石敢當

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。4th protocol (会話 | 投稿記録) による 2021年2月28日 (日) 05:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

石敢當(沖縄県石垣市)
石敢當(沖縄県)
石敢當(大分県臼杵市)

石敢當(いしがんとう[1]、いしがんどう、せきかんとう[2]、せっかんとう)は、丁字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当[2]泰山石敢當[3]石散當[2]等と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県鹿児島県に多く分布する。

分布

元は中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている。泰山の頂上にも石敢當が存在している[4]。似たような魔よけは中国のみならず、台湾香港シンガポール等の一部の地域にも見ることができる。

日本では、沖縄本島を中心に、周辺諸島に数多く点在している。また、薩南諸島奄美群島を含め、鹿児島県にもかなり存在する。沖縄県、鹿児島県以外の日本全国にも分布するがその数は少ない[5][6][7]小玉正任はその著書で、鹿児島県、1153基、沖縄県は、きわめて多数としており、色々の統計を総合して、1万基であろうか、としている。沖縄県、鹿児島県以外の石敢當は近年になり、主に沖縄出身者により建てられたものが多い。

大分県臼杵市畳屋町には、『豊後国志』によると天正3年(1575年)に建立されたとされる日本最古の石敢當がある(ただし、何度か建て替えられており、現存するものは1877年に建立されたものと考えられている)。臼杵は安土桃山時代大友氏の貿易港として栄えた町で、この石敢當は明からもたらされたものであると伝えられており、沖縄県や鹿児島県を経るルートとは別に伝来したものである。凝灰岩でできた高さ約1.6mの石碑状のもので、1967年に市の文化財に指定されている[8]。刻銘から建立年が明らかなものの中では、鹿児島県志布志市にある元和2年(1616年)のものが最も古く[9]宮崎県えびの市飯野にある元禄2年(1689年)の銘が刻まれたものが次いで2番目に古い[10][11]

東北地方、特に秋田県には幕末から明治初期に建てられたと考えられる古い石敢當が多数確認されている[10]。関東地方においては江戸期の石敢當が埼玉県で2基確認されているほか、栃木県足利市においても1基の所在が確認されている[12]。神奈川県川崎市には、1959年(昭和34年)の宮古島台風、1966年(昭和41年)の第2宮古島台風の際の川崎市からの見舞金の返礼として沖縄より石敢當が贈られ、造り直しや建て替えを経てJR川崎駅前(南口)に設置されている[13]

名称の由来

沖縄県では「いしがんとう(いしがんとぅ)」、「いしがんどう」と呼ばれ、鹿児島県では「せきかんとう」、「せっかんとう」と呼ばれることが多い。「ケーシイシ」(返し石)、「ケーシー」とも呼ばれる。また、喜界島では「マジムンパレーイシ」(魔除け払い石)、八重山列島では「アシハンシ」(足はらい)と呼ばれる[3]

「石敢當」の名前そのものの由来は後漢代の武将の名前とも名力士の名前ともされる[14]ほか、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来するとの説もあり定かではない。薮田嘉一郎、小玉正任によると、五代の勇士説は、勇士死亡より100年以上前から石敢当があることを理由に成立しないとしている。

効果

沖縄県ではその存在意義や効果が未だに根強く信じられており、当地では丁字路三叉路が多いことから、現在でも沖縄県の各地で新しく作られた大小様々の石敢當を見ることができる。これらの地域では、市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする[注 1]。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。

形状

石敢當には様々な形があるが、石敢當の字が刻まれた石碑を建てたり、石版を壁面に貼り付けたものが多い。また、コンクリートの壁面に直接ペンキ等で「石敢當」の文字を書き込んだ例も見られる。沖縄県宮古島市池間島には、オオジャコガイを載せた石敢當が発見されている。堅くて白いシャコガイは、同地では、それ自体が神聖で魔除けの効果を有するとされる。また、近年はシーサー同様に土産物品としても作られている[15]

脚注

注釈

  1. ^ 道路のカーブに設置されている地域もある。

出典

  1. ^ 石敢当 (いしがんとう)”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 琉球新報社 (2003年3月). 2020年2月15日閲覧。
  2. ^ a b c 石敢当(いしがんとう)の意味や使い方”. Weblio辞書. 2020年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 仲原弘哲「今帰仁村の「イシガントー」」『今帰仁村文化財調査報告書』第4集、今帰仁村教育委員会、1981年3月、3-26頁。 
  4. ^ 中国の石敢當”. 石敢當について. 2012年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月15日閲覧。[出典無効]
  5. ^ 県外の石敢當分布”. 石敢當について. 2009年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月15日閲覧。[出典無効]
  6. ^ 石敢當を探せ!”. 石垣島情報サイト てぃーだの島. 2010年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月15日閲覧。[出典無効]
  7. ^ 石敢當が箕面にもあった”. 北摂みのおの春夏秋冬. 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月15日閲覧。[出典無効]
  8. ^ 下野敏見南九州の伝統文化 2: 民具と民俗、研究
  9. ^ 馬場俊介. “鹿児島県” (PDF). 近世以前の土木・産業遺産. 2020年2月15日閲覧。
  10. ^ a b 高橋誠一 「石敢當と文化交渉 -奄美諸島を中心として- 」 (PDF) (関西大学 東アジア文化交渉研究創刊号)
  11. ^ 近世以前の土木・産業遺産 宮崎県 (PDF)
  12. ^ “足利で江戸期の「石敢当」見つかる 魔よけとして建立、関東では希少”. 下野新聞SOON. (2010年5月21日). オリジナルの2010年9月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100921013834/http://mm.shimotsuke.co.jp/town/region/south/ashikaga/news/20100520/325283 
  13. ^ 川崎駅前石敢當/石敢当”. www.manabook.jp. 2018年8月25日閲覧。
  14. ^ 山里純一「石敢當覚書」『日本東洋文化論集』第9号、琉球大学法文学部、2003年3月、37 -68頁。 
  15. ^ 小玉正任『石敢当』琉球新報社、1999年

参考文献

  • 『民俗信仰日本の石敢當』小玉正任著(考古民俗叢書、慶友社、2004年)
  • 「沖縄と奄美 : 石敢当を通してみた」窪徳忠著(『奄美のカマド神信仰』所収、第一書房、2000年)
  • 『史料が語る琉球と沖縄』小玉正任著(毎日新聞社、1993年)
  • 『石敢当』沖縄エッセイストクラブ著(沖縄エッセイストクラブ、1988年)
  • 『秋田の石敢当 : 旧秋田市内を中心として』山崎鹿蔵著(伝承拾遺の会、1986年)
  • 『石敢当の現況』松田誠著(松田誠、1983年)
  • 『石敢当 : 雑録』渡辺正著(「九州人」文化の会、1972年)

関連項目

外部リンク