SHINNOSK8

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SHINNOSK8 a.k.a SIN(本名:米坂真之介、よねさかしんのすけ)は東京都のプロスケートボーダーラッパースケートボード総合プロデューサー、映像クリエイター、ネットマーケッター、ユーチューバーなど、様々な肩書を持つ。特に日本のスケートボード文化及び業界の発展に寄与する各種研究や論文制作、文化構成要素の定義付け、各種事業プランの構築等全てを単独で遂行。日本のスケートボード業界で唯一の世界レベルの歴史研究を行っている人物でもある。又、日本スケートボード・アワード(日本スケートボード大賞授賞式)を初めて開催した人物でもある。

略歴[編集]

1985年、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観てスケートボードの存在を知り、同年、近所のディスカウントショップで両親にスケートボードを買ってもらう。後に友人がスケートボードのプロギアを使用していたことで「本物のスケートボード」の存在を知る。

1988年、かつて下北沢にあったレコード&スケートボードショップ「バイオレント・グラインド」にて、兼ねてから憧れだった「本物のスケートボード(プロギアのスケートボード)」を手に入れる。又、同店にてHIPHOPやROCKを中心に、そこから派生したメッセージやアート等、世界中に散らばる様々なストリートカルチャーの神髄に触れはじめる。

1989年、米HIPHOPグループのPUBLIC ENEMYの楽曲「FIGHT THE POWER」のPVを観て、今まで社会的に地位の低かった民間人がRAPで民衆の思考と心に気付きを与え先導し、地位を向上させていき、ストリートから社会や世の中を変化させていく影響力を持った姿に、自身人生に夢と希望を感じる。

1991年、スケートボードに情熱を費やし、アマ時代から多くのスポンサーを獲得。同年、プロスケーターとして全日本競技大会に参戦しはじめる。それにより、プロが一向に生計を立てられない当時の日本のスケートボード業界の状況を知り、十代半ばながら業界改革の必要性を強く感じながらもプロ活動を続ける。

1992年、原宿駅周辺でスケートボードをしていた際、某芸能事務所からスカウトを受けるも断る。その後、あることを切っ掛けに、徹底的な肉体改造で精神と忍耐も鍛えはじめ、同時に約10ヶ月半で100冊以上の書籍を熟読することで集中力と理論を磨きはじめる。

1993年、日本のドメスティック・スケートボード・チーム「OWN(ORIGINAL WORLD NETWORK)」に加入。国内スケートチーム初となる全国横断ツアー「OWNツアー」にてメイン・ライダーとして活動。シグネチャーデッキをリリース。

1994年、プロスケーターとして活動を続けながら、本格的にラッパーとしてのキャリアもスタートさせる。当時、RAPをしていたスケーターの仲間でHIPHOPグループ“PHAT SUMMIT”を結成。当時、ストリートカルチャーを唯一発信していた雑誌「月刊Fine」でスケーターモデルとして抜擢され全国区知名度を獲得していく。

1995年、月刊Fineのイベントにて、ゲストライブに呼ばれていた(RINO,TWIGY,YOU THE ROCK,GAMA,DJ YAS)やシャカゾンビの目の前で、彼らのライブ前に突如ステージに上がり、当時、DJ宇治田実氏の弟子をしていたDJ GOにインスト曲をスピンしてもらい、ソロで20分以上もの間フリースタイルRAPを行う。同イベントの帰りに雷のRINOから、当時未発売の日本語ラップ楽曲が詰まった両面120分カセットテープを一本手渡される。更に同年、別のイベントで偶然遭遇したRINO(RINO LATINA II)と連絡先を交換。その後のコミュニケーションからDJ PATRICK(PAT-504)の自宅スタジオ・ミーティングに参加しはじめ、現在の日本語ラップ創世記より活動するユニットに正式に加入。現在の日本語ラップ文化を形成した「日本語ラップ黄金時代」と呼ばれる90年代、全国各地のクラブやライブ会場を駆け巡る日々を続ける。プロスケーターとして、ラッパーとして、全都道府県にて活動を行う。AJSA(全日本スケートボード協会)公認プロ資格を正式に取得。

1996年、今までスポンサーから物品提供のみでまともな資金サポートを受けられなかった日本のスケートボーダーであったが、数年間に渡る試行錯誤の上、日本のスケートボード業界初となるライダー月給制度を自身所属メインカンパニー「コーシン」で成立させる。それにより、同社所属のトップライダー達にも同契約制度が実施。後に同システムが日本のスケートボード業界内企業全体へ常識として浸透していく。

1997年、月刊Fineの読者投票による「全国スケーター人気ランキング」にて男女総合1位を獲得。

1998年、月刊Warpにて、「SK8×HIPHOPの先駆者」として度々紹介される。当時はドメスティックブランドへの偏見も強かったため、日本国内でのプロ活動の限界点は低く、更なる活動向上のため、スケートボード文化発祥の地、アメリカ(主にカリフォルニア州)へと渡米を繰り返しドリームを模索しはじめる。

1999年、米カリフォルニアに本社を構える世界的老舗スケートボードブランド「World Industries」とのインターナショナルライダー契約に成功(海外ブランド正式契約日本人第一号)。

2000年、20世紀最後の12月、「World Industries」との正式契約からシグネチャー・スケートボード・デッキのリリースに成功。月刊Ollieをはじめ、業界専門誌やストリートファッション紙などで歴史的快挙としてクローズアップ。国内業界記録セールスを樹立。

2004年、後に、DJ AMEKEN、DJ MISSIE、D.Oが加わりKAMINARI-KAZOKU.名義にてユニバーサル・ミュージックからフルアルバム「330」をリリース。

2005年、兼ねてから懸念であった日本のスケートボード業界が数十年前から発展していない様々な要因を単独で究明しはじめる。同年からメジャー・マイナー問わず、様々なスポーツやカルチャーへの研究も開始。その過程から歴史にも深い興味を持ち出す。又、日本のスケートボード業界では初めて日本体育協会とコンタクトを取る。ある日、自宅に日本体育協会創立100周年記念リュックが郵送で届き、応援されている気持ちを感じ、日本国社会でスケートボード・カルチャーを安定的に成立させたい気持ちが強烈に強まる。

2006年、アクションスポーツ関連事業団体“GATE JAPAN”設立。ストリートスケートボードの専門家の中でも海外進出を果たした国内トップレベル実績を持つプロスケーターが主催する全国アマ競技大会「GATE Series 2006(全5戦)」を開催(2012年まで7年間開催)。その傍ら、日本のスケートボード関連企業のイベントやチームプロデュース依頼を多数こなし、業界基盤構築と発展に寄与し続けはじめる。又、主催スケートボード競技を中心に総合整備を敢行。競技大会規約制定、競技新レギュレーション構築、新競技制定、オンライン・エントリー・システム構築、ジャッジ採点&集計システム考案、スポーツ保険導入、他、全てを一人で構築。他、指名したアマチュアスケーター2名を「TAMPA AM 2006」に引率。日本のスケートボード競技団体としては初となる正式タンパ参戦枠の獲得に成功する。

2007年、日本のアマチュア・スケートボーダー達に全国サーキット戦「GATE TOUR」は開始。同競技大会を中心に年間合計500以上のライダー活動実績を生成。日本全国の多くのアマチュア・スケートボーダー達に年間シーズンの概念を鮮明に与え、同時にスポンサー企業のロゴをはじめ、関連プロライダーのポートレート写真をフライヤーや多数媒体に露出させ(業界初)、業界競技を本格的にショーアップ。又、日本のヒップホップ業界の中心的アーティスト達の起用やコラボ等を行い、ストリートカルチャー全体にもスケートボード・カルチャーを広く発信し続ける。尚、「GATE TOUR 2007」の年間総合上位5名を「TAMPA AM 2007」に自費引率を行ない、日本人ライダー達に世界トップレベル競技大会の参戦経験を積ませる。

2008年、2008年に法人化“ゲート・インターナショナル株式会社”、代表取締役就任。全国提携14団体、店舗会員として全国で約200店舗を単独で束ねる。

2009年、多数プロスケーターの活動相談、スケートボード団体の運営相談等、業界内現場レベルでのアドバイス依頼が殺到。全て無償で指南し続ける。

2010年、世界的有名なストリートスケートボード競技、RED BULL「MANNY MANIA」を日本初上陸開催をプロデュースし、優勝者をニューヨークで開催された世界代表選手大会へと輩出。有能なプロスケーターに世界競技経験を積ませる。

2011年、日本のスケートボード団体としては初となる、世界的有名ストリートスケートボード競技大会「STREET LEAGUE」の視察。関係者のみ入場可能な大会終了後記者会見も参加。

2012年、2006年より本格的に競技整備を行い、年間サーキット制の全国アマチュア競技大会「GATE TOUR」を7年間開催。日本のストリートスケーターを多角的に総合リサーチした結果、日本のスケートボード業界発展のため競技開催より優先すべき事項が多数浮上。競技開催を休止する。

2013年、スケートボード・カルチャーやヒップホップ・カルチャーの持つクリエイティビティを最大限に活かすことで様々な発展の実現を目的に、写真や動画、音源等のデジタルデータと親和性の高いオンラインビジネス業界の調査を開始。同時に、考案したスケートボードスクールのビジネススキームを用いた社会的商業実績を獲得するため、陸運局届出自動車学校の経営&事業コンサルティングも開始。

2014年、コンサルティングを担当した自動車学校の業績が倍以上となり事業規模拡大に成功。自身考案のスクール事業スキームとネットマーケティング構築スキルが一定の社会的成果を獲得。運転免許という国家資格取得スクール事業にて、自身構築プランの実用性の実証に至る。

2015年、国内のスケートボード協会や愛好会(同好会)、現役プロスケーター数名の総合プロ活動コンサルティングを水面下でスタート。

2016年、スケートボード文化の歴史論文が完成。並びにスケートボードの誕生を形成した近隣&関連文化の歴史研究も完了(旧石器時代まで一部遡る)。独自考案スケートボード・スクール(一般社会並の時給が必ず継続的に発生するスケートボードスクール)の事業スキーム(未執行高度版)完成。ストリートスケートボード・カルチャーの基本構成要素の定義付けが完成。総合カルチャー誌「月刊Warp」20周年特別記念号のスケートボードカルチャー・ページへのメイン出演と総合コーディネート担当。

2017年、2006年から放置していた「日本体育協会公認スポーツリーダー資格」と「日本赤十字社認定救急法救急員資格」を取得(国内プロスケーター初取得者)。独自考案スケートボード疾患対処法教材完成。Youtubeにて動画配信活動を本格的にスタート(開始約8ヶ月でチャンネル登録者数10000人を突破)。

2018年、Youtubeでの動画配信活動約11ヶ月でチャンネル登録者数15000人を突破。


ディスコグラフィ[編集]

2010

○TWIGY, G.K.MARYAN, SIN, RINO LATINA 2, PAT-504, D.O/「2U

2009

○RINO&DJ YAS/「LAMP EYE FLAVA」/「響言」

○PIT GOB/「53」/「HOT DAAAM!!」

2008

○UZI/「NATURAL9」/「WARNNING」

2007

○V.A/「WHITE OUT4」/「THIS IS THE LIFE ミWHITE OUT 4 ver-」

○剣桃太郎/「Xカリバー」/「野良犬」feat,SHINNOSK8,神

○SHINNOSK8/「万川集海 -序編-」/「☆FIRE CHAKA BOMB!!?」feat.MIFFER

2006

○DJ SEN/「SPACE OF OUR MIND」/「THIS IS THE LIFE」

○ ZORRO/「WARAJI」/「PLANET WORK」

○ TWIGY/「TWIG」/「BOMB ON HILLS」

○ GAMA/「エネルギー革命」/「PASS THE LAMP MIC」

○ HAB I SCREAM/「ONE」/「CIRCLE UNION」

○ DEN/「TOKYO千夜一夜物語」/「終わらない夏」

○ D.O/「Just Hustlin' Now」/「BREAK THRU THE RULE」

2005

○ DJ DIGO/「GOLDEN CUTS vol.1」/※HOST MC

○ RINO LATINA II/「TAKI183 TRACKS」/「時間の問題」

○ G.K.MARYAN/「The G.K.M」/「DELUX RELAX」

○ V.A./「MONOHON SQUAD II」/「今夜決定」

○ V.A./「MONOHON SQUAD II」/「バカヤロー」

○ 565/「565FAMILIA」/「極」

○ SHINNOSK8/V.A.「えん突つサンプラーVol.2」/「摩天楼」

○ 加藤ミリヤ/「AT THE FEVER」feat,TWIGY,DEV LARGE,NIPPS,SHINNOSK8

○ G.K MARYAN/V.A.「えん突つサンプラーVol.2」/「DELUX RELAX(V.I.P REMIX)」

○ JPC BAND/「カンゼオン」/「ぬ江戸2番」風の人feat.SHINNOSK8,般若,他

2004

○ 城南ウォーリアーズ/「MICROPHONE最強タッグ」/「Mixed Marshall Arts」

○ 城南ウォーリアーズ/「MICROPHONE最強タッグ」/「最強タッグ(VERSION)」

○ DJ MISSIE&DJ AMEKEN/「雷MIX TAPE」/「DAY TRIPPERS」

○ KAMINARI-KAZOKU./「330 more answer no question」/「SOUL BROTHER」

○ KAMINARI-KAZOKU./「330 more answer no question」/「DEATH DISCO」

○ KAMINARI-KAZOKU./「330 more answer no question」/「ほっこりひょうたん島」

○ KAMINARI-KAZOKU./「330 more answer no question」/「HEAD GRINDER」

○ KAMINARI-KAZOKU./「330 more answer no question」/「RIDE ON TIME」

○ KAMINARI-KAZOKU./「大災」/「DEATH DISCO」

2003

○ JPC BAND/「ぬ」/「NU EDO ROCK ZONE」風の人 feat.SHINNOSK8,般若

○ DJ YUZE/「TOTAL BLUE」/「DOWNTOWN SOUND」feat,ZEEBRA,SHINNOSK8

2002

○ SHINNOSK8/V.A.「えん突つサンプラーVol.1」/CHIMNIGUN」

○ SHINNOSK8/V.A.「ENTOTSUTWODJS'MIXSHOW」/「DELUX RELAX」

○ SHINNOSK8/V.A.「ENTOTSU TWO DJS' MIXSHOW」/「freestyle on T.K.O」

○ SHINNOSK8/V.A.「ENTOTSUTWODJS'MIXSHOW」/※BONUS TRACK

○ DJ AMEKEN/「Slow burnnin' BLUNT 4」/「SHINNOSK8 freestyle」

2001

○ DJ YAS /「Angler Fish」/「∞」

○ G.K.MARYAN/「Keep on Movin' 2」/「DELUX RELAX」feat,SHINNOSK8,D.O

2000

○ 雷/V.A.「TOKYO B-BOY PARK 2000」/「WE ARE THE WILD」(MC38名参加)

○ DJ PAT→504/「ザ・アカイメジェットコースター」/「ザ・アカイメジェットコースター(ORIGINAL version)」

○DJ PAT→504/「ザ・アカイメジェットコースター」/「ザ・アカイメジェットコースター(YAWARA version)

1999

○DJ PAT→504/「MAX PAT BLEND」/「SHINNOSK8 freestyle」

○DJ PAT→504/「MAX PAT BLEND vol.2」/「SHINNOSK8 freestyle」

○ SHINNOSK8/V.A.「熱帯雨林」/「SHINNOSK8 freestyle」

1998

○ GK MARYAN/「ALPAKATINO」/「ALPAKATINO(アナログ バージョン)」

○ 雷/「雷/夜ジェット」/「夜ジェット(アナログ バージョン)」

SKATEBOARD関連、他[編集]

2008

GATE JAPANをGATE INTERNATIONAL株式会社として法人化

2007

団体公認プロ資格制度制定

全国アマチュア大会「GATE TOUR 2008」(全4開催)開催

国内史上最高賞金額「PRO SKATEBOARD JAPAN GP」開催

2006

GATE JAPAN代表就任。

全国アマチュア大会“GATE TOUR”を開始。

JAPAN SKATEBOARD AWARD 2006 第一回 日本スケートボード大賞授賞式を開始

月刊「実話ナックル」にて半生が漫画化

2005

スケートボード振興団体「GATE」コンテストにて総合司会MCを担当

2002

ストリートアパレルブランド「THA BOORIES」をプロデュース

2000

GAME BOY ADVANCE用ソフト「TONY HAWK 'S PRO SKATER2」実名キャラ登場

WORLD INDUSTRIESからシグネチャーDECKリリース

1999

WORLD INDUSTRIES、インターナショナル・ライダー契約

スケートボードデモ・イベント出演。(浅草ROX、2400名動員)

1998

AJSA関東大会Pro Street:3位

1997

AJSA関東大会Pro Street:優勝

AJSA東北大会Pro Street:優勝

AJSA中部東海大会Pro Street:2位

TOKIOのスポーツ番組出演

月刊 OLLIE、「SKATE CHANNNEL」2Pコーナー連載

月刊 GET ON(学研)、スケートボードビデオコラム連載

月刊 SAMURAI 創刊用パイロット版表紙モデル

月刊 S.O.S(ぶんか社)、6PスケートボードHOW TOコーナー連載

月刊 Fine(日ノ出出版)、スケーター人気ランキング総合NO,1を獲得


1995

月刊 Fine(日ノ出出版)スケーター・モデルのキャリアスタート

1994

CASIO G-SHOCK 全国ポスターモデル

1993

SUZUKI「ALTO WORKS」CM

1992

スプライトCM

実業家として[編集]

2002

アパレルブランド「THA BOORIES」を立ち上げ、代表に就任。

2006

スケートボード振興団体、GATE JAPAN代表に就任。

日本各地で全国区スケートボードコンテスト「GATE TOUR」を開始。

JAPAN SKATEBOARD AWARD 2006 -第一回 日本スケートボード大賞授賞式-を開始。

2007

GATE JAPAN公認プロ資格発行制度を開始。

PRO SKATEBOARD JAPAN GRAND PRIX(過去最高賞金総額戦)開催。

2008

GATE JAPANが会社法人化され、株式会社GATE INTERNATIONALに。代表取締役就任。

外部リンク[編集]