Dレーション

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Dレーション

Dレーション (D-Ration) とは、チョコレートカカオ油脂をベースとして栄養(特にカロリー面)を強化した個人携帯用非常食で、主に第二次大戦中に米軍で使用された特殊レーションである。

概要[編集]

緊急時、早急に空腹感を満たし活動に必要なカロリー摂取を目的とした物で、小型・軽量のスナックバーヌガーバーシリアルバー等)を原型とした、非常用携帯食である。

栄養バランスに富んで食する楽しみをも満足させるCレーションとは異なり、開発段階から高温時の溶出防止に耐熱性が重視され、味覚や食感は考慮されていない。遭難や補給線の分断など通常のレーション供給が不可能な状況時の飢餓による士気低下防止目的に開発され、1932年に開発された緊急用レーションを原型として約110グラムのブロック状の食品が完成し、1938年に制式採用される。

チョコレート・砂糖脱脂粉乳ココアバターオート麦香料を原材料として作られた物で、パラフィン紙・または紙で包まれた上で紙箱に収められる。一食分で熱量約600kcalを有し、平静時成人男子1日当たりの必要熱量1800kcal相当である3個が1日単位として包装される。1日4個の摂食により、活発に活動する成人男子1日当たりの必要熱量2400kcalを充足可能だが、風味の貧弱さから餓死を忌避する程度しか摂食出来なかった。

1940年代、数億個とも喧伝されるほどの過剰生産により第二次大戦中を通じて一般食として支給され、兵員たちの評判は最悪を極め士気にも関わった。1944年に製造を終了し、メニュー豊富で栄養バランスが重視された一般的な屋外配給食であるCレーションや、軽量コンパクトにまとめられ落下傘降下部隊用に開発された特殊レーションの改良型であるKレーションへ代替された。本品の評価は低いが今日のレーションには本品小型版が付属された物もあり、副食として一定の評価がある。

現代では簡便に空腹感を充足させる本品類似の食品も広く市販されている。

歴史[編集]

1937年4月、アメリカ陸軍需品科ポール・ローガン大佐は、米国チョコレートメーカー最大手のハーシー(ザ・ハーシー・カンパニー)にコンタクトを取り、社長ウィリアム・マリーおよび化学部長のサム・ヒンクルに面会した。この提案を聞いた創業者ミルトン・ハーシーは非常に関心を寄せ、レーションDバーの実験生産が始まった。

ローガン大佐は、レーションDバーについて以下の4つの要求を出した。

  1. 重量は4オンス(約110グラム)。
  2. 食品としてエネルギー値が高いこと。
  3. 高温に耐えられること。
  4. 味は、「茹でたジャガイモよりややましな程度」であること。

ローガン大佐はチョコレートを非常用食糧と捉えていたので、嗜好品として気軽に食べられないよう「茹でたジャガイモよりややマシな程度」という味の基準を示したとされる。あまりにも美味であると、普段から兵士が食してしまい、本当に必要な時に手元に残っていないという事態を避ける意味合いがあった。後に風味を改善する努力はされたものの、耐熱性を重視した軍用チョコレートが大きな人気を得ることはなかったという。

最初に納められた少数のサンプル品に満足したアメリカ陸軍は、1937年6月にこのレーションDバーを9万本発注し、フィリピンパナマテキサス州メキシコ国境、その他アメリカ国内各地の基地で実地テストを行った。レーションDバーは発案者の名にちなんで「ローガン・バー」とも呼ばれ、一部は海軍少将リチャード・バードの3回目の南極大陸探検隊の補給品にも加えられた。実地テストは成功し、陸軍はこのチョコレートを不定期ながら発注するようになった。

1941年12月8日日本軍真珠湾攻撃を機に、アメリカ合衆国連邦政府第二次世界大戦宣戦布告すると、命令によってレーションDバーは毒ガスにも耐える包装に変更された。1941年から1945年までの間、軍のさまざまな要求を反映して欠陥が改良され、包装は何度も変更された。

1943年、アメリカ陸軍調達部は、風味を改良しながら高温にも耐えられる菓子タイプのチョコレートは作れないかとハーシーに打診した。ハーシーは短い実験過程の後にハーシーズ・トロピカル・バー (Hershey's Tropical Bar) の生産を始めた。

1940年から1945年の間、推定30億本を越えるレーションDバーとトロピカル・バーが生産され、世界各地のアメリカ軍兵士に配給された。1939年におけるハーシー工場のレーションバー生産能力は1日10万本だったが、大戦終結時には工場の全生産力をレーションバー製造にあて、1週間に2400万本の大量生産が可能になっていた。ハーシーはレーションDバーとトロピカル・バーの生産において質・量の両面で軍の期待を上回ったとして、大戦全期間にわたる貢献に5個の陸海軍E号生産賞を授与されている。

関連項目[編集]