AN/UYK-7

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AN/UYK-7は、UNIVAC(後のユニシス)がアメリカ海軍向けに開発したコンピュータ[1][2]メインフレームにあたる大型機であり、海軍戦術情報システム(NTDS)のほか、後にはイージスシステム(AWS)などでも用いられた[3]。また航空機に搭載するためのAN/AYK-10も派生した[4]

概要[編集]

海軍戦術情報システム(NTDS)では、当初は戦術情報処理装置用コンピュータとしてCP-642が用いられており、後に導入された改良型の-642Bを含めて、いずれも30ビットプロセッサを採用していた[2]1966年、艦船局 (BuShipsのNTDSプロジェクト・オフィスにおいて、ポール・ホスキンスとドン・リームは32ビットの新しいコンピュータの仕様書を作成した[3]1968年1月、BuShipsから改称された海軍艦船システム・コマンド(NAVSHIPS)は、UNIVACに対して、この仕様書に基づくプロトタイプの製作を発注した[3]

命令のレパートリーは、CP-642Bでは62個だったのに対して本機では131個となり、命令の汎用性が大幅に向上した[3]。またマルチプロセッサ構成にも対応している[1]。一方、この時期には既に半導体メモリが登場していたものの、軍用機器として、予期しない停電に備えて不揮発性が要求されたことから、主記憶装置としては磁気コアメモリが採用された[3]。ただし本機の磁気コアメモリはサイクルタイムを1.5マイクロ秒に短縮しており、CP-642Bに対して2.5倍の速度差があった[3]。メモリサイズは最小構成では48キロワードだが、最大262キロワードまで拡張可能であった[1]。標準的な筐体は高さ1.04メートル×幅0.50メートル×奥行き0.57メートルで[1]、容積にしてCP-642Bの約1/4となっているが、これは集積回路(IC)技術の恩恵であった[3]。ただし、本機を補完するミニコンピュータとして開発されたAN/UYK-20と比べると、IC化は過渡期的なレベルに留まっており[5]、UYK-20は本機の初期モデルより高性能ですらあった[1]。1981年3月の時点での平均故障間隔(MTBF)は、CP-642は4,128時間、AN/UYK-20は12,096時間だったのに対し、本機は2,528時間であった[3]

試作機は1969年4月に引き渡されて試験に供されたのち、1970年後半より量産機の納入が開始された[3]1971年にはAN/UYK-7とそのプログラミング言語であるCMS-2Y英語版が海軍の標準規格として採択され、1974年1月までに、NTDSに加えて32個の海軍の開発計画においてAN/UYK-7コンピュータが使用されていた[3]。その後、1983年から後継機であるAN/UYK-43の引き渡しが開始されると、以後に開発されたシステムではこちらが用いられるようになり、順次に代替されていった[1]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f Friedman 1997, pp. 56–58.
  2. ^ a b 海人社 2002.
  3. ^ a b c d e f g h i j Boslaugh 2021.
  4. ^ Boslaugh 2003, Figure 9.2.
  5. ^ Friedman 1997, pp. 45–48.

参考文献[編集]

  • Boslaugh, David L. (2003). When Computers Went to Sea: The Digitization of the United States Navy. Wiley-IEEE Computer Society Press. ISBN 978-0471472209 
  • Boslaugh, David L. (2021年). “First-Hand:Legacy of NTDS - Chapter 9 of the Story of the Naval Tactical Data System” (英語). Engineering and Technology History Wiki. 2022年1月15日閲覧。
  • Friedman, Norman (1997). The Naval Institute Guide to World Naval Weapons Systems 1997-1998. Naval Institute Press. ISBN 978-1557502681 
  • 海人社(編)「艦載コンピュータの現況と将来 (特集 システム艦隊)」『世界の艦船』第594号、海人社、2002年4月、86-89頁、NAID 40002156293