Tu-119 (航空機)
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Tu-119とは、ソビエト連邦の航空機設計機関であるツポレフ設計局がTu-95爆撃機のターボプロップエンジンを原子力推進にすることが可能か否かを試験するために改造された実験機である。別名をTu-95LALともいう。
概略[編集]
1950年代から60年代にかけて、世界各国であらゆる分野で原子力の利用が研究されていたが、ソ連においても原子力推進航空機の研究が進められた。
Tu-119は、その原型となったTu-95の搭載エンジンであるクズネツォフ NK-12とは別に、クズネツォフ NK-14原子力駆動エンジンを搭載していた。これは実際の飛行には使用されていなかったが、飛行中に稼動させており、1965年に初飛行したとされている。
真偽は不明であるが、一部情報では48時間連続の飛行に成功したとされ、飛行中も操縦乗員は原子炉からの放射線から生存できたという。この情報によれば胴体後部に備えられた原子炉による動力で2基[1]が稼動しており、乗員2名はソ連航空機生産省とソ連空軍から担当していた。ただしアメリカ合衆国のような放射線防護シールドがなかったため、実験に参加した乗員12名のうち大半が数年のうちに死亡し、1990年代まで生存していたのはわずか3名だったという[2]。
西側諸国の情報筋はソ連が原子力推進航空機の試験に成功したとの憶測を流したが、どのような事情があったかは不明であるものの実用化されなかったのは間違いないといえる。
備考[編集]
- アメリカ合衆国も原子力推進航空機であるX-6実験機を開発しようとしていたが、実用化する価値がないとして中止されていた。
- 西側情報筋もソ連が原子力推進航空機を開発していることを把握していたが、別の試作爆撃機であると誤認していた。