首里

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首里
しゅり
日章旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
自治体 那覇市
旧自治体 首里市
世帯数
24,685世帯
総人口
57,133
住民基本台帳、2020年5月31日現在)
隣接地区 市内:那覇市真和志
市外:浦添市西原町南風原町
那覇市役所首里支所
北緯26度13分18.17秒 東経127度43分31.07秒 / 北緯26.2217139度 東経127.7252972度 / 26.2217139; 127.7252972座標: 北緯26度13分18.17秒 東経127度43分31.07秒 / 北緯26.2217139度 東経127.7252972度 / 26.2217139; 127.7252972
所在地 〒903-0807
沖縄県那覇市首里久場川町2丁目18番地9
首里の位置(南西諸島内)
首里
首里
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首里(しゅり、沖縄語: スイ[1][2])は沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。また、さらに以前は首里城を中心とする琉球王国の王都として栄えた。

本項では首里市、同市の市制前の名称である首里区(しゅりく)についても述べる。

地理

首里城から海を望む

隆起石灰岩を基礎とする高台となっており、最高地点は弁ヶ嶽(165.6m)である。サンゴを成因とする石灰岩は雨水の透水性が高く、沖縄本島干害に悩まされてきたが、首里一帯ではその下に地下水を通しにくい泥岩層がある。このため那覇市で約120ヵ所ある湧水井戸の多くが首里に所在し、こうした水の便が王都が築かれた理由の一つと推測されている。また、泡盛の名産地となっている[3]。(後述)。

地勢

海抜100メートル程度の高台となる立地を活かし、NTTドコモの首里収容局[4]エフエム沖縄新川放送所、移動無線中継局[5]などの無線送信・中継の拠点がある。なお、かつては崎山町に沖縄テレビラジオ沖縄の放送所もあった。

2006年6月12日、首里鳥堀町で大雨による大規模な地盤沈下が発生し、上部にあったマンション敷地に陥没が生じ、居住不能となった[6]

  • 高地:虎頭山、ハンタン山(~上の毛、現・首里城内)、弁ヶ岳(那覇市最高点:165.6m)、御殿山
  • 河川:真嘉比川(→安里川)、安里川、安謝川
弁ヶ嶽から撮影した首里市街のパノラマ写真

歴史

首里城正殿
大正期の首里三箇
昭和戦前期の首里市営バス
  • 三山時代頃 - 現在の首里城付近の高台に城が築かれる。
    • (当初の城域は、現・首里城内の「京の内」と呼ばれる範囲だったとされる。)
  • 1406年 - 南山の佐敷按司尚巴志が中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、中山国の首都を北の浦添から首里に遷都するとともに、首里城を王城とする。
  • 1429年 - 中山王尚巴志が南山王他魯毎を滅ぼして三山を統一し、首里は琉球王国の首都となる。
  • 尚巴志王代 - 首里城を拡充整備した。
    • (拡充後の城域は、現在の城の内郭部分に相当)
  • 尚金福王代 - 那覇と首里を結ぶ長虹堤を建設。
  • 尚真王代 - 首里城を拡張整備し、ほぼ現在の大きさとする。国内の諸按司を首里に集居させる。
  • 1872年 - 琉球藩設置。(第一次琉球処分)日本が琉球国王尚泰を琉球藩王に封じる。
  • 1879年 - 廃藩置県により沖縄県が設置される(第二次琉球処分)。県庁が置かれる予定であったが、旧軍が駐屯していたため敷地がなく、行政の中心は首里から那覇に移った。
  • 1880年 - 現在の首里高校の前身となる首里中学校(後の沖縄県立第一中学校)が開校。
  • 1896年4月1日 - 郡区制が施行され、首里区となる。
  • 1906年 - 西原間切の平良村・石嶺村と南風原間切の新川村の一部を編入(明治39年10月1日)。
  • 1921年5月20日 - 市制施行前に首里区に西原村の内石嶺・末吉を編入。5月20日に市制が施行され、首里市となる。
  • 1945年 - 4月から6月にかけての沖縄戦で、日本陸軍の司令部地下壕が置かれ[3]、国宝の首里城が破壊される。
  • 1950年 - 首里城跡に琉球大学が開学。
  • 1954年9月1日 - 首里市が小禄村とともに那覇市と合併する。
    • 合併時には「古都・首里の名が消えてしまってよいのか」という意見が少なからずあったため、これら住民の意を汲んで、旧首里市域では合併後も町名に「首里」を冠することになった。(下記参照)
    • この時、真和志市(前年10月まで真和志村)が合併に応じなかったため旧首里市は那覇市の飛地となった。この状態は真和志市が那覇市と合併する1957年末まで続いた。
  • 1957年 - 沖縄キリスト教短期大学が開学。
  • 1958年 - 守礼門が復元される。以来、首里城正殿が復元するまで県の象徴的な建築物となる。
  • 1974年 - 旧首里市時代は市営バスだった「首里バス」が那覇交通(現・那覇バス)に吸収合併。
  • 1979年 - 首里城跡にあった琉球大学が西原町千原に移転。
  • 1986年 - 首里城跡の近くに沖縄県立芸術大学開学。
  • 1987年10月 - 沖縄自動車道那覇インターチェンジまで開通。那覇市内から名護までの所要時間は従来の半分以下となる1時間余りに。
  • 1989年 - 沖縄キリスト教短期大学が西原町へ移転。
  • 1992年11月 - 首里城正殿が復元され、守礼門に代わって県の象徴的な建築物となる。
  • 2000年12月 - 首里城とその周辺一帯が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録される。
  • 2003年8月10日 - 首里と那覇市中心街、那覇空港を結ぶ沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開業。

首里城を中心として政治都市として形成され、かつては那覇四町に対し「首里三平等(みひら)」と称された。首里の三平等は、の連合組織となる真和志の平等(ひら)、南風の平等、西の平等の三つを指し、真和志、道端、鳥小堀、赤平など約20の町が含まれていた。

首里市

首里市
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 編入合併
首里市那覇市
現在の自治体 那覇市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
面積 6.7km2.
総人口 20,014
(昭和25年国勢調査、1950年)
隣接自治体 真和志市浦添村
西原村南風原村
首里市役所
所在地 沖縄県首里市大中町
座標 北緯26度13分16秒 東経127度43分3秒 / 北緯26.22111度 東経127.71750度 / 26.22111; 127.71750
特記事項 廃止当時は琉球政府アメリカ軍施政権下)。合併後、1957年12月17日まで飛地だった。
旧市役所は中城御殿跡に存在し、合併後に首里支所、首里バス会社として一時利用された後、1966年に琉球政府立博物館(旧沖縄県立博物館)が建設された。
ウィキプロジェクト

首里市(しゅりし)は、かつて存在した日本。1954年9月1日、那覇市への編入合併により消滅した。

首里市の歴史

首里市に隣接していた自治体

浦添村西原村真和志村(1953年市制施行)・南風原村

首里市の行政

歴代区長
  1. 齋藤用之助
  2. 朝武士干城
  3. 知花朝章
歴代市長
  1. 高嶺朝教
  2. 仲吉朝助
  3. 久高友輔
  4. 太田朝敷
  5. 高安玉兎
  6. 伊豆見元永
  7. 仲吉良光

地域を構成する町

町の成り立ちと変遷[7]
地域 区分 地名の旧称 現在の町名
首里
スイ
真和志之平等
マーシヌフィラ
眞和志(マーシ)村 首里真和志町(まわしちょう)
町端(マチバタ)村 首里池端町(いけはたちょう)
山川(ヤマガー)村 首里山川町(やまがわちょう)
大飩川(ウドゥニガー)村
与那覇堂(ユナファドー)村
金城(カナグシク)村 首里金城町(きんじょうちょう)
内金城(ウチカナグシク)村
寒水川(スンガー)村 首里寒川町(さむかわちょう)
立岸(タチヂシ)村
南風之平等
フェーヌフィラ
桃原(トーバル)村 首里桃原町(とうばるちょう)
大中(ウフチュン)村 首里大中町(おおなかちょう)
當之藏(トーヌクラ)村 首里当藏町(とうのくらちょう)
鳥小堀(トゥンジュムイ)村 *1 首里鳥堀町(とりほりちょう)
赤田(アカタ)村 *1 首里赤田町(あかたちょう)
崎山(サチヤマ)村 *1 首里崎山町(さきやまちょう)
西之平等
ニシヌフィラ
赤平(アカヒラ)村 首里赤平町(あかひらちょう)
上儀保(ウィージーブ)村 首里儀保町(ぎぼちょう)
下儀保(シムジーブ)村
汀志良次(ティシラジ)村 首里汀良町(てらちょう)
久場川(クバガー)村 首里久場川町(くばがわちょう)
西原間切 *2
ニシハラマジリ
平良(テーラ)村 *2 首里平良町(たいらちょう)
大名(ウフナ)村 *2 首里大名町(おおなちょう)
末吉(シーシ)村 *2 首里末吉町(すえよしちょう)
石嶺(イシンミ)村 *2 首里石嶺町(いしみねちょう)
*1 これらの地域は特に三箇(さんか)と呼ばれ、首里の中でも気性や言葉遣いの勇ましさで知られる。また琉球王朝時代に泡盛の製造を許可された地域でもある
*2 これらの地域は明治の末頃、首里区へと編入された。

行政

旧・那覇市役所首里支所
  • 那覇市役所首里支所
    • 所在地:〒903-0807 沖縄県那覇市首里久場川町2丁目18番地9(2010年12月6日より)
    • 旧支所所在地:〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町2-10(2010年12月3日まで)

教育

沖縄県立芸術大学

以下に挙げる学校が地域内にある。このほか、予備校や学習塾も多く立地している。

文化

かつては王都として栄えたため、那覇市の一部となった21世紀現在も住民は自らを首里人(シュリンチュ、スリンチュ)とし、那覇人(ナーファンチュ)と混同される事を嫌う場合がある[8]。また、現代の那覇市内では必ずしも生活に便利な立地とは言えないものの、首里に居を構えることは一つのステータスであるともいう[8]

産業

首里で最も面積の広い石嶺地区では、近年まで住宅地の中に点々と畑がみられ、近郊農業が行われていたが、次第に宅地化の波に呑まれ最近では少なくなりつつある。

近年は住宅地が主となっており、那覇市中心部のベッドタウンとなっている。首里城をはじめとする歴史的遺産が多く立地しており、沖縄県の観光産業に大きく貢献している。

近代的な製造業などについて特筆すべき点はないが、王府が置かれた歴史的な背景から、紅型首里花織といった伝統工芸の作業場が散在する。また、三箇は王国時代より戦前まで泡盛の一大生産地となっていた。これらの多くは第二次世界大戦沖縄戦)後、県内各地に分散したが、現在でも瑞穂酒造、瑞泉酒造崎元酒造所、識名酒造が立地している。

交通

ゆいレール 首里駅

鉄道

地域内には2003年に営業を開始した沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の儀保駅首里駅石嶺駅が設けられている。首里駅は2003年の開業時点ではモノレールの北東の終点であり、所要時間は県庁前駅まで14 - 15分、南西の終点である那覇空港駅まで27分程度となっている[9]。2019年10月に首里駅から浦添市のてだこ浦西駅まで延伸され、途中駅として石嶺駅が開業した。

道路

主要地方道
その他の県道

路線バス

  • 1番:首里牧志線(那覇バス市内線)
  • 7番:首里城下町(久茂地)線(沖縄バス
  • 8番:首里城下町(おもろまち)線(沖縄バス)
  • 9番:小禄石嶺線(那覇バス市内線)
  • 11番:安岡宇栄原線(那覇バス市内線)
  • 13番:石嶺おもろまち線(那覇バス市内線)
  • 14番:牧志開南循環線(那覇バス市内線)
  • 15番:寒川線(那覇バス市内線)
  • 16番:新川首里駅線(那覇バス市内線)
  • 17番:石嶺(開南)線(那覇バス市内線)
  • 18番:首里駅線(沖縄バス市内線)
  • 25番:那覇普天間線(那覇バス)
  • 94番:首里駅琉大快速線(那覇バス)
  • 97番:琉大(首里)線(那覇バス)
  • 125番:普天間空港線(那覇バス)
  • 191番:城間(一日橋)線(東陽バス
  • 333番:那覇西原(末吉)線(那覇バス)
  • 346番:那覇西原(鳥堀)線(那覇バス)
那覇ICから高速道路を経由する路線
  • 111番・高速バス(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バス4社共同運行)
  • 113番・具志川空港線(琉球バス交通)
  • 117番・高速バス(美ら海直行)(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス3社共同運行)
  • 123番・石川空港線(琉球バス交通)
  • 127番・屋慶名(高速)線(沖縄バス)
  • 152番・イオンモール沖縄ライカム(高速)線(琉球バス交通)

かつて存在した交通機関

名所・旧跡・祭事・催事

金城町石畳道

首里城近辺は名所旧跡が特に多い。

名所・旧跡
琉球王朝時代の1807年に親雲上(ぺーちん)の寄付で作った共同井戸。那覇市指定文化財。ヘリテージング100選に「樋川(ヒージャー)群(仲村渠樋川・垣花樋川・宝口樋川など)」として選定されている。首里儀保町4丁目。
祭事・催事
首里赤田町で行われている祭礼。昭和初期に途絶えたが、1994年に復興された。祭礼中子どもたちが歌う「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」という囃子唄は沖縄民謡を代表する曲。

出身著名人

*川平 慈英 (俳優)

関連項目

脚注

  1. ^ 語彙詳細 -- 首里・那覇方言、琉球語音声データベース、琉球大学沖縄言語研究センター、2012年10月14日閲覧。
  2. ^ ただし、現在の首里・那覇方言ではスとシュの発音に揺れがある(首里・那覇方言のかな表記について、琉球語音声データベース、琉球大学沖縄言語研究センター、2012年10月14日閲覧)。
  3. ^ a b 首里 奥深き都市空間日本経済新聞』日曜朝刊「NIKKEI The STYLE」2020年9月6日(9-11面)2020年9月23日閲覧
  4. ^ かつては琉球電信電話公社(のち、日本電信電話公社(電電公社)を経て日本電信電話(NTT))の首里マイクロ波中継所があった。
  5. ^ エフエム沖縄放送所および移動無線中継局の所在地は南風原町新川だが、首里と一続きとなった丘にある。
  6. ^ 首里鳥掘のマンション地滑り 設計側の賠償確定 | 沖縄タイムス+プラス ニュース”. 沖縄タイムス+プラス. 2020年11月14日閲覧。
  7. ^ 首里古地図(東恩納寛惇文庫蔵) - 沖縄県立図書館(収蔵資料)
  8. ^ a b 都会生活研究プロジェクト 沖縄チーム、2009、『沖縄ルール リアル沖縄人になるための49のルール』、中経出版 pp. 78
  9. ^ ご利用案内 - 駅間距離”. 沖縄都市モノレール「ゆいレール」. 2011年7月30日閲覧。

外部リンク