Category‐ノート:一宮

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新一の宮・北海道内の一宮について[編集]

本カテゴリに、全国一の宮会が制定した「新一の宮」の掲載が散見されます(例:岩木山神社北海道神宮等。「新一の宮の一覧」参照)。新一の宮は1つの指標にはなるかもしれませんが、全国一の宮会という非公的な機関の制定で、公式な社格とは言えないのではないでしょうか。また、当然「国司が最初に巡礼する神社」という一宮の定義は満たしませんし、現状では全国一の宮会が独自に定めただけでほとんど知名度は得られておらず、一般に「一宮」と呼ばれる際にはまず出て来ません。これは「北海道内の一宮」についても同様です。これらの掲載は閲覧者の誤解を招くのではないでしょうか。よって、これら(新一の宮・北海道内の一宮)に本カテゴリへのリンクを設けないということを提案いたします。これに関してご意見を頂けたら幸いです。なお、似た議題を「Template‐ノート:神社#新一の宮・北海道内の一宮について」にも提案いたしましたので、そちらもよろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2012年11月9日 (金) 14:35 (UTC)[返信]

一週間待ち異論がありませんでしたので、本カテゴリへのリンクを順次削除して参ります。--Saigen Jiro会話2012年11月17日 (土) 11:12 (UTC)[返信]
北海道神宮は創設時に国(の出先機関である開拓使)から「一宮」であるとされています(出典は『札幌の寺社』p47-48など)。これにより、北海道神宮を一宮に含めることには一定の正統性があります。とは言え、いわゆる律令制による伝統的な一宮とはだいぶ違いますので、ひとまず削除の復帰は行わず、指摘するだけに留めておきます。--零細系統保護協会会話2013年2月4日 (月) 08:30 (UTC)[返信]
-Template‐ノート:神社#新一の宮・北海道内の一宮についてでの議論(冒頭テンプレへの新一の宮の記載に関して)もこちらに移動-
ご意見ありがとうございます。寡聞にしてその情報は存じませんでした。ただ、冒頭テンプレに狭義の一宮と同様に記載することには、やはり個人的に抵抗を感じます。そこで「蝦夷国一宮(近代に制定)」のように一言付記するというのはいかがでしょうか。またカテゴリに関しては、「新一の宮」カテゴリを設けそちらに北海道神宮も記載することにし、江戸以前の一宮とは現状通り別にするということでお願いしたいと思います。以上私見を。--Saigen Jiro会話2013年2月4日 (月) 14:55 (UTC)[返信]
狭義の一宮と同様に記載することには違和感を感じるのは同意です。かといって、「新一宮」ってわけでもないんですよねぇ。ややこしい。これは私の当てずっぽうですけども、きっと当時北海道神宮(というか当時は札幌神社)を一宮と言った人々は王政復古を成し遂げた人々なので、彼らの感覚では律令制の一宮と同じだよっていうつもりだったんでしょう。まあそれはそれとして、札幌神社ができた時の北海道は「蝦夷国」ではなく「北海道」なので、「蝦夷国一宮」じゃなくね?って思うのですが、全国一宮の会が「蝦夷国一宮」って言ってるんですね。と、思ったら全国一宮の会HPでは「北海道一宮」だったりします。--零細系統保護協会会話2013年2月5日 (火) 01:40 (UTC)[返信]
確かに新一の宮ではありませんでしたね。早計でした。ちらっと北海道神宮公式サイト・国史大辞典・世界大百科を確認しましたが、どれも一宮について書いておらず、北海道神社庁の項に「一の宮と称された」と書かれている程度ですね。当方には確認するすべがありませんので、零細系統保護協会さんが提示された出典の方で「公式に指定された」のか「称されていた」だけなのかを再度確認頂きたいと思います。その上で、公式に指定されたのならば、前記の通り冒頭テンプレには「○○一宮(近代に指定)」のように記載する(○○は北海道で良いかと)こととし、カテゴリに関しては一宮に入れるというので良いのではないでしょうか。現状維持で何もしないという結論でも良いとも思いますので、その結論はお任せいたします。--Saigen Jiro会話2013年2月5日 (火) 13:39 (UTC)[返信]
結論としては現状維持で何もしない、で。
出典確認の件ですが、これも結論を先に言うと「称されていた」というほかありませんでした。つまり上で私が「国から一宮といわれたので一定の正統性がある」といったのは勇み足でした。
ひとまず確認した出典です。
  • 「開拓と宗教」熊戸邦夫『札幌の寺社』さっぽろ文庫39,札幌市,1986 46-47ページ
社号を「一の宮」「開拓神・勅祭社」と称した。
『札幌區史』(明治44)を引用して「名付けて一の宮と称す。」
  • 『札幌まつり』さっぽろ文庫68,札幌市,1994 66ページ(当該部分の著者は「開拓と宗教」と同じ)
「古い記録や古老の回顧録」である『高見沢日記』や『十文字文書』を引用して、「明治三年五月十五日・十六日、遷宮ののち竣工となった一宮で祭禮あり~」
『札幌區史』を引用して「円山村民は一宮の仮宮を担斎して円山に移した。」
上記2文献の著者はいずれも日本宗教学会の熊戸邦夫さんという方です。
さっぽろ文庫は、ここで電子文庫として読むことも可能です。(面倒だしそれには及ばずと思いますけども。)
  • 『北海道神社庁誌』北海道神社庁,1999 231ページ
明治3年5月15日、北5条東1丁目に仮宿殿を造営して遷座し「一の宮」「勅祭社」と称された。
時系列を補足しますと、この明治3年に札幌市中心部に設けられた「仮宿殿」はのちの札幌神社(北海道神宮)なのですが、移転して「札幌神社」の名前になるのは明治4年6月のことです。明治3年5月以前は銭函にありました。したがって明治3年5月から明治4年6月までの間は単に「一宮」と呼ばれていたのかもしれません(未検証)。
札幌神社(北海道神宮)は明治天皇の勅(令)によって建てられた官設の神社です。で、出典で言う「称した」り「名付けた」主語は誰かというと、直接的には島義勇です。彼は開拓使の判官の長で、その時点での札幌における最高権力者であり、その上司は開拓使長官であり、その上はたぶん明治天皇なので、「島判官の個人的な思い」とも「官が認めた」とも解釈可能なんだろうと思います。
とは言え、「国が認めた」「公式な」と明確に記述されているわけではないので、これを以って「公式な一の宮」とするのは(Wikipedia的に)正しくないですね。
まあそもそも、「公式な一宮」「国が一の宮を公式に定めた」みたいなことがあるのかというと、一宮記事本文中で詳述されている通り、そんなものはないわけで。それを言うと他の「伝統的な」一宮も同じように「一宮と称されていた」にすぎないわけで、そこを突き詰めるとグダグダしてきそうなのでやめておきます。
一宮に隣接する話として、「勅祭社」に関して、「札幌神社を勅祭社とした」という文もあって、でもいわゆる「勅祭社」には札幌神社は含まれていないのですが、開拓使長官の東久世通禧の当時の日誌に、勅祭社のみに許された装束を下賜されたとか、明治天皇の勅令で建立された神社なので勅祭社として扱われたとか書いてあるそうで、厳密には勅祭社であることと、同じ扱いを受けることとは別なんだろうと思いますが、まあなんかそういう類の話なんじゃないかと思います。
一宮#一宮の一覧では「各国で一宮を名乗り、かつそれが広く認められている神社」という定義で一覧化されていまして、これに則ると札幌神社(北海道神宮)も上記出典をベースに一宮に含めることは論理的には可能なんじゃないかと思います。(今現在、北海道民/日本国民が「ああ、北海道神宮といえば一宮だよねぇ」みたいに「広く認められている」かどうかはさておいて。)
が、個人的にはだからといって北海道神宮と、他の伝統的な一宮を同列に並べるのにはやはり違和感があるというか、常識と乖離していると感じますね。そのうち『札幌神社頓宮沿革史』とか『官幣大社札幌神社志要』みたいなものを眺めてみようと思いますが、なんとなくこれ以上突っ込んだ記述があるような気はしません。(あれば『札幌に寺社』で引用しているでしょうから。)--零細系統保護協会会話2013年2月6日 (水) 05:34 (UTC)[返信]
そもそも「全国一の宮会」ってなんなんですかね。って思いました。Googleで出てくるhttp://www.ichinomiya.gr.jp/ 全国一宮会HPは「全国一の宮巡拝会」って出てくるし、http://ichinomiya-junpai.jp/ 全国一宮巡拝会とはURLが違うのですが、「巡拝会」の沿革を見ると、全国一の宮の会(平成3年~)から平成11年にできて、平成17年に名称変更して「一の宮巡拝会」になっているんですね。で、「全国一宮の会」は平成3年に全国の商工会議所が…、ああ、なんだ、そういうことか。詳しい人が一宮に「全国一の宮の会」についても一節書いてほしいなあ。--零細系統保護協会会話2013年2月6日 (水) 09:02 (UTC)[返信]
現状維持で了解いたしました。詳しい出典を提示して頂き、ありがとうございました。確かに平安時代の慣例と明治時代の呼称を比較すること自体に無理があったかと思いますが、今後その議論が起こった時のためにも良い情報を提示して頂けたと思います。私にとっても、図らずも北海道神宮を学べ、非常に参考になりました。確かに一の宮会についてはどなたかに書いて頂きたいところではありますが、神社系統の編集をなさる方が減ってきてそれもなかなかに難しいですね。今回はご意見を頂きありがとうございました。--Saigen Jiro会話2013年2月6日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
現状維持の結論は変わりないのですが、すっきりしないので、もうちょっと調べてみました。『北海道神宮史』です。北海道神宮が刊行したものですから自主公表された情報源ど真ん中なので、出典として使うのはアレですけども。まあともかく、この中で明確に「仮宮は一ノ宮と呼ばれたがこれは通称であり正式名ではない」とありました。当時の地図に「一ノ御宮」と書いてあるけどもこれも正式名ではない、ほかにも北海道に一ノ宮を作ろうという主旨の当時の文書が現存するけどこれも正式ではない、と否定してありました。まあ「うちは一ノ宮だよ」と主張する方向であれば「検証可能性的にアウト」、ですが、自らすすんで「一ノ宮じゃない」って言ってるんですから、一ノ宮じゃないってことでいいんじゃないですかね。もちろん、全国一ノ宮会の件とか、あるいは近年の観光系の書籍で一ノ宮って書いてあったとして、それを出典としてどうこう言うのであればそれはそれとしてですが。勉強になりました。--零細系統保護協会会話2013年2月7日 (木) 12:01 (UTC)[返信]