歴史的仮名遣
歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)とは、仮名遣の一種。現代仮名遣いと対比して旧仮名遣(きゅうかなづかい)とも呼ばれ[1]、また、「復古仮名遣い」「古典仮名遣い」とも呼ばれる。
1986年7月1日に告示、訓令された「現代仮名遣い(内閣告示第一号)」の巻頭部においては、歴史的仮名遣いと記されている[2]。
概要
歴史的仮名遣とは一般には、江戸時代中期の契沖による契沖仮名遣を修正・発展させ、明治から第二次世界大戦終結直後までの公文書や学校教育において用いられたものであり、平安時代初期までの実際の綴りを発掘したものを基としている。第二次世界大戦の後、国語国字改革の流れによって「現代かなづかい」が告示されるまで、公教育の場で正式な仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典文学作品における教育でのみ使用される。
なお本項では一般的な仮名による正書法の意味では「仮名遣」とし、根拠の異なる2系統の仮名遣を「歴史的仮名遣」と「現代仮名遣い」として、表記を統一する。ただし固有名詞である「現代かなづかい」などの名称についてはこの限りではない。
歴史的仮名遣の原理は、仮名発明当初の表記を、その後の発音習慣の変化(転呼)にかかわらず引き継ごうということであるが、現実的には本来の表記を完全に確定できるわけではない。資料に基づく研究は契沖に始まることにより、まだいくらかの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しく調べたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。ほかにも紫陽花のように諸説あるものは多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では訓点語学や上代語研究の発達により、大半は正しい表記が判明しているが、これらかつて疑わしいとされた、あるいは現在でも疑わしいとされる例は疑問仮名遣と呼ばれる。
また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。
なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく、江戸時代の俗用表記法であり、特にその根拠はない。
字音仮名遣の扱い
漢字音の古い発音や音韻を表記するためにつくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼ぶ。歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長が『字音仮字用格』(じおんかなづかい)を著すまで正しい表記の定められないものが多かった。現代仮名遣いの施行まで行われた明治以降の歴史的仮名遣では、字音仮名遣を踏襲したが、本居宣長の研究によっている。従って広義の歴史的仮名遣にはこれも含むが、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。また、字音仮名遣は時代(表記された年代や、どの時代における音韻を基準とするかなど)によってその乱れが激しく、定見を得ないものも多い。
以上のような成りたちから、歴史的仮名遣論者にも、「表語(表意)」を重視する立場から見て字音仮名遣を含めない者(時枝誠記・福田恆存・丸谷才一)と、含める者(三島由紀夫)とがいる。前者の主張は漢字自体が表語文字だからということであるが、その場合漢字制限を指してこれに反発した(後述)。字音仮名遣の体系的な論については、字音仮名遣を参照。
歴史
契沖以前
江戸時代の契沖が仮名遣についての研究を世にあらわす以前、仮名遣にはおよそ以下のような推移があった。
国語表記の始まった上代の借字(万葉仮名)では、上代特殊仮名遣が行われたが、平安時代初期に仮名が発達して借字が衰退し、同時に上代特殊仮名遣も衰退した。平安中期になると「天地の詞」にみられるような、えとや行えの区別が上代特殊仮名遣の衰退と共に薄れた。
こうした表記上の変化については、時代とともに日本語の音韻が以下のように変化したことによると推測されている。
- 平安初期に上代特殊仮名遣が消失、甲類乙類が同化。
- 平安初期から中期にかけての上代特殊仮名遣の衰退に合わせて、「え」と「ヤ行え」の区別が消失。
- ハ行転呼が平安中期(ただし既に奈良時代から始まっていたとする論あり)から長い時間をかけて滲透、語頭以外のハ行音がワ行音となる。
- 平安中期以降、「お」の音が「を」に変化合流する。
- 平安中期あたりから「ゐ」・「ゑ」と「い」・「え」の混同が見られ、鎌倉時代にはほぼ合一する。
だいたいこれが主な表記同化の流れである。表記が同化した理由は、多く「音韻が変化したため」と推測されているが、上代特殊仮名遣に関しては特に異論が絶えない。ともかく何らかの理由、一般には音韻変化により表記が変則的なものとなり、合理性や正則性を重んずる上で不都合が生じたと推測されている。『仮名文字遣』の序文には「文字の聲かよひたる誤あるによりて其字の見わきかたき事在之」(文字の音が重なって誤りがあるから、だからその文字の区別を示す)とあり、つまり変則を誤りとして、正しい表記を指南する必要が生じた。これが仮名遣が考えられるようになった起こりである。ただし当時の仮名は、日常で使用する限りにおいては、その使用を妨げるほどの表記の混乱、すなわち変則はなかったことも指摘されており、この変則を交えながら慣習的に使われていた仮名遣は「平安かなづかい」とも呼ばれている。
鎌倉時代になると、藤原定家が仮名を表記する上での規範を必要として仮名遣を定め、その著作『下官集』の中でその語例を示した。のちに行阿がそれを補充整理して著したのが『仮名文字遣』である。このなかで示された仮名遣を行阿仮名遣とも呼ぶが、これが一般には「定家仮名遣」と称されるものである。その後この定家仮名遣が教養層のあいだで権威とみなされていた。『仮名文字遣』は以後もその語例が後人によって増補される修正がなされた(定家仮名遣の項参照)。
しかし、定家の調べた文献は充分古いものではなく、すでに音韻の変化により変則した表記を含んだものであった。また、「を」と「お」の仮名については、当時の語のアクセントに基づいて表記が使い分けられたので、上代のものとは異なる仮名遣を記す用例が出る結果となった。
国学における研究
仮名遣が音韻の変化する以前の古い文献に基づいて研究されるのは、契沖の「契沖仮名遣」に始まる。
江戸時代初期の元禄時代、僧契沖が『和字正濫抄』を著し、充分古い時代の仮名遣を明らかにした(契沖仮名遣)。これは『万葉集』や『日本書紀』などの古い文献に基づき定めた点で、国文学の研究上画期的なことであった(国文学の原流となる)。契沖は「居(ゐ)る」と「入(い)る」[3]などのように、「語義の書き分け」のためにあると結論し、時枝誠記はこれを「語義の標識」と呼んだ。江戸時代中期には楫取魚彦や本居宣長が契沖仮名遣を修正し、また、仮名遣とは発音の書き分けであり、その後の混乱は発音の歴史的変化により生じたものであることも明らかにされた。これにより歴史的仮名遣は表記の上で、また理念の上からもほぼ完成の域に達した。同時にこの頃に本居宣長は字音仮名遣を定めた。字音仮名遣の賛否は、現在の歴史的仮名遣論者でも分かれる。江戸後期には本居宣長の弟子石塚龍麿が『古諺清濁考』と『假名遣奧山路』を著し、上代特殊仮名遣の存在が明らかとなった。奧村榮實は『古言衣延辨』で、石塚龍麿による上代特殊仮名遣を過去の発音の相違によると推定した。なお上代特殊仮名遣についての研究は大正6年(1917年)、橋本進吉が『帝國文學』で発表している。
明治以降
明治時代になって公教育では、上で述べた契沖以来の国学の流れを汲む仮名遣を採用した。これが歴史的仮名遣と呼ばれるものである。歴史的仮名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。
明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは漢字を廃止してアルファベット(ローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代わりにフランス語の採用を主張するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的仮名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して森鷗外(彼は陸軍省の意向も代弁した)や芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。このように民間からの強い批判を背景として、1900年のいわゆる「棒引仮名遣い」はあまり広まらないまま廃止された。また、国語調査会の仮名遣改定案 (1924年)も強い反対意見に遭って公布には至らなかった。その後新たに設置された国語調査会によって1942年に「新字音仮名遣表」が発表されたものの、これも戦時下のため行われなかった。
昭和21年 (1946年)、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)の民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により政府は表記の簡易化を決定、「歴史的仮名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し、「現代かなづかい」が公示され、ほぼ同時期にローマ字教育が始まった。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的仮名遣は旧仮名遣(旧かな)と呼ばれる様になった。さらに昭和61年 (1986年)、「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」に修正される。
なお、漢字制限も同時になされ、当用漢字(現・常用漢字)の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。当用漢字以後は人名用漢字が司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて混沌としたものとなっている。歴史的仮名遣論者では多く漢字制限にも反発することが多い。福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビンによって「伝統的な文字の改変は熟慮を要する」と一蹴されたにもかかわらず断行した、と糾弾している。[4]
歴史的仮名遣論者からも字音仮名遣に対しては批判があがることがあり、字音仮名遣と歴史的仮名遣に対する立場は一様ではない。
表記の実際
歴史的仮名遣表記の原則は、仮名文字出現当時の表記、つまり当時の発音通りの表記を踏襲するということである。 これを現代仮名遣いとの比較において記述すると、まず両者の相違は現代仮名遣いにおける次の表記の箇所に限られる。
- わ い う え お
- おう こう そう ・・・
- きゅう しゅう ちゅう ・・・
- きょう しょう ちょう ・・・
- じ じゃ じゅ じょ ず
これ以外の表記の部分は仮名遣いに関係しない。 具体的な相違は
- 現代仮名遣いの語頭の「い・え・お」には歴史的仮名遣で「ゐ・ゑ・を」であるものがある。
- 語頭以外の「わ・い・う・え・お」の多くが「は・ひ・ふ・へ・ほ」であり、「ゐ・ゑ・を」であるものもある。
- 「おう・こう・そう…」の多くが「あう・あふ・かう・かふ・さう・さふ…」である。
- 「きゅう・しゅう・ちゅう…」の多くが「きう・きふ・しう・しふ・ちう・ちふ…」である。
- 「きょう・しょう・ちょう…」の多くが「けう・けふ・せう・せふ・てう・てふ…」である。
- 「じ」には「ぢ」であるもの、「ず」には「づ」であるものがある。
個々の語の具体的な表記はふつう国語辞典の見出し語の後にカタカナ表記などで併記されているので容易に参照できる。
なお、字音仮名遣については別項で扱う。
現代仮名遣いへの批判
第二次大戦後に行われた国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が1960年(昭和35年)に『私の國語教室』を書き、現代仮名遣いに論理的な矛盾があると主張し批判を行った。現代仮名遣いは表音的であるとするが、一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。
また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。1986年(昭和61年)に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。
歴史的仮名遣の現在
現代仮名遣いは制定後比較的速やかに社会に定着し、1970年代以降は公的文書、新聞はもとより、ノンフィクションや小説に至るまでほとんどが原文の仮名遣いの何如に関わらず現代仮名遣いで出版されるようになった。(ただし詩歌については、原文の表記を尊重したものが概ね出版されている。)
その一方で、その後も仮名遣いの見直しを含む国語改革への批判と歴史的仮名遣の復権を主張して歴史的仮名遣での出版を続けた個人は少なくなかった。文学者では、石川淳、阿川弘之、福田恆存、丸谷才一、三島由紀夫、大岡信、谷崎潤一郎、川端康成、金子光晴、塚本邦雄、吉田健一、内田百閒、森茉莉、福永武彦、小沼丹、安岡章太郎、結城信一、高井有一、齋藤磯雄、入澤康夫、須永朝彦等、研究者では、小泉信三、田中美知太郎、山岸徳平、宇野精一、木内信胤、森銑三、岡崎正継、小堀桂一郎、中村粲、長谷川三千子、高森明勅等がいる。井上ひさし[5]や山崎正和、小西甚一、大野晋、大岡昇平等にも歴史的仮名遣によって公刊された著作がある。また定期刊行物としては「神社新報」が、現代仮名遣いは文法的に考えて欠陥が多いとして現在でも歴史的仮名遣での発行を続けている[6]。
コンピュータで文章を書く習慣が定着し始めた当初は、すべてのインプットメソッドが現代仮名遣いを当然の前提としていたことから、歴史的仮名遣で文章を書くことの困難は避けられなかった。その後、歴史的仮名遣を扱うインプットメソッド(『契冲』や『ATOK』文語モード)が出現し、さらにはシェアの大きいMS-IMEやOSを問わず使用可能なGoogle 日本語入力向けにフリーの変換辞書(『快適仮名遣ひ』)が提供され、字音仮名遣を除く一般的な歴史的仮名遣の文章入力が比較的手軽なものとなった結果、インターネット上の一部では歴史的仮名遣が根強く行われている。
なお、「現代仮名遣い」は「主として現代文のうち口語体のものに適用する」とし、「科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼ」さないとしたことにより、文語文法によって作品を書く俳句や短歌の世界においては歴史的仮名遣も一般的である。また固有名詞においては、現代でも以下のように歴史的仮名遣が使用されている場合がある。
- アヲハタ株式会社
- ヱビスビール (渋谷区の地名「恵比寿」の由来、ローマ字表記はYEBISU)
- ヰセキ(井関農機のブランド)
- ニッカウヰスキー株式会社
- 京都ゑびす神社
- 日色ともゑ
- すゑひろがりず
- 私屋カヲル
- 眞鍋かをり
- 安曇野市(あづみのし)
- 新党きづな
- 智頭町(ちづちょう)(字音仮名遣の例)
- よゐこ(歴史的仮名遣いに擬した冗談表記)
脚注
- ^ 『日本語表現法』玉川大学出版部、1994年、107頁。ISBN 978-4472104312。
- ^ 『現代仮名遣い』文部科学省HP
- ^ 前者はワ行上一段、後者はラ行四段活用で、終止形・連体形および已然形のみ一致。
- ^ 福田恆存『私の國語敎室』(文春文庫 ISBN 9784167258061 )298頁
- ^ 『東京セブンローズ』は戦時下に生きた人物の日記という設定であるので、当然歴史的仮名遣でその部分が記録されているという設定である。なお井上は『私家版 日本語文法』において、歴史的仮名遣支持の姿勢を明らかにしている。
- ^ 神社新報社>会社案内
参考文献
- 『假名遣意見』森鷗外
- 『假名遣の歷史』山田孝雄(昭和4年 (1929年))
- 『表音的假名遣は假名遣にあらず』他、橋本進吉(全集など参照)
- 『國語假名づかひ改訂私案』『國語審議會答申の<現代かなづかい>について』他、時枝誠記
- 『国語の変遷』金田一京助(創元社:絶版)「新かなづかい法の学的根拠」参照
- 『私の國語敎室』福田恆存(新潮社、文藝春秋)文春文庫版は復刊で入手可。ISBN 4167258064
- 『日本語の歴史(改訂版)』土井忠生編、至文堂、1957年6月。
- 学校教育における「現代仮名遣い」の取扱いについて