GOH HOTODA
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GOH HOTODA(ほとだ ごう、本名:保土田 剛(読み同じ)、1960年 - )は、日本の音楽プロデューサー、ミックスエンジニア。妻はNOKKO。東京都国立市出身[1]。
経歴[編集]
1960年、東京都で生まれる。父親は彫刻家の樋口シン、母親は声楽家。1970年、家族でアメリカに渡り、幼少期をワシントンD.C.で過ごす。中学生時代は東京の祖母の家で暮らす[1]。
1979年に再び渡米し、シカゴのPSスタジオでアルバイトの電話番に始まり、アシスタント・エンジニアとして、数多くのジャズやブルースのレコーディングを経験する。
1980年、数多くのハウス・ミュージックのミックスを手がける。
1985年から1986年にかけて、ロサンゼルス、ニューヨークを旅して、著名な音楽プロデューサーから指導を受ける。
1987年から拠点をニューヨークに移し、多くの楽曲にハウス・ミュージックのミックスを手掛ける。
1991年にマドンナと出会い、シングル『ヴォーグ』、アルバム『エロティカ』、ベストアルバム『ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ』(The Immaculate Collection) のミックスを手掛ける。同年、イギリスに渡り、デペッシュ・モードのアルバム・ミックスを担当する。
その後、ニューヨークに帰った後にも多くの作品のミックスを手掛ける。中でも、チャカ・カーンのアルバム『ウーマン・アイ・アム』(The Woman I Am)はグラミー賞最優秀女性ソロR&Bアルバム賞を受賞する。このアルバムをきっかけに多くのR&Bのアーティストのミックスを手掛けるようになる。
また、ニューヨークで坂本龍一に出会い、YMO再生アルバム『テクノドン』のミックスを担当する。後の東京ドームのコンサートにも4人目のメンバーとして、ステージに立つ。
1998年、宇多田ヒカルのアルバム『First Love』のレコーディング、ミックスを担当する。その後、宇多田の3枚のアルバムのミックス、全国ツアーの音響監督を務める。2004年のUtada名義のアルバム『EXODUS』のミックスも担当する。
1999年、フランス・パリに渡り、アルジェリア人の歌手 FAUDELをプロデュースする。同年にレバノン、エジプトまで活動の範囲を広げ、アラブ系の歌手・アーティストのプロデュースを手掛ける。2001年までニューヨークとフランスで活動する。
2000年、マーカス・ミラーとプロデュースしたデヴィッド・サンボーンのアルバム『Inside』がグラミー賞最優秀コンテンポラリー・ジャズ・パフォーマンス賞を受賞する。
2001年、仕事を通じ10年来の付き合いのあったNOKKOと結婚する。2003年に音楽ユニット「NOKKO and GO」を結成。アルバム『宇宙のコモリウタ』を発表する。
2005年、静岡県熱海市に活動拠点を移し、自宅地下にプライベート・スタジオ「Studio GO and NOKKO」を開設[2]。
脚注[編集]
- ^ a b ”第123回 Goh Hotoda 氏 プロデューサー / ミックス・エンジニア”. musicman-net. (2014年10月6日). 2018年12月31日閲覧。
- ^ ”Creators Workspace #2:Goh Hotoda ? 最新鋭の機材が積極的に導入された世界的エンジニアのプライベート・スタジオ ?”. ICON. (2017年2月14日). 2018年12月30日閲覧。