CPシステム

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CPS-1から転送)

CPシステム(シーピーシステム)またはカプコン・CPシステム(カプコン・シーピーシステム)とは、1988年に『ロストワールド』とともに出荷されたカプコン開発のアーケードゲーム用基板である。対戦型格闘ゲームを代表するタイトルの『ストリートファイターII』の世界的な大ヒットでこの基板が使用されていたことからも広く普及した。後に登場する後継機のCPシステムIIと区別するためCPシステムIあるいはCPS-1と呼称されることがある。CPSとは「カプコンシステム」の略称であり、当時カプコンの代表取締役社長の辻本憲三(現 株式会社カプコン代表取締役会長CEO)の命名によるものである[1]

このシステムのゲームは、多くの種類の海賊版が作成され、とりわけ『ストリートファイターII'』では多く作成された。この海賊版は日本国内でも少数見られたが、海外では正規版よりも多く設置されている店舗もしばしばみられたようである。この問題はCPシステムIIの登場で解消された。

部品調達難に伴い、2015年3月31日を以って修理サポートが終了した[2]

CPシステムの概要[編集]

CPシステムの特徴
当時リリースされていたシステムボードは、搭載するゲームソフトの交換の際、オペレーター側でゲームソフトウェアを記録したROM ICキットを基板上に用意されたICソケットに挿入して[3]使用する。これに対しCPシステムは、新規タイトルを購入する際に旧タイトルを定額で下取り、またはシステムボード全体をカプコンのサービス部門へ送付し、ソフトウェアの交換依頼を発注する方法を取る。これは当時大容量のROMが高額であり、割高だが消去可能でリサイクル可能なUV-EPROMを大量に搭載することで、最初の導入コストは高いものの、新ソフトに更新する際の費用・原価を抑えることを狙いとしていた。ただし『ストリートファイターII』で大量に基板が生産されてからは下取制度は徐々に終了し、後期は単体基板の販売のみとなっている。
なお、ユーザー側でEP-ROMを複製するだけでは動作しないよう、ゲームごとに異なるセキュリティ基板なども更新することで、デッドコピー(海賊版)の登場を抑止している。
縦長アスペクト比のピクセルにより構築される画面仕様
アーケードゲーム機は現在でもブラウン管を縦にした状態で使用することがあるが、CPシステムは家庭用ゲーム機移植する際を考慮したらしく、横画面で使われることが多かった(実際、縦画面で使用されるソフトは3本のみ)。人間の眼球は横に並んでいることもあり、画面の横方向の情報をより多く認識できる。そこで他社のゲーム基板よりも横方向の画面情報を表示するため、X方向へのピクセル数が多くなるように設計された。結果、ゲームの表示画面を形作るピクセルは縦長のものとなった[要出典]。この仕様はCPシステムIIにも継承されている。

CPシステムの種類[編集]

CPシステムは大きく分けて3種類リリースされた。

CPシステム(システムボード版)[4]
最も多く生産され、広く使われた。上述の通り、カプコンのサービスにて動作させるゲームソフトを変更可能。「CPシステム」とはほとんどの場合これを指す。
後期の基板ではメインCPUの動作速度が10MHzから12MHzに変更され、DIPスイッチなどの部品レイアウトも多少変更された。判別のため基板のコネクタ部分にCPシステム[DASH]とシールが貼られている。
『VARTH』と『アドベンチャークイズ カプコンワールド2』のみプラスチックパッケージに収められている。
CPシステム(Qサウンド版)
ケースにはCPシステム[DASH]と記載があるが、前述の通り12MHz版を意味している可能性もあり正式名称は不明。メインCPUは12MHz。CPシステムIIの発売と前後してリリース。システムボード版と違い動作させるゲームソフトの変更は不可能。音楽演奏および音声再生部はCPシステムIIと同じQサウンドチップセットに変更され、基板の大部分がプラスチックパッケージに収められている。
CPSチェンジャー
一般家庭向けに通信販売された。CPシステム(Qサウンド版)と同じく基板全体がプラスチックパッケージに収められたゲーム基板部、「CPSチェンジャー」と呼ばれる各種インターフェース部、専用ACアダプターにより構成されている。ゲーム基板部は営業使用できず、家庭向け機器として仕様が変更されている。一部CPシステムII向けゲームソフトも移植された[5]。当時ROMカートリッジをメディアとして使用するネオジオを除く家庭向けゲーム機ではハードスペックの違いにより、キャラクターのアニメパターンや画面演出などを細部にいたるまで完全再現することが困難だったが、基本仕様が業務用アーケード基板そのもののCPSチェンジャーでは当然可能だった。しかしリリースされた対応ゲームソフトの少なさと高すぎる定価での販売、および前述の問題点2つが絡み合っての悪循環が起こった上に、当時次世代機と呼ばれたPlayStationセガサターンの登場により市場価値が著しく減少してしまい、出荷数も少ないまま早々にカプコンはこの商品の発売を中止した。宣伝も一部雑誌での小さな広告や、顧客へのダイレクトメールのみという小規模なものであった[6]
カプコン発売のスーパーファミコンジョイスティック「CPSファイター」の在庫処分も目的の一つだったようで、セット販売も行われた。そのためスーパーファミコン用のコントローラが使用できる。このコンバータ部はスーパーファミコンのコネクタをJAMMA端子にコンバートする仕組みなので、基板の物理的形状がコンバータに刺さりさえすればJAMMA仕様のアーケード基板でスーパーファミコンのコントローラを使える。
価格は初回販売時に『ストリートファイターII’』とセットで34,800円、さらにCPSファイターをセットにしたものが39,800円で、当初はこのセットでの販売しかしていなかった。ソフトは統一価格で1本20,000円、2本で38,000円、3本で55,000円。
当初はCPシステム(CPS-1)用ソフトの移植が主だったが、CPシステムII(CPS-2)用の『ストリートファイターZERO』も、当時CPシステムを在庫として社内の倉庫に抱えていたため、CPシステムの再利用販売を目的に共通基板であるCPSチェンジャー専用の目玉ソフトとして発売している[7]
仕様としては映像出力がS端子とコンボジット、音声出力はモノラルのみ、コントローラ端子はスーパーファミコンと同仕様なのでスーパーファミコン用のコントローラーが使用可能。
岡本吉起によると、本来5万枚に上るCPシステムI基板の倉庫在庫を一掃する目的でCPシステムI用で『ストリートファイターZERO』を開発したが、予想以上に出来がよかったため販売直前になって急遽CPシステムII用にコンバートして発売することになり、CPシステムI基板は『ストリートファイターZERO』の売り上げで廃棄処分する予定となった。しかし諸事情により廃棄されなかったため、残ったCPシステムIを少しでも現金化するために企画されたものとされる。状態のいい基板を選んで製品に当てたため出荷できたのは1万枚程度とのこと[8]

『ストリートファイターII』のリリース[編集]

CPシステム初期の各タイトルは、同時期のゲームと比較してグラフィックもゲーム内容も高水準であった。この点のみでも評価できるが、ゲーム自体は従来のアーケードゲームの延長上にあったといえる。CPシステムの真の功績は、この基板で『ストリートファイターII』が開発されたという点にあるだろう。この頃のアーケードゲームは(例外は多々あるが)基本的に一人プレーであり、対戦相手をコンピュータとして、面クリアーやハイスコアの獲得を目的としていた。対戦型格闘ゲーム『ストリートファイターII』の登場により、この構図が人 対 コンピュータから人 対 人へと変化する(詳細は対戦型格闘ゲームを参照)。

仕様[編集]

  • メインCPUモトローラ 68000 @ 10MHz / 12MHz (DASH以降)
  • サウンドCPU:ZiLOG Z80 @ 4MHz
  • サウンドチップ(システムボード版/CPSチェンジャー版):ヤマハ YM2151 @ 3.57958MHz+沖電気 MSM6295 @ 7.576kHz
  • サウンドチップ(Qサウンド版):Qサウンド @ 4MHz
  • 最大色数:4,096色(12ビットRGB)
  • タイル当たりの色数:16色(ピクセル当たり4ビット)
  • スクロール面:3
  • スクロール機能:水平・垂直方向、ラインスクロール
  • 解像度:384×224

作品リスト[編集]

断りが無いものは販売・開発共にカプコン。

日本版リリース時期 タイトル 備考
日本版 海外版
1988年7月 ロストワールド Forgotten Worlds 国内家庭用移植版は海外版のタイトルを流用
1988年12月 大魔界村 Ghouls 'n Ghosts
1989年3月 ストライダー飛竜 Strider
1989年4月 天地を喰らう Dynasty Wars
1989年6月 ウィロー Willow
1989年8月 エリア88 U.N. Squadron
1989年12月 ファイナルファイト Final Fight
1990年2月 1941 1941: Counter Attack 縦画面
1990年4月 戦場の狼II Mercs
1990年6月 チキチキボーイズ Mega Twins
1990年7月 マジックソード Magic Sword: Heroic Fantasy
1990年10月 U.S.NAVY Carrier Air Wing
1990年12月 ニモ Nemo
1991年3月 ストリートファイターII Street Fighter II: The World Warrior
1991年7月 ワンダー3 Three Wonders
1991年9月 ザ・キングオブドラゴンズ The King of Dragons
1991年11月 キャプテンコマンドー Captain Commando
1992年1月 ナイツ オブ ザ ラウンド Knights of the Round
1992年4月 ストリートファイターIIダッシュ Street Fighter II': Champion Edition
1992年7月 バース -オペレーションサンダーストーム- Varth: Operation Thunderstorm 縦画面
1992年9月 アドベンチャークイズカプコンワールド2 Capcom World 2: Adventure Quiz
1992年11月 天地を喰らうII 赤壁の戦い Warriors of Fate(米国版など)
三國誌II(アジア版)
Qサウンド版
1992年12月 ストリートファイターIIダッシュターボ Street Fighter II' Turbo: Hyper Fighting
1993年4月 キャディラックス 恐竜新世紀 Cadillacs and Dinosaurs Qサウンド版
1993年5月 パニッシャー The Punisher
1993年7月 マッスルボマー Saturday Night Slam Masters
1993年12月 マッスルボマーDUO Muscle Bomber Duo: Ultimate Team Battle
1994年6月 ぷにっきいず Pnickies コンパイルのライセンス表示あり
1994年9月 クイズ&ドラゴンズ Quiz & Dragons: Capcom Quiz Game 米国版は1992年リリース
1995年1月 クイズ 殿様の野望2 全国版 Quiz Tonosama no Yabō 2: Zenkoku-ban
1995年6月 パン!3 -怪盗たちの華麗な午後 Pang! 3 販売・開発:ミッチェル
1995年10月 ロックマン・ザ・パワーバトル Mega Man: The Power Battle

その他、カプコンが自社でリリースしたキッズ系メダルゲーム『がんばれ!マリン君』や乗り物筐体『ポコニャン!バルーン』にもCPシステムが使用されている。また1994年に当社とトーゴシグマのトリプルネームで発売されたモグラ叩きゲーム『拳聖土竜』(けんせいもぐら)のビデオ部分にCPシステムが用いられている。

トピック[編集]

CPシステム第1弾として登場した『ロストワールド』は、独特でインパクトのあるローリングスイッチを備えていたが、このローリングスイッチをCPシステムと呼ぶと誤って解釈した人がいたらしい。

当時カプコンで開発の中心にいた岡本吉起(現 株式会社オカキチ代表取締役社長)と西谷亮(現 株式会社アリカ代表取締役社長)の対談によると、CPシステムは世間的にはたくさん売れていたことから凄いハードだと思われていたかもしれないが、作っている自分たちからすれば、当時の他社のハードと比較して「ぶっちゃけ当時で最低ライン」「下の中くらい…かな?」「回転も縮小も無い何年も型落ちしたハード」だったと振り返っている。

このような環境下であったものの、開発側はだからこそ工夫してなんとかしてやろう、どう見せたら他の会社に追いつくか?を指標に試行錯誤し、西谷は「無い物をいかに見栄えを良くするかというのがもの凄い勉強になった」とコメントし、岡本も当時現場では「竹槍でB-29を落とす」と比喩していたが、後にヒット作品を多く輩出したことから「バンバン落ちてたよな?」「努力でB-29に届くぞ」と当時を振り返っている[9]

脚注[編集]

  1. ^ 世界の岡本吉起Chチャンネル 【ゲーム業界】最も影響を受けた経営者・カプコン会長「辻本憲三」さんについてお話します(前編)
  2. ^ 弊社基板製品保守サービス業務終了のご案内 カプコン 2014年9月
  3. ^ 実際は基板をソフト込みで購入するので、ROM ICキットは交換する。
  4. ^ 下記の通り、純粋にシステムボードと呼べるCPシステムはこれのみである。
  5. ^ 『ストリートファイターZERO』がこれに該当するが、CPSチェンジャー版(プロテクトなし)とCPS2版でほぼプログラムが同一だったため、CPS2の暗号が突破されるきっかけを作ってしまった。
  6. ^ どうやらカプコン内の家庭用ゲーム機を扱う部署ではなく、業務用アーケードゲーム機を扱う部署が担当したらしい。家庭用ゲーム機の企画、開発ノウハウが乏しいまま、この商品プロジェクトは見切り発車させられた可能性は否定できない。[要検証]
  7. ^ 当時、カプコンのゲームセンター向け基板はCPS-1とCPS-2の移行期間にあたり、音楽を担当していた小野義徳はCPS-2からCPS-1へと性能の異なる基板向けに仕様を変更させるなどの修羅場を経験したと語っている。
  8. ^ (日本語) ほぼ流通しなかった希少なカプコンの家庭用アーケードゲーム基板『CPSチェンジャー』を語る, https://www.youtube.com/watch?v=G6qynDPmJyw 2023年6月18日閲覧。 
  9. ^ 世界の岡本吉起Chチャンネル 【コラボ企画】ストⅡ開発レジェンドを集めて新作ゲーム制作決定?!【西谷亮社長(株式会社アリカ)対談】

関連項目[編集]