播磨国

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播磨国

-播磨国
-山陽道
別称 播州(ばんしゅう)
所属 山陽道
相当領域 兵庫県南西部
諸元
国力 大国
距離 近国
12郡98郷
国内主要施設
播磨国府 兵庫県姫路市
播磨国分寺 兵庫県姫路市(播磨国分寺跡
播磨国分尼寺 兵庫県姫路市
一宮 伊和神社(兵庫県宍粟市
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播磨国(はりまのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陽道に属する。

「播磨」の名称

木簡では「針間国」・「幡麻国」と表記しているものもある。

播磨国は播州(バンシュウ)とも呼ばれるが、「播」という漢字を「バン」と読むのは「播州」またはその省略形に限られており、本来の音読みは「ハ」である(「播種」・「伝播」など)。

領域

明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。現在の神戸市域においては、須磨区を境に東部(長田区・兵庫区・中央区・灘区・東灘区の全域および須磨区・北区のそれぞれ大部分)が摂津国、西部(垂水区・西区のそれぞれ全域と北区・須磨区のそれぞれ一部)が播磨国であった。

全域

兵庫県神戸市垂水区西区姫路市明石市相生市加古川市三木市高砂市小野市加西市宍粟市たつの市西脇市加東市多可郡加古郡神崎郡揖保郡赤穂郡

一部のみ

兵庫県神戸市須磨区(神の谷・北落合三丁目・北落合四丁目・菅の台・西落合・竜が台二丁目・竜が台三丁目・竜が台四丁目・竜が台五丁目・緑台・弥栄台)・北区(淡河町淡河・淡河町勝雄・淡河町北僧尾・淡河町北畑・淡河町木津・淡河町行原・淡河町神田・淡河町中山・淡河町野瀬・淡河町萩原・淡河町東畑・淡河町神影・淡河町南僧尾)・赤穂市備前国の部分を除く)・朝来市(生野町真弓・生野町川尻・生野町栃原)・佐用郡美作国の部分を除く)

当該地域の2010年国勢調査による人口は230万4449人(男111万3494人/女119万0955人)、世帯数は86万8208世帯、面積は3649.75km2、人口密度は631.4人/km2[1]

沿革

7世紀に成立した。針間国加古川以西)・明石国明石郡美嚢郡加古郡印南郡)・針間鴨国(加古川中流~上流)が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている。

飛鳥池遺跡藤原宮跡などからの出土木簡の中に飾磨郡を「志加麻評」、宍粟郡を「宍粟評」、神崎郡を「神前評」、揖保郡を「粒評」と記しているものがある。郡制の前には評里制の地方行政区画が行われていたことを示すものである。

7世紀の終わり頃、播磨国の長官を「吉備大宰(きびおおみこともち)」とか「播磨国宰(みこともち)」と『播磨国風土記』に記されている。この期の地方長官は、複数国以上を統括する大宰(総領)が任命された[2]

713年和銅6年)に編まれた風土記の内、現在にまで文献が残る五か国の一つでもある(『播磨国風土記』を参照)。

江戸時代には、山崎藩安志藩三日月藩林田藩三草藩龍野藩小野藩姫路藩赤穂藩明石藩福本藩新宮藩姫路新田藩平福藩が置かれた。

近世以降の沿革

国内の施設

全ての座標を示した地図 - OSM
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国府

播磨国府は、『和名抄』によれば飾磨郡にあった。姫路市中心部にある本町遺跡(姫路市本町、北緯34度50分4.85秒 東経134度41分44.96秒)を国衙跡とする説が有力視されており、同地からは2015年平成27年)にも奈良時代の大量の瓦や建物の柱跡が発見されている[3]

国分寺・国分尼寺

播磨国分尼寺跡
(兵庫県姫路市)

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社7座5社・小社43座42社の計50座47社が記載されている(「播磨国の式内社一覧」参照)。大社は以下に示すもので、すべて名神大社である。
伊和神社(兵庫県宍粟市

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[6]

守護所

守護所は鎌倉時代は加古川市加古川町の加古川城に、室町時代は赤松氏によって、姫路市曽左(書写)の書写坂本城に置かれ、また、播磨・備前・美作を統べるためにたつの市新宮町越部館に守護館を置いていた。嘉吉の乱で前期赤松氏が滅亡し、応仁の乱で播磨守護に復帰後は姫路市夢前町置塩城居城を移した。

地域

播磨国 郡別の略図

※はじめの郡名は『延喜式』による。

江戸時代の藩

  • 姫路藩:池田家(52万石)→本多家(15万石)→松平(奥平)家(18万石)→松平(越前)家(15万石)→榊原(松平)家(15万石)→松平(越前)家(15万石)→本多家(15万石)→榊原家(15万石)→松平(越前)家(15万石)→酒井家(15万石)
    • 姫路新田藩(姫路藩子藩):本多家(10万石→5万石と4万石→4万石と5万石)→松平(奥平)家(3万石)→酒井家(1万石)
  • 明石藩:小笠原家(10万石)→松平(戸田)家(7万石)→大久保家(7万石)→松平(藤井)家(7万石→6万5千石)→本多家(6万石)→松平(越前)家(6万石→8万石:10万石格)
  • 龍野藩:本多家(5万石)→岡部家(5万3千石)→京極家(6万石)→脇坂家(5万3千石→5万1千石)
  • 山崎藩:池田家(3万8千石→6万8千石)→松井家(5万石)→池田家(3万石)→本多家(1万石)
  • 赤穂藩:池田家(3万5千石)→浅野家(5万3千石→5万石→5万3千石)→永井家(3万2千石)→森家(2万石)
  • 安志藩:小笠原家(1万石)
  • 小野藩:一柳家(2万8千石→1万石)
  • 平福藩:池田家(2万5千石)
  • 三日月藩:森家(1万5千石)
  • 林田藩:建部家(1万石)
  • 三草藩:丹羽家(1万石)
  • 鵤藩→新宮藩:池田家(1万石)
  • 福本藩:池田家(1万石→7千石→6千石→1万573石)

人物

国司

播磨守

播磨介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国大名

武家官位としての播磨守

江戸時代以前

江戸時代

播磨国の合戦

播州人

武田信玄も好んで愛読したと言われる『人国記』には、「播磨の風俗智恵有て義理を不知、親は子をたばかり、子は親をだしぬき、主は被官に領地を鮮く与へて好き人を堀し出し度と志し、亦被官と成る人は主に奉公を勤る事を第二に而、調儀を以所知を取らんと思ひ、悉皆盗賊の振舞也。侍は中々不好不及是非也。若き侍の風上にも可置国風にあらず、偏に是国は上古より如此の風俗終に暫くも善に定る事なし」と播州人は悪賢いというような書物がある。

『人国記』での播州人の基準は、播州人である赤松則村(円心)や赤松満祐など実際に謀反を起こした赤松氏かと思われる。『天正記』での播州人の基準は、播州人である別所吉親別所氏)・黒田孝高赤穂浪士大石良雄)かと思われる。例に赤穂浪士の事が描かれている場面もある。

主な川

明石川住吉神社 (神戸市西区)付近)

自治体名は流域。

現代的用法

現在でも「播磨(播州)」は、兵庫県南西部を指す地域名として用いられる。

東播(とうばん=東播磨)・西播(せいばん=西播磨)・北播(ほくばん=北播磨)・中播(ちゅうばん=中播磨)というような使い方も、日常的になされる。明確な定義は無いが、区分はおおむね以下のようになる。

  • 二分する場合
    • 東播:加古川市・高砂市・加西市・多可郡以東
    • 西播:姫路市・神崎郡以西
  • 三分する場合
    • 東播:明石市・加古川市・高砂市・加古郡
    • 北播:三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
    • 西播:姫路市・相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・神崎郡・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

西播磨のうち、姫路市と神崎郡を「中播磨(中播)」とすることもある。

  • 四分する場合
    • 東播:明石市・加古川市・高砂市・加古郡
    • 北播:三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
    • 中播:姫路市・神崎郡
    • 西播:相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

通常は神戸市垂水区・西区・北区淡河町・須磨区須磨ニュータウン西部を「播州」・「東播」とは呼ばない。

  • 兵庫県の出先機関である県民局は4つに分かれている。行政区分はこれを中心に行われる。
    • 東播磨県民局(加古川市所在):明石市・加古川市・高砂市・加古郡
    • 北播磨県民局(加東市所在):三木市・小野市・加西市・西脇市・加東市・多可郡
    • 中播磨県民局(姫路市所在):姫路市・神崎郡
    • 西播磨県民局(赤穂郡上郡町所在):相生市・赤穂市・宍粟市・たつの市・揖保郡・赤穂郡・佐用郡

気象予報区域

播磨地区内で以下のように細分化されている。(北播丹波は丹波国の部分にもかかっている、また、兵庫丹波はすべて北播丹波に含まれる)

地震情報では、播磨南東部・北播丹波を「兵庫県南東部」、播磨南西部・播磨北西部を「兵庫県南西部」として発表している。

名産

工業製品

食品

米の産地として越前国と「一播二越」(いちばんにえち)と称された[7]

脚注

  1. ^ 平成22年国勢調査、小地域集計、28兵庫県”. 総務省統計局(e-Stat) (2010年10月1日). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 福島好和「大和王権の進出と展開 3内なる国と外なる国」、今井修平・小林基伸・鈴木正幸・野田泰三・福島好和・三浦俊明・元木泰雄『兵庫県の歴史』山川出版社 2004年8月 65-66ページ
  3. ^ "国府関連の建物跡か 奈良時代の溝や瓦出土 姫路"(神戸新聞NEXT、2015年10月13日記事)。
    "「播磨国府」関連施設か 推定地近く、奈良時代の瓦が大量出土 兵庫"(産経ニュース、2015年10月14日記事)。
  4. ^ 播磨国分寺跡(姫路市ホームページ)。
  5. ^ 播磨国分尼寺跡説明板。
  6. ^ 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 448-453。
  7. ^ いにしえの歴史と文化が息づく・・・ 自然に恵まれたまち、越前市

参考文献

関連項目

外部リンク