矢野貫城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。1950設立 (会話 | 投稿記録) による 2020年12月2日 (水) 16:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (経歴追記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

矢野 貫城
人物情報
生誕 1886年7月4日
日本の旗 日本 高知県吾川郡
死没 (1974-11-04) 1974年11月4日(88歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コロンビア大学
学問
研究分野 経済学
研究機関 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国コロンビア大学
彦根高等商業学校
四国学院短期大学
国際基督教大学理事
東京女子大学理事
宮城学院理事
順心女子学院大学理事
高千穂商科大学理事
主な業績 ミッション・スクールの発展に貢献
主要な作品 「欧米旅行雑感」
「教育と基督教」
「新商業道徳」
主な受賞歴 藍綬褒章(1963年)
脚注
1958年9月四国学院短期大学の初代学長に就任。
テンプレートを表示

矢野 貫城(やの つらき、1886年7月4日 - 1974年11月4日)は、日本の教育者である。日本基督教団富士見町教会の長老。

経歴・人物

1886年(明治19年)高知県吾川郡に生まれる。高知県立第一中学校山口商業学校在学中に、山口教会の和知牧太牧師より洗礼を受ける。

1915年2月から1917年6月まで文部省留学生としてコロンビア大学で経済学を修める。帰国後文部事務官兼啓学官に就任する。

1927年に彦根商業大学の校長、1939年からは明治学院の院長に就任する。戦争中は軍国主義的な教育を行った。

1944年より1946年まで、キリスト教学校教育同盟の理事長を務める。1947年10月よりキリスト教学校教育同盟の賞主事を務める。1958年9月に四国学院短期大学の初代学長に就任する。また、国際基督教大学東京女子大学宮城学院の理事長、高千穂商科大学(現高千穂大学)の理事などを務める。

栄典

脚注

参考文献