DOUKI
DOUKI | |
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プロフィール | |
リングネーム | DOUKI |
本名 | 羽山 達哉 |
ニックネーム | ハポネス・デル・マル |
身長 | 170cm[1] |
体重 | 85kg[1] |
誕生日 | 1991年12月24日(33歳)[1] |
出身地 | 神奈川県横浜市[1] |
所属 |
鈴木軍[1] 新日本プロレス |
トレーナー |
ホルヘ・リベラ ウルティモ・ドラゴン |
デビュー | 2010年11月 |
DOUKI(ドウキ、1991年12月24日 - )は、日本の男性プロレスラー。神奈川県横浜市出身。血液型B型[1]。現在は鈴木みのる率いるヒールユニット・鈴木軍の一員。
来歴
デビューから初来日
2010年5月に単身メキシコへ渡る予定だったが、面識あるミラノコレクションA.T.からタイチを紹介され、当時新日本プロレスの選手がメキシコ遠征時に利用していた日本人宿で過ごすことになる。それから毎日CMLLのルチャ教室に通いながらタイチと一緒にジムで練習を積み[2]、同年11月にルチャドール「カンスケ」としてデビュー[3][4]。
2012年から「ペロス・デル・マール」(2008年12月に旗揚げしたルチャリブレの団体)にあがることになった時に「ほかにも日本人レスラーがいるし、キャラを変えていこう」という理由からマスクマンのDOUKIとして活動を開始[5]。日本人部隊ハポネス・デル・マルの一員として活動した。リングネームは山本勘助の出家号「道鬼」に由来する[6]。
メキシコマットでキャリアを積んだのち、2015年10月10日の東京愚連隊興行で日本マット初登場[7]。
2019年3月31日に開催された『タカタイチマニア』へ参戦。「自分を出場させて欲しい」と自らTwitter上で売り込みの行っての参戦となった。同興行では葛西純と対戦し、敗れはしたものの「デスマッチのカリスマ」と称される葛西に対して一歩も引かない流血ファイトを繰り広げ、関係者からの高い評価を得た。
4月にはメキシコ時代のパートナー・MUSASHIの相方としてみちのくプロレスに来日。
新日本プロレス
2019年
5月13日の仙台大会で新日本プロレス初参戦。盟友・エル・デスペラードの負傷に伴い、タイチの推薦を受ける形で同年5月の『BEST OF THE SUPER Jr.26』へエントリー[8]。リーグ戦は1勝8敗という成績に終わったが、荒々しいファイトとスープレックス・デ・ラ・ルナを始めとするオリジナルムーブでインパクトを残した。G1が開催された7~8月は新日のリングに上がらなかったが、9月からはレギュラー参戦している。
2020年
1月14日、後楽園ホールにて行われたJUST TAP OUT『初』の第5試合で、TAKAみちのく&タイチ組とエル・デスペラード&DOUKI組でタイチと初対戦しタイチにラストライドを決められ敗れる(この試合は当初デスペラード&下田美馬組でカードが組まれていたが、恩師であるタイチとどうしても闘いたいというDOUKIの嘆願を下田美馬が快諾し実現した)[9]。
7月31日付けで正式に返上されたNEVER無差別級6人タッグ選手権の新王者組を決定する「第21代NEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメント」が8月6日~8月9日の後楽園ホール4連戦で開催され、DOUKIも鈴木みのるとデスペラードをパートナーに出場したが8月6日のメインイベントで行われたトーナメント1回戦で鷹木信悟&SANADA&BUSHI組に敗れた[10]。
11月15日、愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)から始まったBEST OF THE SUPER Jr.27の出場選手としてシリーズ参戦。
勝ち点は4に留まるも「引き出しの多さ」をファンに印象付ける試合をする。高橋ヒロム曰く「(DOUKIは)なにか一つのキッカケでバコーンと上に行く。正直、差っていうものがなかった」と語る。
2021年
1月4日の第0試合、KOPW2021進出争奪“時間差バトルロイヤル”ニュージャパンランボーに13人目の選手として出場。リングイン直後、鉄パイプでロッキー・ロメロを殴打し、反則裁定により失格となる。
11月13日、後楽園ホールから始まったBEST OF THE SUPER Jr.28の出場選手としてシリーズ参戦。3勝8敗でシリーズを終える。
2022年
3月2日、東京·日本武道館で開幕したNEW JAPAN CUPに2回戦から出場、3月12日の名古屋大会にて行われた2回戦でザック・セイバーJr.を相手に敗北。初戦敗退となった。
5月1日、福岡大会にて金丸義信とタッグを組み、マスター・ワト・田口隆祐の持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦したが、最後は金丸が田口に3カウントを奪われ敗戦。王座奪取とはならなかった。
得意技
日本出身ながらもメキシコでプロレスの基礎を学びキャリアを重ねたため、生粋のルチャリブレスタイル(特にルードスタイル)を得意とする。デスペラード同様、自身のオリジナルムーブはスペイン語で名付けられている。
フィニッシュ・ホールド
- スープレックス・デ・ラ・ルナ
- ホイールバローの体勢で相手を担ぎ上げて一旦静止し、フルネルソンの体勢に移行して後方へ反り投げ、そのままブリッジして固める変型ドラゴン・スープレックス・ホールド。技名はスペイン語で「月のスープレックス」。
- デイブレイク
- エプロンからロープを飛び越えて相手に飛びつき、そのまま脳天からマットに突き刺すスリングショット式変型DDT。技名は「夜明け」の意。
- DOUKIボム
- 場外に立っている相手に放つダイビング・セントーン。高橋ヒロムも同型の技を使用するが、オリジナルはDOUKIである。
- 土遁の術
- ゴリー・スペシャルの体勢で相手を背中に担ぎ上げ、そのままシットダウンしてダメージを与え、さらに開脚したまま前方へ倒れ込んでフォールを奪う変型ゴリー・ボムからの逆さ押さえ込み。
- 変形土遁の術
- ゴリー・スペシャルの体勢で相手を背中に担ぎ上げ、両腕のクラッチを解いて右手で相手の首元を抱え込み、開脚式シットダウンで打ちつける変形土遁の術。逆さ押さえ込みの要素を排除し、背中へのダメージに特化したアレンジ。
- ラ・ランサ
- リング中央で仰向け状態の相手を横から飛び越えてロープに走り、戻ってきたところで勢いよくジャンプして相手の腹部に両足を叩き込むジャンピング・ダブル・フットスタンプ。技名はスペイン語で「槍」の意。
- サハラウィ・スープレックス
- 向かい合った相手を横向きに担ぎ上げ、上半身を捻って旋回させながら右サイドで一旦停止させ、そこから勢いよく後方へ反り投げ、ブリッジで固めてフォールを奪うスイング式の変形ノーザンライト・スープレックス。
- イタリアン・ストレッチ No.32
- 相手の両腕を掴んでグラウンドに移行し、自らの両足でその両腕を挟み込んで極める変型のダブル・アーム・バー。元々はミラノコレクションA.T.の得意技であり、多くのバリエーションが存在するが、DOUKIの場合はこのNo.32を愛用している。
打撃技
飛び技
- スワンダイブ式フットスタンプ
- トペ・スイシーダDDT
- スワンダイブ式DDT
フォール技
- ホルヘ・リベラ・スペシャル
- 正面から相手の右腕を捕らえて押し倒し、右腕を腹部に引っ掛けたまま左腕も捕らえ、体勢を入れ替えながら相手の体を反転させ、両肩をマットに着けた状態で右足を取って固める変形十字固め。師匠ホルヘ・リベラの得意技。
反則技
- 鉄パイプ攻撃
入場曲
- DOLOR [1]
タイトル歴
人物
- 実姉は西口ドアでレフェリーをつとめる阿流。
- メキシコ時代にお世話になったというタイチとYOSHI-HASHI、エル・デスペラードを尊敬している。タイチには練習生になる前から面倒をみてもらったことに感謝を述べている[11]。「人生というものを教えてくださった」としてYOSHI-HASHIを「最も尊敬する人間」と語っている[12]。デスペラードには毎日のように世話になったと話しており、「ルチャ・リブレのどういう点がすごいか」を教わっていたと言う[13]。
- 棚橋弘至とも交流があり、棚橋のブログやTwitterにたびたび登場している[14][15]。
- 長髪の手入れには花王メリットを愛用している[16]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g “DOUKI”. www.njpw.co.jp. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “ミラノ氏からの刺客:新・石狩生活:So-net blog”. ishikari.blog.ss-blog.jp. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “みちのくプロレス・オフィシャルサイト「プロフィール・DOUKI」”. www.michipro.jp. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “驚愕! デスペラード×DOUKIが “メキシコとんでもリング”大放談!(前編)なんと坂の途中! 海辺の砂丘の上に設営!? 現地での“二人の出会い”にも言及!!”. www.njpw.co.jp (2020年7月14日). 2020年8月8日閲覧。
- ^ “「くやしくてアイツのことしか頭に浮かばなかった」“一番の標的”高橋ヒロムの過去に言及! 独特のマスク誕生秘話とは? DOUKIに初の単独インタビュー!(後編)”. www.njpw.co.jp. 2020年9月13日閲覧。
- ^ “知らない人の方が多いだろうがDOUKIという名前は山本勘助の「道鬼」から使わせてもらっている いいデザインだ”. Twitter. (2022年5月12日) 2022年5月13日閲覧。
- ^ “10・10逆上陸! 日本人ルチャドール「DOUKI」とはナニモノか!?【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】”. ぼくらのプロレス (2015年9月7日). 2020年8月8日閲覧。
- ^ “【新日本プロレス】“ベールに包まれた男”DOUKIに初の単独インタビュー!”. スポーツナビ. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “「誰よりもあの人に認めてもらいたい……」敗戦のDOUKIが男泣き!タイチとデスペラードも激しくヒートアップ!【JTO・1.14後楽園結果】”. www.njpw.co.jp. 2020年9月13日閲覧。
- ^ “SUMMER STRUGGLE 2020 – 東京・後楽園ホール 2020/8/6 – 第6試合”. www.njpw.co.jp. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “なにをかくそう俺がメキシコに到着して、一番最初にお世話になった方はタイチさんである。俺が到着したその日にお会いさせていただいた。選手でもなければ練習生でもない、なんの義理もないクソ餓鬼の面倒をみてくださった。本当に感謝しきれない。”. Twitter. (2015年7月13日) 2022年1月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “メキシコに行ったばかりの時のクソ餓鬼だった俺に、人生というものを教えてくださったのは間違いなくYOSHI-HASHIさんだ。YOSHI-HASHIさんとお会いしていなかったら、俺の人生は全く違うものになっていただろう。俺の最も尊敬する人間だ。”. Twitter. (2015年7月18日) 2022年1月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “そしてデスペラードさん。俺はかなり長い期間、住んでいた場所は違ったのに毎日のようにデスペラードさんにお世話になった。俺はデスペラードさんに「ルチャ・リブレのどういう点がすごいか」を本当に教わった。だからデスペラードさんにお会いしていなかったら、これまた俺の人生が違ったわけだ。”. Twitter. (2015年7月13日) 2022年1月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “チャンス焼肉”. Ameba. (2013年8月29日) 2022年1月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “病院でメキシコ🇲🇽で一緒に練習した #DOUKI 選手に会いました。頑張ってるなー。”. Twitter. (2019年3月30日) 2022年1月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)⚠ - ^ “何度も言わせるな メリットしか使ってねぇよ”. Twitter. (2020年8月22日) 2022年7月14日閲覧。
外部リンク
- 新日本プロレス 公式プロフィール
- DOUKI (@DoukiPerros) - X(旧Twitter)