洛南高等学校・附属中学校

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洛南高等学校・附属中学校
過去の名称 真言宗京都中学
東寺中学校
東寺高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人真言宗洛南学園
設立年月日 (分離)1917年
(前身)1881年
(源流)828年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース 空パラダイム(外部混合有)
海パラダイム (α, β)
学期 3学期制
高校コード 26510B
所在地 601-8478
京都市南区壬生通八条下ル東寺町559番地
地図
北緯34度58分57.7秒 東経135度44分48.6秒 / 北緯34.982694度 東経135.746833度 / 34.982694; 135.746833座標: 北緯34度58分57.7秒 東経135度44分48.6秒 / 北緯34.982694度 東経135.746833度 / 34.982694; 135.746833
外部リンク 真言宗洛南学園 | 洛南高等学校・附属中学校・附属小学校
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洛南高等学校(らくなんこうとうがっこう)および洛南高等学校附属中学校(ふぞくちゅうがっこう)は、京都市南区壬生通八条下ル東寺町に所在し、小中高一貫教育を提供する私立高等学校中学校。設置者は真言宗各派が参画する学校法人真言宗洛南学園であり、学校は東寺(教王護国寺)の境内にある。

概要

本校の源流は、828年天長5年)、空海が創立した綜芸種智院に端を発するとされているが、綜芸種智院は空海の死後、20年弱で廃止されている。

現在の洛南高校の前身は、1881年明治14年)、真言宗の教育機関として釈雲照が設立した総黌である。総黌は1902年(明治35年)、「私立古義真言宗聯合高等中学林」と改称し、1917年大正6年)、高等教育機関である真言宗京都大学(種智院大学の前身)と中等教育機関である「真言宗京都中学」に分離した。1926年(大正15年)、「東寺中学校」(旧制)と改称する。東寺中学校は戦後の学制改革の下で、1948年昭和23年)、学校法人真言宗京都学園が設置する「東寺高等学校」となった。

1962年(昭和37年) 、「東寺高等学校」を「洛南高等学校[注 1]と改称する。それに併せて、当時の副校長三浦俊良らが中心になって校内の改革を行った。

まず、風紀を改め、校則を厳しくし、不良生徒を一掃、退学を含む処分で大幅に取り締まった[1]。「特別進学コース」(特進コース)を設置・商業科を廃止し、普通コースと従来からある自動車科1993年廃止)の3コース制となる。

このとき、国宝東寺百合文書を売却し、その収益で校舎の増改築を行った。

特進コースの設置後は進学実績が上昇し、関関同立に何人か合格する程度であったが、昭和50年代後半に京大合格者を輩出し、新興進学校のパイオニアとしての評価を受け始めるようになる[2]

1978年(昭和53年)、準特別進学コースを設置。1982年(昭和57年)、普通コースを「I類」、自動車コースを「II類」、特別進学コース・準特別進学コースをそれぞれ「III類A・III類B」と改称する。京都の高校でコース名に「類」という語を初めて用い、その後、京都府立高校で「類」というコース名が用いられるようになった[3]

1985年(昭和60年)、洛南高等学校附属中学校[注 2]が開校し、中高一貫教育となる。

長らく男子校であったが、2006年平成18年)男女共学となる。

2011年(平成23年)、経営不振であった「学校法人真言宗京都学園」は洛南高等学校・附属中学校を新設の「学校法人真言宗洛南学園」に設置者変更(経営移管)した。同法人は「学校法人綜藝種智院」となり、種智院大学と経営が分離することとなる。

2013年(平成25年)、I類・III類を廃し、附属中学からの内部進学生と合流する「空パラダイム」と、個性を伸ばすことを目的とする「海パラダイム」の2コースに再編される(コース名は全国で唯一である)。「海パラダイム」はさらに京阪神大学を目指す"αプログラム"と部活動などの課外活動を重視する"βプログラム"に分かれている。

2014年(平成26年)、洛南高等学校附属小学校京都府向日市)が開校し、小中高一貫教育となる。

沿革

  • 828年天長5年)- 起源
  • 1881年明治14年)- 総黌創立
  • 1902年(明治35年)- 私立古義真言宗聯合中学林に改称
  • 1917年大正6年)- 真言宗京都大学(後の種智院大学)と分離し真言宗京都中学に改称
  • 1926年(大正15年)- 東寺中学校に改称
  • 1948年昭和23年)- 学制改革により東寺高等学校に改称
  • 1962年(昭和37年)6月 - 洛南高等学校に改称
  • 1965年(昭和40年)4月 - 特別進学コース創設[4]
  • 1978年(昭和53年)4月 - 準特別進学コース創設
  • 1982年(昭和57年)4月 - コースを改称:普通科→I類、普通科(自動車コース)→II類、普通科(特別進学コース・準特別進学コース)→III類A・III類B
  • 1985年(昭和60年)4月 - 洛南高等学校附属中学校開校(2クラス)
  • 1993年平成5年)4月 - II類(自動車コース)募集停止
  • 1996年(平成8年)4月 - 附属中学が4クラス編成となる(2クラス増設)。
  • 2001年(平成13年)4月 - 体育着(夏)がランニングシャツから半袖シャツへの移行が始まる
  • 2002年(平成14年)4月 - 附属中学5クラス編成となる(1クラス増設)。
  • 2003年(平成15年)4月 - 皮膚の弱い生徒に配慮し詰襟学生服が廃止され、ブレザーの制服(ネクタイは学年ごとに色が違う)への移行が始まる
  • 2006年(平成18年)4月 - 男女共学となる。
  • 2011年(平成23年)4月 - 学校法人真言宗洛南学園に設置者変更(経営移管)
  • 2013年(平成25年)4月 - I類・III類を廃し、空パラダイム・海パラダイムの2コースに再編

校訓

仏教でいう三宝(仏・法・僧)に帰依することに因んで定められている。

  • 自己を尊重せよ
  • 真理を探究せよ
  • 社会に献身せよ

旧称および歴代学校長

真言宗連合京都大学竝中学校
  1. 土宜法龍
  2. 泉智等
  3. 松永昇道
東寺中学校(旧制)
  1. 松永昇道
  2. 岡本慈航(真言宗御室派総本山仁和寺門跡
  3. 藤田智空(真言宗東寺派宗務総長)
  4. 松永昇道(教王護国寺長者)
  5. 佐伯恵眼醍醐寺座主、両学学長)
  6. 亀谷宥英(善通寺法主、京都専門学校校長)
東寺高等学校(新制)
  1. 亀谷宥英(善通寺法主、種智院大学学長)
  2. 山本忍梁(教王護国寺長者、種智院大学学長)
  3. 木村澄覚(教王護国寺長者、種智院大学学長)
洛南高等学校
  1. 木村澄覚(教王護国寺長者、種智院大学学長)
  2. 森諦圓(仁和寺門跡、種智院大学学長、三豊市覚城院住職)
  3. 三浦俊良東寺真言宗別格本山宝菩提院住職)
  4. 生姜塚慶悟(教王護国寺塔頭弥勒院住職)
  5. 田中純應(真言宗御室派宗務総長(仁和寺執行長)、京北町教育長、小学校長を歴任、京北町大聖院住職)
  6. 後藤善猛真言宗大覚寺派大本山大覚寺教学研究室審議委員、徳島県立城南高校元校長、阿南市梅谷寺住職)
  7. 柴垣弘巌(高野山真言宗延福寺住職)
  8. 川田信一
  9. 北川辰雄

大学進学状況

高校別京都大学合格者数は例年10位以内である。公立高校(京都府立嵯峨野高等学校京都市立堀川高等学校京都市立西京高等学校など)に相次いで専門学科が設置される直前の1997年には、114人(東京大学は68人)を数えた[4]

2018年平成30年)の大学別合格者数は、国公立大学の場合、東京大学が20名、京都大学が76名、大阪大学が30名、神戸大学が26名であった。また、私立大学の場合、慶應義塾大学が31名、早稲田大学が41名、同志社大学が154名であった[5]

交通アクセス

設備

2003年12月に新校舎が竣工。その際に作られた新図書館は蔵書は約51000冊を誇る[6]

カリキュラム

空パラダイム(大学受験最難関である東大・京大・国公立医学部を目指すコース)では、内部進学生240名(5クラス)と外部入学生95名(2クラス)が高2で合流する。そのため、空パラダイムの外部入学生は数学などの2年分を1年で終える。海パラダイム(難関国公立・私立大学を目指すコース)は、αプログラム(京大・阪大・神大といった難関国立大学を目指すコース)とβプログラム(関関同立や全国の国公立大学を目指すコース)からなり、145名(βが1クラスとαβ混合が2クラス)編成となる。

「空パラダイム」「海パラダイム」の名は、創始者の空海の名に由来する[7]

高2・高3の夏休みに高野山学習合宿がある。

象徴

校章

三方亀甲

校歌

校風

1962年昭和37年)の校内改革以来、かつてはスパルタ教育のイメージとして知られていた[2]。日本最古の私学である綜芸種智院の流れを汲み、抹消的な校則だけでなく、勉学に対する姿勢、挨拶などの礼儀作法や公共性の確立といったしつけの面で厳格である。

宗教色は強く打ち出してはいないが、宗教の時間は中1から高3まで週1回必須である。授業中に「お勤め」と呼ばれる勤行(お経を唱える)を行い、日々の生活などに対しての作文をノートに書く。定期考査ごとに提出の必要がある。

2002年まで詰襟学生服のみならず制帽まであり、ホック指導が行われていた。男子校であったが、共学化に伴いブレザーとなり(皮膚の弱い生徒に配慮するため)、ネクタイ指導が行われている。

学寮

睦寮という男子のみ学寮がある。入寮希望者は出願時に「入寮願」を提出しなければならない。その他、寮である塔頭宝菩提院もあったが、現在廃寮となっている。

入学後に登校困難となり入寮する場合もある。

今現在、学寮生(空パラダイム・海パラダイムα)とスポーツ生(海パラダイムβ)の割合はそれぞれ1:4程度である。

行事

  • 御影供(みえいく)- 弘法大師の月命日である毎月21日に校長の講話を聴く。講話の前に三帰依および講話の後には四弘誓願の合唱が行われる。
  • 4月 - オリエンテーション合宿(中1)
  • 5月 - 遠足(中2、中3、高1)、九州研修旅行(中3)
  • 6月 - バレーボール大会
  • 7月 - 高2修学旅行(北海道、4泊5日)、富士山登山合宿(中2)、学習合宿
  • 8月 - 高野山学習合宿(高2、1週間)
  • 9月 - 体育祭、合唱祭、水泳大会
  • 10月 - 文化祭
  • 11月 - サッカー大会(高校)、バスケットボール大会(中学)
  • 12月 - 歳末助け合い運動、芸術鑑賞(中1、中2)
  • 1月 - 歌がるた大会、柔道大会(高校)
  • 2月 - 長距離記録会(中学)、バスケットボール大会(高校)
  • 3月 - スキー研修合宿(中1)、学習合宿(中3)

部活動

複数の部活は全国大会に出場していることは有名でその中で、バスケットボール部は昔から関西で一、二を争う強豪である[2]。2008年にはウインターカップ3連覇を達成している(男子では史上2校目)。体操部も大阪の清風高校と実績を二分する。また、陸上部は秩父宮賜杯対校選手権で最多8度の総合優勝を誇っている他、全国高校駅伝大会に19度の出場を誇る名門である。

また、国際物理オリンピック日本初の代表、銀メダルを獲得したのもここの生徒である。

事件

体罰問題

陸上部顧問の40歳代の男性教諭が、2011年11月に部の練習中に、男子部員の一人を平手打ちにする体罰を加えた。この部員は左鼓膜が損傷し全治1ヶ月の怪我を負った。同校はこの顧問教諭を減給3ヶ月ならびに譴責処分とし、陸上部の指導からも無期限で外している[8]

著名な卒業生

政治・行政

宗教

伝統芸術

マスコミ

音楽

文芸

タレント

スポーツ

バスケットボール

体操

陸上

サッカー

バレーボール

柔道

プロレス

教育・研究

その他

脚注および参照

参照
  1. ^ 宮島英紀、小峰敦子『名門高校ライバル物語』、2009年3月12日、p.287
  2. ^ a b c 『2001年 価値ある学校(ラッキースクール)を探そう 関西男子校+共学校』旺文社、2000年7月1日。ISBN 4-01-008958-X 
  3. ^ 海星学院”. 海星学院. 2016年8月8日閲覧。
  4. ^ a b 小林哲夫『東大合格高校盛衰史 60年間のランキングを分析する』、2009年9月20日、p.280
  5. ^ 教育内容・進路 | 洛南高等学校
  6. ^ School Library”. 株式会社サン・ロワ. 2016年8月8日閲覧。
  7. ^ ココが気になる! | 洛南高等学校附属中学校 | 中学受験ココロコミュ”. 株式会社サン・ロワ. 2016年8月8日閲覧。
  8. ^ 体罰:京都・洛南高陸上部で 男子部員、鼓膜損傷 顧問の教諭処分- 毎日jp(毎日新聞)”. 毎日新聞社. 2016年8月8日閲覧。
脚注
  1. ^ 第二次大戦後の一時期に現在の京都府立鳥羽高等学校の前身に当たる「京都府立洛南高等学校」が存在したが、両者の間に全く関係はない。
  2. ^ 京都市立洛南中学校」との誤解を防ぐには「洛南高附属中」「市立(いちりつ)洛南中」で区別する。

関連学校

併設学校
姉妹校

関連項目

外部リンク