田無市
たなしし 田無市 | |||||
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廃止日 | 2001年1月21日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 田無市・保谷市 → 西東京市 | ||||
現在の自治体 | 西東京市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13216-1 | ||||
面積 | 6.80km2. | ||||
総人口 |
78,165人 (2000年国勢調査) | ||||
隣接自治体 | 保谷市、武蔵野市、小金井市、小平市、東久留米市 | ||||
市の木 | けやき、はくうんぼく | ||||
市の花 | タナシツツジ | ||||
他のシンボル | - | ||||
田無市役所 | |||||
所在地 |
〒188-8666 東京都田無市南町五丁目6番13号 | ||||
ウィキプロジェクト |
田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した市である。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。
全国でも埼玉県蕨市、埼玉県鳩ヶ谷市(2011年に川口市に合併して同市に復帰)、東京都狛江市についで4番目に小さい市であった。
歴史
青梅街道と所沢街道が交差する交通の要所であり、青梅街道の宿場町として江戸時代より栄えた。
宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京都心のベッドタウンとしての発展を続けた。
江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。
- 1873年(明治6年)5月13日 - 区番組制により第11区4番組に編入される。
- 1876年(明治9年)4月 - 大区小区制により神奈川県第11大区5小区に編入される。
- 1878年(明治11年)7月22日 - 北多摩郡に編入される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、田無町が発足。また、飛地が久留米村の大字田無となる(現在の東久留米市下里の一部)。
- 1893年(明治26年) - 北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所属となる。
- 1927年(昭和2年) - 西武鉄道開通、田無駅開業。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により東京都の所属となる。
- 1967年(昭和42年) - 市制を施行し、田無市となる。東京で16番目、全国で563番目。保谷市・国立市も同日付である。
- 2001年(平成13年)1月21日 - 保谷市と合併し、西東京市が発足。同日田無市廃止。
地名の由来
田無の地名は、1559年(永禄2年)の後北条家の文書にあるのが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。
- 田んぼが無いため田無となった説
- 棚瀬が変化し「たなし」となり、田無の字があてられた説
- 田成が田無に変化した説
- 種なしが田無となった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種籾)までとられてしまうため、周囲の村から種なしの村と呼ばれたと言う説。
1の説では、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無い(陸稲が中心)こと、2と3の説では、途中で意味は正反対に変わっていること。4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、決め手となる説がない。
交通
道路
歴史の節にあるように青梅街道と所沢街道(東京都道・埼玉県道4号東京所沢線と東京都道5号新宿青梅線)の分岐となる交通の要衝である。
また、新青梅街道と所沢街道が交差する北原交差点(新青梅街道は当交差点以東が東京都道245号杉並田無線、以西が東京都道5号新宿青梅線)、その東側でひばりヶ丘駅への谷戸新道(東京都道112号ひばりケ丘停車場線)、田無駅を通り武蔵境方向への武蔵境通り(東京都道12号調布田無線)が接続している。
青梅街道の橋場交差点からは北西へ東京街道(市道)、南西へ東京都道132号小川山田無線が分岐する。
鉄道
バス
- 西武バス - 田無駅に隣接して田無営業所があったが、再開発のため西原町に移転し滝山営業所西原車庫となった。その際、滝山営業所と上石神井営業所へ一部が移管されている。
- 関東バス - 武蔵野営業所管轄
- 都営バス - 梅70系統が西東京市移行後の2015年まで運行していた(路線短縮により花小金井駅発着に変更)。1984年から1992年までは市内の田無本町二丁目が終点であった。
姉妹都市・提携都市
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 年表(田無版) - 西東京市公式サイト
- 年表(保谷版) - 西東京市公式サイト
- 西東京市合併10年のあゆみ 田無市・保谷市合併の記録 (PDF) - 西東京市公式サイト