New Associationist Movement

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New Associationist Movement(ニュー アソシエーショニスト ムーブメント、略称:NAM)は、2000年柄谷行人の提唱によって結成され、2003年1月に解散した[1]日本発の資本国家への対抗運動である。

提唱者の柄谷本人によると、『共産党宣言』後2年で解散した初代共産党のケースと同じく、解散後は固有名詞ではなくなり、一般名詞(文字通り、”新しいアソシエーショニストの運動”)になったという[2]

原理[編集]

運動は大きな二つの柱からなる。

  1. 内在的運動:『資本論』から柄谷が得た「資本が増殖する際に一度は売る立場に立たなくてはならず、そのとき、消費者としての労働者は主体的に振舞える」という考えに基づき、不買運動ボイコット)を中心とした資本への対抗運動を展開してゆく。
  2. 超出的運動:非資本制企業(協同組合)を創出してゆく。

手法[編集]

  1. 「中心はあってはならないが、なくてはならない」というアンチノミーを乗り越えるために、代表者をくじ引きで決める。
  2. 「貨幣はあってはならないが、なくてはならない」というアンチノミーを乗り越えるために、地域通貨を開発し、メンバー内の各種サービスへの決済手段として用いる。

組織構成[編集]

メンバーは、関心系(協同組合、教育革命史など)、地域系(初期は、東京と大阪)、階層系(初期は、学生と非学生)の三つに属さなくてはいけない。

沿革[編集]

2000年に結成され、2003年1月に解散した。解散理由について柄谷は、「本来この運動はアソシエーションのアソシエーションであり、運動開始に先行して幾つかのアソシエーションが存在していなければならなかったが、NAM自体が個人からなる一つのアソシエーションに過ぎなかった」[3]「ファンクラブを集めてしまった」[4]などと語っている。

2014年9月から2015年3月にかけて4回にわたって、市民セクター政策機構[注釈 1]/インスクリプト[注釈 2]が発行した『社会運動』(no414-417)[要文献特定詳細情報]に柄谷は『NAMを語る』というインタビューを連載した。そこで「NAMをやり始めて、予期しなかったいろいろことが起こりました。振り返ってみれば、NAMは全く準備不足だったと思います。しかし準備に気を使ってばかりいると、いつまでたっても始められない。準備不足であれ、とりあえす実行してしまったということが良かった、と考えています。」[5]と述べている。

評価[編集]

東浩紀は『ゲンロン0』において、「理論的にも実践的にも成功しているとは言い難い。(…)彼(柄谷)が『トランスクリティーク』と同時期にみずから立ち上げたアソシエーションの実践(NAM)も、あっというまに瓦解してしまった。しかし、それでも、国民国家と資本主義の連結(資本制=ネーション=ステート)こそが現代の権力の源であり、したがって、それを解体するためには、その前の構造に、すなわち国家と市場以前の概念に戻らなければならないという彼の直観そのものは正しいように思われる」[6]と述べている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 『近代文学の終り』所収 浅田彰大澤真幸らのシンポジウム[要文献特定詳細情報]
  2. ^ 「第二部第二章」『政治と思想』、[要ページ番号][要文献特定詳細情報]
  3. ^ 『政治と思想』、[要ページ番号][要文献特定詳細情報]
  4. ^ 『近代文学の終り 同上シンポジウム』、[要ページ番号][要文献特定詳細情報]
  5. ^ 『社会運動』no414第2014.9号、 125頁。[要文献特定詳細情報]
  6. ^ 『ゲンロン0』、genron、2017年、 213-214頁。[要文献特定詳細情報]

参考文献[編集]

関連項目[編集]