尹雄烈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。今紫 (会話 | 投稿記録) による 2020年8月30日 (日) 03:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

尹雄烈
別技軍左副領官
尹雄烈(1880年頃)
本貫氏派 海平尹氏
没死地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京畿道京城府
埋葬地 忠清南道牙山郡温陽邑
京畿道平沢郡彭城面客舍里芙蓉山
忠清南道牙山郡屯浦面
配偶者 全州李氏
金貞順
子女 尹慶姫尹致昊尹致旺尹致昌

尹 雄烈(いん ゆうれつ、1840年5月18日 - 1911年9月22日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の軍人政治家尹致昊の父親。

開化派に属して甲申政変春生門事件に加わった。


参考文献

  • 梁賢恵『尹致昊と金教臣 その親日と抗日の論理―近代朝鮮における民族的アイデンティティとキリスト教』新教出版社、1996年。ISBN 4-400-42627-0 

外部リンク

尹雄烈(左、1904年)