ジェームズ・メイン・ディクソン

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ジェームズ・メイン・ディクソン(James Main Dixon、1856年4月20日 - 1933年9月27日)は、スコットランド生まれの英文学者である。1880年から1892年までの12年間、日本で英文学を教えた[1]。指導を受けた有名な日本人の中で斎藤秀三郎夏目漱石などがいる。

生涯[編集]

ペイズリー生まれ。1875年からエディンバラ大学に入学したが2年後退学して、セント・アンドルーズ大学に入学し、1879年に同大学を卒業した。1879年から1886年まで、工部大学校で英語と英文学を教えた。その後6年間、帝国大学文科大学で夏目漱石らを教えた[2][3]

ディクソンの授業を受けた立花政樹の回想記によれば、学生数が少なかったので学生を食事に招き、試験を自宅で行ったこともあった。イギリスの劇団が訪日公演をおこなった時には「是非見ておかなければいけない」と入場料と汽車賃をくれたという。日本の学生向けの教科書や参考書を何冊か出し、当時の日本が必要としていた学習英語の教育に主眼をおいた教師であったと亀井俊介は評価している[4]

日本文化やアイヌ文化に関する研究もいくつか報告している。そのうちアイヌに関わるものとしては、Traveling in Yesso 1, 2 (1881)、A Visit to Poronai (1882) Aino Illustrations (1882), Notes to Illustrations (1882)、The Aino LanguageⅠ,Ⅱ(1882) がある。特に樺太サハリン)から石狩川流域に強制移住させられた樺太アイヌ対雁アイヌ)の生活文化の記録であるThe Tsuishikari Ainos (1882) は貴重である[5]

離日後、アメリカ合衆国に渡り、1892年から1901年の間セントルイス・ワシントン大学で英文学を教え1903年から1904年の間、オレゴン州コロンビア・カレッジの学長を務めた。その後南カリフォルニア大学で英文学を教えた後、東洋研究と比較文学の教授となった[6]

Dictionary of Idiomatic English Phrases (1891)を編纂し、著書にTwentieth Century Life of John Wesley (1902)、"Matthew Arnold," in Modern Poets and Christian Teaching (1906)、A Survey of Scottish Literature in the Nineteenth Century (1907)などがある。

脚注[編集]

  1. ^ 小野文子 (2022-03). “James Main Dixon’s Stay in Japan From 1880 to 1892” (英語). 信州大学教育学部研究論集 (信州大学教育学部) 16: 191-206. doi:10.50928/0002000825. ISSN 2188-5265. https://doi.org/10.50928/0002000825. 
  2. ^ 漱石は『私の個人主義』で「私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません。」とディクソンの教育法を評している。青空文庫
  3. ^ 塚本利明は著書『漱石と英国 留学体験と創作の間』(1999年)の中の「漱石・ロンドン塔・ディクソン」の章で、ディクソンが、宗教、哲学などを含めて学識豊かであったが、体系的でない講義を行ったという証言をひいている。初期の漱石作品には、ディクソンが講義で選んだ素材が影響を与えたと論考している。時としてディクソンは馬に乗り、セント・バーナードをつれて大学にあらわれたとし、『三四郎』に登場する馬に乗る学者のちいさい挿話のもとになっている。
  4. ^ 『英文学者 夏目漱石』 亀井俊介(著)松柏堂 2011年
  5. ^ 阪口諒, ディクソン J. M.「「ツイシカリ・アイノ (対雁アイヌ) 」 : J. M. ディクソン著、1982年、東京」『千葉大学ユーラシア言語文化論集』第21巻、千葉大学ユーラシア言語文化論講座、2019年12月、263-293頁、CRID 1390572175481744384doi:10.20776/s21857148-21-p263ISSN 2185-71482022年6月9日閲覧 
  6. ^ プラダン ゴウランガ チャラン「『方丈記』の受容 ―夏目漱石の『英訳方丈記』をめぐって―」『総研大文化科学研究』第13巻、総合研究大学院大学文化科学研究科、2017年3月、99-111頁、ISSN 1883-096X