三陟市

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江原道 (南) 三陟市
幻仙窟モノレール・幻仙窟駅の遠景
位置
三陟市の位置
各種表記
ハングル: 삼척시
漢字: 三陟市
日本語読み仮名: さんちょくし
片仮名転写: サムチョク=シ
ローマ字転写 (RR): Samcheok-si
統計
面積: 1,185.78 km2
総人口: 69,364(2016年[1]) 人
行政
国: 大韓民国の旗 大韓民国
上位自治体: 江原道 (南)
下位行政区画: 2邑、6面、4洞
行政区域分類コード: 32070
三陟市の木: ケヤキ
三陟市の花: クロフネツツジ
三陟市の鳥: カモメ
自治体公式サイト: 三陟市
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三陟市庁

三陟市(サムチョクし・さんちょくし)は大韓民国江原道南部にある太白山脈の東側に位置し、日本海(韓国名:東海)に面している。漁業農業石灰岩セメントなどの鉱業が主産業で、長い砂浜の海水浴場と石灰岩の洞窟(鍾乳洞)が有名な観光地でもある。かつては石炭の産出も盛んだった。

地理

三陟市は江原道の南部、慶尚北道との道境に位置する。東は日本海に面し海岸線は58.4kmにわたってのび、西には険しい太白山脈が連なる。1185平方kmの面積のほとんどは山林(1,049.6平方km)である。太白山脈の主峰のひとつで仏教シャーマニズム巫俗)の聖地でもある頭陀山を筆頭に、古来から霊山とされてきた石灰岩質の奇岩怪石の峰々がそびえる。山中にはツツジや薬草、老巨木が生え、長さ数kmにおよぶ多くの地下洞がある。

    • 頭陀山 (1,353m)
    • 青玉山 (1,404m)
    • シイウム山 (683m)
    • 徳項山 (1,071m)
    • 応峰山 (999m)
    • 剣峰山 (682m)


  • 洞窟(鍾乳洞)
    • 幻仙窟・観音窟
    • 大金窟
    • これらの洞窟は徳項山のふもとの新基面・大耳里にある。幻仙窟は1997年に長さ1.6kmが観光客向けに開放されたが、総延長は6km以上あり最奥部は未探査である。大金窟は2007年に開放された。

隣接自治体

三陟海水浴場
関東八景のひとつ、竹西楼

行政区画

行政洞・邑・面 法定洞・法定里
南陽洞 南陽洞、史直洞、梧紛洞、積老洞、鳥飛洞
校洞 葛川洞、校洞、麻達洞、禹池洞、甑山洞
汀羅洞 汀上洞、汀下洞
城内洞 乾芝洞、近山洞、塘底洞、桃京洞、登鳳洞、馬坪洞、城南洞、城内洞、城北洞、五士洞、元堂洞、邑上洞、邑中洞、紫園洞、平田洞
道渓邑 古士里、九士里、訥口里、道渓里、馬橋里、武巾里、発理里、山基里、上徳里、新里、深浦里、田頭里、店里、次口里、汗乃里、黄鳥里、興田里
遠徳邑 葛南里、臨院里、沃原里、山陽里、湖山里、理川里、月川里、沙谷里、杞谷里、魯谷里、魯耕里
新基面 新基里、西下里、古武陵里、大耳里、大基里、大坪里、安衣里、馬次里
柯谷面 湯谷里、梧木里、梧底里、豊谷里、東活里
下長面 中峯里、番川里、宿岩里、広洞里、長田里、楸洞里、葛田里、兎山里、公田里、屯田里、易屯里、大田里、龍淵里、汗沼里、板門里、於里
近徳面 光泰里、交柯里、橋谷里、宮村里、金鶏里、徳山里、東幕里、梅院里、府南里、上孟芳里、龍化里、荘湖里、草谷里、下孟芳里
未老面 古川里、内未老里、東山里、三巨里、士屯里、武士里、下巨老里、下士田里、上巨老里、上士田里、下鼎里、上鼎里、川基里、活耆里
芦谷面 閭三里、宇発里、上軍川里、上麻邑里、上班川里、上月山里、上川基里、下軍川里、下麻邑里、下班川里、下月山里、古自里、開山里、屯達里、舟旨里、中麻邑里

行政

警察

消防

気候

日本海の暖流に影響された海洋性気候であり、江原道の内陸部よりもは比較的涼しくは比較的暖かい。年平均気温は12.5度、8月が平均24.1度で1月が平均0.5度。最高気温極値は37.5℃(1992年7月29日)、最低気温極値は-15.6℃(1978年2月1日)である。年間降水量は1,284.5mmで、夏に雨が多く、台風や集中豪雨にも影響される。

歴史

  • 三韓時代には悉直国(シルジク=グク)、または悉直谷国(シルジクゴク=グク)と呼ばれる氏族国家があり、新羅の北辺の地であった。6世紀初めの新羅の王智証麻立干の時代に州郡県制が定められると悉直州となり、統一新羅時代の景徳王の治世の757年に国内の地名が唐風に改名された際に三陟郡となった。
  • 三国統一後の757年景徳王16年)に行政制度改編で現在の名前である三陟郡に改称された後、現在の三陟市内外にあった4県を属県として管轄している。
    • 滿卿県 - 旧・滿若県であった。現在の三陟市近徳面。
    • 羽溪県 - 旧・羽谷県であった。高麗時代に冥州へ所属が変わった。江陵市玉溪面
    • 竹嶺県 - 旧・竹峴県であった。朝鮮王朝の後に所達面になったが、1630年仁祖8年)に三陟府使の李埈が三陟府境内を9里に分け治めるとき、ここを長生里とした。後に上長生面と下長生面に分かれたが、上場生面は現在の太白市となり下長生面は現在の三陟市下長面となった。
    • 海利県 - 旧・波利県であった。現在の三陟市遠徳邑。
  • 後三国時代に三陟金氏などの強力な豪族勢力の支配下に置かれ真珠という別名で呼ばれた。[2]
  • 高麗時代の995年高麗成宗14年) - 陟州團練使が設置された。
  • 1018年顕宗9年) - 県に降格されて当該三陟県にされた。
  • 朝鮮王朝の後、1393年太祖2年)- 穆祖の外向として三陟府に昇格され、4年後の1397年(太祖6年)に軍鎮として三陟鎮が設置された。
  • 1413年太宗13年) - 三陟都護府に昇格された。
    • 1393年から1413年の間、高麗最後の王であった恭譲王の流刑地となり、1394年にこの地で暗殺された。また朝鮮王朝の太祖李成桂の五代前の先祖・李陽茂夫妻の墓所である浚慶墓・永慶墓があり、鬱蒼とした松林に囲まれ、風水に恵まれた地とされている。
  • 1631年(仁祖9年)- 三陟都護府内に9つの行政区域が設定された。梅谷、府内、芦谷、徳蕃、北坪、朴谷、未老、所達、長生里
  • 1738年英祖14年) - 12面に再調整された。末谷(洞地域内陸)、府内(洞地域海岸)、芦谷、近徳、遠徳、未老、所達、上長省、下長省、見朴谷、道上、道下

三陟市

  • 1986年1月1日 - 三陟郡三陟邑が市制施行して三陟市が発足。[3]
  • 1995年1月1日 - 三陟市・三陟郡が合併し、改めて三陟市が発足。[4](2邑6面)

三陟郡

  • 1895年6月23日(旧暦閏5月1日) - 郡制が敷かれると三陟郡が設置される。[5]
  • 1896年8月4日 - 江原道三陟郡に改編。[6]
  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、三陟郡に以下の面が成立。[7](9面)
    • 府内面・北三面・下長面・近徳面・遠徳面・未老面・所達面・芦谷面・上長面
  • 1917年 - 府内面が三陟面に改称。(9面)
  • 1938年10月1日 - 三陟面が三陟邑に昇格。[8](1邑8面)
  • 1943年 - 遠徳面の一部(草谷面・梅院里)が近徳面に編入。
  • 1945年7月1日 - 北三面が北坪邑に昇格。[9](2邑7面)
  • 1960年1月1日 - 上長面が長省邑に昇格。[10](3邑6面)
  • 1963年1月1日 - 所達面が道渓邑に昇格。[11](4邑5面)
  • 1973年7月1日(5邑5面)
    • 長省邑の一部を黄池邑として分離。[12]
    • 下長面の一部(柯木里・道田里)が旌善郡臨渓面に編入。[13]
    • 芦谷面金鶏里が近徳面に編入。[13]
  • 1980年
    • 4月1日 - 工業港のある北坪邑が溟州郡墨湖邑をもって東海市を新設し、郡より離脱。[14](4邑5面)
    • 12月1日 - 遠徳面が遠徳邑に昇格。[15](5邑4面)
  • 1981年7月1日 - 炭鉱の町である黄池邑・長省邑が合併して太白市を新設し、郡より離脱。[16](3邑4面)
  • 1986年
    • 1月1日 - 三陟邑が市制施行して三陟市となり、郡より離脱。[3](2邑4面)
    • 3月27日 - 遠徳邑の一部を柯谷面として分離。[17](2邑5面)
  • 1987年1月1日 - 遠徳邑の一部(荘湖里・龍化里)が近徳面に編入。
  • 1989年4月1日 - 道渓邑新基出張所が新基面に昇格。[18](2邑6面)
  • 1994年12月26日 - 下長面の一部が太白市に編入。(2邑6面)
  • 1995年1月1日 - 三陟郡が三陟市と合併し、改めて三陟市が発足。三陟郡消滅。[4]

姉妹都市・友好都市

交通

  • 三陟統合バスターミナル。(高速バスと市外バスの両ターミナル)

鉄道

出身著名人

脚注

  1. ^ Statistical Datebase/Population, Households and Housing Units”. 統計庁 (2017年8月31日). 2018年2月7日閲覧。
  2. ^ 삼척시청 : 21세기 동북아 에너지메카 도시 삼척 - 삼척시 소개 - 삼척의 역사 - 역사[リンク切れ]
  3. ^ a b 法律第3798号 구리시등11개시설치와군관할구역의조정및금성시명칭변경에관한법률(1985年12月28日
  4. ^ a b 法律第4774号 경기도남양주시등33개도농복합형태의시설치등에관한법률(1994年8月3日
  5. ^ 勅令第98号 地方制度改正件1895年旧暦5月26日
  6. ^ 勅令第36号 地方制度官制改正件(1896年8月4日
  7. ^ 朝鮮総督府令第111号(1913年12月29日
  8. ^ 朝鮮総督府令第197号(1938年9月27日
  9. ^ 朝鮮総督府令第149号(1945年6月28日
  10. ^ 法律第539号 읍설치에관한법률(1960年1月1日
  11. ^ 法律第1177号 읍설치에관한법률(1962年11月21日
  12. ^ 大統領令第6543号 읍설치에관한규정(1973年3月12日
  13. ^ a b 大統領令第6542号 시·군·구·읍·면의관할구역변경에관한규정, 1973年3月12日公布
  14. ^ 法律第3188号 동해시등시설치와시·군관할구역및명칭변경에관한법률(1979年12月28日
  15. ^ 大統領令第10050号 경기도시흥군의왕읍등35개읍설치에관한규정(1980年10月21日
  16. ^ 法律第3425号 광명시등시설치와군관할구역변경에관한법률(1981年4月13日
  17. ^ 大統領令第11874号
  18. ^ 郡条例第1371号

関連項目

外部リンク