長尾顕方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による 2018年1月22日 (月) 13:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
長尾顕方
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:孫五郎
官位 尾張守
主君 上杉顕定顕実憲房
氏族 総社長尾氏
父母 父:長尾景致、養父:長尾顕忠
正室:長尾顕忠娘
景秀景憲
テンプレートを表示

長尾 顕方(ながお あきかた)は、戦国時代武士山内上杉家の家臣。総社長尾氏7代当主。

略歴

総社長尾氏5代当主・長尾忠景の子・景致の子として誕生。6代当主・長尾顕忠の娘を娶り婿養子となる。

永正6年(1509年)、養父・顕忠の死により幼くして後を継ぐが、関東管領上杉顕定の後継争いで伯父・成田顕泰と共に上杉顕実を支持し、武蔵国鉢形城に拠って上杉憲房と争うが横瀬景繁長尾景長に敗北、憲房によって家宰の地位を奪われて景長に与えられる(永正の乱)。

これを深く恨んだ顕方は大永4年(1524年)に相模国北条氏綱に内応して謀叛を図るが、憲房の後を継いだ上杉憲寛の命を受けた、従兄で庶流の高津長尾氏の長尾顕景に攻められて当主の座も失った。扇谷上杉家太田資頼は、この件で顕方を激しく非難している。なお、顕方の追放と顕景の当主簒奪は永正の乱の出来事で、永正4年(1507年)の事件は北条氏綱・長尾為景と結んだ顕景によるものとする説がある。

以後の消息は不明。以後総社長尾家の家督は顕景の子孫に引き継がれる事になった。

脚注


出典

  • 落合厚志「長尾顕方」(『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2
  • 黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1(新稿)