猩猩
猩猩(しょうじょう、猩々)は、古典書物に記された架空の動物。
能の演目である五番目物の曲名『猩猩』が有名である。真っ赤な能装束で飾った猩々が、酒に浮かれながら舞い謡い、能の印象から転じて大酒家や赤色のものを指すこともある。
仏教の古典書物や中国の古典書物にも登場するが、中国では黄色の毛の生き物や豚と伝わるなど多岐に富み、現代日本で定着している猩々の印象とは相違もあるため、注意が必要である[1]。
能の演目および民俗芸能についても記述する。
概説
仏教では、『十誦律』1巻で動物を二足・四足・多足・無足・と種類分けをしているが、鳥と猩々と人を二足歩行と定め、19巻においては、猩々や猿を孔雀・鸚鵡(オウム)などの諸々の鳥と一緒に、同じ分類に属すとしている。
日本でも猿を二足の観点から、古くは木の実を取る「このみどり」、高く声上げる様を呼んでいると「呼子鳥」(よぶこどり)と、鳥類のように呼び表すことがあった。
中国の『礼記』には、「鸚鵡は能く言して飛鳥を離れず、猩々は能く言して禽獣を離れず」(鸚鵡能言、不離飛鳥、猩猩能言、不離禽獣)とあり、猩々は人の言葉が分ると記している。『唐国史補』では猩々は酒と屐(はきもの)を好み、それを使って猩々を誘い捕らえることに成功したという。
『本草綱目』の明朝の時代になると、記載は多くなり「交趾の熱国に住み、毛色は黄色で声は子供のようだが、時に犬が吼えるように振る舞い、人の言葉を理解し、人の顔や足を持ち、酒を好む動物」とされている[2]。
毛色や棲んでいるとされる地域など伝承の違いがあるものの、日本の猩々への印象と大まかに共通している。しかし、中国の書物に記される猩々は、空想的な要素が強調され、一説では豚に似ている、あるいは犬に似ているなど、姿や特徴に幅があり多様な生き物となっている[1]。
能
猩々 |
---|
作者(年代) |
不明 |
形式 |
複式現在能 |
能柄<上演時の分類> |
五番目物 |
現行上演流派 |
観世・宝生・金春・金剛・喜多 |
異称 |
なし |
シテ<主人公> |
猩々 |
その他おもな登場人物 |
高風 |
季節 |
秋九月 |
場所 |
唐土の潯陽の江 |
本説<典拠となる作品> |
不明 |
能 |
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あらすじ
能の『猩々』のあらすじは以下のとおりである。
むかし、潯陽江(揚子江)の傍らにある金山に、親孝行者の高風(こうふう)(ワキ)という男が住んでいた。高風は市場で酒を売れば多くの富を得るだろうという、神妙な夢を見てお告げに従い市場で酒を売り始める。
酒売りは順調に進んだが、毎日高風の店に買いに来る客の中に、いくら飲んでも顔色が変わらず、酒に酔う様子がない者がいた。不思議に思った高風が名前を尋ねると、自分は猩々と言う海中に住む者だと答えて立ち去る(中入り)。
そこで高風は美しい月夜の晩、川辺で酒を用意し猩々を待っていると、水中の波間より猩々が現れる(後シテ)。共に酒を酌み交わし、舞を舞い踊り(中之舞、または猩々乱(みだれ))、やがて猩々は高風の徳を褒め、泉のように尽きることのない酒壷を与えて帰ってゆくのであった。
舞踊の解説
古くは猩々が素性を明かす所までを、前場で演じていた。しかしめでたい内容のことから、1日の最後に祝言能として前場を略した半能形式で上演されることが多く、現在では観世流などいくつかの流儀において、半能形式の後場だけで一曲となっている。
後シテが一人で舞うのが常の型だが、「双之舞」(観世・金春)、「和合」(宝生)、「和合之舞」(金剛)、「二人乱」(喜多)などの小書がつくと、シテとツレの二人の猩々を出し、連舞になる。「置壺」(観世・金剛)、「壺出」(喜多)の小書では、正先の壷から柄杓で酒を酌む型が加わる。
舞は中之舞が常であるが、実際にはこれで演じられることは少年の初シテなどの特殊な場合をのぞけばほとんどなく、乱の小書つきに変る(その場合、曲名を「猩々乱乱特有の囃子と舞」もしくは「乱」とする)。乱は「猩々」と「鷺」にしかない特殊な舞で、中之舞の中央部分に乱特有の囃子と舞を挿入するかたちになっている。水上をすべるように動く猩々の様を見せるために足拍子を踏まず、ヌキ足、乱レ足、流レ足といった特殊な足使いをし、さらに上半身を深く沈めたり、頭を振るしぐさが加わる。能において爪先立ちして舞を舞うのは、乱の流レ足くらいにしか見られない特殊な例である。このため、乱は能楽師の修行の過程において、重要な階梯であると考えられ、初演を披きとして重く扱う。通常は「道成寺」の前に披くことが多い。
能装束の解説
出立は赤頭(赤髪)、赤地の唐織、緋色の大口(または半切)で、足袋以外はことごとく赤色である。頭については、通常の赤頭は白毛を一筋加えたものを用いるが、「猩々」と「石橋」に限って赤毛のみの頭を使うとされている。面は猩々という専用の面。顔に赤い彩色をほどこし、目元と口元に笑みをうかべている。慈童で代用することもあるが一般的ではない。
民俗芸能
特に日本では、各種の説話や芸能によってさまざまなイメージが付託されて現在に及んでいる。しかし、伝説のため、さまざまな説がある。七福神の一人として寿老人の代わりに入れられた時代もある。
地方色
宮城県、岩手県、山梨県、富山県、兵庫県、和歌山県、鳥取県、山口県など各地の伝説や昔話に登場する。江戸中期に甲府勤番士の著した地誌書『裏見寒話』では、山梨県の西地蔵岳で猟師が猩猩に遭って銃で撃った話があるが、そのほかの地域では猩猩はほとんど海に現れている。
富山県の氷見市や新湊市(現・射水市)の海に現れるという猩猩は、身長1メートルほどで、船に上がってきて舳先に腰をかけるという。ときには6、7匹も乗り込んでくるが、船乗りが驚いて騒いだりすると猩猩は船をひっくり返してしまうため、船乗りは黙って船底に打ち伏したという。
山口県屋代島(周防大島)でいう猩猩は船幽霊のように語られており、船に対して海底から「樽をくれ」と声をかけ、樽を投げ込まないと祟りがあるが、樽を投げ入れると船に水を入れられて沈められてしまうため、樽の底を抜いて投げ込んでやるという[3]。
猩々祭り
猩々祭りは旧東海道鳴海宿を中心とした地域で行われる。猩々人形が子供達を追いかけ、大きな赤い手でお尻を叩こうとする。叩かれた子は夏病にかからないという。こういった風習は愛知県の名古屋市緑区を中心とする地域(名古屋市南区、東海市、大府市、豊明市など)に見られ、この地域の祭礼には、猩猩が欠かせなものとなっている。最近はお尻を叩かず、頭を撫でる。猩々人形は赤い顔の面と上半身分の竹枠組みで出来ておりその上から衣装で覆うもので、大人がこれをかぶると身長2メートル以上の巨人となる。
生物の漢名・和名として
オランウータンの漢名としても使われたのに合わせてチンパンジーの和名は黒猩猩(くろしょうじょう)、ゴリラの和名は大猩猩(おおしょうじょう)とされた。これらは日本でも使われることがあった。
また、ショウジョウバエは、酒に誘引される性質から猩猩になぞらえて名づけられた。他にも赤みの強い色彩を持つ生物には、しばしばショウジョウ……の名が付されることがある。
- ショウジョウエビ(猩猩海老)
- ショウジョウカ(猩猩花)
- ショウジョウガイ(猩猩貝)
- ショウジョウコウカンチョウ(猩猩紅冠鳥)
- ショウジョウコオロギ(猩猩蟋蟀)
- ショウジョウガニ(猩猩蟹)
- ショウジョウサギ(猩猩鷺)
- ショウジョウスゲ(猩猩菅)
- ショウジョウソウ(猩猩草)
- ショウジョウトキ(猩猩朱鷺)
- ショウジョウトンボ(猩猩蜻蛉)
- ショウジョウバエ(猩猩蝿)
- ショウジョウバカマ(猩猩袴)
- ショウジョウヒワ(猩猩鶸)
- ショウジョウボク(猩猩木)
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