) 03:41 (UTC)[返信]
傷付けられた名誉を回復しようという努力の結果として「駄々」になっているので、非がkei氏のみにあるとは思いません。追い詰められた結果テロを起こした者をテロを起こしたからと単に無視することがテロの撲滅という理想に反するように、傷付けられた名誉を回復しようとして駄々を捏ねている者を駄々を捏ねているからと単に無視することは駄々を捏ねる者が居なくなる理想に反すると思うのです。必要なことはkei氏の名誉を回復することであり、kei氏をBANすることではありません。
kei氏は何故ノートに移動する必要があるかは理解していると私は思っています。だからこそkei氏以外の方々の賛同を確認した段階で時期尚早と思いながらも実行に移したのですから。
ただその際に私が採った方法が(少なくともkei氏の主観では)kei氏の名誉を失してしまう方法だったので、kei氏が名誉を回復しようとして「駄々を捏ねる」ことになってしまったのです。
これは対話による相互理解が足りなかったことにより発生した問題であり、対話により相互理解が深まれば解決が可能だと考えます。即ち合意を形成すれば。
議論を進めてもまた場外乱闘を始めるのは目に見えています
相互理解によりkei氏の名誉を充分に満足させる状態を維持出来る限り、表での場外乱闘は治まると思います。最後に加えられた部分の除去にも同意して戴けることでしょう。場外(=ノート)での場外乱闘は、まぁ、場外ですしね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月3日 (水) 05:02 (UTC)[返信]
名誉を回復せんとする発言が再び場違いな場で行われるためそれはそれでまた名誉という意味では損なわれるものだと思うのです。表でされたkeiさんの発言がノートでされているのであれば「駄々を捏ねている」などという言い方もしません。keiさんの場外乱闘はTruesightさん、Henonさんとのやり取りのみで収まりませんでしたし、その問題性をご自身がご理解なされているようには私には到底思えません。被依頼者の問題と、keiさん個人の私的な感情とを分けて話が進められればそれでよいと思うのですが、「駄々を捏ねている」様子を見るにそういった努力をしても徒労に終わりそうだ、と個人的に感じます。--はぬまん 2011年8月3日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
「再び場違いな場で行われる」のは相互理解が足りないからです。はぬまん氏の考える「名誉」とkei氏の考える「名誉」とが異なり、互いに相手の考える「名誉」を尊重出来ないでいるのです。相互理解が深まればはぬまん氏はkei氏の「名誉」を尊重するようになると思いますし、kei氏もまた、はぬまん氏(及び大多数)の考える「名誉」を理解し「再び場違いな場で行われる」ことは次第に少なくなることでしょう。
とりあえず努力ぐらいはしてみたいと思うのです、Wikipediaの理念に従って。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月3日 (水) 06:14 (UTC)[返信]

世界最狂の魔法使いCray-Gさんへ。他を省いて該当するやり取りを抜粋する形での掲載を考えています。具体的には、


まずこちら[35]ですが、keiさんから大和屋敷さんに対するコメントです。「少し気の毒に思えてきましたが~」で始まる文章です。甚だ礼を欠いた言辞、挑発であると思います。次に[36] 「大和屋敷さん、反対意見者であっても少し「対話」を意識した書き込みは可能でしょうか~」で始まるコメントです。わたしが見るに大和屋敷さんが対話を意識していないとは思えません。印象操作の一環だと感じます。次、[37] 「Hmanさん、Dictionwolfさん、Rabit gtiさんの参加で議論が進みだしたことに感謝します。」これは大和屋敷さんが議論から遠ざかっているときのkeiさんの発言です。暗に大和屋敷さんを非難しているようにみえます。ちなみにここで挙げられている議論参加者は全てkeiさんと同意見、もしくは妥協を図っている方です。次の発言はkeiさんと意見が異なる方へのコメントです[38] 「西方さん、少し落ち着きましょう。~」と冷静さを求めるかのような書き出しになってますが、わたしがみるにこの方は冷静さを欠いているように見えません。次にこの方から[39] 「keiさん、私は感情論を述べてはおりませんし、合理的な論拠を提示しながら意見を述べております。~」と反論されます。これに対して大和屋敷さんも [40] 「「●●さん、少し落ち着きましょう」(相手が理性をうしなっていると根拠なく印象づけようとしている~」と苦情を述べます。これに対するkeiさんの反論 [41] 「本来は相手にしなくとも良いと考えていましたが、度々訳の分からない引用をされてるので面倒ですが一応反論を。~」と続きます。Truesight 2011年7月24日 (日) 06:19 (UTC) (一部抜粋)

と、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが「この部分」とされたものです。はぬまん氏の指摘と反論については、重要度が低いので特に掲載の必要は感じていません。もう一方の対話者が希望するなら、改めて検討すれば良いでしょう。

それと、もし世界最狂の魔法使いCray-Gさんに対話する意思がおありなら、もう一点申し上げさせていただきたいのですが、コメント依頼本文及びコチラで「利用者keiのコメントに端を発した議論」とされた表現にも不満を持っています。ここには私が議論の場をかき乱したとの結論づけられたニュアンスが含まれています。どこから脱線したかは主観によるものなので、あのような表現も改めて頂くことを希望します。(そこについて異論がおありでしたら、上節でHenonさんと議論しあってる話題にも、宜しければ見解を述べていただければと思います。長くなってしまった文責は私にあるので、解説役も買ってでます。)私の主張としては端を発した(原因を作った)のはTruesight氏なので「利用者Truesightのコメントに端を発した議論」と改題していただきたいくらいですが、恐らく反対が入っていつまでも終結しないでしょうから、せめて間を取った表現の「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」とするのが妥当と感じます。--kei 2011年8月3日 (水) 11:20 (UTC)[返信]

いくつか確認(=質問)をしたいと思います。
  1. 「この部分とされたもの」は「この部分のみ」ということで宜しいでしょうか。
  2. より抜本的に、表に残すものをkei氏のコメント(最初の)のみとし、「以下、ノート:南京事件 (1937年)に於ける他の議論参加者による『一方的ではないか』との指摘から始まった議論はノート#場外乱闘に移動されました」のような形で全て除去したいぐらいなのですが、その方向性に関してはどのようにお考えでしょうか。
  3. 対話の意思は当然にありますし改題そのものに反対するものではありません。ですが中途半端に要望を受け入れる気はありませんし、無意味にTruesight氏を貶めるような表現も受け入れる気はありません。Truesight氏に問題が無かったと言う気は全くありませんが、kei氏に問題が無かったと言う気も無いからです。
1.はそもそも、私は元々「この部分まで」と要望されていると考えていたので、私の考え違いであり略記を誤読したものではないことを確認したいと思います。
2.に関しては、kei氏が「端を発した(原因を作った)のはTruesight氏」と考えているのであれば、その問題発言から全てバッサリというのも選択肢に入るかと考えました。いっそ、私の提案及びそれ以後(kei氏の「では発言を変えます」以降を含む)も一緒くたに抹消したいぐらいに考えています。これに関しては該指摘を「一般的な注意喚起」と認識している側からの意見も聞きたいところではあります。
3.に関しては、kei氏の論調がどうも攻撃被撃に偏っているように思えるので、あらかじめ当方の見解が「合意形成を目的とした相互理解の為の対話」であることを確認しておきたいと思うものです。相互理解が深まれば様々に意見も変わってくるものでしょうが、単なる論破によって意見が変わることは決してありません。
さて、最後に当方の見解を述べます。長くなりましたが、長いこと自体をkei氏が問題にするとは考えていません。
件の場外乱闘はkei氏のコメントに係わる議論であり、kei氏のコメントが謂わばタイトルです。本音を言えば『場外乱闘』など「コメント依頼との直接の関係のないこと」を示すタイトルを付けたかったところですが、kei氏の心中を察して「謂わばタイトル」を使用したタイトルにしたものです。「~~に端を発した」は「~~という問題行動による」を暗喩したものではありません。そう受け取るところも「どうも攻撃被撃に偏っている」ように見える要因となっています。
kei氏の要望する「抜粋」は本頁コメント依頼として、必要以上に長いと考えています。必要なのはkei氏の(最初の)コメントであり、最大でも「他の議論参加者の中には該コメントを一方的だと思うものが居る」という事実までです。Truesight氏が具体的な指摘に消極的だったことからも(表現は悪かったとは言え)それを主張したかっただけだと解釈しています。
そのTruesight氏の表現が悪かったことでkei氏が過敏に反応し、その結果として「抜粋」が必要になったものと推測します。ですので、問題となっている表現が悪い部分も概要のみ残して除去することは本頁コメント依頼の趣旨に合致すると思うのですが、如何なものでしょうか。
私の見解としては、Truesight氏の表現が悪かった(=kei氏に対して攻撃的だった)ことに対してはそのすぐ後の投稿で反撃されています。なので「他の議論参加者の中には該コメントを一方的だと思うものが居る」ことを残す為にTruesight氏の発言を残したとしても、それへの反撃まで残してあればkei氏にも異論は無いだろうと考えていました。
ここからは「上節でHenonさんと議論しあってる話題」に関する見解とも重なるのですが、先に述べた通りkei氏の論調が「どうも攻撃被撃に偏っている」ことに要因があると思っています。即ち、自身の主張の完全性を求める為に相手を「やっつけ」ようとする傾向があるのではないかと。だから私が「kei氏にも異論は無いだろう」と考えた反撃では満足せず、Truesight氏から具体的な指摘を(場外乱闘を行い強引に)引き出し、それへの反論を行なうことで「やっつけ」たことを公にすることを要望しているのではないかと推測します。
この印象は例えば「反論が無ければ、肯定したとみなされると認識ください」のような発言からも受けるものです。こう言った、2ちゃんねる用語で言う論破宣言は、自己の勝利を明確化したい、何としてでも論破したい、と言う考えを持つ人物に多い傾向があります。そしてそういう人物は論破すること自体を目的とすることから、詭弁を用いたり議論拡散したりなどを行なう場合が多々見られ、対話や議論を重視する場では忌避される傾向にあります。これは「上節」でHenon氏も同じことを言っていますね。
件の場外乱闘も「上節」も、論破の為の議論(一般用語では議論の為の議論)に見えてしまっているのです。それはkei氏の望むところではないはずです。
何処から場外に出たか(脱線したか)についての当方見解としては、Truesight氏が勢い余って場外に飛び出したところでしょう。そのままkei氏がリングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに「おいおい真面目にやってくれよ」と返せばTruesight氏が独りで空振りして場外へ転落した、ということで終結した話だと思います。にも係わらずkei氏が後を追って場外に飛び出して(そしてそれを止めようとした人にまで)組み付いたことで「場外乱闘」が開始されたと見ています。
此処で、場外に居る相手に対して明確な勝利(ダウンや論破)を目指すならば「場外乱闘」をする以外に無い現実から、kei氏が目的を見失い明確な勝利(論破)を目指した「議論の為の議論」を行なう人なのだろうという印象を受けるのです。そしてその印象はさらに、経験に基づいてより悪い印象を想起させます。謂わばkei氏は、自分が不利な方へと自分で自分の印象操作をしてしまったのだと認識しています。
ついでながら、kei氏は「上節」で「審議」という表現を用いられていますが、審議の主体は我々論客ではありません。と言うか、そもそもコメント依頼は審議どころか評議ですらないわけですがね。審議の主体が居るとすれば被依頼者自身であり、或いはコメント依頼を利用して被依頼者を告発(ブロック依頼等)しようと画策する者です。其処であたかも自身が審議者であるかのような発言をすることもまた、印象を悪くするものだと思います。
以上が私の見解であり、其れに基づいて指摘された事実自体は残さなければならないにせよ)人格攻撃まがいの文は除去して概要のみにし全てを除去する、という方向性での合意形成を提案するものです。この案にも満足がいかないようであれば、私がkei氏の考えを理解出来るように、如何なる理由により「この部分」と「反論部分」の同時記述が必要になるかを説明して戴ければと思います。
なお、具体的な文案に関してはまだ考えていません。前向きに考える場合には、要望や条件等も合わせて返答して戴けると話が早く進むと思います。私は筆が遅いもので宜しくお願いします。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月4日 (木) 08:13 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさんへ。
1.抜粋する形になるので、核となる反論部分と再反論部分です。
2.1で合意出来なければ、両方を除去するのであれば、私の第一発言のみを残してそれ以外は全て除去で構わないと考えます。
3.私は2ちゃんねるにはあまり興味がありませんので、そちらの傾向がどうとか、論破がどうとかと言われても困りますが、「反論が無ければ、肯定したとみなされると認識ください」については、Truesight氏自身が「沈黙は肯定を意味してしまうので敢えて記します。」との認識なので、本題の議論に戻すためにそのような発言をしたまでです。逆に本議論の反論がないにも関わらず異を唱える事自体が誤りと考えますが、世界最狂の魔法使いCray-G氏は、報告に対して具体的な反論がなく、「一方的だ」や「公平でない」などの発言が問題の無い行為とお考えですか。もしそうであれば、ここで議論を続けても平行線のままとなるでしょう。Truesight氏に関しては、過去より色々と問題に感じている行為があり、彼については行為に対してあまり寛容に対応し過ぎると、他のページでも同様の行為をされるとの懸念を持っています。今回も自身の行為に自信を持ったようで、このような[19]行為をされています。だからこそ寛容さを持ってはいけないと感じています。
あと、幾つかの点で反論すべきことを述べておきます。
  • 「そのままkei氏がリングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに「おいおい真面目にやってくれよ」と返せばTruesight氏が独りで空振りして場外へ転落した、ということで終結した話だと思います。」とのことですが、それも一つの方法ですが、その行為を認めると、意見対立した利用者に対して、他でも繰り返すことが予想されたため、もう少し強く、そういった行為をすれば自身にとってデメリットしか無いとの認識を持たせるためにあのような発言をしました。「どちらも本議論と関係ない話しはやめてください」(こういった発言が入ることをある程度期待していました。)と入れば、すんなり終結した話しだと感じています。
  • 「自身の主張の完全性を求める為に相手を「やっつけ」ようとする傾向があるのではないか」とのことですが、無いとしか言いようがありません。そういったことに興味を持っていません。あくまでも本議論に戻すための手段としました。この話題は世界最狂の魔法使いCray-G氏が私に対して「貴方はこういった方と見ているので目的はこれのはずだ」などと指摘することに、どういった議論の進展をもたらすことになりますか。
  • タイトルについては、コチラの考えは述べました。当方の根拠に基づいた提案が「中途半端に要望を受け入れる」や「無意味にTruesight氏を貶めるような表現」と具体的な論拠の明示もなく結論付けられるのなら、これ以上、対話する必要は無いでしょう。
全体を通して世界最狂の魔法使いCray-G氏のご発言を見ると「貴方はきっと論破したがっている。攻撃被撃に偏っている。目的を見失い明確な勝利(論破)を目指した。」など、先入観を持った見方をされているように感じます。反論については上記の通りですが、対話する意思がおありなら、そのような議論進展に貢献しない発言でなく、論理的にどう有るべきかを話しあうべきでしょう。(正直、このような会話が続くのなら、対話を続ける意義を持てません。)今の論調の先には「相互理解」は無く、むしろ世界最狂の魔法使いCray-G氏が批判する「論破」への道を歩んでいるように思えてなりません。--kei 2011年8月4日 (木) 14:13 (UTC)[返信]
先にも述べた通り、相互理解の為の対話です。私にはkei氏が「印象の悪い行動」を採り続ける理由がわからない為、それを理解出来る返答が必要でした。その為に「kei氏が何を抗弁すれば良いのか」を判断出来る会話を行なったのです。そして期待通り、極めて的確な返答を得ることが出来ました。故にお互いに、これ以上見当違いな憶測に基づく無意味な対話を行なわずに済むわけです。気分を害されたようで申し訳無い。
報告に対して具体的な反論がなく~~
どれほど有意な行動かはともかく、世の中の全ての人が議論に達者なわけではありませんし、また常に感情的になることを抑制出来る人もまたそう多くはありません。一々目くじらを立てるほど深刻な問題ではないと考えています。Truesight氏が寛容さを覚えるべき相手であるか否かは私はTruesight氏のことをよく知りませんのでわかりかねます。ただ私自身の経験から、そういった類の相手に対して真面目に議論を吹っかけて云々しようとすると碌な目に遭わず評判を落とすのは自分の方だと考えています。
また、平行線になるか否かは、いづれが正しいかの論争をしているわけではないので心配をしていません。相互理解を行い、互いに配慮し合い、合意を形成するだけです。
>「どちらも本議論と関係ない話しは~~
ふぅむ。Truesight氏と同じことをして「一緒にチクりごっこをして遊んでやる」手法ですか。あまり効果的ではないように思います。が、本題とは異なる話なので踏み込みません。そう言っていた者が居た程度に憶えておいてもらえれば、もしかしたらkei氏の役に立つ時があるかも知れない、程度にしか考えていない発言です。
「自身の主張の完全性を求める為に~~
私がkei氏を理解する為に的確に何と答えれば良いかをkei氏が知ることになります。誰しも発言には多かれ少なかれ先入観が含まれていて、酷い場合にはそれを大前提とした議論が展開されることさえあります。それは相手から見れば意味不明だったり論理の飛躍があったりと混乱を誘う上に、何を反論すればいいのかを隠蔽します。それは相互理解と正常な議論進行の妨げになります。お互いが前提を話したことで、相互理解が以前より一歩深まりました。そのことは議論の混乱を抑制します。
タイトルについては
私はkei氏の投稿を読んで漸くkei氏の考えを理解したのであり、それ以前にはkei氏の行動しか見えていなかった故にkei氏の考えは憶測するより他になかったのです。私の憶測が誤っていたことは認識しました。言い方が強くなり気分を害されたことは申し訳無く思います。
では本題の方で。
タイトルに付いては、あまり拘っているわけではありません。ただこれは、Truesight氏やその他の議論参加者の見解も聞きたいところです。kei氏提案のタイトル案は異論も出なさそうだと思っていますので、Truesight氏やその他の議論参加者の見解がいただけないようならその方向で進むのが無難かと思っています。と言うのは、Truesight氏は既にすっかり楽しめたのでもう興味を無くして他の遊び相手を探しに行っていて戻って来ない可能性を考慮してのことです。
表に残す部分に付いては、何にせよコメント依頼では「場外乱闘」であることに代わりは無いので、なるべく残す部分を短くしたいと希望しています。既に(本件とは別のコメントの議論で)充分に長いので。
そしてkei氏要望の案を採択する場合、単に両文を抜粋するだけでは後から読んだ人が「その前後の話の流れ」を推察し難くなり誤解を招き易いので、(なるべくコンパクトな)状況説明が共にあるべきかと思います。それは後日他のコメント依頼やブロック依頼等でリンクされた際に、訪れた誰かがノートの議論を読むべきか読まざるべきかを的確に判断することが可能な状況説明であるべきだと考えています。この点に付いては如何なものでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月4日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
お詫びの件、了解しました。ただ、真意が分かりかねるとしても人を試したり、相互理解を深めるために憶測で対話者の性格を述べ、その反応を伺うような行為自体が不要(もう少しはっきり申し上げると不適切)だと考えます。よってその行為を正当化される発言は受け入れがたいものであり、それこそ対話による相互理解を目指すべきでしょう。抜粋案に関しては、私の提案は前述の通りです。引用タグを用いて「一部抜粋(前後の対話は本議論と関連が薄いのでノートへ移動)」とすれば良いのではないでしょうか。Truesight氏の反論及び再反論は本議論の進展をもたらすものなので、不要としてしまうのは議論を一歩後退させたような感覚を持ちますが、それが何らかの要因で議論参加者に混乱をもたらすのであれば、2の案(私の第一発言のみ維持)でも構いません。--kei 2011年8月4日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
私が「議論参加者に混乱をもたらす」可能性を懸念しているのは、恐らくkei氏と異なる前提(≒先入観)を持っているからではないかと考えました。相互理解の為に何らかの要因に関して詳しく書きます。
  1. そもそものTruesight氏の最初の発言(kei氏の第一発言に対する発言)は、良く言っても「一般的な注意喚起」であり、悪く言えば「単なる人格攻撃」である。
  2. とは言え、kei氏に対する発言の正当性/必要性に関し相応の確信を持てるだけの強い印象を受けていた(と推察している)。
  3. にも係わらずTruesight氏は高々印象程度の根拠しか持っておらず、議論が出来るだけの根拠を持ち合わせていなかった。
  4. Truesight氏の反論は3.の状態でありながらもkei氏に再三要求されたこと等により、仕方が無く関係各頁を参照して同様の印象を与える箇所を指摘した(悪い言い方をすればでっち上げた)ものである。
  5. 故に1.の発言を補完するに充分な根拠性を持ち合わせておらず、印象操作としてはともかく反論/指摘として不完全であった。(1.での発言の時点では侮辱罪相当だったものが、この反論で名誉毀損罪相当に昇格しただけ、と表現すると伝わり易いでしょうか)
  6. その不完全な点をkei氏が再反論し論破するのは当然以前の当たり前。
子供が何気なく仕出かしてしまったことに「何でこんなことをしたんだ!」と怒鳴り付けて、しどろもどろに答えさせた『言い訳』に意味なんてありません。その場しのぎの言い訳に反論(再反論)した内容にも事実にも意味はありません。それは「子供が『仕出か』したから叱り付けた」と表現するのが適切であり、「子供が『言い訳』と考えて『仕出か』したから『それは違うぞ』と叱り付けた」と表現するのは不適切です。なにしろ『言い訳』は要するに後付の理由(≒嘘)でしかなく、議論(教育/教え諭す)すべき争点から外れているのですから。
私は、4.に於けるTruesight氏の反論とは高々『言い訳』であり、あるべき争点(Truesight氏に1.の印象を抱かせた全ての事象)から外れた発言であると考えています。無論、そんな争点から外れた反論に対する再反論もまた『見当違い』の方法で叱り付けただけとしか思っていません。なのでその『見当違いの議論』の進展に寄与することが重要とは思えないわけです。
また、前後関係無しに唐突に『言い訳』と『それは違うぞ』が抜粋されていたら、後から読んだ人はTruesight氏が「何気なく仕出かしてしまった」のではなく「わずか数回の出来事を根拠に妄執的確信を抱いて指摘を行なった」と誤解してしまうでしょう。そしてそれはTruesight氏が「単なる印象」に基づいて書いたことを隠蔽し、kei氏が過去に行なった「悪印象を与えるような行動」の回数を過小評価させることになります。なので適切な前後関係を推測し得る要約を付与するべきだと考えています。
上記私の考えの前提(≒先入観)とkei氏のそれとの相違点を明確にしたいと思います。でないと、始まって早速平行線に突入してしまい兼ねないので。単に譲歩することで平行線を避けるのは、もう少し後でいいと思います。
その行為を正当化される発言は受け入れがたいもので
kei氏からの批難は正当であり、全面的に私に非があります。私は単にkei氏を(はぬまん氏にそう言われたにも係わらず)「また論破厨かよ」と見放したくなかったのであり、その為に私は他に採れる適切な手法がなかったのです。過去にも私はブロック依頼を受けたことがあり(興味があるなら、私の会話頁に残っています)、それ以外の手段が採れるようにと模索していますが、未だに出来ていません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月5日 (金) 11:11 (UTC)[返信]
わたし本人がいないところで盛り上がっているようですが、Cray-Gさんに質問します。わたしが行ったkeyさんに対する反論は嘘であり、その根拠は後付の言い訳にしか過ぎないと思われているのですか?特に深い意味はありません。素朴な質問です。--Truesight 2011年8月5日 (金) 14:22 (UTC)[返信]
私はそのように推定しています。Truesight氏は、もしもkei氏がTruesight氏による具体的な指摘に対して「適切な反論」が行なわれた場合には、Truesight氏が行なった一般的な注意喚起としての補足が誤っていたと認め「kei氏が挙げた数々の論拠は偏向の無い公平なものである」と主張ようになりますか? 如何なる反論があろうとなりませんよね?
ここでTruesight氏が「反論の内容によっては(或いは議論が進めば)そう主張し得る」と答えるようであれば、私はひっくり返るほど驚き、私の認識が誤っていたことを認識することになります。即ちそれは「言い訳」ではなく、そして先に私が行なった議論の移動は極めて不適切であり、今ここでkei氏が主張し私と議論している問題は全面的にkei氏の主張が正しいと結論出来ます。
ですが私は現段階に於いてTruesight氏がそう答えることは無いと考えています。何故ならば、Truesight氏は高々数件のkei氏の発言を見て「割り引く必要がある」と決め付けたのではなく、様々なことを考え合わせた総合的な判断として「割り引く必要がある」と考えたに相違無いと「私は思い込んで」いるからです。
その「総合的な判断」に係わった全ての根拠が挙げられているのでない以上、それに如何に論理的に正しく反論しようともTruesight氏の判断が変わることはなく、また主張を訂正することも無いでしょう。Truesight氏の「総合的な判断」の根拠の一部に適切に反論されそれが根拠から消えたとしても、「総合的な判断」の根拠の大部分は全く否定されていないのですから。
それは文字通りの「言い訳」(実際にそうさせた「訳=根拠」ではない、言葉で言っているだけの「訳」)です。そしてそれに反論することは議論の進展に寄与しません。
どちらかと言うとkei氏はTruesight氏の「言い訳」を見て、自身が悪く評価される要因となった行動の一例を知り、如何なる要因で「悪く評価された」のか如何にすれば「悪く評価されずに済んだ」のかを思索し、今後の行動の指針とすれば、一つづつでも自身が悪く評価される要因となるような行動が減り、次第に良く評価されるようになる助けになることでしょう。
その意味で、Truesight氏の「具体的な指摘」が虚偽であり無意味であるとは言いません。それは真実「具体的な指摘」のはずです。ですがそれが反論する意味の無い「言い訳」であることに変わりはありません。
嘘であり
それに反論しようとするkei氏の観点からすれば、それは「公平ではない」と評価した「根拠の全て」ではないという意味で「嘘」です。それは「公平ではない」と考えた「無数の根拠の内のいくつか」でしかないのですから。Truesight氏が「kei氏を騙すことを目的に虚偽を言った」という意味では「嘘」だとは思っていません。それは正しく「無数の根拠の内のいくつか」を示しているのですから。
後付の言い訳にしか過ぎない
Truesight氏が総合的に判断したその根拠の表面づらのさらに一部だけでしかありません。Truesight氏は「具体的な指摘」を行なおうと思った時に初めて、その表面づらである「無数の根拠の内のいくつか」を探して来た(=後付した)わけです。総合的に判断したその瞬間の最初にして唯一の根拠だったわけではなく、具体的な指摘の為に必要になったから探して来た補強材料の内の一つに過ぎません。その意味で「後付」です。其れに対して如何に言葉を尽くそうとも、それだけではTruesight氏の判断は揺るがないのですから「言い訳にしか過ぎない」のです。
「嘘」とか「後付」とか「言い訳」という単語はそれぞれ多義的な意味を持ち、そのそれぞれの中では悪意の存在を示唆する意味を持つものが一般的です。kei氏との対話だったことからkei氏の観点から適切と思われた単語を用いたことでTruesight氏には不愉快な思いをさせてしまったようで申し訳無い。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月6日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
Cray-Gさん、最後の一文についてはある程度想像してましたし、それ故、容認しようと思い放置してきました。その意味で最後の一文をいただけたことは、わたしの考えを裏付けるものであり、判断は間違っていなかったと安心しています。しかしあまりにも言葉が過ぎると正直不愉快なのも事実。Cray-Gさんの真意が那辺にあろうともあまりにも過ぎた言葉は厳に慎んでいただきたい。わたしのkei氏に対する反論は嘘ではないし、根拠も後付ではありません。正直、具体根拠に書いたのはわたしがkei氏に反論するに至った理由の一部に過ぎないことは認めます。それは具体根拠を述べた際に末文にも記してあったと思います。そういった意味で全ての根拠が書かれていないではないかという指摘であればそれは正しいものと言えます。しかし、あの場面で全ての根拠を述べることはその分量からしてもあまりに多くなり、こちらの労力もそれなりに必要となってきますし、それは必要十分以上のものであると考えたためため敢えてやりませんでした。やらずとも十分と考えたのです。しかし、結果としてそれがCray-Gさんや他の方に疑念を抱かせるひとつの理由となったのは考えが甘かった、十分ではなかったのだと反省もしています。さて、当時、正直、あれだけの根拠を述べた後でkei氏のあのような再反論にあうとは思いもよりませんでした。しかし、kei氏の再反論は、逆にいえば、こちらの考えを逸脱したものではなく、kei氏の再反論によってわたしは自論が誤っていなかったと逆に自信を深めたのも事実です。kei氏とは南京事件以前から関わりがあり、kei氏については良く知っています。そういった意味で、わたしのkei氏観をkei氏が超えることはまずありません。であるから、仰せのとおりkei氏の反論は無意味です、それはわたしの考えを改めさせる以上のものではないだろうということです。しかし、もし仮に、kei氏がこちらの予想を裏切り、真摯さを感じさせる反論をするのであれば(状況的に在り得るはずはないと思っています)、こちらも反論を翻すことは十分に在り得ます。これについてはCray-Gさんにも見損なわないでいただきたいと言って置きます。これでこちらの真意が伝わるかどうか不明ですが、一応伝えておきます。--Truesight 2011年8月6日 (土) 16:06 (UTC)[返信]
あまりにも過ぎた言葉は
これでもまだ「あまりにも過ぎた言葉」だと表現されるようだと、以前の私の言葉の用い方で会話をしたら大変なことになるのでしょうね。
見損なわないでいただきたい
明日の朝にUFOに乗った宇宙人が飛んで来て地球を攻撃する可能性がゼロではないことを認めることに意味を見出せません。数学的証明がされたものを除いては、可能性は常にゼロではないのですから。可能性がゼロではないとは言え有り得ないと予想している事実が起れば予想していない出来事が起こるのは当然のことであり、それすら認められないのはどうしようもない愚者でしかありません。そして私はTruesight氏がそんなどうしようもない愚者かも知れないだなどという疑念は抱いていません。
前述の通り「疑念は抱いていません」し、これからもそれを覆すような行動をTruesight氏が採るとは思っていません。ですが、もしも百万が一Truesight氏がそれを覆すような行動を採ったとしたら、流石に疑念ぐらいは抱くようになると思います。でも、わざわざ「流石に疑念ぐらいは抱くようになると思います」とか言わないといけませんか?
疑念を抱かせるひとつの理由となったのは考えが甘かった
どちらかと言いますと、他の議論もざっと見た上で「誰も特に疑念を抱いていない」と思います。ぶっちゃけ「Truesight氏の言葉が少々過ぎた」だけのことであり、さらにはそれに「名誉を傷付けられたkei氏が過敏に反応した」所為で話が大きくなったのだと認識しています。肝要な部分は他にあります。
それは「逆に自信を深めた」という事実を良く考えて戴きたいのですが、kei氏が『適切に』反論したならば「逆に自信を深めた」りするはずが無く、Truesight氏は「公平ではなく~~」発言を訂正し全面的に抹消(除去は不適切なので全文に取消線)するはずです。そしてkei氏は『(kei氏の主観に於いて)適切に』反論しました。然るにTruesight氏は意見の訂正や除去抹消どころか「逆に自信を深めた」のです。これが『(kei氏の主観に於いて)嘘』以外の何だと言うのでしょうか。『(kei氏の主観に於いて)適切に』反論されたにも関わらず意見の訂正も除去抹消もしないのならば(Truesight氏の真意が何処にあったにせよ結果的に)嘘だった、ということになるでしょう。kei氏の主観に於いては。
無論、Truesight氏が最初から意図して嘘を付いたのではなく、嘘であるというのはkei氏の主観、kei氏の――言われて早速ですがTruesight氏に対しては適切ですがkei氏は気分を害するであろう表現を用いるならば――思い込みなわけです。何しろ、kei氏は『kei氏の主観に於いて適切に』反論したわけですが、それはイコール『Truesight氏の主観に於いて不適切に』反論したのですから。その結果としてTruesight氏が意見の訂正も除去抹消もしないのは当然であり、嘘と言うのは暴言であるというTruesight氏の主張は(Truesight氏の主観に於いて)適切です。
それをkei氏の主観に於いて何が起こっていたのかを理解してもらう為に、kei氏の主観に合わせて敢えて「嘘」だとか「言い訳」だとかという言葉を用いたのです。対話する相手の主観に合う言葉、理解出来る言葉を用いないで相互理解を行なうことは私には(まだ)出来ません。
ですがお蔭様で、kei氏には何が起こっていたのかを理解して戴けたようです。なのでこれを読んでkei氏は恐らく「なるほどTruesight氏のあの反論/指摘はトラップだったのか」とkei氏の主観に於いて正しく認識して戴けることでしょう。自身がそのトラップに見事に引っかかり、その所為で「その会話自体が争点から外れており、議論の進展をもたらさないという見方」が存在するのだ、という正しい認識を。
結局のところkei氏が行なうべきこと(=Truesight氏を翻意させる為に必要だったこと)は「単なる反論」では無かったわけです。にも係わらずそのあたり(議論として反論すること)の思考形態から脱出出来ないでいること(そしてそうさせている何か)に基づいて、Truesight氏はkei氏の評価を決定しているわけです。その真実を覆い隠しておいて直接ではなく上っ面だけの間接的な指摘をしたこと、『(kei氏の主観に於いて)トラップ』を仕掛けたことを以って「言い訳」と表現しています。Truesight氏の反論/指摘も子供の言い訳も、それに『(kei氏の主観に於いて)適切に』反論することは正解ではありません。ましてやTruesight氏のそれは、Truesight氏のみならず私(や恐らくは他の人)にまで「kei氏は論破厨である」という悪印象を抱かせるに到ったのですから『(kei氏の主観に於いて)適切に』反論することは大不正解と言えるでしょう。
そのことをkei氏が理解出来たのならば、それだけで本節で言葉を尽くした甲斐があったと言うものです。もしかしたらいづれはTruesight氏の予想を裏切り、真摯さを感じさせる反論が出来るようになるかも知れない可能性が出てきたのですから。そしてその時には、Truesight氏が「kei氏は既に以前のkei氏ではない」と認識を改め、「過去にkei氏に対して下した判断は現在のkei氏には当て嵌まらない」と撤回するであろうことを私は微塵も疑ってはいません。あまり多くはありませんがそうした人を何人か見たことがあり、そしてそうしなかった人を(話には聞いたことがありますが)見たことが無いからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月6日 (土) 21:54 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、こちらの発言に対して、結果的に重ねての謝罪をさせてしまい、かえって申し訳なく思います。ありがとうございました。Truesight氏の反論と私の再反論については「言い訳」とそれに対する「返答」との観点はこちらにありませんでした。第三者が見てそのように感じるのなら、そうなのかなという印象です。よって、その会話自体が争点から外れており、議論の進展をもたらさないという見方もあるのなら、反論・再反論は不要との方向で構わないと考えます。--kei 2011年8月5日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
上で私がTruesight氏に返答を行ないました中で、何故に議論の進展をもたらさないものであると受け取られるかに係わる私の認識を書きました。参考にしていただければと思います。或いはそれ(やそれへのTruesight氏の返答など)を見て私の考えを理解し、やはり議論の進展をもたらさないとは思えないと考えるようであれば、またそのように返信してもらえればと思います。
ひとまず反論・再反論は不要との方向で合意が出来たと仮定して話を進めたいと思います。
  1. 議論を移動した部分に関してはkei氏の第一のコメントを残しTruesight氏の発言及びそれ以降を除去。Truesight氏の発言の「相当割り引いて考慮する必要がある」旨を中心とした要約と共にノートへ誘導する方向で合意
  2. また、その際の「Truesight氏の~~要約」を含む誘導文に関しては特に議論は進んでいない
  3. ノートの節名に関しては特に議論は進んでいない
  4. 議論を移動した部分に関して現状維持の方向性には未だに反対
との現状に関し、ひとまず確認を行ないたいと思います。
私は1.に関しては合意を得られるだろうと考えていますが、同時に行なったTruesight氏への返信を読んで私への理解が深まり、kei氏が考えを改める可能性を考慮しています。
また2.に関しては、この要約の内容によっては受け入れられない可能性があることを両者が認識していることを確認したいと思います。
3.に関しても、両者が同じ認識を持っていることを確認したいと思います。
4.に関しては、私が未だに現状で相応と考えていることから、此処までの対話でkei氏の考えが少しでも現状維持を認める方向に傾いてくれているか否かを確認したいと希望しているものです。
現状確認の為に、忌憚無く意見を言ってもらいたいと思います。相反するものがあれば、それに関しても合意を形成したいと考えていますので。
また出来るならTruesight氏も含めて合意を形成したいと考えていますので、Truesight氏も対話に加わって戴ければ喜ばしく思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月6日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、論点整理とご提案ありがとうございます。Truesight氏もありがとうございます。(片方のみお礼を述べたことで、もう片方を遠まわしに批判したとされると困るので、念のため申し上げておきます。)
1.については同意します。(反論、再反論が議論進展に貢献しないとの見解があるとのご提案に同意するとの根拠からです。)
2.誘導文に関しては<以降は本議論との関連が低いので「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」として、ノートへ移動しました>を提案します。
3.ノートの節名は「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」とすることを提案します。
4.については、少し要領が得れません。申し訳ございませんが、どの部分に対してのものか、もう少し詳しく解説いただけますか。--kei 2011年8月6日 (土) 14:30 (UTC)[返信]
正直、ここの議論はつぶさに追っていないし、追おうとも思いません。ですのである程度こちらの不利益になるような合意形成が行われ、実施されたとしても文句はいいません。しかし甚だしく公正を欠くと感じた場合は、看過するつもりもありません。--Truesight 2011年8月6日 (土) 16:17 (UTC)[返信]
1.に関して合意が得られたことを喜ばしく思います。
2.に関しては、少なくとも「件の議論の参加者の中に公平ではないという印象を受けた者が居た」という事実は示さなければならない(例えそれが単なる印象や偏見にしか過ぎなくても)と思うのですが、如何なものでしょうか。
3.に関しては、私自身は特に重要視していませんので、基本的にはその方向で構いません。このままTruesight氏(やその他の方)から何も意見が無いようであれば「利用者Truesightの発言に端を発した~~」でも構わないぐらいに思っています。
4.に関しては、私自身は(何しろそう思って実行したので)特に何の変更もしないまま放置するのが最善最適だと考えているからです。即ち(節名の変更はともかく)Truesight氏の「公平なものでは~~」発言とkei氏の「非常に偏った行動を起こされる方~~」発言を残しておくことです。
と言うのは、将来大和屋敷氏の行動について調査する人が訪れた時に備えてそうしたつもりだからです。相互理解の為に詳しく説明します。
先ず私の認識では(Truesight氏への返信で述べた通り)件の議論の行方がこの先如何になろうとも、Truesight氏が「kei氏のコメントは公平なものであった」と前言撤回することは無いと考えています。これは単に意地悪や負けず嫌いで前言撤回しないのではなく、如何に論理の暴力数の暴力を振るわれようとも「前言撤回するべきだ」と心底納得することは無い、と認識しているのです。
である以上、kei氏の人となりに関して気になった人は結局のところ南京事件の議論という一次資料を読まなければ判断を下せないわけで、議論の内容を見ることは無駄です。何しろ件の議論では結論が出ないわけですから。
そして此処からが肝要なのですが、将来大和屋敷氏の行動について調査する人の興味は主に、ノート:南京事件でも大和屋敷氏が「暴れて」いたこととその具体的な指摘箇所、そしてそれが公平か否かに疑義が出されていることまでです。もしも此処で、件の議論により「Truesight氏が前言撤回する可能性がある」のならば、出されている疑義自体に疑義がある可能性があることになります。そのことは(優先順位は高くないとは言え)興味のあることです。ノート:南京事件を読むまでも無くそれを知ることが出来るのならその分の手間が省けるわけですから、積極的に件の議論を読もうとすることでしょう。そして得られる結果は「結局のところ~~」なのですから、件の議論を読むことはまさに無駄骨です。
しかもその際、将来大和屋敷氏の行動について調査する人は既に得られているコメントやその他によって、ある程度の意見を持っていることでしょう。なのでその人にとって、kei氏のコメント一件は結局のところ一票でしかないわけです。なので、kei氏の人となりが例えTruesight氏の言う通りだったとしても、大勢がほぼ決定している段階での一票の差は誤差の範囲です。それはkei氏の考えが正しければ正しい程、その「一票」の持つ意味は相対的に低下していくわけです。何故ならば大多数の「将来大和屋敷氏の行動について調査する人」はkei氏の一票があろうが無かろうが変わることなく、kei氏と同じ判断を下すからです。なのでその人達にとっては、kei氏の人となりは重要ではありません。重要なのはkei氏の一票が「その人達と異なる側の一票である」場合であり、それはTruesight氏との議論の結論(そして結局はノート:南京事件を読むこと)によって「いづれの側の一票であるか」がはっきりします。
さて、将来大和屋敷氏の行動について調査する人はkei氏のコメントを読んで恐らく「ノート:南京事件は㌧でもなく長そうだから、この一票は後で評価しよう。他で大勢が決まるようなら評価する必要も無いわけだし」と考えることでしょう。しかしTruesight氏の「公平なものでは~~」発言の要約が続いているのを見たならば「もしかしたら思ったよりもすぐに評価出来るかも知れないから議論を読んでみよう」と思いノートに移動し、無駄骨を折ることになるわけです。
しかしながら、そのさらに後にTruesight氏の発言に続けてkei氏の「非常に偏った行動を起こされる方~~」発言があれば、それはこれから起こる結論の出ない泥仕合を予兆させます。するとそれを見た将来大和屋敷氏の行動について調査する人は「泥仕合になるのだったら、やはり後回しにした方がいいかも知れない」と疑念を抱くことでしょう。そしてその直後の誘導マーカーに気付き、それは確信に変わります。さらに誘導マーカーの直後の私の提案発言を見て、「ここからこの段の終わりまでは読み飛ばして良いんだな」と判断して読み飛ばします。
残念ながらここで、次の段が改まったところにkei氏の「では発言を変えます」発言があるので、将来大和屋敷氏の行動について調査する人は驚くことでしょう。そして不本意なことに「そういやさっきの発言もこのkeiって利用者だったな。こいつが駄々捏ねて議論を吹っかけて荒らしてるのか」という印象を持つことでしょう。なにせその人にとっては「わかった、後で詳しく聞くからちょっと待ってろ」と言った(読み飛ばした)直後に口喧しく議論を再開しようとしているのですからね。そしてそれは当然のように「荒らしの発言は放っておこう」と考えさせることになってしまいます。下手をすると「もしかしたら大和屋敷氏はこれまで、こういった荒らしと戦っていただけなのではないか。もしかしたらWikipediaを荒らしから守るという重要な役割を担っている大切な人物なのかも知れない。最初から再調査した方が良いのではなかろうか」などと、kei氏の意図とは真逆の変な印象を持たれるかも知れません。そしてそういう「先入観」を持って見てみれば、何しろ大和屋敷氏の行動の全てが批難に値するわけでは決してなく、むしろガイドラインを遵守する善良な利用者とさえ言えるのですから、相手に問題がある場合の方が多いはずです。そのままそれが「大和屋敷氏に楯突いているのはほぼ間違い無く荒らしである」などという「偏見」が構築されたりなどしたら目も当てられません。
其処で私は、将来大和屋敷氏の行動について調査する人の負担を適切に減らすことの為に、現状維持が最善だろうと考えています。また、本節でkei氏との対話を求めたところでのはぬまん氏との対話の中での私の「最後に加えられた部分の除去にも同意して戴けることでしょう」というのもこの意味です。
以上、私が4.を希望している理由です。何処までが残してあるのか、何処からが除去されたのか、というのは後から見る人の判断に大きく影響を与えます。過去にその「除去された議論」を既に熟読した「先人」の判断が加味されて決定されているものだからです。
このことに関して私とkei氏との間に「温度差」を覚えるようであれば、それは恐らくkei氏への理解が私に足りないからではないかと考えます。であれば、私がkei氏を理解出来るように、kei氏の考えを聞きたいと思います。相互理解を深める為に。妥協ではなく合意を得る為に。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月6日 (土) 18:47 (UTC)[返信]

(インデント戻し)すいません、ちょっと目についてしまったのでいわせていただきますが、上記1.の合意はどういうことですか、わたしのこの[20]発言の除去もしくは移動を意味していますか?でしたら発言者として同意できませんので明確に意思表明しておきます。--Truesight 2011年8月6日 (土) 19:15 (UTC)[返信]

その発言を要約/纏めて、同議論参加者から一方的且つ不公平ではないかという指摘があった旨のみとし、人格攻撃が如き語調の強さを殺ごう、という案です。該指摘自体は表に残さなければならないと私も主張しているのですが、間接的な「要約」とすることでダイレクトな語調の強さを和らげることが出来ないかと考えています。
むしろ逆にTruesight氏にとっては、これまでの議論等を考え合わせた上で発言を合意を得つつ全面修正するチャンスなのではないか、ぐらいに思っているのですが如何でしょう。ぶっちゃけ、対話参加者の合意が得られるギリギリ限界まで人格攻撃でも印象操作でも何でもありなんですから。しかもそれを対話により限界を探りながら進められるのですから、これほど限界に挑戦することは他では無理でしょう。纏めとして間接的になることで鋭さを大幅に殺ぎつつも、それによって受ける印象自体は残りますから、Truesight氏が伝えたかったことは充分に(もしかしたら十二分に)伝わるように出来るかも知れません。
ですがそれも、対話に参加してこそ、ですがね。要約の文案を話し合う頃には、参加して戴きたいと思います。節名の件もありますしね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月6日 (土) 21:54 (UTC)[返信]
人格攻撃でもなんでもございません。これが人格攻撃ならば、kei氏が他者に投げかける言辞の数々はどうなのかといっておきます。移動、除去、現状からの改変も発言者として許容できませんのであしからず。--Truesight 2011年8月7日 (日) 02:51 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、詳しい解説ありがとうございます。Truesight氏もありがとうございます。合意に進んでいない部分についてコメントします。
2.中立性を担保しつつ、「~公平ではないという印象を受けた者が居た」という事実を織り込んだ内容が簡潔に表現できればなお良いと思います。
3.では第一案を「利用者Truesightの発言に端を発した~~」とし、第二案を「Truesight氏、kei氏の対話~」に変更します。
4.趣旨は理解できましたが、アウトラインが見えてこないので。具体的にどこをどのようにするのかお知らせいただけますか。何度もお伺いするのが忍びないので、コチラの認識がズレている可能性を感じつつコメントしておきます。本議論において「同意出来ません。移動するならせめてTruesight氏~」kei 2011年7月30日 (土) 14:32 (UTC) 以降の文章を除去ということですか。本議論だけを見る利用者からすれば、議論の継続性が損なわれているので同意します。それなら、むしろ「誘導文」以降のやり取り全てが移動後から見れば、必要の無いやり取りなので、そこから移動&除去してもよいかと思います。(かなり手を加える必要性が生じそうなので、こちらは現実的でないかも知れませんね。)
以上、よろしくお願いします。--kei 2011年8月7日 (日) 01:26 (UTC)[返信]
◆Truesight氏へ
kei氏が他者に投げかける言辞の数々はどうなのかと
ここでおまえだって論法を使われても意味を持ちません。
人格攻撃でもなんでもございません
厳密には人格攻撃とは異なりますが、状況対人論証が含まれていて、それが必要以上の範囲にまで影響を及ぼしています。
せっかくなので具体的に指摘しますと、「上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方です(1)ので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要がある(2)と存じます」の部分です。
これだけならどうということは無いのですが、この(1)が(2)のみならず、後続する「氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものとは思えません」の根拠としても機能するので「一方的なものであり公平なものではない」という印象が強化されてしまっています。いくらそれぞれ文は異なるものだ、とTruesight氏が言い張ったとしても、受け取る側に正しく伝わらないなら無意味です。
なので、これらの順序を逆にするだけでも大きく異なるのです。例えば、

同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のkei さんの挙げられている数々の論拠はわたしからみると、一方的なものであり公平なものとは思えません。氏は同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。--(署名)

等となっていれば「単なる一般的な注意喚起」という印象を受け、「人格攻撃が如き」などと言われることは無いでしょう。また「相当割り引いて~~」の部分を「氏のコメントが適切か否かについてはノート:南京事件 (1937年)を充分に確認していただきたいと思います」等とすればさらに、「中立的な注意喚起」と受け取れると思います。
そしてまた、単に発言を上記のように修正するだけだと、続くkei氏の発言(それが許されるわけでは無いが飽くまで人格攻撃が如き印象操作をされた応酬としての暴言)が只の暴言にしかならなくなってしまうので、それはそれで悪質な印象操作になってしまうのです。
上記のような点を鑑みてもなお「現状からの改変は許容出来ない」と仰るようであれば、その「人格攻撃が如き印象操作」が目的なのではないかとしか私には考えられません。そもそもが「客観的にみて」などという発言だったこともありますので、Truesight氏が「真実なので瑕疵の無い正当な発言であり、当然に人格攻撃にも印象操作にも当たらない」と考えていたとしても私は驚きません。
私は許容出来ないという理由に関して理解を行ないたいと思いますが、現状では情報が少な過ぎます。対話の意思があるようであれば、理由を説明して戴きたいと思うのですが如何なものでしょうか。
◆kei氏へ
2.3.については双方とも基本同意見と認識致しました。ただ2.に関して、あまり簡潔になり過ぎて「一般的な注意喚起」としてすら機能しない程度にならないように気を付ける必要があると思っています。
4.についてですが、誘導マーカー以下に関してはkei氏の考えの通りです。そしてその上で、現在の誘導マーカーの上は今のまま、というのが私は理想形かと考えています。
ちょうど合意を得るべきTruesight氏も「現状なら合意可能」と考えているようですし、最も手間が少なく済む(=このまま進めても、さらにTruesight氏との合意を得るのが大変になる)中では妥当な範囲かな、と考えているのです。
それにkei氏が不満を表明していたことは承知していますが、私がまだkei氏に対する理解が不充分なので、どの程度の不満なのかが理解出来ず、もしかしたら「現状でも妥当ではあるがより要望を汲んで欲しいと考えているだけなのかも知れない、或いはその後意見が変わり特に不満は無くなったかも知れない」と期待しての質問です。
また同時に、現状ではTruesight氏が許容出来ないとの認識を持っていることから、改めてkei氏には「現在の誘導マーカーの上は今のままにしておく(kei氏の第二発言までを維持する)場合、やはり先の具体的指摘等(=反論/再反論)を載せることを希望するか否か+その他要望等があるか否か」を確認したいと思います。
そしてついでながら、2.を例えば上のTruesight氏へ向けた返信の中の「順序を変えた」ものとした場合の意見なども聞かせて戴ければと思います。簡単にで構いません、Truesight氏がそれでも許容出来ないと言い無駄になる可能性もあるので。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月8日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、移動の件についてご尽力されていることに感謝致します。
私は、基本的に移動に関する件についてはkeiさんとTruesightさんと世界最狂の魔法使いCray-Gさんとの間で合意に達することができるのが最善であると考えコメントは差し控えたいと思います。keiさんと私とは現在keiさんの発言に対する私の発言をめぐって意見が対立している状況ですから、こちらで私が発言してせっかくのご努力に水を差したくないと考えているためです。
なお、上で世界最狂の魔法使いCray-GさんがTruesightさんの発言について述べておられるコメントは、残念ながら仲裁に失敗する発言の仕方になってしまい議論を長引かせることになってしまった私としては大変参考になるものでした。別して感謝申し上げたいと思います。--Henon 2011年8月8日 (月) 17:29 (UTC)[返信]
仲裁というものは、先ず双方の話を聞き理解するところから始まるものです。話を聞く前に指摘や批難を行なってしまっては、単に争いに参加しただけのことになってしまいます。
keiさんと私とは現在keiさんの発言に対する私の発言をめぐって意見が対立している状況ですから
今までの対話を見る限りですと、kei氏は恐らく適切に議論が可能な方であり、他所で意見対立があることとは独立して議論を行なえる方だという印象を受けています。
このような事態に発展してしまったのは、本件の問題が議論によって解決出来ない種類の問題だったことであり、それを議論によって解決しようとしたことですれ違いが発生したのだと認識しています。
なので見解の相違を正す為の質問や見解を求めるという形であれば(少なくともkei氏からは)適切な返答が得られるのではないでしょうか。実際私の乱暴な言葉遣いにも係わらずkei氏が冷静且つ適切に返答をしてくれたお陰で、私は少しづつですがkei氏への理解が深まりつつあります。いづれは幸福な合意を得られることでしょう。
Truesightさんの発言について述べて
順序を変えれば云々のことでしょうか。だとすれば、「順序を変えただけでも印象が大きく変わったはずだ」という私の考えが間違っていなかったと同意してくれる人が少なくとも一人は居たことを知り、幾許かの安心を覚えるものです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月9日 (火) 02:10 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさんありがとうございます。Truesight氏もありがとうございます。残りの部分についてです。
2.に関してのご発言、理解しました。こちらとしては、コメントの条件に合致した案を持っていませんので、ご提案いただけますでしょうか。
4.誘導マーカーより上は維持。下は除去&移動で合意します。当初要望していた私の報告に対する「反論・再反論抜粋案」は以前も申し上げた通り「言い訳」とそれに対する「返答」との見解がある中、抜粋することが混乱を招くとのことなので不要。及び、私の第一発言のみ維持でTruesight氏以降の発言除去案も引っ込めます。
「順序を変えた発言」についてですが、先入観なしで上記の発言を見た場合、「悪意」は相当薄まり、「攻撃性」は感じられません。「激しい応酬」や「相当割り引いて」と個人的主観の物差しを、他の利用者に適用させようとする理不尽な印象は残りますが、発言内容に一定の論理性が感じられることで、ある程度、対話可能な印象を持つことが出来ます。これでしたら、もう少し冷静且つ論理的な対応が可能であったかも知れません。(今回は、そう読み替える度量が無かったということでしょう。)
ある発言が気に入らないことを理由に、移動、除去、現状からの改変の全てを拒否するというのは、議論でも何でもなく、子供が「玩具買ってくれないなら勉強しない」というのと同じ理屈と考えます。根拠の明示なき不同意は議論における有効な発言でないと見なしても良いのでは無いでしょうか。こちらいつまでも「納得」しないの典型例としてあげておきたいくらいに感じます。--kei 2011年8月9日 (火) 13:21 (UTC)[返信]
いつまでも「納得」しないの典型例として
誰しもが議論を得手としているわけではありません。どちらかと言うと根拠どころか、自身が何を望んでいるのかすら満足に表現出来ない人の方が多いものです。当然表現されてもいない言葉に理があるはずが無いのですから、文字通り理不尽(=理が尽くされていない)になってしまうのは仕方が無いことです。それは「出来る側」が汲み取ってやらなければならないことではないでしょうか。子供を怒鳴り付けたり体罰を与えたりすることが最適なこともあるのかも知れませんが、常にそれが最適であることは決してありません。
本題に移ります。
4.が「誘導マーカーより上は現状維持」ということで合意出来れば、Truesight氏の発言自体が残りそれが全てを語ることになるので、2.の部分の「コメントの条件」が変わってくると思うのです。
なのでそれはkei氏提案の<以降は本議論との関連が低いので「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」として、ノートへ移動しました>で充分に満たされると思います。
また節名に関しても、Truesight氏から特に反対の言を戴いていないことから推定してkei氏提案の「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」で問題は無いと考えます。
誘導マーカーより下は除去&移動に関しては、その後議論が継続していることから、少々状況が変わってきているように思えます。改めての合意が必要かと思います。
以下、段を戻します。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月10日 (水) 05:39 (UTC)[返信]

ということで段を戻して現状整理致しますと、

  1. 誘導マーカーより上は「現状維持」
  2. 節名は「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」
  3. 誘導文は『以降は本議論との関連が低いので「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」として、ノートへ移動しました』
  4. 誘導マーカーより下は「除去&移動」

で合意が取れている、ということになると思います。私の認識違いがあるようであれば忌憚無くお願いします。

そして4.に関してはその後議論が継続していることから、継続している議論参加者の考えを確認する必要があると思います。先ずは叩き台として、

  • (A)何処までを維持するのか=何処からを除去/移動するのか
    • (A-1)現状の誘導マーカーに続く私ことCray-Gの「ノートへの移動提案」発言及びそれ以降の全てを除去/移動
    • (A-2)現状の誘導マーカーの後のkei氏による「同意出来ません。移動するならせめて~~」発言及びそれ以降の全てを除去/移動
    • (A-3)現状の誘導マーカーの後の私ことCray-Gによる「やはり時期尚早でしたか~~」発言までを維持し、それ以降を除去/移動
  • (B)単に除去するのみか、節を設けてノートへ移動するのか
    • (B-1)単に除去するのみ
    • (B-2)節を設けてノートへ移動する
  • (C)もしも(B-2)の場合、節名及び誘導文をどうするか
    • (C-1)節名『ノートへの移動に端を発した議論』誘導文『以降は「ノート#ノートへの移動に端を発した議論」に移動されました』
    • (C-2)特に(A-3)の場合に、節名『ノートへの移動に端を発した議論』誘導文『以降「ノート#Maddestmagician~~」にて合意形成が行なわれるのと同時並行して進んだ議論に関しては「ノート#ノートへの移動に端を発した議論」へ移動されました』

を提案してみます。他の方、特に現状議論参加者であるkei氏、Truesight氏、はぬまん氏の意見や他の案等があれば伺いたいと思います。

なお私自身は、現状でkei氏とはぬまん氏は当該議論がノートへ移されることに関して大きな抵抗を抱いていないようだと認識していますので(A-3/B-2/C-2)が適切かと考えています。ここで「やはり時期尚早でしたか~~」発言までを維持しておくことで、興味の無い方には読み飛ばすことが充分に可能でありながらも、単に「kei氏が駄々を捏ねていたのが除去された」のではなく、kei氏がWikipediaの理念に従い合意形成に参加し(そして合意が形成され)たことを示すと共に、私のような「言い訳と返答」とは見ない方、kei氏と同様の観点の方にも「揉み消され」ずに議論が継続したこととその議論そのものを知るチャンスを残すことが出来ると考えたものです。

世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月10日 (水) 05:39 (UTC)[返信]

ありがとうございます。簡潔に申し上げます。
1.同意
2.第一案を「利用者Truesightの発言に端を発した~~」とし、第二案を「Truesight氏、kei氏の対話~」です。
3.『以降は本議論との関連が低いので「2のタイトルを引用」として、ノートへ移動しました』で同意
4.B-2,C-2に同意しますが、B-1単に除去でも良いのではないですか。移動に関する議論は、可読性を考えればある程度手を加える必要がある一方で、こちらで同意がなされれば大した意味を持たないやり取りなので。
あと直近のはぬまん氏との反論・再反論は、重要な意味を持たないと考えているので、移動or維持のどちらでも構いません。とりあえずは、はぬまん氏の反論が続くかを少し様子(もしくは意思表示)を見て、落ち着いたら検討することになるかと思います。--kei 2011年8月10日 (水) 14:51 (UTC)[返信]
正直、keiさんの相手を軽視した発言はどうにかならないものですかね…。利用者の行為についてのコメント依頼に関して少しお話したいと思います。裁く権利があるわけでもない、同じ立場の人間が被依頼者の行為の問題性を判断するのですから、被依頼者自体と考えるのではなく、その行為が問題あるかどうかと考えるべきだと思います。つまり、同様の行為をする利用者はウィキペディアでは問題とされるものとして話すものだと思うのです。問題を指摘する側が当然その問題性を抱えていない限り全くその指摘をすることに疑問を抱かないのですが、同様の問題がある利用者が他者に対しそれは問題だ、というのでは、あなたの行為もそれでは問題なのですよね?と思えてくる訳なのです。行為そのものが問題なのですから自分のことを棚に上げて話すようでは、それこそ単なる喧嘩の攻撃のしあいとなってしまいます。
例えばkeiさんは大和屋敷さんから礼を失した態度があるとして謝罪を要求しているのですが、他方同様に求められているkeiさんも別の方に対して謝罪していらっしゃいません(Wikipedia:コメント依頼/Chichiii 2011-07-19)。自分が悪くないと思うから謝罪しないというお考えなのでしたら、大和屋敷さん側からも同様の理屈が通る訳なのでして、自分だけがそのように要求して話が通ると言うのも虫のいい話です。被依頼者とされても公平な立場には変わりないのですから、一方的に糾弾するかのような指摘はやはり同意しかねます。keiさんの指摘がもう少し客観性が保たれていれば話も違ってくるのですが、少なくとも私には主観的な物言いとしか読み取れません。--はぬまん 2011年8月10日 (水) 16:07 (UTC)[返信]
◆1.3.に関し合意の確認が取れたことを喜ばしく思います。
2.第一案を~~
おっと、そうでした。最悪でも第二案での合意が担保された喜びのあまり失念してしまいました。大変な失礼を。
B-1単に除去でも~~
基本的に同意見なのですが、他の議論参加者が居るのであまり独りで先走るのは事故の元かなと思いまして。後述します。
では、2.の第一案に関する私の考えを述べてみます。
既に述べた通り私の観点では、kei氏が「リングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに」返したのであれば「非は一方的にTruesight氏にあった」と認識し第一案にも特に否やは無いところです。その場合にはその後の議論自体が発生しなかったことでしょうがね。ですがkei氏が「同じ土俵で(=場外に出て)」返した為に件の議論が発生したと認識しているので、件の議論に関しては「喧嘩両成敗」が妥当な範囲かと考えています。
私の見た限りでは、Truesight氏は(感情的にはどうあれ冷静な考えでは)自身にも非があったことは理解しており、またそれが議論が得手ではないことに起因して「非」を犯すより他に無いことも理解していると思います。だから非を犯して由、という気はありません。ですがその分は我々が汲み取ってやらなければならない分だと思います。
そしてそのTruesight氏が本件合意に関して、私に対して委任していることも考慮に入れています。信頼して下駄を預けた以上、ちょっとやそっとスベったりハネたりした程度で文句を言うことは無いでしょう。ですがそれは、ちょっとやそっとでは済まないレベルになれば話は別だということであり、同時に、私がそんなレベルまで「Truesight氏が納得出来ないような状況で」持って行くことは無いだろうという信頼でもあります。
なので、私が「これならTruesight氏も(感情的にはどうあれ冷静な考えでは)納得するだろう」と判断出来るだけの状況(適切な理由/根拠が提示される、圧倒的大多数が賛同する等)が無い限り、第一案への賛同は示せません。そして既にkei氏から示された理由/根拠ではTruesight氏が納得するとは思えないのです。これは観点の相違に起因している差異だと思うからです。即ち、議論が可能な者と不可能な者との間にある観点の相違です。
この観点の相違を解消することは議論で解決の出来ない問題であると私は考えていますので、議論を行なう気はありません。kei氏の譲歩を期待するのみです。そしてこのことはkei氏も既に理解していて、予測の上での第二案なのだと思います。
此処まで、私の考えを述べました。ご理解を戴き、譲歩をお願いしたいと思います。
さて4.に関し、議論参加者の内kei氏の意向を伺いました。Truesight氏からは委任を受けていて、特に納得出来ないということは無さそうだと私は認識しています。残る議論参加者であるはぬまん氏に関しては特に意向を伺っては居ませんが、上の投稿内容を読む限りですと、単純除去は想定内のようにも受け取れます。
最も深刻な「単純除去とノートへの移動との相違」とは、その後に議論が継続可能か否かです。件の議論に関して参加者全員が「特に返信することは無い」ということで暗黙の合意が得られそうなので、単純除去でも良いかと考えます。
その意味で単純除去をkei氏が問題無いのではないかと発言することは(また乱暴な言い方をしますが)「はぬまん氏(及びこれからされるかも知れないTruesight氏)の投稿に対して返信反論をせずに我慢する」という宣言にも相当することでもあります。でなければ「自分は言い返しておくが誰も言い返せないように単純除去」することになり、大和屋敷氏が本件コメント依頼の件で行なった「自分の主張する内容を書き加えた直後に保護依頼」と同じ一方的な行動になってしまいますからね。
と言うことで修正案を挙げます。
  • (C-3)特に(A-3)(B-1)の場合に、表の該議論の直前に副節『ノートへの移動に端を発した議論』を設け、直ちに副節ごと議論を除去すると同時に誘導文『以降「ノート#Mad~~」にて合意形成が行なわれるのと同時並行して進んだ議論に関しては除去されました。「履歴#ノートへの移動に端を発した議論」を御覧下さい。』を貼る
現状の整理としては、
2.に関して、kei氏に譲歩を求めた。
4.に関して、議論参加者全てから単純除去の暗黙の合意を得られていると推定して修正案を提示。
上記二件の合意が得られたら、全ての懸案事項に付いて合意が得られ実行が可能な状態になると認識しています。取りこぼし等があれば忌憚無くお願いします。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月11日 (木) 10:29 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、ありがとうございます。はぬまん氏、Truesight氏もありがとうございます。
2.第二案でOKです。
4.ある程度、反論を用意してましたが、「返信反論をせずに我慢する」ですか・・・。了解しました。今回はこちらと、本ページでの反論は差し控えます。もしまだ続くようでしたら世界最狂の魔法使いCray-Gさんに仲裁をお願いしたいと思います。最終的な処理としては、やはり移動ではなく単純除去が望ましいと考えます。はぬまん氏にしろ私にしろ、反論せざるを得ない発言がされると、お互いいつまでもダラダラと続いてキリが無いでしょうから。よって私が最後は引くので、もう目に見えないように除去としましょう。--kei 2011年8月11日 (木) 11:32 (UTC)[返信]
ちょっと時間があったのでざっと直近の部分に目を通させていただきました。2,3については構いませんが、申し訳ございませんが、4については賛成できません。他者発言の移動等の改変は相当の根拠がなければ実施は不可です。あまりにも軽々に他者発言移動を考えておられるように思います。前回と異なり、該部分は必ずしも「場外乱闘」とはいえず、残しておいても特に問題ないように思えます。本議論についてはお任せしていながら度々反対を述べるのは心苦しいのですが、原則、他者の書き込みの移動、改変などは慎むべきだと考えますので反対とさせていただきます。申し訳ございません。--Truesight 2011年8月11日 (木) 16:44 (UTC)[返信]
◆kei氏へ
御理解戴き有難う御座居ます。kei氏と私との間で幸福な合意に達することが出来たことを喜ばしく思います。
さらに喜ばしいことにTruesight氏からも大半には合意するとの意見を戴けています。なので、これからTruesight氏との間で相互理解の対話を行い、合意を得られていない点に関して合意を形成していきたいと考えています。
◆Truesight氏へ
ほとんどの点に関して賛意を明にして戴けたことを喜ばしく思います。
お任せしていながら度々反対を述べるのは
「脊髄反射で反対している」わけでもないでしょう。あまり気に病まないで下さい。少なくとも私はTruesight氏の発言を、文面から「単に説明を求めているだけ」なのだと解釈しています。そしてTruesight氏が、理解出来たなら反対から賛成へと意見を変えられる度量がある方だということを疑っていません。
必ずしも「場外乱闘」とはいえず
そうですね、確かに「誰がどう見ても場外乱闘」ではありません。それは特に本件合意形成の前のkei氏と同じ観点を持つ人にとっては、単なる場外乱闘と呼ぶには惜しい内容だと思います。
残しておいても特に問題ない
はい、残しておいても大きな問題は無いでしょう。何しろWikipediaでは日常茶飯事のことであり、大半は残されたままになっているのですから。
原則、他者の書き込みの移動、改変などは慎むべき
その考え方は正しいと強く思います。私が初めて誰かがブロックされた瞬間に直面したのは、私の論敵(?)が私の書き込みを除去したことが切欠だったからです。
確かに本件合意形成を必要とするような事態に陥っている時点で「軽々に(=時期尚早なのに)他者発言移動」を行なってしまった事実は明々白々なのでご心配も当然かとは思います。ですが私は決して「軽々に他者発言移動を考えて」いるわけではありません。
その重さに付いては様々な見解があることは承知していますし、私もどちらかと言うと「基本動かさない」という考え方を持っています。なので本件に関して「二度も動かす」というのは「あまりにも頻度が高い」と感じる人が居ることは当然とも思っています。何しろ、立場が違えば私自身が苦言を呈した可能性も充分に考えられる高頻度だからです。
にも係わらず私が除去/移動を提案している「相当の根拠」を御理解戴くべく、述べさせて戴きます。
  1. そもそも当該議論は、本件合意形成の前にkei氏が立ち上げた議論であること
  2. もしも除去提案が、はぬまん氏が議論参加する前に行なわれたのなら、Truesight氏も(難色は示したかも知れませんが)最終的には賛同したであろうこと
  3. 問題となるはぬまん氏の発言は示唆に富んだ(=Truesight氏の代弁ともなる)発言であり、誰にも見えなくなるように単に除去するにはあまりにも惜しい内容であること
  4. 「場外乱闘」と呼んではいるが、それはTruesight氏が「言いたかったこと」が衆目に明らかになる議論内容であったこと
  5. 上記を鑑み、除去を行なっても「誰にも見えなくなる」ことが無いように誘導マーカーを残すこと
1.はつまり、本来は「場外乱闘」のところでされるべき議論であったわけです。現時点で表に存在しているのは、飽くまで合意形成の前にkei氏が「駄々を捏ねた」からに過ぎません。
2.は1.への補強であると共に、3.への前段階としての理由ですね。これが私の考え違いであるようならお話を伺いたいと思います。
3.は結局のところ「場外乱闘」の(はぬまん氏なりの)纏めであり総括です。kei氏もその発言内容の「実体」が「場外乱闘」の内容であることは理解していて、「はぬまん氏の反論は、以前Truesight氏へ行なった反論でほぼ解決していると思われます」と発言しています。しかし残念ながらkei氏は、それを理解しているにも係わらず「折角なのでそれに合わせた反論」をしています。そして其れに対する再反論が続いてしまいました。つまりノートに移動された「場外乱闘」を繰り返しているのです。
4.が私の考え違いであるようならお話を伺いたいと思いますが、その前提で話を進めると、結局のところ「場外乱闘」はTruesight氏の最初の「一方的なものであり公平なものではありません」発言に集約されるものです。それをこのまま観点の相違が解消されないままダラダラと繰り返し続けることは、コミュニティーを消耗させるのみならず、大和屋敷氏のコメント依頼として意味がありません。Truesight氏にもはぬまん氏にも、そして将来この議論を読む方々にも、kei氏と「一緒になって遊んでやる」ことよりももっとWikipediaの為になる有意義なことに労力を費やして戴きたいのです。(「将来この議論を読む方々」に関する私の見解を読む際には、kei氏への理解を求める為にTruesight氏にとって「不穏当と思える表現」が多用されていること、及びはぬまん氏の発言前のものであることに注意をお願いします)
だからと言って「発言を無かったことにする」のは、発言者各位の名誉を損なう宜しくない施行です。そこで5.の、名誉を少しでも損なわずに済むように誘導マーカーを残すことを提案すると共に、除去を対価にkei氏にこれ以上ダラダラと繰り返し続けること無く「我慢する」ことを受け入れてもらいました。
完璧ではないことはわかっています。各位それぞれに不満があることもわかっています。ですが各位それぞれが「少し我慢する」ことで、Wikipediaにとって少しでも「マシ」な結果が得られる案だと考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月12日 (金) 03:09 (UTC)[返信]
Cray-Gさん、丁寧なご説明ありがとうございます。Cray-Gさんのご意見はご意見で立派なご意見だと思います。ただ残念なことにわたしとしてはあまり共感できませんでした。ここはお互い、「我慢」し、これ以上の記述は差し控え、現記述は自戒の意味も込めていじらないというのが最上の案に思えてきました。賛成できず大変申し訳ございません。--Truesight 2011年8月12日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
あまり共感できませんでした
共感が得られなかったのであれば仕方がありません。気に病まないで下さい。
現記述は自戒の意味も込めて
「誰」の自戒の為になるのでしょうか。私はまだTruesight氏に関して充分に理解が出来ていない所為か、件の「みっともない」議論を表に残すことが自戒の意味を持つのはkei氏だけにしか思えません。なのでTruesight氏の考えを受け入れると、「我慢」するのは「お互い」ではなく「一方的にkei氏」であるようにしか思えないのです。
言い換えるとTruesight氏の言葉は「kei氏が脱線甚だしくも駄々を捏ねている現記述は、kei氏に自戒してもらう為にも、みっともないまま晒し者にしておいて一方的にkei氏に「我慢」してもらうというのが最上の案に思えてきました」に聞こえるのです。
流石に「何だか知らんけどTruesight氏がああ言ってるんだから、あんたが一方的に「我慢」しろよ」とkei氏に言うことは出来ません。説明を戴きたいと思います。
具体的には、
  1. Truesight氏が何等の我慢をしなくて済むには、件の議論を如何にすれば良いのか
  2. 件の議論を現状のまま残すことで、Truesight氏が如何なる我慢をすることになるのか
  3. 件の議論を現状のまま残すことは、Truesight氏に何を反省させ、Truesight氏が何を自戒することになるのか
の三点が重要な点になるでしょうか。係る説明があり、そして私がそれを理解出来れば、私はkei氏に対して改めてTruesight氏の意見を含めた合意を形成する為の対話を始められます。
言葉が拙くても乱暴でも長くても構いません。宜しくお願い致します。
またついでながら伺いますが、当該議論を表に置いたまま節に分けて誘導マーカーを付与するというのも受け入れ難いものでしょうか。つまり、
  • (C-)特に(A-3)(B-1)の場合に、表の該議論の直前に副節『ノートへの移動に端を発した議論』を設け、直ちに副節ごと議論を除去すると同時にそのまま誘導文『以降「ノート#Mad~~」にて合意形成が行なわれるのと同時並行して進んだ議論に関しては除去さ別節に分けられました。「履歴#ノートへの移動に端を発した議論」を御覧下さい。』を貼る
という案では如何でしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 08:46 (UTC)[返信]

(インデント戻し)わたしの感想は次のようなものです。

  1. 現記述は「場外乱闘」ではない。
  2. 1.である限り、記述の移動、除去は行われるべきではない。後付の別節化も不適。
  3. 特定の個人が自らの発言のため、「みっともないまま晒し者」になったとしても1.2.は覆らない。

以上です。--Truesight 2011年8月13日 (土) 09:17 (UTC)[返信]

このタイミングでインデントを戻す意義が良くわかりません(=あまり適切ではないと考えています)が、Truesight氏の環境では見難くなっただけなのかも知れませんのでそれは置いておくことにして。
争点となるのは、現記述が「場外乱闘」であるか否かですね。私は「場外乱闘」に含めて解釈して問題無いと考えていて除去の方が理想的な状態に近いと思いますが、現状のまま残すことに特段大きな問題があるとも思っていません。
確認の意味で纏めますと、
  1. 誘導マーカーより上は「現状維持」に三者とも合意
  2. 節名は「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」で三者とも合意
  3. 誘導文は『以降は本議論との関連が低いので「(2.の節名)」として、ノートへ移動しました』 で三者とも合意
  4. 誘導マーカーより下は「除去」と「現状維持」で意見の相違がある
そして4.に関してkei氏及び私の側の提案は、
  • (1)現状の誘導マーカーの後の私ことCray-Gによる「やはり時期尚早でしたか~~」発言までを維持し、その直後に副節『ノートへの移動に端を発した議論』を設け、直ちに副節ごと議論を除去すると同時に誘導文『以降「ノート#Mad~~」にて合意形成が行なわれるのと同時並行して進んだ議論に関しては除去されました。「履歴#ノートへの移動に端を発した議論」を御覧下さい。』を貼る
またTruesight氏の提案は、
  • (2)現状の誘導マーカー以降には何等の変更を行なわない「現状維持」とする
となっています。
kei氏はこの点に関して如何でしょうか。先ずは意見を伺いたいと思います。その際には、
  • 現状維持を受け入れる場合にはkei氏が除去を前提に許容した「最後は引く」発言が「無かったことになる」ことを忘れないで下さい。つまり無いとは思いますが、「こっちは我慢を受け入れたんだからお前も受け入れろ」という論法を使わないで下さい、という意味です。無論、現状維持を受け入れながらも改めて「引く」ことを表明することに問題はありませんし、或いは表で最後に「大人の態度として引く」宣言をして以後に「引く」というのもアリだと思います。当然、継続もアリです。
  • Truesight氏が私の質問に全く返答していない事実を直接に指摘することが無いようにお願いします。つまり「そもそも私ことCray-Gは何も質問していなかった」という前提での「質問に答えていない事実とは独立した意見」を伺いたいのです。私と同じ疑問を持っていて且つその返答により「意見」が変わるようであれば、「意見」の後にその旨を追加するだけにして下さい。
上記二点をお願いしたいと思います。わかっているとは思いますが、私は今kei氏の「現時点での」意見を伺いたいだけであり、kei氏とTruesight氏との「場外乱闘のさらに場外」で議論を再開してもらいたいのではないからです。そしてそのことをkei氏以外の人にもわかってもらいたい気持ちもあるので、わざわざ明記した面もあります。ご容赦を。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 10:44 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、ありがとうございます。はぬまん氏、Truesight氏もありがとうございます。こちらの見解は世界最狂の魔法使いCray-G氏の「誰」の自戒の為になるのでしょうか。~と大体同じです。(私が直接申し上げるよりも言葉をお借りした方が良いでしょう。)晒すことを強く望んでおられるなら、それでも構いません。では私が最後に反論を入れますので、以降はお互い我慢すれば良いと思います。--kei 2011年8月13日 (土) 11:17 (UTC)[返信]
まずはじめに晒すだとか晒さないだとか、そのような問題が果たしてあるのか、ということに違和感を覚えます。Wikipediaで議論をする以上、全ての議論は晒されるのです。晒されるのが嫌であればWikipediaでは議論できません。そういう意味では皆が晒されることに「我慢」しているのです。次にkei氏が「では私が最後に反論を入れますので、以降はお互い我慢すれば良いと思います。」のようなことを仰ってますが、このような感性で議論参加しているからこそ晒されるのが嫌な恥ずかしい思いをすることになるのです。わたしとしては反論しないでくれと頼まれるのであれば反論は差し控えたいと思いますが、まるで駄々っ子です。
ここの議論は何のために行われているのか、わたしにはわかりません。--Truesight 2011年8月13日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
ここの議論は何のために行われているのかって、合意を形成する為に行なわれていたわけですし、全てはその為に骨を折ってきたのだと思うのですが。
それにkei氏は別に晒されることが嫌なわけではないと思うのです。むしろ「Truesight氏の理不尽さや自己中心的な駄々っ子ぶり」を「晒す」為にも、晒すことには基本賛成の立場なのではないでしょうか。そもそもkei氏が晒したかったからこそ場外乱闘が発生したのであり且つ本件合意形成が必要となったのですから。
それが私ことCray-Gの主張を理解したことで「第三者から見て本筋から離れていると思われることを考慮に入れるならば、除去されることもWikipediaの為になる有為な選択肢である」と認めたからこそ「仕方が無く」除去に賛同しただけであって、それを「恥ずかしいから除去したいと主張している」と考えるのはTruesight氏の観点に偏り過ぎていると思うのです。つまり乱暴な言葉で言えば「Truesight氏の単なる妄想/単なる思い込み」なわけです。Truesight氏の観点からすれば確かに「除去すべきとても恥ずかしいこと」であることを私は理解しますが、kei氏は異なる観点に立っているので「少しも恥ずかしくないどころか現状維持により名誉を損なわれずに済んだ」と考えていると思います。なのでTruesight氏の「現状維持の提案」は、kei氏にとって「渡りに船」だったことでしょう。恐らくは「ひゃっほー」と快哉さえ上げて賛意を表明したと思いますよ。あの短さを見て下さい。
Truesight氏が議論をしようとしないことに罪はありません。Truesight氏が自分の意見こそ正しいと考えていることにも罪はありません。ですが、他人の多くはTruesight氏と異なる観点に立っていて、それ故にTruesight氏と異なることを感じているのだという現実を御理解戴きたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 12:48 (UTC)[返信]
お骨折り、お疲れ様でした。成程、言われてみればそういった経緯で始まった議論のようですね。一点だけ、Cray-Gさんがどのような観点にたっているかはわかりませんが、Cray-Gさんとて、また他人とは観点を共有しているわけでもなく、他人の多くの観点を斟酌できる立場ではないことを指摘しておきます。なにはともあれ、お疲れ様でした。--Truesight 2011年8月13日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
では本件、ノートへの移動を発端とした意見対立は目出度くも
  1. 誘導マーカーより上は現状維持
  2. 節名は「Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論」に変更する
  3. 誘導文は『以降は本議論との関連が低いので「(2.の節名)」として、ノートへ移動しました』に変更する
  4. 誘導マーカーより下は「現状維持」
という幸福な合意を得ることが出来ました。合意に基づいて変更を要する二点に関しては、私の方で変更を行なっておきます。
各位それぞれはそれぞれに言いたいこともあるかも知れませんが、先ずは幸福な合意を得ることが出来たことを慶びたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 11:36 (UTC)[返信]
正直何を問題として話されているのか分かりかねていたので発言しかねていたのですが、気になることとして。現状が場外乱闘となるのでしたら何も話せることがなくなります。さらに、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが何をどう問題とされて議論を移すべきだとおっしゃっているのかイマイチ分かりません。keiさんの指摘に対して発言をしたらそれは場外なのですか?「脱線する原因となってしまったらここからばっさりノートに移して下さい。」とは言いましたが、私が蛇足的としたこの部分から話が脱線している訳ではないように思いますし、現状の何が問題とおっしゃるのでしょうか?--はぬまん 2011年8月13日 (土) 12:07 (UTC)あー…単純に読み違えました失礼いたしました。「誘導マーカーより下は「現状維持」」、でしたね。--はぬまん 2011年8月13日 (土) 12:13 (UTC)[返信]
問題視していたのは、何年も将来の話です。と言うのは単に、大和屋敷氏はこれからもコメント依頼やブロック依頼を受けることがあるだろうと予想しているからです。その時になってみれば、件の議論は「過去の大和屋敷氏へのコメントを参考にしようという人達にとってどれほど重要な意味があるのか、どうせなら今の内に場外乱闘の一部として除去してしまう方が将来の人達にとって有益なんじゃないか?」と懸念していただけのことです。しかも問題視というほどの大事ではなく「どうせなら」というだけの話であって大したことではありません。
とにあれ、はぬまん氏も含めて幸福な合意が得られたことを慶ばしく思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 13:02 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、ありがとうございました。Truesight氏へ、提案合意したここはお互い、「我慢」し、これ以上の記述は差し控え、現記述は自戒の意味も込めていじらないとの合意を無視して、はぬまん氏が記述しています。協力は致しますが、まずは提案者であるTruesight氏が積極的にはぬまん氏へ合意事項を履行するよう説得する義務を負っていますのでよろしくお願いします。--kei 2011年8月13日 (土) 16:16 (UTC)[返信]
現状維持っていうのはノートに移すといった処置はしないと言う意味じゃないんですか?自分だけ物を言うけど相手は許さないってどういう態度ですか。それじゃあ「お互い我慢する」でもなんでもないと思いますが。--はぬまん 2011年8月13日 (土) 16:48 (UTC)[返信]
◆「現状維持」はされていると思いますよ。何も触れずに表にあるまま、議論が継続可能なままの「現状」が維持されているわけですから。つまりは「お互い我慢しないでいい」ということでしょう。自戒云々はTruesight氏の心掛けの問題ですしね。
除去か維持かが合意の内容であって、議論の継続か停止かは合意に含まれて居ないと思います。除去する場合には必ず議論が停止するわけですから、除去を提案したkei氏に「除去するなら停止するよね?停止を提案するなら我慢するよね?」とお願いしたわけです。
「除去を対価にkei氏に我慢を受け入れてもらった=反論しないと言質を取った」→「Truesight氏が除去に反対した」→「除去しないことで合意した」=「kei氏から取った言質は前提条件が崩れたので意味を失った=kei氏は我慢する必要が無くなった」→「kei氏は我慢しなかった=反論を行なった」→「はぬまん氏も我慢をしなかった=再反論を行なった」
問題はありません、どちらも合意に従っています。もちろん、Truesight氏にだって反論再反論を行なう権利はありますよね、論理的に。なにしろ「我慢」の前提である「議論の停止」となる「除去」が行なわれなかったのですから。Truesight氏は結局、「議論の停止」を拒絶して「kei氏に我慢を強いない=お互い我慢しない」ことを受け入れただけの話です。議論を停止させたいと思うなら、或いは相手に反論をさせたくないなら、それはそれで別の合意が必要でしょう。
或いは今度こそ「リングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに」返して後は放置の刑に処す、というのが上策なのではないでしょうかね。先にやられるとやっかいですし。どうせこの後は似たような話を延々と堂々巡りするだけなわけですから。
これが「場外乱闘ではない」と考えるTruesight氏の観点は本当に理解に苦しみます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 17:29 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさんの言うところの「リングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに」というのがどういうものか分かりかねているのですが、keiさんはご自分がした報告に対する反論の、再反論において自分から被依頼者とは関係のない脱線した議論をされるのかが分からないでいます。何故被依頼者とは関係のない反論者の行動を問題とされるのか、被依頼者が問題であるというならご自身の報告の正当性を述べればよいだけのことをわざわざ脱線していくんです(keiさん自身からすれば議論の終わりとしようとしたこの版などは典型的)。被依頼者を問題だとする側が自分から被依頼者の問題性の話題から飛び出してしまうのは、被依頼者の問題性を問うているのか喧嘩議論をしたいのか分からない態度です。正直、keiさんが反論に対し「そういう見解もありますね」ぐらいで済まされれば全然ここまで揉める話じゃないと思うのですが…。コメント依頼という場においてそれ以上も以下もないでしょうし。--はぬまん 2011年8月13日 (土) 17:59 (UTC)[返信]
私からすると、何故はぬまん氏が「kei氏の遊びに付きやってやっている」のかも奇妙に見えます。基本「論破厨」なのですから、適当にいなして放置しておけばいいじゃないかと思うわけですよ、それこそ「『そういう見解もありますね』ぐらい」で。それが「リングの上からロープにもたれて余裕たっぷりに」という意味です。
何故にはぬまん氏が「被依頼者の問題性を問うているのか喧嘩議論をしたいのか分からない」のかは、当然の話です。何故ならその両者は(kei氏にとって)同一だからです。はぬまん氏やTruesight氏との「論争に勝利する」ことはイコール「被依頼者の問題性を確認する」ことでありイコール「過去にkei氏が行ない曖昧に終わった(南京なんとかでの)議論での勝利を確認する」ことでありイコール「kei氏が正しかった証拠を得る」ことなのです。それを手に入れて「自信を取り戻したい」のです。そりゃ論破厨にもなろうってもんです。
kei氏は「大人の判断」として「本筋ではない場外乱闘」との観点が存在することを鑑み、「除去を提案した責任を取る」ことを選択し「除去を対価に我慢する」ことを一旦は受け入れました。
それが「場外乱闘ではない」と論敵から太鼓判を押されて除去が反対されたとあっては勢い付くのもむべなるかな。それは「この場でkei氏の過去の(南京なんとかでの)議論の白黒が決着する」と言われたことであり、論敵からそう言われることは「この場でkei氏を論破して過去の(南京なんとかでの)議論がkei氏の敗北であったことを思い知らせてやる」という宣戦布告も同然なわけですから。
其処に論理の飛躍があることは確かですが、「コダワリ」がある人に理屈は意味を持ちません。そしてkei氏が自信を失う毎にこうやって「一緒に遊んでやる」人が出てくるので、kei氏は「そうやれば自信が取り戻せる」ことを学習しているわけです。それで自信が取り戻せなかったとしても、それは相手を論破出来なかったkei氏の実力不足の問題であり、kei氏がディベートの実力を上げれば解決する問題です。ほら、肝心なところには全く向かわないでしょう?
2ちゃんねるだと「はいはい論破論破」とか「なにこれキモい!」とか「おい、涙拭けよ」とか「どうしたんだ。顔が真っ赤だぞ?」とか茶化され、それが「ディベートの実力を上げれば解決する問題」ではないことを叩き込まれる(か、2ちゃんねるに行かなくなる)わけですが、Wikipediaでそれをやるわけにもいきませんからね。kei氏をBANしたいわけでもありませんし。
とにあれkei氏が持っている「ディベートの実力を上げれば解決する問題」だとか何とかの幻想を打ち砕かない限り解決しないんですよ。こうやって付き合ってやることでkei氏が「論破出来たぜ!」と思う毎に幻想は強化学習されていき、kei氏が抱えている問題は悪化していくのです。
kei氏が「大人の判断」の出来ない未熟な人だからこうなっているわけではないのです。「コダワリ」があるだけなのです。「コダワリ」を解消してやるのでないのなら、問題を悪化させる「強化学習」を手伝うのはやめた方がお互いの為なんじゃないかな、と傍観者の立場として私は考えています。何しろ、私が時期尚早ながらノートへ移動してしまったことに起因する問題は主だった議論参加者両陣営の合意を得られて解決してしまったのでね。肩の荷が降りたので後はもう気楽な傍観者ですよ、えぇ。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 20:15 (UTC)[返信]
思った以上に率直で辛らつなご意見をいただき苦笑とともに納得してしまいました、ありがとうございます。まあそうですね、「論破厨」と規定してしまえばそれ以上のものではないのは仰るとおりかと思います。南京事件の議論に関してはなんら決着の見えない現在進行形の状況にありまして、keiさんが大和屋敷さんに対し溜まったフラストレーションをぶつけている、と言う風に言えてしまうのでしょう、keiさんの「攻撃」云々の表現を見るに(直近の反論では否定しないし)。まあそういったあまり宜しからぬ利用者であろうとむげに扱っていいというものではありませんし、自分なりの対話努力のつもりなのですが、仰るとおりその努力そのものが火に油を注いでる感は否めませんね。実際問題二度目の脱線に既になりかけの状況ですし、大和屋敷さんと関係のない話題が続くようであれば私個人としても切り上げようと思います。--はぬまん 2011年8月13日 (土) 21:32 (UTC)[返信]
納得していただいて良かったです。それでは、はぬまん氏もTruesight氏の提案に同意したということで、これ以上の発言は控えるようにして下さい。貴方のコメント依頼から逸脱した被依頼者擁護の発言や論理性の低い反論がなければ、こちらが見苦しいやり取りに付き合うこともありません。よろしくお願いします。--kei 2011年8月14日 (日) 01:15 (UTC)[返信]
念のために申しておきますが私は一度たりとも合意に同意すると言う発言をしていないことを最後に申しておきます。必要性があれば発言しますし今後の自分を縛る気はありません。--はぬまん 2011年8月14日 (日) 05:50 (UTC)[返信]
(横から失礼します)これ以上発言しない合意の件については、kei氏の「では私が最後に反論を入れますので、以降はお互い我慢すれば良いと思います。」という発言に対し、わたしが合意を優先しわたしとしては反論しないでくれと頼まれるのであれば反論は差し控えたいと思いますが、まるで駄々っ子です。」と発言したのを受けたものだと思いますが、あらかじめ申しているようにそれは「わたしとしては」であって他者の行為をなんら束縛するものではありません。もとより、そんな権限わたしにはございません。--Truesight 2011年8月14日 (日) 09:18 (UTC)[返信]
(追記)それに「論理性の低い反論がなければ、こちらが見苦しいやり取りに付き合うこともありません。」という発言がありますが、その発言に最もあてはまるのが発言者本人という笑うに笑えない事態ですので他者からなにかしらの反論、諫言があっても無理からぬことだと思います。--Truesight 2011年8月14日 (日) 09:28 (UTC)[返信]
Truesight氏へ。読解力無いんでしょうか??世界最狂の魔法使いCray-Gさんが私に除去の条件として出された提案は、私がこれ以上反論しないことです。これははぬまん氏の反論で停止している本議論に関してのものであることは誰が見ても分かります。私はその提案を受け入れて、一旦まとまりかけていた議論終結をまるで子供のような浅知恵でここはお互い、「我慢」し、これ以上の記述は差し控え、現記述は自戒の意味も込めていじらないというのが最上の案に思えてきました。と反故にする発言があったからこそ、現状の事態となっています。提案者である貴方は、それを関係者に履行するよう強く求める義務があります。それすら出来ないのなら、提案するべきではない。またここまで尽力された世界最狂の魔法使いCray-Gさんに対してここの議論は何のために行われているのか、わたしにはわかりません。との発言も、学校の先生じゃないんですから、異議があるなら議論途中でさっさと提案すればいい話です。無邪気さや失礼さにも程があるということを理解しましょう。はぬまん氏へ。貴方もここで相手を軽視した~と発言しているぐらいで、議論もある程度見ていることは誰にでも分かることです。無責任に「私は知らない」との態度で後になって文句を言うのはマナーに反します。異議があるならさっさと意見表明すべきです。たった一度説明されたぐらいで「苦笑」しつつ「納得」する程の素直さを持っているんですから、この提案に対しても素直に「納得」すれば良い話です。--kei 2011年8月14日 (日) 13:16 (UTC)[返信]
いやいやkeiさん、上のような御返事では誰でも苦笑しますよ。わたしの子供のような浅知恵では、現状で誰もいじらないならばOKといったのです。それをあなたが「では私が最後に反論を入れますので、以降はお互い我慢すれば良いと思います。」と返したのでわたしはわたしとしては反論しないでくれと頼まれるのであれば反論は差し控えたいと思いますが、まるで駄々っ子です。」としたのです。あくまでも「わたしとしては」です。仮に、はぬまんさんにもう突っ込まないであげてと要請し、受け入れられたとしても他の第三者があなたに反論したらどうするんですか。その人にもわたしは書き込まないように要請しなければいけないんでしょうか。その人もまた優しく受け入れてくれたとしても他にまた人が現れたらどうするのですか。あんまり無茶いわんでください。わたしには他者の発言を止める権利はありません。それに誰も反論しないとタカを括った後のあなたの書き込みはそりゃ酷い書き込みですよ。あんな書き込みをしといて誰も反論するなとはあまりにも虫が良すぎやしませんか。他にも突っ込みどころは満載ですが、キリがないので以上としておきます。--Truesight 2011年8月14日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
申し訳ない。それだと詭弁以下の発言で単なる子供の屁理屈になっちゃいます。本当に何を言ってるのか分からない。--kei 2011年8月14日 (日) 15:02 (UTC)[返信]
まあぶっちゃけ現状の場外話が、被依頼者である大和屋敷さんからkeiさんに対しストローマンと指摘されていることを本コメント依頼でまでそっくりそのままやってしまっていると言うのがkeiさんの報告そのものを本人の手で貶めている始末なんですね。その結果としてkeiさんの問題とされていることに共感が得られなかったとしてもkeiさん自身が困ることなのでまったく私などが気にすることではないかと思います。
んでと。keiさんがいう合意とかいうものは「お互いに我慢」しなどと嘯いてますが自分が反論して溜飲を下げておいて相手に我慢を強いているだけのものでしかありません。我慢すべきと思うなら自分がすればいいだけの話で、このように私が自分のした覚えもない合意で我慢を強いられるような筋合いなど欠片もないんです。私はぬまんとkeiさんの間で「お互いに我慢しよう」という合意がこのノートのどこで成立していますか?我慢されるのであればなぜまたこのように反論なされたのでしょう?keiさんの自分本位な考え方がよく分かる行動かと思います。--はぬまん 2011年8月14日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
はぬまん氏へ。もうみっともないので止めませんか。ストローマンは被依頼者である大和屋敷氏が2011年4月4日 (月) 15:17 (UTC)に無理に難しい言葉を持ちだして、引用自体が間違ってたものです。逆に私からなぜか大学から出版されたものだけをピックアップしたチェリーピッキングや外務省の「南京大虐殺」記述を示しても、何ら根拠を示さずに「」があるので意味が違う、よってすでに否定されたものと言い張るようなストローマンの誤謬を用いられ、進展が見られないからこそだと考えます。と言い返されて被依頼者である大和屋敷氏は全く反論出来ないようでした。詳しくは[21]で「ストローマン」と検索してみて下さい。単なる言いがかりなので止むなく反論しましたが、もうこれ以上、子供の罵り合いのようなものにお付き合いしたく無いんですが。--kei 2011年8月15日 (月) 14:28 (UTC)[返信]

以上、合意に基づいた変更を完了致しました。各位には私の先走りからご迷惑を掛けたことをお詫びすると共に、合意形成にご協力を戴けたことを感謝致します。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月13日 (土) 16:19 (UTC)[返信]

Truesight氏、kei氏の対話により端を発した議論[編集]

コメント被依頼者とはノート:南京事件 (1937年)で長く議論しています。こちらでは

  1. 訳の分からない理由で多重アカウントの疑いを掛け、本人が否定すると謝罪も無く対話拒否。利用者‐会話:疑問
  2. 進行中の議論を一方的に打ち切り。[22]
  3. 攻撃手段として[23]を提出する。
  4. 意味不明な思い込みで執拗に攻撃[24][25][26]するも[27]によって反論されると、執拗な引用は収まるが謝罪は無い。
  5. 意見対立者をわざと挑発するような行為。[28](こちらは細かい事例が多すぎるので、指摘した部分のみを提示しています。)
  6. Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での自身に都合の悪い質問には対話拒否。
  7. 参加者の発言をわざと引用して馬鹿にするような発言[29]
  8. 議論参加者の発言に対してわざとはぐらかして人身攻撃?にすり替えるような反論[30]

など、Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での対話拒否。ノート:南京事件 (1937年)ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2では、度々冷静さを欠いた書込が目立ちます。ノート:南京事件 (1937年)では、攻撃対象がほぼ私だけのようなので、私一人が我慢すれば良いと考えてましたが、複数ページ、複数の対話者で同様の行為があるなら少し問題と考えます。--kei 2011年7月17日 (日) 14:28 (UTC)[返信]

コメント 同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみてわたしからみると、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。とは思えません。--Truesight 2011年7月18日 (月) 07:07 (UTC)ご指摘を受け訂正--Truesight 2011年7月20日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
Truesight氏は、非常に問題の多い行動で無期限ブロックされたNakata88氏のWikipedia:コメント依頼/Nakata88Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88で被依頼者に苦言を呈する利用者に対して、Nakata88氏と一緒になって逐一反論したり非難[31]するなど、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。--kei 2011年7月18日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
一理ある意見だと思いますが?nakata氏のブロック賛成意見が手放しで正しいとは言えず、その場にいたコミュニティーの賛成の声が多かっただけと言えるものであり、特別な「悪さ」をしたユーザーでもありません。賛成意見に反論することをもって「ブロックされる奴と同じユーザー」というようなレッテル貼りをここでして何があなたはしたいのですか?コチラのコメント依頼と関係ないことをやるべきではありません。それこそコミュニティーを疲弊させる行為でしょう。--PSIA 2011年7月18日 (月) 15:46 (UTC)[返信]
コチラのコメント依頼と関係ないことをされてるのはTruesight氏であり、PSIA氏自身もです。発言者への非難やnakata氏のブロックについて異議を表明したいのなら、よそでやってください。まずはご自身の行動を改めるべきです。--kei 2011年7月19日 (火) 12:55 (UTC)[返信]
失礼ですが、わたしはkeiさんのコメントについてコメントしたのであり、それはコメント依頼の範疇を超えた行為であるとは思いません。それに対し、keiさんのわたしに対するコメントはどうでしょうか。--Truesight 2011年7月19日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
コメント依頼の範疇を超えた行為です。Truesight氏の行為だけが正当化されるはずがありません。--kei 2011年7月19日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
keiさん、コチラは自分に反するコメント者にレッテル貼りをするような場ではないので、これ以上はコチラの邪魔になりますから他でやりましょうね。--PSIA 2011年7月19日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
私にはノート:南京事件 (1937年)の議論は非常に長すぎて、もはや誰と誰がどういう観点で議論しているのか把握できません。なので以下のコメントが誤りなら取り下げるつもりです。
Truesightさんに申し上げたいのですが、仮にTruesightさんがkeiさんとの議論の当事者なら、少なくとも「客観的にみて」という表現は避けるべきではないでしょうか。私は、Truesightさんのコメントが、「大和屋敷さんとの論争の当事者であるkeiさんの発言をそのまま鵜呑みにするべきではない」という注意喚起であると理解しています。それならばなおのこと「私は、kei氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではないと考えます。」というように主体を明示した書き方をするべきだと思います。
keiさんにも申し上げたいのですが、この場所は大和屋敷さんの行為に関してコメントする場所であって、大和屋敷さんの行為とは全く関係のないTruesightさんやPSIAさんの行動について議論するのは避けるべきだと考えます。仮に、TruesightさんやPSIAさんの行動について、大和屋敷さんの行為と関係ない部分でkeiさんに異議があるのだとしても、そのことをもって、大和屋敷さんとkeiさんの論争に対してコメントしたTruesightさんの発言が棄却されるわけではないと思います。上でも書いたように、Truesightさんの発言は、大和屋敷さんとの論争の当事者であるkeiさんの(大和屋敷さんとの論争に直接関連する)発言はそのまま鵜呑みにしないほうが良いという一般的な注意喚起であると思います。--Henon 2011年7月19日 (火) 21:43 (UTC)[返信]
Henonさん、第三者のこのような発言(表明する主張はむしろ大和屋敷氏と同じなので、意見対立しつつも冷静に議論ができる方の発言です)
[32][33][34][35]が有る中で、こういった攻撃的な発言[36]をされるTruesight氏の意見だけを取り上げて、「一般的な注意喚起」とするのは公平性に欠けると思いませんか。公平なものであるかはその報告を見た利用者それぞれが判断すれば良いのであって、それを言われた本人こそ公平な意見では無いと感じているのに、一切反論してはいけないというのはそれこそ公平では無いと考えます。よって報告者へ非難めいた書込をするなら、その反論も受け入れるべきと考えます。
PSIA氏も「他でやりましょう」とされるくらいなら最初から書き込まなければ良いだけです。邪魔だと感じるならこちらで私に対しての発言を除去すれば良いでしょう。そうすればこちらも該当部分を除去&修正して構いませんが。--kei 2011年7月20日 (水) 16:13 (UTC)[返信]
keiさん、わたしはあなたを攻撃しているのではなく、あなたの見解に反論しているのです。Henonさん、ご指摘を受け、くだんのコメントは訂正致しました。--Truesight 2011年7月20日 (水) 17:03 (UTC)[返信]
Truesightさん、こちらの意見を取り入れて頂いてありがとうございました。--Henon 2011年7月21日 (木) 00:26 (UTC)[返信]
keiさん、少し論点を整理します。
事の経緯として、
(1) keiさんがノート:南京事件 (1937年)での大和屋敷さんとの議論を踏まえ、大和屋敷さんの行動に1~8の点で問題があると指摘した。
(2) Truesightさんが、keiさんの挙げられた1~8の点について、(その一部あるいは全部に)公平性に欠けるのではないかと述べた。
(3) これに対し、keiさんがNakata88さんのコメント依頼や投稿ブロック依頼におけるTruesightさんの行動が偏向していると指摘した。
となっています。
私は (2)の部分における「客観的にみて」という表現を除去して「私は」というように主体を明示していただくようTruesightさんにお願いし、受け入れていただきました。これで主旨が非常に明確になったと考えます。(2)は、前半で「大和屋敷さんと意見が対立している方の意見は割り引いて考慮したほうが良い」という「注意喚起」を行い、その上で、Truesightさん自身は、keiさんの1~8の指摘に公平性がないと考えているという「意見表明」を行ったことになります。
私は(1)(2)に関して問題があるとは全く思っていません。大和屋敷さんと議論中に方に大和屋敷さんの行動に問題があると考えている方がいること、その人の挙げた根拠に同意できない(大和屋敷さんとは別の)方もまたいらっしゃること、こうしたことはこのコメント依頼において重要な事実であると思います。
しかし、私が問題視しているのは(3)です。仮に、TruesightさんがNakata88さんのコメント依頼や投稿ブロック依頼でとった行動に問題があったとしても、本コメント依頼でkeiさんに対して行った行動にも問題があると結論することはできないと考えているのです。(ある人の行動Aに問題があったということを根拠にして、別の行動Bにも問題がある可能性があると断定することは避けるべきで、行動Bに問題があるかどうかはB自身について議論することで判断するべきだと考えます。)そしてまた同時に、Nakata88さんのコメント依頼や投稿ブロック依頼は大和屋敷さんの行動とも関係ありそうに見えません。
またその後に挙げられた「攻撃的な発言」というのも全く問題点が改善されていません。Truesightさんはkeiさんの挙げた根拠に納得できないと表明しているわけですから、keiさんは、Truesightさんの別の行動を持ち出してTruesightさんの考え方に問題があることを示唆するのではなく、寄せられたTruesightさんのコメントに対して応答するべきだと考えます。
私はkeiさんがTruesightさんに反論することを問題視しているのではなく、その方法を問題視しているのです。もしkeiさんがTruesightさんに反論したいとお考えなら、例えば
(3X) 自分の指摘した1~8の論点のどこにTruesightさんが公平性を欠くという部分があるのか具体的に指摘するよう求める。
(3Y) ノート:南京事件 (1937年)における大和屋敷さんとkeiさんの議論における意見の対立点などををまとめながら、大和屋敷さんの行動に問題があるということを本コメント依頼の読者に対してより明確にわかるよう補足する。
といったことが可能だと思います。他にもやり方はあると思います。
(上でノート:科学における不正行為でのやりとりについてDwyさんが時系列を明示して問題点を指摘したのに対し、それに充分納得できない方との間で議論が行われています。議論の方法は参考に値すると思います。)
本コメント依頼は大和屋敷さんの行動について議論する場なので、大和屋敷さんの行動に問題があると考える人と特段の問題がないと考える人とが、大和屋敷さんの行動そのものをめぐって議論することには何の問題もないと考えます。しかし、自分の見解に反論してきた人への再反論として、その人の本コメント依頼とは無関係な別の行動をもって反論するのは控えるべきだと考えているのです。--Henon 2011年7月21日 (木) 01:06 (UTC)[返信]
Henonさん、状況を整理させていただきます。
  1. こちらは被依頼者の行為を具体例1~8を上げて客観的な情報として提示しました。
  2. それに対してTruesight氏は「比較的激しい応酬」「公平なものとは思えません。」と具体例1~8に対する反論でなく、個人的な印象によって反論されています。
  3. 個人的な印象による反論に対してこちらは、具体的な行為を提示した反論を致しました。
例えばこちらが提示した具体例1~8に対して、具体的に反論をいただければ、それに対する再反論も可能ですが、「個人的な印象をもって反論された」こちらは返答しようがありません。確かにHenon氏がおっしゃる通り「どこにTruesightさんが公平性を欠くという部分があるのか具体的に指摘するよう求める。」とするのもひとつの方法ですが、そういった誰もが認識しているはずの常識的な行為を逸脱して「個人的な印象によって反論」された方を今更ながら「具体的に指摘するよう求める」としても効果が無いように感じるのも無理がないのではないでしょうか。あくまでも本筋とは関係ない話題なので、そういった無駄なやり取りを省略するとせいぜいが今回のように、どちらの行為が正当なものかを判断できる材料を提示することが、スペースを無駄に取らない有効な手段であるとの考えで反論しています。「攻撃的な発言」に関しては、よく文章を読んでください。今回の行為に対するものでなく、過去そういった行為を幾度と無く行なったという意味で、リンク先を添付しています。(先に提示したので前述分では省略しましたが、本来はこちらのやり取りがより顕著[37])議論による反論は構いませんが、反論する際は少なくともそこに該当する部分は正しく議論を進めるためにも、また礼儀としても責任をもって確認していただきたい。
再度申し上げますが、改めるべきは具体例を示した報告者に対して「個人的な印象によるマイナスイメージ(コメント依頼とは無関係)」を書き込んだTruesight氏であって、された側のこちらの報告した具体例が「個人的な印象」によるフィルターが掛かるのを予防するために反論したことを非難するのは筋違いに感じます。--kei 2011年7月21日 (木) 14:11 (UTC)[返信]

(インデント戻し) keiさん、どうもこちらの意図が伝わっていないのではないかと危惧するので、私の考え方をまとめます。

1. Truesightさんの発言は、大和屋敷さんの行動について議論する本コメント依頼の趣旨に合致している。

というのもTruesightさんの発言はあくまでkeiさんの大和屋敷さんとの論争に関する1~8の点に賛同できないことを表明しているからです。keiさんは、そこに「具体的な根拠」が書かれていないことだけを理由に、「個人的な印象によるマイナスイメージ(コメント依頼とは無関係)」と断定していますが、それは不当だと考えます。wikipediaにおける対話で、最初のコメントにおいて端的に自分の見解を表明することを禁止するべきではないし、その際、逐一論点について具体的な反論をしなければならないというわけではないと思います。どういう形で意見を表明するかは、その意見表明が本コメント依頼の趣旨に合致している以上、発言者の自由にゆだねられるべきだと考えます。もしコメントされた側が納得できないなら、もう少し具体的に根拠提示を求めるなどの対話をすればよいわけです。keiさんは、(既にノート:南京事件の方でTruesightさんと議論しているからかもしれませんが)少なくとも本コメント依頼では一切そうした具体的な根拠の提示を求める発言をしていません。にもかかわらず、keiさんの応答であるところの、「Truesightさんの行動が偏向している」点は、本コメント依頼とは何の関係もないのです。もちろん議論においては、keiさん自身やTruesightさんが納得するかどうかも重要な点ですが、同時にコメント依頼を閲覧している読者の方がどう判断するかという点も大切です。私のようにノート:南京事件における議論に参加していない読者であっても、お二人の議論の様子を見て、keiさんのコメントとTruesightさんのコメントを比較して、どちらにどの程度の理があるのかを判断することになるのです。少なくとも、今回のkeiさんとTruesightさんの対話において、冷静さを欠いていると私が感じるのはkeiさんの対応の方であると「意見表明」しておきます。

2. Truesightさんの本コメント依頼とは無関係な発言や行動をいくら提示してみても、それはkeiさんの大和屋敷さんの行動に対するコメントを正当なものだと説得する根拠にはならない。

どうもこの点が伝わっていないのではないかと思いますが、「Truesightさんの行動が偏向している」と指摘してみたところで、その当否はkeiさんの主張の当否とは本質的に無関係です。行動の偏向している人から絡まれたからといって自分の主張が正しいと説得することはできません。
keiさんが、もしご自身の主張に説得性を持たせたいとお考えなら、Truesightさんの行動の当否をあげつらうのではなく、上で私が述べたような対応の一例にあるように、自分の主張を補完する形で再反論するべきです。いくらkeiさんが「具体的な行為を提示した反論」と称してTruesightさんの行動を批判しても、少なくとも私にとって、大和屋敷さんの議論に対するkeiさんのコメントの当否を判断するのに何の役にも立たないのです。
(私はkeiさんが指摘している「Truesightさんの行動」について少しはリンクを眺めましたが、原則としてTruesightさんの行動が偏向しているかどうかについてコメントするつもりはありません。)--Henon 2011年7月23日 (土) 07:37 (UTC)[返信]

コメントHenonさん、意図よりも論理的に矛盾しているではないかという考えで返答いたします。

具体的な根拠を示さずに検証不能な個人的印象を書きこむことによって客観的な判断の妨げを行っている。

HenonさんはTruesight氏の書込を見て、私と大和屋敷氏のやり取りをどの程度確認しましたか。例えばTruesight氏が客観的な判断材料となる根拠を提示していれば、それを見てそれぞれの利用者が判断されるでしょうが、「私はこう思う」的な印象のみを書きこめば、なぜそう思ったかを検証することも出来ず、その印象のみが議論参加者のイメージに残ることとなります。またHenonさんは「1~8の論点のどこにTruesightさんが公平性を欠くという部分があるのか具体的に指摘するよう求める。」とすれば良いとされてますが、私にそのように質問しなおすべきだとされるぐらいなら、まずはTruesight氏自身が、言われるまでも無くそのように行動すれば良いことです。よって、私を非難する前にTruesight氏に具体性が無い書き込みは不可で、きちんと根拠となる具体例を示して反論するよう指摘すべきです。具体例には具体例で返す。それが議論をする上での最低限のマナーです。

個人的印象を書き込んだ方の考え自体が偏向しており、客観的でないと感じている。

Henonさんは「keiさんのコメントとTruesightさんのコメントを比較して、どちらにどの程度の理があるのかを判断する。」とされてますが、まさしくそうなることを危惧したからこそ反論しています。ここまで何度かやり取りをした現在もTruesight氏の書込が正しいかノート:南京事件の検証をされてないように見えますが、仮にHenonさんの望む通り、もしTruesight氏の書込までで私の反論が無かった場合、一体どの程度の方が、双方どちらの言い分が正しいかを検証しようとされるでしょうか。少なくともHenonさんはTruesight氏の反論自体が偏向している可能性があるにも関わらず、何ら検証もせず判断されようとした訳です。再度申し上げますが、Truesight氏の書込までがOKで、以降がNGであれば、どちらの言い分が正しいかを検証するのは極めて稀な方ということになります。よって具体的な例示の無い個人的な印象は判断の妨げ以外には何もなりません。

最後に「Truesightさんの行動が偏向しているかどうかについてコメントするつもりはありません。」とされてますが、偏向した行動であるかを判断しないということですか。その判断も無く、Truesight氏の書込んだ意見を受け入れるのは判断に歪みが生じる可能性はありませんか。また私の提示したリンク先をご覧頂いたとのことですが、提示したからこそHenonさんはそのページを「検証」されたのです。提示や反論が無ければ、ただTruesight氏の主張を受け入れようとされませんでしたか。(私は今回のTruesight氏の行動は、リンク先と同じ行為をしていると見ています)

検証されない方むけの追加情報

を上げますと、私も以前はつい挑発に応じてしまったこともありましたが、適宜反省したり、冷静になるよう呼びかけたりしていますが、大和屋敷氏からそのようにされた事は記憶にありません。最近では、反省や謝罪は一切しない方との認識で、そういった期待はしないように心がけてますが、行き過ぎた行為や執拗な行為で議論の妨げと感じた場合のみ仕方無しに注意しますが、できるだけ挑発行為は相手にしないように心がけています。ところが、具体的な根拠が示されませんと、そういった反論も出来ない訳です。

以上、私が言うのも変ですが、まだ直接関係ない議論を多くのスペースを割いて続けますか?以降はWikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701でお願いします。--kei 2011年7月23日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

コメントkeiさん、一方的に相手を偏向していると詰るのはいかがなものでしょうか。Wikipediaにはさまざまな人が参加しており、それぞれに感性も異なれば、自身のもつ執筆基準も異なります。皆、自身の矜持に従い、執筆活動を行っているのです。そうした執筆者同士で意見が食い違うことも往々にしてあることで、であるから議論によって解決しようとするのではないでしょうか。少なくともわたしはそうした他の見解の存在を認めたいと思っています。極論すれば相手も偏向していれば自身も偏向しているのです。そういった観点に立っていかないと議論による解決は難しいものになっていくと思います。

さて、具体的な指摘に移らせていただきます。まずこちら[38]ですが、keiさんから大和屋敷さんに対するコメントです。「少し気の毒に思えてきましたが~」で始まる文章です。甚だ礼を欠いた言辞、挑発であると思います。次に[39]大和屋敷さん、反対意見者であっても少し「対話」を意識した書き込みは可能でしょうか~」で始まるコメントです。わたしが見るに大和屋敷さんが対話を意識していないとは思えません。印象操作の一環だと感じます。次、[40]Hmanさん、Dictionwolfさん、Rabit gtiさんの参加で議論が進みだしたことに感謝します。」これは大和屋敷さんが議論から遠ざかっているときのkeiさんの発言です。暗に大和屋敷さんを非難しているようにみえます。ちなみにここで挙げられている議論参加者は全てkeiさんと同意見、もしくは妥協を図っている方です。次の発言はkeiさんと意見が異なる方へのコメントです[41]西方さん、少し落ち着きましょう。~」と冷静さを求めるかのような書き出しになってますが、わたしがみるにこの方は冷静さを欠いているように見えません。次にこの方から[42]keiさん、私は感情論を述べてはおりませんし、合理的な論拠を提示しながら意見を述べております。~」と反論されます。これに対して大和屋敷さんも [43]「●●さん、少し落ち着きましょう」(相手が理性をうしなっていると根拠なく印象づけようとしている~」と苦情を述べます。これに対するkeiさんの反論 [44]本来は相手にしなくとも良いと考えていましたが、度々訳の分からない引用をされてるので面倒ですが一応反論を。~」と続きます。

以上は、大和屋敷さん、keiさんお二人の全てのやり取りと網羅したものではありませんが、お二人の関係を垣間見るに十分でしょう。このようにお二人は激しいやり取りをされており、一方の当事者であるkeiさんが上で述べられた大和屋敷さんに対する非難コメントは公平なものとは思えません。--Truesight 2011年7月24日 (日) 06:19 (UTC)[返信]

とりあえずTruesightさんが具体的な指摘を伴うコメントを書いてくださっているので、私はさしあたりkeiさんとの議論をノートで行うことは控えたいと思います。ただ1点だけkeiさんに申し上げておきたいのですが、私はkeiさんが大和屋敷さんとの議論について書かれたコメントとそれにたいするTruesightさんのコメントのいずれが正しいかとか、どの程度理があるかといったことを現状では何も判断しておりませんし、keiさん、Truesightさんのいずれのコメントに対しても、それらを受け入れる主旨のコメントをしたつもりはありません。私は「議論になっている当事者のコメントは割り引いて考えるべきだ」という一般的な見解を支持し、keiさん、Truesightさん、大和屋敷さんいずれも議論の当事者なので、その間に見解の相違があるのだと認識しているに過ぎません。それは、誰のコメントが正しいのかという判断を下しているのとは違います。また、keiさんの対応については、「意見が異なる他者の行動を(議論の対象とは無関係なところで)偏向しているといくら具体的に指摘しても、自分の意見を正当化することはできない」という論理的な議論の進め方についてコミットしているだけで、keiさんの当初のコメントやそれに対するTruesightさんのコメントのいずれが正しいかということについては何も判断を下していません。--Henon 2011年7月24日 (日) 07:35 (UTC)[返信]
Henonさんが「ノートで行うことは控えたい」とのことで、ノートへ書き込んでも見落とされる可能性が十分にあると考え、、申し訳ございませんが、こちらへ書き込ませていただきます。「議論になっている当事者のコメントは割り引いて考えるべきだという一般的な見解」とのことですが、Truesight氏の修正前の発言を転載いたします「上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみて、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。」”比較的激しい応酬”、”相当割り引いて”、”数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません”とされています。これは一般的な見解でしょうか。通常の一般的な見解程度であれば、わざわざ書き込まなくても他の利用者が提示された根拠を見れば良いことであり、一方的なものであれば、被依頼者本人が反論すれば良いことです。論争の当事者の一人であるTruesight氏のああいった強い発言は、一般的な見解を超えたものと私は見ています。だからこそ反論した訳です。もうコメントされないとのことですが、最後にもう一つ。Henonさんは、私に対して通常の議論を呼びかけたわけでなく、先に個人的な印象を書き込まれたTruesight氏ではなく、私に非があると指摘されています。一方的に私に非があるとされながら、その上でどちらのコメントが正しいかを検証(本質的な問題はどちらの発言が正しいかということに帰結するにも関わらず、判断しないというのは非を指摘した議論相手に対して不誠実です)もされず、私に非があると主張され続け、挙句に自身の考えを修正するでもなく、撤回することもなくコメントしないというのは少しマナーに反すると考えます。今後はご自身の発言に責任を持って行動していただきたいのと、特に他の利用者に非があると指摘する場合は、表面だけを見て安易に発言せず、キチンとその背景も確認した上で、最後まで、ご発言くださいますようお願いします。--kei 2011年7月25日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
私は、Truesightさんの発言に訂正を求めているのです。それはTruesightさんの発言にも非があると考えているからであって、keiさんの発言のみに非があるなどと主張しているわけでは全くありません。一般に議論においては主観のぶつかり合いに陥りやすく、また、発言も時としてエスカレートしやすいものです。論争相手の行動についてコメントする場合には、相当程度割り引いて考えるべきだというのが私の立場です。であればこそ、Truesightさんとkeiさんも論争している当事者同士のようでしたから、Truesightさんの発言も私にとっては相当程度割り引いて考えるべき対象です。であるからこそ、主体を明示した形への発言の訂正を求めたわけです。また、「その間に見解の相違があるのだ」という程度の認識にとどめ、どちらの見解が正しいかということについてはコメントしていないのです。この点は誤解のないようお願いしたところです。keiさんからの反論もなされたことですし、そちらを読ませていただくとして、また必要があればコメントしたいと思います。--Henon 2011年7月25日 (月) 15:22 (UTC)[返信]
念のためもう1点私の行動についてコメントしておきます。keiさんの議論を見ているとどうしても「どちらが正しいか」判断するべきだとの主旨が感じられますが、「正しいか否か」はそう簡単には判断できません。率直に申し上げて、私が今回コメントした内容は、Truesightさんに対するものもkeiさんに対するものも、論争になっている内容の真偽や正邪とは関係なしに指摘できる、論理的に議論する際の作法に関することだと私は考えています。--Henon 2011年7月25日 (月) 15:34 (UTC)[返信]

Truesight氏への反論です。キチンと反論させていただきたいのでかなりの長文となりますがご容赦ください。

  • まず具体例「38」ですが、しっかりと全文を読めば悪意による文章か善意によるものかわかるはずです。その当時、被依頼者である大和屋敷氏が議論進行中にも関わらず、一方的に改名提案を「南京大虐殺」から「南京暴虐事件」へと変更し、同時に私へのコメント依頼を掛けました。同調者を得ようと井戸端などで積極的に告知するも、全員から大和屋敷氏の「主張は受け入れられない」、「検討にも値しない」とされていました。中には私へのコメント依頼を出した行為も不適切であると指摘された方もいらっしゃいます。そういった背景で「少し気の毒に思えてきましたが、大和屋敷氏が「南京暴虐事件」をご提案されるなら、それで構わないと思います。他の「南京事件」「南京大虐殺」案の内の一つとして検討すれば良いと考えます。」としています。これは他の皆さんが改名案「南京暴虐事件」は検討に値しないと完全否定が集中しているのを、私はMiki08 氏が提案された「南京暴虐事件」と「南京大虐殺」の両案を一緒に考えましょうとしています。さらに中略してますが最後に「いずれにしろ過去のやり取りで納得しづらい部分もありますが、大和屋敷氏の積極的な告知によって議論参加者が増えたことは議論に深みをもたらす大きな貢献であり、ありがたいと感じています。今後は建設的な議論となればと思います。」と書き込んでいます。むしろ全員から反対されたいた被依頼者への助け舟を出すために書き込んでいることは明らかでしょう。挑発行為との指摘は全くの見当はずれです。
  • 「39」申し訳ありませんが、全文転載させていただきます。
繰り返しになりますが、歴史的事件の記事名は「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。 例: 「関ヶ原の戦い」、「ベルリンの壁崩壊」、「OK牧場の決闘」、「ブラックソックス事件」、「地下鉄サリン事件」等」と書かれています(Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件)。ガイドラインにもとづいて「南京大虐殺」を記事名にしたうえで、この名称への批判や他の名称の紹介も、本文中に適切に記載すればよいと思います。--Miki08 2011年5月17日 (火) 01:43 (UTC)


「出来る限り」ではない事例ですので該当しないと考えます。どうしてもその基準を強硬に適用すべきであるとするならば南京事件が適当でしょう。なぜなら最も一般的に知られており通用しやすい名称だからです。さてMiki08さんが「繰り返しになりますが」と仰られたのでハテ?と思い過去ログ等を繰りましたところ、改名後に移動されなかった過去のノートの版(※過去ログではなく移動できなかったノート[124]※)にZhxy 519氏により誤って?投稿され(2010年12月14日 (火) 07:21 (UTC))、議論となってしまった箇所にその記述がありました[125]。これを他の編集者が気づけ読んでおけと仰るのはさすがに無理難題すぎますので、編集参加者の方は議論はなるべくもっとも活発に行われている最新の場所をご利用頂くようお願いします。--大和屋敷 2011年5月17日 (火) 04:42 (UTC)


コメント大和屋敷さん、反対意見者であっても少し「対話」を意識した書き込みは可能でしょうか。「出来る限り」ではない事例ですので該当しないと主張されても根拠を示されなかったり、ルールに沿うことを何故基準を強硬に適用と表現されているのか。南京事件が最も一般的とされるならその根拠。単にもう一度申し上げさせていただきたいとして書き込まれた内容を気づけ読んでおけと仰るのはさすがに無理難題とされてしまうと対話しづらい印象を与えます。他の利用者が一言、二言で書き込みが途切れてしまっているのは、こういった反対意見が入る度に追い返すような姿勢が続いているのを見て、議論参加意欲が減退してしまっているのが原因かも知れません。ネットの対話で気を悪くしても仕方無いですから、もう少し肩の力を抜いてみませんか。たかが/されどwikipediaですから。--kei 2011年5月19日 (木) 11:47 (UTC)

これも、常識的に考えて悪意によるものかそうでないかは一目瞭然です。

  • 「40」新しく議論参加いただいた方より、論点整理や別の視点をご提示頂き、堂々巡りに陥っていた印象のあった議論が進展しだしたことに対しての極めて常識的なお礼を述べています。お礼を述べたことが、その議論から外れていた大和屋敷氏を非難していると読み取るのはかなり無理があると思います。(新たに参加された方にお礼を述べることが、遠まわしに大和屋敷氏を非難するなど思いもつかないことです。)それと「議論参加者は全てkeiさんと同意見、もしくは妥協を図っている方」とされてますが、多分、当事者さんがこれを見れば、完全否定されますよ。他の当事者が書き込まれるのを期待して該当ページノート:南京事件 (1937年)へ告知を入れておきます。改名案「南京大虐殺」か現状維持の「南京事件」のいずれかで意見が分かれていますが、Hman氏は当初、現状維持派であり、一時は強い表現でご発言(あくまでも通常の議論の範囲で問題となるものでは無い)されたこともございましたが、こちらが「百科事典における記事名は時代の先取りでなく保守的であるべき」と発言した以降は、私の意見を受け入れられたかは不明ですが、改名派へとご意見変更されました。(それ以降はご発言が無いようです。)Dictionwolf氏ははっきりとしたご意見表明は最近では見かけなかったので、勝手に現状維持派の方と認識していました。改めて確認してみると当初、改名派ですが最近は少し意見表明を保留されてるのかなとの認識です。Rabit gti氏は一貫して現状維持を表明されており、むしろ「南京暴虐事件」を諦めた大和屋敷氏やTruesight氏、PSIA氏と同じご意見となります。
  • 「41」西方氏とは意見対立しつつも、冷静に議論できる論理的な方と見ていますので、こちらで当時のやり取りを再現するのに気が引けますが、[45]とその次の発言に対してのもので、特にリンク先最後の部分のご発言が気になったことによる書込です。ところで、これが当該ページと何か関係がありますか?
  • 「42」私がそう感じたのを発言して、ご本人が否定された。それだけのことと考えます。それ以前も以降も西方氏とは冷静に議論しあっており、時にはお礼も述べ合っています。因みに私の発言を肯定された意見もありますし、後のタイミングでTruesight氏も「西方さんの進め方には強引なところがあり改善して欲しいとは思います」とされてます。同じ方に対して、本人の発言はOKで私の発言は悪意が有るということですか?それとこれも当該ページとどのように関連しますか?
  • 「43」私には、前後で冷静に議論していた西方氏と私を対立させようと煽った発言に見えましたが。また他の参加者より[46]とされています。(因みに”お互い”とされたもう一方は私でなく他の参加者に対するものと理解しています。)被依頼者である大和屋敷氏の全文をお読みいただければ正しく判断できると思います。
  • 「44」被依頼者である大和屋敷氏が、私の以前の発言を誤解し、まるで鬼の首を取ったかのように3度引用[47]し、「議論への参加態度として非常に重大な欠陥をお持ちですので、まず改めてください。」「確信や信念を最初からもち対立する編集者の意見を否定することを目的に編集検討に参加される方もウィキペディアには存在しますので、そういった方々の印象操作や情報操作はアテにしたり積極的に加担したりしないことです。」「論旨を述べておられますので京暴虐事件でも宜しいのではありませんかkeiさん。」と書き込まれていたので、最初は挑発に乗らないようにしていましたが、あまりにも執拗な行為であったので議論進行の妨げと判断し、反論したものです。以降、被依頼者である大和屋敷氏も自身の理解が誤りであることに気づいたようで、執拗な書込がピタリと止みましたので、今でも必要な行為であったと考えています。補足しますと被依頼者である大和屋敷氏はそれに対して「都合が悪くなると根拠のない質問を浴びせてそれを無視されたことを糾弾するという、あいかわらずのストローマンを演じることを繰り返されているようですね。議論に建設的でない執拗な書込しか行わない特定の編集参加者の行為を改めさせるために、本人さえわかれば良いとの理由で敢えてお名前をだしませんが、数々の無礼な質問の繰り返しに明確に謝罪を。--大和屋敷 2011年6月27日 (月) 14:04 (UTC)」意味の分からない発言(こういった行為は何度もあるので、一度くらいなら建設的な議論進行を優先して反論していません。)で返し、大和屋敷氏が誤解していた発言に対しての撤回や謝罪は当然ながらありません。

以上の通りですが、私からすれば被依頼者である大和屋敷氏の行為が行き過ぎたものであること(何度も挑発されていたので細かいやり取りは忘れていたことがあったぐらいです)を、より際だたせることになったもののように見えますよ。--kei 2011年7月25日 (月) 13:40 (UTC)[返信]

ここに記すのが適当かどうかはわかりませんが、沈黙は肯定を意味してしまうので敢えて記します。上記keiさんのご意見は牽強付会、我田引水も甚だしいと感じます。ここまで自分本位な方も珍しいのではないでしょうか。--Truesight 2011年7月25日 (月) 15:49 (UTC)[返信]
keiさんへのコメント依頼の話がありましたから指摘しておきますが、keiさんへの否定的な意見もあり、被依頼者の依頼がそのまま問題のあるものだと断定もできません。コメント依頼を不適切だという指摘も利用者へのコメント依頼というガイドラインの性質上、的外れであると思います。--はぬまん 2011年7月26日 (火) 06:21 (UTC)[返信]
Truesight氏へ。こちらは具体的に反論しています。それに対して個人的な印象で返すのはおやめください。ではもう少し掻い摘んがだものを記述いたします。
  • 「38」背景説明(主観)と全文をお読みいただくことを反論の根拠(客観)としています。一部省略していますが、被依頼者の貢献について他の方が一人もされていない中でお礼を述べています。
  • 「39」全文転載のみで反論(客観)
  • 「40」新しい議論参加者に対してのお礼が、何故その話題に発言していなかった被依頼者を非難していることになるんでしょうか。(客観)
  • 「41」議論相手とは現在も冷静且つ建設的な議論を進めています。(しかも本ページとは関係ない)
  • 「42」同じ方に対して、Truesight氏自身が改善を求めた発言が良くて、私の「落ち着きましょう」発言がいけないとされている。(客観)
  • 「43」被依頼者が意見対立を煽った発言に見える。(主観、別の視点を提示)
  • 「44」被依頼者が私の発言の趣旨を誤解して何度も引用し、議論妨げになるので反論すると(本当に)何のことか分からないことを並べ立てて非難(客観)しています。(執拗な引用と誤解による発言についての謝罪は無し)
Truesight氏は牽強付会や我田引水とされてますが、どちらも主観に基づいた論理で成り立つものですが、上記38~44の反論は38の背景説明と43でこちら側の視点を提示したのみで、他は客観的な材料を出しています。よって牽強付会や我田引水というのはむしろTruesight氏にあるのではないでしょうか。しかも「ここまで自分本位な方も珍しいのではないでしょうか。」とまでされるのは、かなり問題のある発言と見ていますので、訂正されることをお勧めいたします。
はぬまん氏へ。コメント依頼を不適切だとしたのは、その経緯を申し上げています。また具体例1~8中、1つだけを取り上げて指摘したとしても全体がどうかというのが本来の問題ですから、瑣末な事項にこだわっても仕方ないでしょう。ノート:南京事件 (1937年)のように、こちらでも被依頼者を擁護されたいなら、被依頼者の挑発行為や意見対立者の発言をわざと引用して馬鹿にするような行為や、今議論されているTruesight氏の指摘とその反論(是非、はぬまん氏の意見を聞きたいと思いますが、被依頼者やTruesight氏が不利になる可能性のあるものには言及されませんか?)について発言したほうが良いでしょう。もっと本質的な部分に目を向けましょう。
Henonさんへ、Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701で返答していますので、是非そちらをご確認いただくとともに回答くださいますようお願いします。--kei 2011年7月26日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
Truesightです。わたしの見解は先に述べたものから変わらずなんら訂正の必要を感じません。強いてお求めであれば回答の用意はございますが、とりあえずは、これ以上、ここで長々と言い募ろうとは思いません。後はコメントを読んでいただいた方の判断にお任せしたいと思います。--Truesight 2011年7月26日 (火) 15:01 (UTC)[返信]
如何なる経緯からのコメント依頼であろうとも、その対象者に問題があるのならばそれは不適切でも何でもありません。keiさんがどう思われようと勝手ですが、私としては別に被依頼者をノート:南京事件 (1937年)で擁護した覚えはありません。また、本依頼ではノート:科学における不正行為でのやり取りを問題として提起されているため南京関連での発言は指摘するつもりはありません(2011年7月7日 (木) 05:24 (UTC)版にて言及はしていますが依頼者の意図するものとは別であるため)。ノート:科学における不正行為での問題行為があるのならそれはそれで明確にすべきである、というのが私の考えです。最後に、keiさんの一連の議論は被依頼者の問題性を問うこの場とは関係のないもので場外乱闘以外の何物でもありません。もっと本質的な、この場ですべき議論をなさってください。Truesightさんの言動を問題としたいのであれば個人のノートページでなり、別のコメント依頼をするなりなさるべきです。--はぬまん 2011年7月26日 (火) 18:31 (UTC)[返信]

はぬまん氏はこちらで積極的にご発言されており、他者の報告における信頼性にも少なからず影響を与える発言をされてますので、関連するものとして、こちらで反論させていただきます。はぬまん氏がこちらで発言(抜粋)されたのを記載いたします。

  • 編集態度云々の話となるとどっちもどっちな印象が拭えません。まあ確かに被依頼者の人格攻撃だのの発言は議論においてよろしくないものでしょうが、発言が出てくる経緯も踏まえて読むと、やや売り言葉に買い言葉的なものが出てきてしまう。議論が長引いて感情的な発言が出てきてしまうことは分かりますが、その議論の参加者が態度と言ったことを問題にコメント依頼するとなると、感情的にコメント依頼をしているように見えてしまうのです。--はぬまん 2011年7月3日 (日) 16:16 (UTC)
  • いやもうホント、6月10日から15日にかけては依頼者も被依頼者もどっこいどっこいなんですよ…。--はぬまん 2011年7月8日 (金) 19:40 (UTC)

と当コメント依頼は「どっちもどっち」との姿勢で依頼提出そのものに異議を唱える一方で、被依頼者が私に対して行なったコメント依頼に対しては、まず

  • keiさんとお互いに答えるでもない質問の投げ合い(過去ログ2、2011年の4月21日 (木) 18:44、4月23日 (土) 14:08 (UTC)版辺りのやり取り)だとか「南京暴虐事件」への改名提案を多少唐突に行ったり2011年5月12日 (木) 21:27 (UTC)の版などのような、批判的(多少相手も非難めいていますが)な意見に対しでオウム返しのようなやや挑発的な態度を取ったりと、Wikipedia:礼儀を忘れないと言う点で多少問題がある方だとは思うのです。--はぬまん 2011年7月7日 (木) 05:24 (UTC)

との認識を持ちながらも

  • コメント依頼を不適切だという指摘も利用者へのコメント依頼というガイドラインの性質上、的外れであると思います。--はぬまん 2011年7月26日 (火) 06:21 (UTC)
  • 如何なる経緯からのコメント依頼であろうとも、その対象者に問題があるのならばそれは不適切でも何でもありません。--はぬまん 2011年7月26日 (火) 18:31 (UTC)

と、こちらのコメント依頼については肯定しています。また、「場外乱闘以外の何物でもありません。」とされながら、ご本人も提示のとおり、自ら(2011年7月7日 (木) 05:24 (UTC)版では場外乱闘の素材を持ちだしています。このように、今回も少し論理に一貫性が感じられません。一連の記述内容を拝見しますと、被依頼者を擁護するかのような発言が目立ち、第三者的な発言とは感じられませんでした。 それと報告した内容の信頼性を損なう発言があれば、それに対して反論するのも必要な議論と考えます。本質的な議論から外れた行為をされているのは、むしろ報告者に対して否定的な発言を重ね、結果、その報告内容の信頼性を損なうこととする行為です。程度問題となりますが、ある程度なら許容範囲とできますし、またあまりにも恣意的なものであれば被依頼者が反論すれば良いことです。他者が第三者的な立場を利用し、あれこれ持ち出して何度も繰り返す発言は度が過ぎています。異論があるならそれこそ、対象者の個人のノートページや、別のコメント依頼などでされることです。よって、ご本人の論理性そのものと、行動との一貫性も感じられないので、そういった可能性を持った方の発言であるとの認識の元でご覧頂きたく願います。

Truesight氏へ、訂正の件、了解しました。いつか必要となった際に参照できるよう、記憶にとどめておきます。あとこちらは具体例で回答しています。牽強付会や我田引水とされながら、左記熟語の成立要件である主観はわずかで、ほぼ客観的な情報によって返答していることに対しての矛盾も返答ありません。Truesight氏は「さて、具体的な指摘に移らせていただきます。」とされながら、反論があると「これ以上、ここで長々と言い募ろうとは思いません。」と結局は否定されると回答されません。回答の用意が有るならお出しすれば良いですし、具体的な回答が出来ないのであれば、肯定したとみなされるだけです。それ以外の発言はスペースの無駄なので必要ありません。記載しないようにしてください。--kei 2011年7月27日 (水) 13:27 (UTC)[返信]

この依頼を私が不適切だとしたとかは全く以って見当外れな指摘で、依頼すること自体は別に不適切とは全くしておりません。編集合戦をどっちもどっちとはいいましたが大和屋敷さんに他にも問題があると依頼されているのですから不適切でも何でもありません、依頼を否定もしていません。第一、編集合戦がどっちもどっちであろうとも依頼自体が不適切になることはありえません。編集合戦は両者がともに悪いだけの話ですね、という結論を私が持つだけであって依頼そのものを否定するというのは発想からして理解しかねます。被依頼者に問題があるのかどうか、それを話し合う場であり問題がないのならばないとするだけで依頼行為自体に問題性が生まれるものではありません。
場外乱闘というのは今回私の発言をあげつらったりして、被依頼者とは関係のないことを言い出すことです。ノート:南京事件 (1937年)についての例示はあくまで被依頼者の態度について関連することでしたが、あくまで依頼者は別の件での話でしたからそれ以上の言及は避けました。また、私が被依頼者を擁護するだといった先入観に基づく発言をなさるというのは、keiさんの発言は被依頼者と対立的な人物であるからある程度考慮して聞くべきであるとするTruesightさんの指摘の一つの証左になると思えます。私は被依頼者に問題があるのであればそれは明確になるべきであるとして、擁護をした覚えは一度たりともありません。依頼者の言うとおりの問題性があるのならばそれは明確に指摘され、被依頼者に改善を求めるべきであります。以上でも以下でもなく、「他者が第三者的な立場を利用」などと言うのは甚だ的外れであると思います。
私も多少こうして応じましたがkeiさんの発言は基本的に被依頼者の問題性を問う場から領分を外れたものです。以前keiさんへのコメント依頼で触れた論理的ではないというのはこういったことについても言えるかと思います。--はぬまん 2011年7月27日 (水) 15:30 (UTC)[返信]
はぬまん氏へ、申し訳ないのですが、やはりズレている。「どっちもどっち」「どっこいどっこい」と繰り返し依頼者にも問題がある旨の記述があって、こちらの「異議を唱えている」とした発言をわざわざ「不適切」と読み替えて「この依頼を私が不適切だとしたとかは全く以って見当外れな指摘」とするのは、単なる言葉の逃げです。これは論理的でない。それと、他者へ左記のような発言は遠慮無くしつつ「場外乱闘」の反論に対して「場外乱闘というのは今回私の発言をあげつらったりして、被依頼者とは関係のないことを言い出す・・・」と弁明しながらも、自身が論理性そのものと、行動との一貫性も感じられないとされると、前述の「場外乱闘」発言そっちのけで、平気で「以前keiさんへのコメント依頼で・・・」とご発言されるのは論理と行動の不一致だけでなく、他人の指摘は受け付けない、他人への思慮に欠ける人物に見えてしまいます。また「それ以上の言及は避けました。」とされてますが、十分状況を説明しており、はぬまん氏の明らかに中立的であるべき第三者のコメントとしての範囲を超えた行動である、被依頼者を何度も繰り返し応援(擁護という表現が嫌ならこちらにして構いませんが、先入観無く見ても今回の行為はそのように見えたということです。)したり、私の報告1~8に対して、通常の第三者的立場としての発言であれば、否定的なものを探し出してそれのみを指摘するのでなく「これは肯定、こちらは否定」などすべてについて発言してしかるべきですが、何故かご本人が否定できると考えた1のみを発言して、それ以外の7つについては言及しないなど、被依頼者の有利となる部分だけを取り上げる行為に立脚した立場から見れば、あの場面でそれ以上何を発言するのを避けたのかも見えてきません。このような一連のやり取りを拝見しますと、単に言葉の表面的なものをなぞっているだけで、本質的な部分ではやはり論理性のみならず、行動でも不一致が見られる表れと見ています。結局は今回の依頼者や報告者に対しての否定的発言もそういった、とても客観的と言えないご本人の主観中心の発言であると見るのがよいと考えます。ようは記述する文面は一見まとも(こちらは被依頼者やその他の”応援者”よりも整合性は取れている)に感じますが、その内容を掘り下げるとご本人の個人的な感情(単純に好き嫌い)に基づいた発言であると言わざるを得ません。以上の反論を見て、ご自身の考えを否定されると決して良い気分になれないことはこれでお分かりでしょう。何時までも他者の発言を否定することで優越感を得ようとするかのような後ろ向きな行為(度々拝見するはぬまん氏の行為を見るとそのように見えましたが以前、私に対して「少しでも疑われる側に非がある」とされた論理で行けばこちらの表現も問題ないでしょう。)からは卒業して、これからは建設的な議論を進めることを楽しみとして下さい。さて、ご自身に対して否定的な発言が並びましたが、まだ「場外乱闘」続けますか?--kei 2011年7月28日 (木) 12:26 (UTC)[返信]
別に「異議を唱えている」というのを「不適切」という言い方をしても些細な表現の違いで実質はなんら変わりないと思います。第一、編集合戦がどっちもどっちであろうと他にもあげられている問題性があるのですから提案に対する異議でもなんでもないでしょう。ですから依頼者に度々そのほかの点での明確な問題行為がどれなのかと尋ねたのですし、上でkeiさんが引用された文章でもその続きで第三者にも分かりやすい指摘を求めています。報告1~8に関しては、別に私にすべての反論をせねばならない義務がある訳でも何でもありません。被依頼者に対して誤解を招きかねない表現があったから指摘したまでです。
さて相変わらずの本依頼と関係のない話が続くので大幅に流しますが、一つ指摘しておきますと被依頼者の問題性を問うているはずのkeiさん自身が関係のない話をするため問題性の話から外れているのです。ご理解のほどよろしくお願いいたします。--はぬまん 2011年7月28日 (木) 16:35 (UTC)[返信]
はぬまん氏へ。
  • 「異議を唱える」と「不適切」では、取り扱いが異なるのは誰が見ても明らかであり、大きな違いです。特に不適切だとしたとかは全く以って見当外れな指摘で、依頼すること自体は別に不適切とは全くしておりません。と反論に用いれば完全な間違いです。これ以上詳しい説明が必要ですか?単なる誤用した挙句の勘違い発言であればそのように言ってください。それとも意図的な用語のすり替えでしょうか。(多分、これについては返答されないでしょう)
  • 次に度々、問題行為がどれなのかを尋ねたり感情的にコメント依頼をしているように見えてしまうのです。被依頼者に問題があるのか依頼者に問題があるのか分からなくなります。と執拗に依頼者へ問題があるかのような発言が「異議」でなければ何なのでしょう。
  • 私の報告1~8すべての反論をすべき義務はありませんが、否定できると思い込んだ1のみを取り上げて反論する行為は恣意的としか見えないということです。貴方のこちらでの書込内容はほぼ「コメント依頼への異議」か「依頼者や報告者へのネガティブな発言」のいずれかであり、被依頼者擁護(些細な表現の違いを気にされない方のようなので、こちらの表現に戻します)に基づいた記述と見れます。そんなことは無いとは思いますがWikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88でのあるユーザと同じような行為を、まるで当番制で行っているかのように見えてしまいます。
  • 本依頼と関係のない話が続くので大幅に流しますとされてますが、全てはぬまん氏の発言に対する反論です。再反論できないのなら、初めから書かなければ良いことです。貴方によって不必要な書込をさせられたのです。よって、はぬまん氏自身が恣意的と見られる依頼者や報告者へのネガティブ発言や、被依頼者への擁護発言が無ければ本論から外れるようなことは、全くありません。
  • 以上、貴方が依頼者や報告者に対してネガティブな行為を続ける限りは、止めようがありません。これ以上、議論に混乱を招くような恣意的な行為はしないようにお願いします。--kei 2011年7月29日 (金) 13:03 (UTC)[返信]

被依頼者の問題と思われる根拠を「これまでの経緯」節へ転記いたしました。--kei 2011年7月29日 (金) 13:17 (UTC)[返信]

keiさんの態度はコミュニティを疲弊させるものでしかありません。議論を混乱させているのはkeiさんあなたです。被依頼者とは関係のないことを書き連ね発言者にネガティブな印象を与える行為はお控えいただきたいものです。--はぬまん 2011年7月29日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
私は、報告で上げた否定的な発言に対しての(特に直近では、はぬまん氏が先に非依頼者擁護のための報告者批判に対する)反論しか書いていません。反論できないのであれば、上記のような余計な書込は不必要です。コミュニティの混乱や疲弊を招いている原因は貴方です。--kei 2011年7月29日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
本依頼は被依頼者の行為、発言などの問題を話し合う場です。私は「非依頼者擁護のための報告者批判」などしておりませんし、例え仮にそのような行為をするウィキペディアンがいようとその発言をあげつらって批判する行為はこの場にそぐわないものです。私のこれまでの発言に対し反論することがあるのであれば、例えば明確にノート:科学における不正行為Wikipedia:井戸端/subj/情報源が「信頼できない」と主張するための条件での編集合戦以外の問題行為をお教えいただきたい。私の発言に対する反論にしても、この場に沿ったものでなければそれは所詮場違いな発言に過ぎません。--はぬまん 2011年7月29日 (金) 14:42 (UTC)[返信]
執拗に理解できないふりをするのはやめていただきたい。はぬまん氏がこちらの約20発言中、依頼者もしくは報告者に対してのネガティブな発言がほとんどであるのは明らかでしょう。同じどっこいどっこいと認識している私に対するコメント依頼は、そういった発言が一切無い。私の1~8報告に対して否定できると思い込んだ1のみを取り出して報告者批判をする。これら一連の行為から特定の「非依頼者擁護」と見なされるのは当然のことです。こちらで執拗に依頼者や報告者に対して簡単に反論されるような論理の乏しい、否定的な見解のみをあげつらうのはコミュニティを疲弊させるだけです。それとこちらのコメント依頼では冒頭「利用者:大和屋敷さんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。」となっています。ノート:科学における不正行為Wikipedia:井戸端/subj/情報源が「信頼できない」と主張するための条件に限定するとどこに書いてますか?--kei 2011年7月29日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
keiさん、コメント依頼の場はルール無用の口喧嘩の場ではありません。依頼に関係ないことを持ち出し、反対論者の見解ではなく、反対論者自体を攻撃するかのようなコメントを書き連ね、反対論者の口を塞ごうという行為は依頼趣旨に合致しないばかりか、議論に混乱をもたらす問題行為であり、引いてはコミュニティに疲弊をもたらす行為です。こちら[48]では、「そんなことは無いとは思いますがWikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88でのあるユーザと同じような行為を、まるで当番制で行っているかのように見えてしまいます。」とコメントされていますが、「あるユーザ」とは誰なのか、「同じような行為」とはどのような行為なのか、そして、それが本依頼にどのように関係するのか、きちんと論理的に説明してください。--Truesight 2011年7月29日 (金) 15:48 (UTC)[返信]
読んで字の如くです。それ以上の意味はありません。わざわざ済んだ話を持ち出してそのような発言を行うことや、根拠不明の牽強付会、我田引水発言、ここまで自分本位な方も珍しいのではないでしょうか。とするほうがルール無用の口喧嘩です。先に言うことで免罪符が得られるわけではありません。それよりも貴方は私の再反論に対して肯定するのか、反論するのかを示していただきたい。(強く求めています)こちらは十分当議論に関係するものです。--kei 2011年7月29日 (金) 16:09 (UTC)[返信]
済んだ話とはどういうことでしょう?強く求めるとのことなのであなたの質問にきちんと答えましょう。が、その前にきちんとわたしの質問に答えて戴きたい。自分の発言なのだからきちんと説明する責任があなたにはあるはずです。質問を質問で返すなど、あれこれ言い逃れせず、きちんと回答してください。--Truesight 2011年7月29日 (金) 16:19 (UTC)[返信]
逆です。こちらが先に返答を求めているものであり、当コミュニティに関係する議論です。そちらの質問はそのあとですが、ルール無用の口喧嘩をされようとしてるんですか?返答を頂きたいなら、それを更に掘り下げることが本依頼にどのように関係するかを説明する必要が有るでしょう。だた、先に申し上げておきますが、多分貴方の期待するような返答とはなりませんよ。スペースの無駄です。--kei 2011年7月29日 (金) 16:39 (UTC)[返信]
あなたが先?あなたが返答を求めたのは2011年7月29日 (金) 16:09 (UTC)、わたしが質問をしたのはその21分前の2011年7月29日 (金) 15:48 (UTC)です。言い逃れせずにきちんと回答してください。こちらはあなたの発言の真意とそれが本依頼にどのように関係するのか説明を求めているのです。スペースの無駄?何がスペースの無駄なんですか?ご自身の発言の説明がスペースの無駄ですか?--Truesight 2011年7月29日 (金) 16:56 (UTC)[返信]
理解できないふりなどしていません、関係のない話に付き合って議論を拡散しないように勤めているだけです。編集合戦は両者が両者とも悪いとしても、keiさんにはその他の点において問題を指摘することがあっただけの話です。それは私も参加していた場所での話でありましたし他の方にその問題点を求める必要もないことでした。しかし本依頼は私の参加していないところでの話であり、依頼内容にも漠然としてやや分かりづらいものがありましたのでそれはどのようなことなのでしょうか、と議論を正確に誤解のないように進めるため質問を繰り返したのです。それをネガティブなどと決め付けられても対応しかねます、keiさんに質問を繰り返したわけでもありませんし。最後に言っておきますが、私はkeiさんがノート:南京事件 (1937年)に関してした指摘について肯定も否定もしていないだけです、都合よく一つだけ答えているだなどというのは極めて主観的でかつそのような指摘は本依頼において寄与するところのないものです(私が指摘したのは被依頼者の提出したコメント依頼に関してのみと一応併記しておきます)。--はぬまん 2011年7月29日 (金) 17:05 (UTC)[返信]

Truesight氏、そちらが私の反論に対して回答しなかったんです。貴方の質問は、それを更に掘り下げることが本依頼にどのように関係するかを説明してください。納得すれば回答が得られるでしょう。

はぬまん氏へ、「異議」と「不適切」は同じだと強弁したり、話題をノート:科学における不正行為Wikipedia:井戸端/subj/情報源が「信頼できない」と主張するための条件に限定しようとして、どちらも指摘されると口を噤むことが、貴方の「関係のない話に付き合って議論を拡散しないように務めている」ことになるのでしょうか。異議を不適切にすり替えたり、話題を限定しようとしたのは全て貴方発であり、むしろ混乱をもたらす要因を生み出しています。また、あそこまで執拗に繰り返せば、ネガティブな行為とみられるのは客観的な事実です。報告1~8について1つだけ答えることが「都合よく一つだけ答えているだなどというのは極めて主観的」との主張も、単に客観的な事実を申し上げているのであり、コチラでの約20発言を読めば、とても当依頼に対してのポジティブな行為・発言と見ることはできないというのも客観的な事実です。「場外乱闘」発言後に平気で「以前keiさんへのコメント依頼で・・・」としながらも「私が指摘したのは被依頼者の提出したコメント依頼に関してのみと一応併記しておきます。」と発言するのも理解出来ません。関係ない話題はこちらこそ必要は無いと考えています。主に返答する側であるコチラは、はぬまん氏が持ち出さなければ、そういった話題は出てきません。認めるべきところは認めて、これ以上不必要な話題を振らないようにしていただきたい。--kei 2011年7月30日 (土) 01:07 (UTC)[返信]

おやこれは大変失礼していたようで、謝罪しつつ質問いたします。keiさんから「どちらも指摘されると口を噤む」とのことでどこかでこれらのことが指摘されていたようなのですが読みこぼしていました。大変まことに失礼なのですがこれらの質問がkeiさんから指摘されている文章というのはどちらにあたるのでしょうか?--はぬまん 2011年7月30日 (土) 02:17 (UTC)[返信]
keiさん、わたしはあらかじめ、強いて求められれば回答します、としています。あなたの反論は強いて回答を求めるものではありませんでした。あなたが強いて回答を求めるようになったのはわたしの質問の後です。先になされたこちらの質問にまず答えてください。
質問を繰り返します。依頼に関係ないことを持ち出し、反対論者の見解ではなく、反対論者自体を攻撃するかのようなコメントを書き連ね、反対論者の口を塞ごうという行為は依頼趣旨に合致しないばかりか、議論に混乱をもたらす問題行為であり、引いてはコミュニティに疲弊をもたらす行為です。こちら[49]では、「そんなことは無いとは思いますがWikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88でのあるユーザと同じような行為を、まるで当番制で行っているかのように見えてしまいます。」とコメントされていますが、「あるユーザ」とは誰なのか、「同じような行為」とはどのような行為なのか、そして、それが本依頼にどのように関係するのか、きちんと論理的に説明してください。
あなたの言いようでは、この発言を掘り下げる行為は本依頼には関係ないといってるように聞こえますが、これはそもそもあなたの発言でしょう?あなたの発言が本依頼には関係ないといっているのでしょうか?あなたの件の議論への言及はそもそもこの時点[50]からなされています。この時わたしは看過しました。しかし、他の方から諫言があったはずです。諫言に耳を貸さず繰り返しているのは、明確な意図のもと行っているからでしょう?きちんと説明してください。--Truesight 2011年7月30日 (土) 04:28 (UTC)[返信]
いつの間にか全然議論の本筋から離れてしまっているようです。 8項目の提議が出されたら、それに関係のない話は慎むべきだったのではないでしょうか。 8項目中挙げられている大和屋敷さんの行為Aが本当にあったかどうか、あったなら適切だったかどうか、依頼者のB発言があったからではないかという議論が実行された後に、B発言に対してA行為の評価として、大まかな総意として、大和屋敷さんのA行為は、「やむをえない/やはり不適切」であった。従って、Aに関する主張について「差っぴく必要がある/認めざるを得ない」、と提言するものであって、個人的思いであろうが、検証すっとばしで、「激しい応報があった人だから」、相当差っぴく必要があると言ってしまうのは、印象操作と言われても仕方なく、本人が気づいているかどうかは分りませんけれど議論の本筋から気をそらす、燻製ニシンの虚偽に相当しているようです。--Dictionwolf 2011年8月6日 (土) 00:31 (UTC)[返信]
コメント依頼に出された見解が攻撃的にすぎ、公平でない、と感じたから意見をしたのみです。印象操作などといわれるのは甚だ心外です。その場で具体的な指摘を行わなかったのは南京大虐殺のノートを参照すれば誰の目にも一目瞭然と考えたからであり、いたずらに他議論の詳細を記述するのを避けた為です。しかし、具体論を求められたため、後にこちらから具体的な指摘を書きました。これにkei氏は再反論していますが、読む人が読めばどちらの見解が公平であるかは明らかであると考えたため、コメント依頼の本旨から外れた論を続けるよりは読者の判断に任せようと思ってこちらからの再反論は控えただけです。今でも、反論せよといわれるのであれば、これからでも反論はできます。反論できないのではありません。
たとえばkei氏の挙げた8項目のうちのひとつに議論を強制的に打ち切った、というものがあったと思いますが、これはkei氏が「南京大虐殺」→「南京事件」の改名を差し戻す提案(改名差し戻し提案)を行っているときの話ですが、大和屋敷さんはkei氏にその根拠を提出するよう求めています。しかしkei氏は根拠を提出することが出来ずにおりました。これに対し、大和屋敷さんは1ヶ月の猶予を与えましたがこれの期間中にも答えることができなかったため、別議題を挙げたという話です。そもそも、「南京大虐殺」→「南京事件」の改名は正しく改名提案のルールに則ったものであり、差し戻しの正当な根拠などは存在しません。それなのにいつまでも納得しない態度を見せていたのがkei氏であっただけなのです。これが大和屋敷さんの瑕疵になるなどとは到底考えられないことであり、まさにkei氏による公平でない、一方的な見解とするほかありません。--Truesight 2011年8月6日 (土) 04:11 (UTC)[返信]
ここは本当に一目瞭然なのかどうかを具体的に審議する場であって、それをすっぽかして、一足飛びにあのようなコメントを書いてしまわれると、甚だ心外だという心情までは否定しませんが、印象操作と言われても仕方がありませんということです。 最初から、「たとえばkei氏の挙げた~」以降のような議論を粛々と進めて下されば良かったのです。--Dictionwolf 2011年8月6日 (土) 05:23 (UTC)[返信]
お言葉ですが、こちらのコメント依頼はkei氏の行為について詳細に述べる場ではありません。わたしは被依頼者とkei氏が深刻な論争関係にあるとこちらの第三者に注意喚起をすれば十分であり、本来はこちらの審議者がそれぞれ(わたしとkei氏)の見解を示されたリンクを参照しつつ判断すればよろしい問題であったと考えます。--Truesight 2011年8月6日 (土) 05:47 (UTC)[返信]
提出された行為Aに対して、それなりの強い背景があれば、分析しないわけには行かないと思います。 また第三者に注意喚起が必要であれば、「kei氏が論争中の当事者の一方である」という事実だけを言い添えれば十分だったのです。--Dictionwolf 2011年8月6日 (土) 07:36 (UTC)[返信]
わたしが分析しても大した意味はないと思いました。それよりも分析は読まれる方に任せたほうが良いと思ったのです。一方でわたしはkei氏とは別見解でしたのでそれを述べました。何か問題ございますか。--Truesight 2011年8月6日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
問題が大きくありますが、まずはTruesight氏のそのような喧嘩腰の発言は控えることを求めます。私は第一発言で既に被依頼者と長く議論をしていることを表明しています。また、被依頼者の攻撃対象がほぼ私だけだということで、実質的に意見対立していることも表明しています。よって、Truesight氏の根拠が明示されない「注意喚起」は過剰であるだけでなく、全くの不必要な行為です。さらに発言内容を汲み取れば不適切な発言となります。あと上でちらっと「根拠が提出できない」とされてますが、コチラが明示した根拠を不十分な反論のみで「既に否定した」と言い切っているのがほとんどです。(詳しくは、いずれ該当ページで行います。)また、改名差し戻し提案を行ったものの同意が得られなかったので、実質的に改名提案に戻って議論(これも第三者がそのように発言しています。)がなされていました。だからこそ、当該ページで現状ああいった議論が交わされています。あなたの発言は意図的なのかわかりませんが、状況分析が甘いように感じます。--kei 2011年8月6日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

(インデント戻し)どこがケンカ腰ですか、具体的な指摘をお願いします。また「攻撃対象」という言葉を使ってますがそういった感性はなんとかなりませんか。注意喚起のどこが過剰ですか?それに対するあなたの反論の方が余程過剰です。またなぜに注意喚起が不必要な行為なのですか?どのように発言内容を汲み取れば不適切な発言となるのですか?「「根拠が提出できない」とされてますが~」何の話ですか?もう少し伝わるように書くよう努力してください・・・あぁ、改名差し戻し提案の話ですか、「実質的に改名提案に戻って議論(これも第三者がそのように発言しています。)」あなたは該議論でその第三者の発言をコミットしているのですか?また大和屋敷さんにその認識があったといえますか?--Truesight 2011年8月6日 (土) 16:34 (UTC)[返信]

よく、自身の書いた文章を読み返してみましょう。その書込が冷静かつ友好的で建設的な議論を進めるのに役立つ言い回しには思えません。--kei 2011年8月6日 (土) 23:58 (UTC)[返信]
keiさん、あなたには何度かそのようにして質問をはぐらかされてますが、そのような言い回しによってこちらの質問をキャンセルできると思ったら大間違いです。上の質問もそうですが、そもそもこちら[51]の質問にもお答えいただいておりませんが、それぞれご回答をお願いします。--Truesight 2011年8月7日 (日) 02:58 (UTC)[返信]
子供の喧嘩に陥りそうな質問はお相手しません。Truesight氏もどこかの掲示板ではないんですから、煽るような発言ばかりせず、相互理解の精神で行動しましょう。--kei 2011年8月7日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
わたしは他ならぬあなたの発言について質問しているのです。都合の悪い質問には「子供の喧嘩」とし回答を回避するあなたの議論姿勢はいかがなものでしょうか。良く自身の書いた文章を読み返してみましょう。その書込が冷静かつ友好的で建設的な議論を進めるのに役立つ言い回しには思えません。--Truesight 2011年8月7日 (日) 06:15 (UTC)[返信]