岸盛一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2400:4133:9b77:fe00:1c05:7030:e246:fb6a (会話) による 2020年9月21日 (月) 12:18個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

岸盛一
きし せいいち
生年月日 (1908-07-14) 1908年7月14日
没年月日 (1979-07-25) 1979年7月25日(71歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
テンプレートを表示

岸 盛一(きし せいいち、1908年7月14日 - 1979年7月25日)は最高裁判所裁判官

東京帝国大学を卒業して、裁判官に任官。

東京控訴院判事などを経て、戦後に初代最高裁判所刑事局長。その後、東京地方裁判所の裁判現場に戻る。

砂川事件では最高裁判所大法廷の一審破棄・差し戻し判決を受けてのやり直し裁判で1961年3月27日、逆転有罪判決を下す。東京都公安条例事件では一審で違憲判決を下した。

東京高等裁判所長官、最高裁判所事務総長を歴任。最高裁事務総長時代には「司法の危機」と呼ばれた時代には、自民党の裁判批判を展開して司法問題調査会を設置した際には「調査会の設置は司法権の独立を侵す恐れがある」「裁判の独立を守る決意は変わらない」との談話、青法協問題については「裁判官が政治的色彩を帯びた団体に加入することは、歳晩の候性差について国民から疑念を招く恐れがあるので、慎むべきである」との公式見解をそれぞれ発表した。

1971年4月に最高裁判所裁判官に就任。

1978年7月に定年退官。

参考書籍

  • 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)