皇太夫人

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皇太夫人(こうたいふじん/ぶにん・おおとじ・すめみおや・おおみおや)は、天皇生母で、前天皇の夫人(のち女御)であった人をさす。醍醐天皇より前には、皇太后を「帝の母で后」、皇太妃を「帝の母で妃」と称したのに対しこう呼ばれた。ただし、天皇の即位前に薨去した生母については、生前に皇后になっていなくても皇太后を追贈された。また、皇太夫人となった後に皇太后とされることも多かった。醍醐天皇生母の藤原胤子は天皇即位前に薨去し皇太后を追贈され、また、朱雀天皇以降は生母が皇后であることが続いた。一条天皇生母の藤原詮子は皇后を経ずに一条天皇即位後に皇太后となり、結局、醍醐天皇養母である藤原温子を最後に皇太夫人の称は用いられなくなった。

皇太夫人一覧[編集]

大夫人[編集]

聖武天皇生母・藤原宮子も、神亀元年2月6日に大夫人と号されたが、上述のとおり同年3月22日に撤回され、制のとおり皇太夫人となった。また、光明皇后の母(孝謙天皇の外祖母)の県犬養橘三千代も、死後の天平宝字4年(760年)8月7日に大夫人の称号を贈られている。

日本書紀で皇太夫人と記された例[編集]

日本書紀の編纂において、令制に合わせてつけられた呼称と考えられる。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本書紀』巻第十五 清寧天皇元年正月条 「尊葛城韓媛、為皇太夫人」
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十二 推古天皇二十年二月条 「改葬皇太夫人堅塩媛於檜隈大陵」

参考文献[編集]

  • 『日本女性人名辞典』、日本図書センター
  • 『日本書紀(中)』、教育社、1992年

関連項目[編集]