ロナルド・D・レイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Jiangning320115 (会話 | 投稿記録) による 2021年1月25日 (月) 22:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:グラスゴー大学出身の人物を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

R・D・レインR. D. Laing)ことロナルド・ディヴィッド・レインRonald David Laing1927年10月7日 - 1989年8月23日)は、スコットランド出身のイギリス医学者精神科医精神分析家

反精神医学運動

ドナルド・ウィニコットから訓練分析を受けた。レインは1950年代末から1960年代にかけて、統合失調症(旧名「精神分裂病」)の患者を入院治療によって隔離・回復させようという当時の主流の精神医学を批判し、むしろ地域に解放し、地域の側の認識を変容させることで治癒させることをめざす「反精神医学anti-psychiatry」運動を提唱・展開した。裕福な私財を投じて医師と患者の共同住居を設け、生活と一体化した治療活動を行った。デヴィッド・クーパーとともに反精神医学運動の主導者とみなされている。この運動はまた、のちの家族療法や、『アンチ・オイディプス』などを書いたフェリックス・ガタリジル・ドゥルーズなどにも影響を与えた。当時活発であった実存主義の哲学者サルトルらとの交流も深く、それまでの精神科医の多くと異なり、病的行動から、患者の実存的境地・意味を理解しようと努めた。

思想

レインは、生物学的または精神的な器官ではなく環境が、病気の即座の引き金としての偶然の役割(精神病理の原因としての「ストレス原因モデル」)を果たすと考えた。都市型の家は、人格が鍛えられる坩堝であり、そこで病気が生まれるという説である。この病気の生成軌跡の再評価とそれに伴う治療の形の変化は、精神医療の主流とは全く対照的であった。レインは精神病の行動やスピーチを、その状況の中でだけ意味のある、象徴的な謎めいた言葉に包み込まれている、苦痛の有効な表現であるとして評価した。

ベイトソンと彼のチームが提唱した「ダブルバインド」仮説の見方を広げ、「狂った」過程、すなわち「両立しない結び目」で展開する非常に複雑な状況を記述する新しい概念を思いついた。

彼は精神疾患の存在を否定しなかったが、同時代とは根本的に異なる光でそれを考えた。 彼にとって、精神疾患は、精神的苦痛を経験するプロセスだが、シャーマニカルな旅と似たエピソードである。旅行者は重要な洞察を持って旅から帰ることができ、結果として賢くなる。

「引き裂かれた自己」(1960年)では、「存在論的に安全な」人の経験を、「自分自身や他者の実在性、生き方、自立性、アイデンティティを当然受け入れることができない」人物の経験と対照し、 「自己を失うー 自己と他者」(1961年)では、考え方は多少変化していた。

レインは詩を書いており、彼の詩集には「結ぼれ」(1970年、Penguin出版)と「Sonnets ソネット集」(1979年、Michael Joseph出版)がある。

息子アダムと一緒に、1980年のアルバム「Miniatures - モーガン・フィッシャーによって編集された501の小シーケンス」内で、歌と楽器を演奏している。

邦訳著書

  • 『ひき裂かれた自己』 みすず書房 1971
  • 『狂気と家族』 エスターソン共著 みすず書房 1972
  • 『経験の政治学』 みすず書房 1973
  • 『結ぼれ』 みすず書房 1973
  • 『自己と他者』 みすず書房 1975
  • 『好き?好き?大好き?』 みすず書房 1978
  • 『レイン わが半生』 岩波書店 1986

参考文献

  • 『誠信 心理学辞典』外林大作 ほか編、誠信書房 1981

関連人物

関連項目