安藤次猷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による 2020年4月28日 (火) 08:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
安藤次猷
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 寛延2年(1749年
死没 文政10年5月8日1827年6月2日
改名 勝之助(幼名)、次猷、直時
戒名 藤寛院崇淳居士
墓所 愛知県岡崎市大和町の妙源寺
官位 従五位下帯刀
主君 徳川治貞治宝
紀伊田辺藩主(御三家紀州藩附家老
氏族 安藤氏
父母 父:安藤信尹、養父:安藤寛長
兄弟 信成次猷信姿上杉勝承継室、
中山直寛継室、西尾茂教継室ら
正室:松平勝尹娘政
恒之助、安藤直與正室
養子:道紀
テンプレートを表示

安藤 次猷(あんどう つぐのり)は、江戸時代中期から後期にかけての紀伊国田辺藩11代藩主。は後に直時(なおとき)と改名した。官位従五位下・帯刀。

略歴

寛延2年(1749年美濃国加納藩主・安藤信尹の三男として誕生。

明和8年(1771年)3月12日に先代・安藤寛長が死去したため、同年7月11日に跡を継いだ。安永6年(1777年)6月に田辺城下で米騒動が起こり、天明6年(1786年)12月に米価高騰のために同月25日、28日の2回にわたって暴動が起こり、城戸の富豪4戸が破壊されるなど、治世は多難を極めた。

享和元年(1801年)5月9日に養子・道紀徳川宗将の十男)に家督を譲って隠居し、文政10年(1827年)5月8日に79歳で死去した。

系譜