パーマネントウエーブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。茂林寺たぬき (会話 | 投稿記録) による 2020年9月29日 (火) 23:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (lk)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

パーマのかかった髪

パーマネントウエーブ(permanent wave)とは、毛髪化学反応を用いて人工的な縮毛を形成する美容技術、もしくはそれによって得られる髪型のことである。略してパーマperm)と呼ばれることが多い。

ヘアーアイロンヘアドライヤーで作る一時的なウェーブに対し、水に濡らしても「永久的(permanent)に形の崩れないウェーブ」という意味から生まれた。

概要

コールドパーマの美容院

起源は20世紀初頭にドイツ人のカール・ネスラーがアフリカを旅行した際に、女性が小枝に毛髪を巻きつけて川の泥を塗り太陽の熱で乾燥させ、小枝を取り除くと毛髪が巻かれているのを目撃したことによる。これを参考に開発したのが「ネッスルウェーブ」で、ホウ砂と高熱によってパーマを得る。この技術はその後アメリカで広く普及した。また当時より室温でパーマを得る手法の研究も進められており、1940年ごろアメリカでチオグリコール酸を使った現在のパーマの原型が完成した。この技術は加熱を用いないという意味で特に「コールドパーマ」と呼ばれ、現在も世界的主流となっている。

理屈としては化学的な作用を持つ薬剤 (多くはチオール基を持つもの) を使用し毛髪内でシスチン結合の還元酸化など化学反応を意図的に起こす事で毛髪の構造・形状を変化させた上でそれらを固定する。使用する薬剤の主流は久しくチオグリコール酸システインを還元剤とした医薬部外品であったが日進月歩の開発側の下地と規制緩和の結果、次第にシステアミンラクトンチオールなどを還元剤とした化粧品分類のパーマ液も次々に商品化、昨今ではチオグリコール酸システイン、および促進剤としてのアルカリ剤の濃度を調整した結果、化粧品分類として認められるシステムも珍しいことではなくなった。サルファイトなどチオール基を持たないシステム自体はコールドパーマ黎明期より開発・商品化されているが定着や再現性の観点から不利で、主流となりえなかった。

ただし、パーマ剤に関して言えば医薬部外品と化粧品の分類は安全性というよりは流通に絡む数十年前の法律上で分けられる分類であって「医薬部外品であるから髪が傷む」「化粧品であるから傷まない」という意味では決してない。どのような法律的分類にあってもそれぞれの薬剤に長所があり、その長所を最大限に生かしながらダメージは最小に留める、これは技術者の経験と知識と良心の問題であり、それこそが理美容師に求められる技術の本質なのである。

再現性を重視した加温ロッドやアイロンを用いるホット系パーマは一時期のブーム後に「繰り返すと髪が傷む」というデメリットが表面化したが、理論的には熱変成が強く行われるほど再現性は増すのでありこれは例えば同じく熱変成をシステムの中心にすえる縮毛矯正パンチパーマの再現性が高いことを考えると分かりやすい。双方とも「ただ乾かすだけで」形が出来上がるからである。しかし同様の考え方で女性客のウェーブを求めるとなると特有のデメリットが生まれてくる。

パンチパーマの理容師

例えば縮毛矯正では過去に施術をした部位に対し物理的にも科学的にも不要な負荷をかけないよう、すべての作業を出来る限り新生部を中心に行う。またパンチパーマはスタイル的に定期的に短くカットされることから、繰り返しの作業に同一の毛髪部位が何度も晒されることがそもそもない。対して女性客のウェーブ技術というのは同じ部位に何度も繰り返し施術が行われるケースがほとんどであり、そのたびに熱変成に毛髪が晒される事になる。熱変成は確かに再現性を強力に補強するものではあるが著しく毛髪の構造を変えてしまう。再現性というのは結局毛髪の構造を利用しているため、繰り返すほどにその優位性の源を失うという自己矛盾を含んでいたのである。

これを受けて器具は用いるものの熱変成そのものよりも「クリープと空気酸化+それを補強するための熱作用」というコールド系ともホット系とも言えないシステムも生まれている。また、クリープ作業や空気酸化自体は特殊な器具を用いずとも可能であるためコールド系のパーマ施術でも要所要所で取り入れられてきておりコールド、ホットという区別は過去のものとなりつつある。

パーマに関する事柄

  • 日本では日中戦争支那事変)が勃発した戦時下の1930年代後半以降、過度なお洒落は贅沢行為としてパーマに反対する運動が起こり、1939年には「パーマネントはやめませう(パーマネントはやめましょう)」と言う言葉[1]が流行語にもなった。またこれと相前後して、日本の一部の地域の町会では「町会決議によりパーマネントの方は当町の通行をご遠慮ください」と言う立て看板まで設置された実例もあった[2]。アメリカ・イギリスとの関係が悪化した1940年頃からパーマネントはいわゆる敵性語として「電髪(でんぱつ)」と言い換えられる場合もあった。
    • しかし、パーマネント排斥運動自体は決して完全なものではなく、日中戦争を描いた内務省陸軍省が指導・後援する1940年4月17日公開の映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』では、序盤にヒロインである田中絹代演ずる資産家(牧場主)の娘らがパーマをかけ洒落た服装で乗馬ピクニックをするシーンが存在している。
    • さらに、太平洋戦争中の1943年に帝国陸軍東部軍司令部が、防空情報の処理要員として採用した女性軍属たる「女子通信隊員」達が公然とパーマネントをかけた髪型で制服を着用し軍務に就いている写真がグラフ雑誌に掲載されている[3]
  • 近年では例えばウェーブを持った髪をストレートスタイルに移行する場合にはストレートパーマと呼ぶなど、これらの化学反応を使ったスタイルチェンジ自体が「パーマ」という意味で語られることも多い。生まれつきウェーブがかかった縮毛のことを、俗に天然パーマ(テンパー)などと呼ばれる。
  • 最近では国内でデジタルパーマやエアウェーブなどパーマの呼び名も多様化しているが、それらの多くは商業的な差別化を図るための単一の業者による商標名であることがほとんどで、サロン側がその名称をそのまま使用するケースも多く科学的・原理的な分類とは異なることに注意したい。

出典

  1. ^ 自粛させられたおしゃれ ポーラ文化研究所 2017年9月22日閲覧
  2. ^ 京成電鉄「京成電鉄85年の歩み」より。
  3. ^ これ、天然なんです(笑) 美しい黒髪を守る16万おまけ

外部リンク