丘球学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松茸 (会話 | 投稿記録) による 2019年11月21日 (木) 15:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

丘 球學(おか きゅうがく、旧姓:山田、1877年10月17日 - 1953年10月14日)は、愛知県出身の日本曹洞宗僧侶

略歴

明治10年(1877年)10月17日、愛知県碧海郡筒針村(現・岡崎市)山田栄助の三男として生まれる。1891年、静岡県磐田郡井通村(現・磐田市)の正医寺住職榑松賢童に就いて出家得度。可睡斎で修行し西有穆山丘宗潭に師事して後を継ぐ。

1902年(明治35年)に曹洞宗大学林(現・駒澤大学)を卒業、1915年(大正4年)に修禅寺38世住職・安泰寺住職を継ぐ。

曹洞宗大学林副学監、永平寺後堂總持寺西堂ソウル博文寺住職を歴任し、1947年(昭和22年)に帰国後、永平寺西堂、永平寺東京別院監院、永平寺副貫首となる。

1953年(昭和28年)10月14日に遷化。

著作リスト

  • 『般若台禅話』(相模書房、1937年)
  • 『仏教の真髄』(修禅寺出版社、1930年)
  • 『曹洞宗意綱要』(鴻盟社、1929年)

参考文献

外部リンク