Unus pro omnibus, omnes pro uno

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スイス連邦院ベルン)のドームの中央(全体)。

Unus pro omnibus, omnes pro uno(ウヌス・プロ・オムニブス、オムネス・プロ・ウノ、日本語訳: 一人は皆のために、皆は一人のために)とは、ラテン語の成句である。日本においては、英語訳の One for all, all for one が、ラグビーフットボールチームワークの精神を表すものとして頻繁に取り上げられる。

最初[編集]

1618年のプラハ窓外投擲事件

この成句のもっとも古い記録は、1618年ボヘミアカトリックプロテスタントの両集団の指導者の集まりにおいてである。この集まりは、三十年戦争の発端であるプラハ窓外投擲事件を引き起こした集まりである。プロテスタントの指導者は以下のような内容の手紙を決然と読み上げた。

「彼ら(カトリック勢力)がまた我らに対する処置を断行しようとするゆえに、ここに我らは以下のごとく相互の合意の形成に至った。すなわち、生命、肉体、名誉、繁栄の喪失をいとわず、我らはここに、一人は皆のために、皆は一人のためにとの気概を以て確固と立ち上がったのである。我らは誰にこびへつらうことはない。それどころか我らはすべての困難に対して、できうる限り、相互を助け守るものである」[1]

スイスの伝統的なモットー[編集]

スイスには、憲法法律による公式のモットーはない。 [2]

この成句はスイスの4つの公用語では以下のとおりである。

これらスイスの4つの公用語のバージョンが、19世紀に広く使用されるようになった。1868年の9月、10月に秋の嵐がスイスアルプスの広範囲に洪水をもたらした後、当局はこのスローガンの下での救援キャンペーンを開始した [3]。 まだ若い国家であるスイスの国民の義務感、連帯感、そして国家的統一を呼び起こすために、意図的にこの成句を使ったのである。最後の内戦は1847年の「分離同盟戦争」で、スイスは連邦になってまだ20年しかたっていなかった。寄付を呼びかける新聞広告が国中で行われた。 [4] この成句は徐々に、やはり連帯を中心的なテーマとすることの多いスイスの創設神話に関連づけられるようになった。その重要性は"Unus pro omnibus, omnes pro uno"の成句がスイスの連邦院クーポラに1902年に書きこまれたことからもうかがえる。 [5] それ以来、この成句はスイスのモットーとされるようになった。すべての政党、地域の政治家がこれをスイスの標語として認めている。 [6][7][8][9] [10]

三銃士[編集]

1894年版の挿画

「一人は皆のために、皆は一人のために(Un pour tous, tous pour un) 」はアレクサンドル・デュマ・ペール大デュマ)の小説『三銃士』(1844年刊行)の題名のヒーローとともに伝統的に関連付けられている。 小説では、熱く長きにわたる友情で結ばれたフランスの銃士アトスポルトスアラミスダルタニャンモットーである[11][12]。 『三銃士』の舞台となった時代はブルボン朝ルイ13世の治世であり、宰相リシュリュー枢機卿が三十年戦争への介入を計画実行しようとした時代である。上述の「第二次プラハ窓外投擲事件」が発生して間もないことである。

2002年11月30日フランス共和国親衛隊6人によって厳粛に大デュマの棺が、もともとの埋葬地のエーヌ県ヴィレール・コトレからパリパンテオンに運ばれ、改葬された。棺には青のベルベットの布がかけられ、そこにはUn pour tous, tous pour unと白糸で刺繍されていた[13]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Helfferich, Tryntje (2009). The Thirty Years War: A Documentary History. Indianapolis: Hackett Publishing Company. p. 16. 
  2. ^ "La fraternité" (PDF) (French). w:Federal Supreme Court of Switzerland. June 2003. p. 2.  The traditional motto "one for all, all for one" has no constitutional or legal foundation." URL last accessed January 18, 2006.
  3. ^ Pfister, Ch. (2005年1月18日). “Die Geburt der Schweiz aus der Katastrophe (PDF)” (German). 'Tages-Anzeiger'. 2006年1月23日閲覧。
  4. ^ Zoll der Sympathie—Die Bewältigung der Überschwemmungen von 1868 mit Hilfe der Eidgenössischen Spendensammlung in: Katastrophen und ihre Bewältigung. Perspektiven und Positionen (PDF)” (German). Berne: Verlag Paul Haupt (2004年). 2006年1月23日閲覧。
  5. ^ The Federal Assembly - The Swiss Parliament: Architecture, on the official website of the Swiss Parliament. URL last accessed January 18, 2006.
  6. ^ Ruth Dreifuss, President of the Swiss Confederation. Swiss National Day Address, 1 August 1999. Available in German, French and Italian. URLs last accessed January 18, 2006
  7. ^ Yves Christen, speaker of the National Council. parlament.ch. 18 March 2003. URL last accessed January 18, 2006.
  8. ^ Max Binder, speaker of the National Council. parlament.ch. 1 August 2004. URL last accessed January 18, 2006.
  9. ^ Thérèse Meyer, speaker of the National Council. parlament.ch 24 March 2005. URL last accessed 23 January 2006.
  10. ^ Samuel Schmid, President of the Swiss Confederation. vbs.admin.ch 23 September 2005. URL last accessed 23 January 2006.
  11. ^
  12. ^
  13. ^ Dumas au Panthéon (in French)