BOACスチュワーデス殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

BOACスチュワーデス殺人事件(ビーオーエーシースチュワーデスさつじんじけん)は、1959年昭和34年)、英国海外航空(BOAC、現ブリティッシュ・エアウェイズ)の日本人女性客室乗務員(スチュワーデス)が扼殺され、遺体となって東京都杉並区で発見された事件。

犯人特定・犯人逮捕には至らないまま、1974年(昭和49年)3月10日に公訴時効が成立、未解決事件となった。

概要[編集]

1959年(昭和34年)3月10日、東京都杉並区の善福寺川大宮八幡宮近くの宮下橋)で、BOAC航空(現ブリティッシュ・エアウェイズ)の日本人女性客室乗務員(当時27歳)が扼殺死体で発見された。

被害者の交友関係から、カソリック杉並ドンボスコ修道院の会計主任でベルメルシュ・ルイズ神父ベルギー人、当時38歳)が捜査線上に浮かんだ。弁護人バチカン大使館一等書記官の立会いのもとでの5日間に渡る事情聴取が行われたが進展がなく、6月11日、神父は病気療養のため、正規の出国手続を経てベルギーに帰国した。

出国の許可に当たっては、警察は正規の出国手続きが取られていたことを把握していながら、外交的な措置を求めるだけの証拠を提示できず、神父の出国が許される結果となった。この問題は国会でもとりあげられた[1]。 事件は解決のめどの立たないまま、1974年(昭和49年)3月10日公訴時効を迎えた。

謀略説[編集]

被害者は前年の12月、BOAC航空がコメット旅客機航路の開始に際して、初めてスチュワーデスに採用した日本人女性のうちの1人だった。そして、この事件の前後にBOAC航空の他のスチュワーデスが金や麻薬などの密輸に関わった事件が発覚している。国際的・組織的な密輸ルートに関わる謀略事件ではないか、という説もある[2]

著名作家の見解[編集]

  • 三浦朱門は、「もし当の神父が事件に無関係なら、なぜ積極的に警察に協力しないのだろう」と述べた[3]
  • 遠藤周作は、「(マスコミは)あたかも彼が真犯人であるかのごとく、その写真を掲載したりその名を発表した。一種の人権蹂躙」、「突然の帰国は一般の日本人の根のない疑惑をさらにふかめる原因となった」と述べた[4]
  • 田中澄江は5月27日に神父を見舞い、被害者の立場にたった現在の心境をのべてもらった。「流暢な日本語である。…事実を曲げた猥雑なペンの暴力にもめげず、澄んできれいな目の色であった」「警察が、調べる義務があると言えば、幾度でも出頭して、殺人者と見ようとする疑問に答えなければならない」と著わした[5]
  • 松本清張は、この事件に関し『スチュワーデス殺し論』(ノンフィクション)を婦人公論に著し[6]、事件をモデルに小説『黒い福音』を執筆した。1984年には清張が代表を務める「霧プロダクション」が、増村保造監督・新藤兼人脚本でテレビドラマ化した(現在はDVD化されている)。また、捜査を担当した平塚八兵衛が退職した1975年、彼の捜査した事件の解説記事が「毎日新聞」「産経新聞」に連載された[7][8]。後年にも井出孫六が取り上げた[9]

映画化[編集]

  • 「殺されたスチュワーデス 白か黒か」(大映[10]

フィクションと断ってのストーリーであったが、カトリック教会からの批判などで公開が短期に終わった[11]

関連書籍[編集]

大橋義輝 『消えた神父を追え! BOACスチュワーデス殺人事件の謎を解く』(2014年8月、共栄書房)

脚注[編集]

  1. ^ 衆院法務委員会 昭和34年6月18日
  2. ^ 「スチュワーデス殺害事件とカトリックの謀略」(「創」1982年1月)
  3. ^ 『神父論―― 一シンパからの苦情』婦人公論1959年7月pp82-85、現代日本キリスト教文学全集18巻(1974)pp127-132
  4. ^ 『世界』1959年8月pp171
  5. ^ 『ベルメルシ神父様との四十五分』婦人公論1959年7月pp86-89
  6. ^ 松本清張全集13巻pp459-476、中公文庫『黒い手帖』
  7. ^ 比留間 英一『八兵衛捕物帖』毎日新聞社、旺文社文庫 ISBN 4010642106
  8. ^ 7. 佐々木 嘉信『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』新潮文庫ISBN 4101151717
  9. ^ 『迷宮入りしたBOACスチュワーデス殺人事件』エコノミスト(1986/8/26)pp116-121、『その時この人がいた』毎日新聞社、ちくま文庫
  10. ^ 殺されたスチュワーデス 白か黒か Movie Walker
  11. ^ 神戸映画資料館

関連項目[編集]