NERO (シャンソン歌手)

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ネロ
NERO
本名 戸川 尚作
生年月日 (1977-07-23) 1977年7月23日(39歳)
出生地 日本の旗 日本東京都品川区
身長 176 cm
血液型 A型
職業 歌手俳優タレント
ジャンル シャンソンロック舞台
活動期間 1997年 -
活動内容

1997年:ロックシンガーとしてデビュー

2003年:シャンソン歌手へと転身
著名な家族 戸川昌子(母)
公式サイト [1]

NERO(ネロ、1977年7月23日 - )は、日本のシャンソン歌手、アーティスト、俳優、タレント、モデル、プロデューサー。プロデュースオフィス『青い部屋』主宰。東京都出身。母は江戸川乱歩賞作家で歌手の戸川昌子

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1977年東京都品川区で生まれる。母である戸川昌子が、当時芸能界での最高齢出産を記録し話題となる。 出産会見は渋谷ジァン・ジァンでのライブ時におこなわれ、美輪明宏氏となかにし礼氏が同席し、マスコミにコメントを出している[1]。 母は結婚当初より『週末婚』といわれる別居結婚をしており、父親不在の環境で育った。 また、実家の運営していたサロン青い部屋の影響もあり、周りにいる人物はほとんどがおなべおかまであったと語っている。また、幼児期よりシャンソンジャズロックなどの音楽を子守歌として聴いており、文芸雑誌や小説など芸術全般に触れることが多かった。

少年時代[編集]

芸能人の高齢出産で生まれた息子ということで、世間ではその成長に注目が集まった。母が請われるままに、週刊誌などで自身のプライベートな部分を発表していくため、同級生などから奇異な目で観られるようになる。同級生の保護者から「あの子に近づいてはいけない」と言われるようになり、クラスで無視されるようになった。やがて、問題行動を起こすようになり、小学校の途中から学校へはほとんど行かなくなった。 学校に行かなくなってからは、家に引きこもり絵を描いたり文学作品や歴史書などを読みあさるようになる。

ロック時代[編集]

少年時代にロックミュージシャンを志す。ヴォーカル&ギターとしていくつかのバンドを経験した後に、1997年ソロシンガーとしてデビューした。 当時好んで聴いていたアーティストはデビッド・ボウイジョン・レノンドアーズヴェルヴェット・アンダーグラウンドジミ・ヘンドリックスなどの60~70年代のロックサウンドだった。 ソロアーティストとしてメジャーデビューするものの、商業主義的なプロデューサーやディレクターの指示になじめず。「誰の言うことも聞きたくない」と言い、インディーシーンでのバンド活動に没頭するようになる。 幾つかのバンドを作っては解散するなかで、自身の音楽性を模索し続けていた。

青い部屋時代[編集]

戸川昌子の運営するサロン青い部屋が2000年12月にリニューアルすることとなり、クラブ文化やライブカルチャーとの融合を目指したため、プロデューサーとしてその運営に参加するようになる。 シャンソンからサブカルチャー、渋谷系ポップカルチャーまで縦断するそのスタイルは若者たちに熱狂的に受け入れられ、現在では『伝説のハコ』と呼ばれるようになる。 そんな中、自身でプロデュースした『キャバレー青い部屋』はバーレスクスタイルを日本でいち早く取り入れ、毎回熱狂的な盛り上がりをみせるイベントとなり、現在までつづくキャバレームーブメントの発端となる。 その他にも多数のイベントを企画・プロデュースし、青い部屋の一時代を築く。 2010年、従業員の持ち逃げによりハコとしての青い部屋はクローズ。その後NEROを主宰とし、イベントプロデュースオフィスとして青い部屋の看板を引き継いだ。 ハコの形態にこだわることなく、様々な場所での『移動式・青い部屋』をコンセプトに、全国各地でイベントを開催している。

シャンソン時代[編集]

青い部屋時代、様々なイベントなどを企画するうちに、若者たちがシャンソンに感動する姿を目の当たりにし、2006年自らもルーツであるシャンソンを歌うようになる。2011年5月、初のホールコンサートを内幸町ホールにて開催。同年より日本最大級のシャンソンの祭典パリ祭に参加。シャンソン界に現れた超新星、『シャンソン王子』として注目され、テレビ・ラジオをはじめとしたメディアに取り上げられる。それ以来、自身が開催するソロ企画「NERO SOLO WORKS」はすべてソールドアウトするという伝説を打ち立てた。

エピソード[編集]

  • シャンソンを歌い始めた頃、母である戸川昌子に弟子入りしており、母のことを「先生」と呼んでいた。
  • 初期のステージでは衣裳のほとんどが戸川昌子のお下がりであり、数十年前のものであった。
  • 2014年に高熱が続いたことにより病院に行ったところ心臓病が発覚。「一秒後に死んでもおかしくない」と医者に宣告され、そのまま緊急入院。手術を受け一命を取り留める。
  • 心臓手術前後に病室からリアルタイムに発信された、ブログ闘病記ならびに自叙伝「ぼくのママン」が話題となる。
  • 自叙伝「ぼくのママン」の中で、特異な環境の中で育ち、かつて自殺行為を行ったこと、薬物依存に陥ったことなどを告白している。
  • そのイメージとは裏腹に、ネット番組やラジオ出演時にみせるの豪快かつ軽妙な本音トークが話題となり、バラエティー番組に呼ばれるようになる。本人は「早く歌番組に登場したい」とぼやいている。

テレビ出演歴(トーク・バラエティー)[編集]

  • 徹子の部屋(テレビ朝日)
  • アウトデラックス(フジテレビ)
  • 爆報ザ・フライデー(TBS)
  • 5時に夢中!(TOKYO MX)
  • 誰だって波乱爆笑!(日本テレビ)
  • 私のナニがいけないの?(TBS)

ラジオ番組[編集]

  • シャンソン千夜一夜(メインパーソナリティー)

イベントプロデュース[編集]

CDプロデュース[編集]

  • 『LAST CHANCE CABARET』/戸川昌子
  • 『怪奇骨董音楽会』/ROLLY

脚注[編集]

  1. ^ スポーツニッポン 1978年(昭和53年)11月7日の記事より

外部リンク[編集]